暁の道標 3

「ええ、わかったわ」


 彼女の返答は、とてもあっさりとしたものだった。


「お前に命令したら何でも聞くって、危なくねーのかよ」


 横から言ったバートに、少女はまた面白そうに笑う。


「どうかしら。リッシェノルジェが去ってから、この場所にたどり着いたのは、あなたたち以外には三人しかいないけれど」


 そのうちの一人は、イシュターだろう。

 アストリアーデは顔を上げて、兄を見た。そして、彼の決断の真意を理解する。

 ここが止まれば、リシュカという少女が守っているものも確実に動かなくなり、ウィリスのような悲劇を繰り返すこともなくなるだろう。


「『遺産』を動かなくしちゃったら、お父さんたち、怒るかな」


 アストリアーデは呟いてから、すぐに続けた。


「……怒らないだろうね」

「そうだね」


 サリュートアも彼女の意見に同意する。

 両親ならばかえって面白がるかもしれないし、ジェイムはきっと優しく受け止めてくれるだろう。

 背後を向くと、その視線に気づいたバートは小さく肩をすくめる。


「いんじゃね? 別に」


 それから、大して興味もなさそうな口調で言った。


「そりゃ、捜査は楽になっかもしんねーけどよ。この前だって大して役に立ってねーしな。アレがあったおかげで、かえって裏かかれちまったし。結局地道な捜査に勝るものなし、ってな」


 あれがなければ、ナオの行動はまた違っていたかもしれない。


「それに俺たちが思ってるよりもあるみてーだから、犯罪者も使えなくなっていんじゃね?」


 言いたいことを言い終わってから、彼は慌てて隣を見る。

 セシリアは微笑んで、それから言った。


「私は、こういうものが身近になかったので、正直実感が湧かないですね。最初からないと思えば同じですし。……父は、残念がるかもしれませんけど」


 少し淋しげに付け加え、それからまた笑みをこぼす。


「でも、もう十分楽しんだと思います。人は必要なら、またこういったものを自分で作るんじゃないでしょうか。バートさんのお友達の発明家さんみたいに」

「友達じゃねーよ。あと『自称』発明家、な」


 バートが律儀に訂正すると、思いがけない方向から反応する声があった。


「それは天才発明家、ウサナ・ギーターのことかしら?」

「知ってんのか!?」


 驚きの声をあげる彼を見て、少女はまた笑う。


「彼の装置からの通信が、時々ここへと繋がるのよ。本人はそれに気づいてはいないみたいだけどね」


 それを聞き、バートは何ともいえない複雑な表情を浮かべる。


「教えてあげたらどうですか?」

「やだよ」


 セシリアの言葉に彼が苦々しい顔をすると、その場が自然と笑いに包まれた。

 そうだ――とサリュートアは思う。

 アストリアーデと二人きりだったら、きっとこうはならなかっただろう。

 旅の連れとしてバートが加わり、変化した空気に触れたアストリアーデも笑うようになり、セシリアも加わると、新たな糸で織物の柄が複雑になるように、また違った変化が現れ始めた。

 今は何も映し出していない、壁の方を見る。

 『遺産』に触れた者の姿が数多く残されているのであれば、もしかしたら、自分たちと同じ名前とそっくりな容姿を持つという双子の姿も、残されているのかもしれない。

 でも、それを見てみたいという思いは、湧いては来なかった。

 怖いのかもしれない。けれども、もう、どうでもいいという気持ちのほうが強い。

 その双子が自分たちと何らかの関わりがあるとしたら、何だというのだろうか。それを知って、どうするのだろうか。

 彼らには、ヴィンスターレルとミストという両親はいなかった。ジェイムという存在もいなかった。

 一緒に旅に出て離れ離れになり、オーファやレン、バートと出会うこともなく、リシュカという少女と、思いもかけない形でめぐり合うこともなかった。

 バートと再会し、セシリアという道連れをひょんなことから得て、事件に巻き込まれながらも、ここまで辿り着くことはなかったはずだ。

 ――自分は、自分だ。

 それは、サリュートアが旅をしてきた中で、見つけた答えだった。


「そろそろ、止めてもいい?」


 少女の声が、施設内に響く。


「……ここが止まっちゃったら、あんたは消えちゃうの?」


 それは怖くないのかと聞こうとして、アストリアーデはその言葉を飲み込んだ。

 きっと彼女は先ほどと同じように、そんな気持ちはないというだろうし、自分たちが止めろと言ったのに、それを聞くのはあまりにも無責任だと思ったからだ。


「必要なくなるから消えるけど、この映像がわたしの全てって訳じゃないから。あなたが今踏んづけてるその床だって、わたしの体ともいえるのよ」


 はっと足元を見て、慌てて片足を上げたアストリアーデを、彼女は可笑しそうに眺めた。


「それじゃあね。あなたたちに出会えて楽しかったわ。――たぶん、ね」


 感情がないという少女――ヨセミスフィアの、それが気持ちを素直に表現した言葉だったのだろう。

 こちらから何か言葉を返す間もなく、辺りは再び眩い光に包まれた。

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