活路 3

 ◇


「……そろそろ、ですよね」


 セシリアが唾を飲み込み、緊張した面持ちで言う。

 二人も仮眠を取った後、すぐに移動をすることとなったのだが、行き先として決まったのは最寄の村だった。

 人のいる場所は出来るだけ通りたくはなかったものの、そこを抜ける以外は、高い山を越えなければならなかったり、かなりの遠回りをしなければならなかったりというルートしかなかったのだ。

 追っ手が来る気配もとりあえずはない。ぐずぐずしているよりは早く動いたほうが良いと判断し、現在、その村のすぐ近くまで来ている。

 草を食む牛の姿や、ゆったりと回る風車が青空に映える。

 このような状況でなければ、心地よい散歩気分が味わえただろう。

 建つ家の数が増えてくるにつれ、緊張感は増して来る。

 やがて、向こうから人がやってくるのが見えた。

 荷台を引いた老人は、こちらにじっと視線を向けている。。

 不自然にならないようにと意識しながら見返したところ、彼は小さく首を傾げてから視線を逸らし、通り過ぎて行った。


「……何か、含むような視線じゃなかったですか?」


 老人と荷台が小さくなってから、セシリアが堪えきれなくなったかのように言う。

 彼女は現在はスカーフを頭に巻きつけ、帽子のようにしていた。

 以前の経験も踏まえ、仲間たちもなるべくセシリアの名を口にしないか、呼ぶ時は『シーア』と呼ぶことに決めていた。本人からは『リア』のほうが良いのではないかという意見が出たが、他の三人により全力で却下された。


「知り合いと間違えたんじゃね?」


 そんな彼女へと、バートは相変わらずの調子で答える。


「バートさんが睨んだからじゃない?」


 アストリアーデもフォローをしようと口を挟んだが、その内容にバートがむっとしたような表情をした。


「睨んでなんかねーよ」

「それそれ。バートさん、目つきが恐いもん」

「俺も初めて会った時、印象悪かったしなぁ」


 続けてサリュートアも言うと、バートの声が一段と高くなる。


「それはこっちも同じだっつーの! クソ生意気な――」

「あの、喧嘩しないでください!」


 そのまま白熱しそうな勢いだった応酬は、セシリアの言葉で一気に冷める。近くにいた子供たちが遊ぶ手を休め、こちらを眺めていた。

 バートは一つ咳払いをし、そしてまた声のトーンを戻して言う。


「とにかくだな、あんま気にすんな」

「……はい」


 セシリアは小さくそう言って顔を俯かせる。

 こちらが静かになると、周囲の人々の視線も次第に離れ、何事もない日常の光景が戻ってきたようだった。

 四人とも怪しまれない程度に辺りに気を配ってはいたが、今のところ妙な動きというのは見られない。いずれにしても、急いだほうが良いだろう。

 そのまま一気に村を抜けようと、皆、足に力をこめる。



「ここも、変な感じはしないけど」


 アストリアーデが周りを眺め、小さな声で言った。

 セシリアは少し怯えたような目で、サリュートアとバートは注意深く周囲を観察する。

 一行はあの後馬車へと乗り、さらに北へと向かった。あの村の馬車乗り場を見て、バートが乗ることを提案したのだ。

 近づいて来ているとはいえ、まだサマルダまでも距離はある。徒歩ではかなりの時間がかかってしまうし、馬を買う金は流石にない。

 駅馬車であれば身元が割れるわけでもないので、なるべく早く移動することを考えると、それが最善の策のように思われた。

 実際この町まで何事もなくたどり着くことが出来たのだが、少し拍子抜けした気分を味わいつつも、つい何か裏があるのではなどと疑心暗鬼になってしまう。


「普通、だよね」

「だと思いますけど……」


 サリュートアの言葉に、セシリアが緊張した声で答えた。

 サマルダまでは馬車を乗り継いでいかないとたどり着けないので、この町でも同じように乗り場まで向かっている。


「もし」


 バートが腕組みをしながら、ぽつりと言った。


「バーガンディーがちゃんとした任務で動いてたんなら、俺たちは誘拐犯だ」

「えっ、そんな」

「落ち着け、仮の話だよ」


 つい声を上げたセシリアに笑い、彼は続ける。


「そんな奴らをほっとくはずはねぇ。遠くへ逃げちまう前に、何がなんでもとっ捕まえるだろう」

「でも、誰もこないよね。今のところ」


 アストリアーデも首を巡らせて周囲を見た。あまりにも何も起こらないので、段々と動きが大胆になってきている。

 バートは頷いた。


「そうだ。何でだ?」

「やっぱりあの人、悪い人だったんだよ!」


 そう言い切るアストリアーデに、サリュートアは言う。


「秘密裏に動いていたっていうのは確かなんだろうね」

「んじゃ、それはそれで、何で追って来ねえのか」

「……あたしたちを泳がせてるとか?」


 アストリアーデに指を突きつけられたバートは、その指先を眺めてから、アストリアーデの顔を見た。


「泳がせる意味ってあるか?」

「気づかれないように隠れてて、いきなり捕まえるとか!」

「それなら、今までもチャンスはあったよね。いくらでも」


 冷静な言葉が今度は横からやって来て、彼女は指先をすとんと下ろす。


「それに俺も名乗ってっから、その線でも探せるはずなんだが」

「今のところ、そういうことはなさそうだね。やっぱり、何か公に出来ないことがあるんじゃないかな」


 今度はバートの言葉を引き継ぐようにして言ったサリュートアの方へと、アストリアーデは指先を向けた。


「何か邪魔が入ったとか?」

「かもな。ま、単に見失ったとか、諦めただけかもしんねーし。どっちにしてもビクビクしても仕方ねーから、次の町で何ともなさそうだったら、宿探そうぜ」


 そしてバートは、黙ったままのセシリアのほうを見る。

 セシリアは少し目を閉じ一呼吸すると、仲間たちを見て静かに頷いた。


 ◇


「サマルダって、どんなところ?」


 女はそう問われ、目を瞬かせる。


「さぁ、あたしは行ったことないからねぇ」


 それから長い指先を動かし、何度かカウンターを叩いてから、思い出したように言った。


「……確か、ノルズさんが行ったことあるって言ってたけど、大したことはない、普通の町だって言ってたかな」

「そう……ありがとう」


 アストリアーデは彼女に礼を言って背を向ける。

 あれから数日が経ち、一行はヒスタというところまで来ていた。サマルダ行きの馬車が出る町だ。

 小さな馬車乗り場の建物は古く、閑散としている。色あせた壁に、誰かの描いた落書きが残っていた。

 あれからやはり何事もなく順調に旅は進み、宿に泊まって寛いだり、町の人に話しかける余裕もようやく出てきたところだ。

 サマルダのことはどこで聞いても、同じような答えしか返ってこない。それほど、特徴のない町ということなのかもしれない。


「アストリアーデ、早く!」


 サリュートアに呼ばれ、急いで外へと向かう。

 待っていた馬車に乗り込むと、先に席に座っていたセシリアが微笑んだ。バートは、窓の外に視線を向けている。最後にサリュートアが乗って、立て付けの悪い扉にやや苦戦しながら閉めた。

 やがて馬が嘶きと共に、体に振動が伝わり出す。

 町の景色が、ゆっくりと動き始めた。

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