活路 2
「アストリアーデさんたちは、何故、旅をしているんですか?」
その問いへの返事が来る前に、セシリアが続けて言葉を発した。
「余計なことだったら、ごめんなさい」
「ううん、そんなことないよ。だから謝らないで」
彼女がつい謝罪の言葉を口にしてしまうのも、何かやりきれない思いがあるからなのかもしれない。
そんなことを思いながら、アストリアーデは目を閉じ、自らの記憶をたどった。
そして、部屋の引き出しから一つ一つ、大切な服を取り出しては整理していくかのように、ぽつり、ぽつりと話し始める。
「……友達がね、どうしてああいう生き方をしなきゃいけなかったのかって、知りたくて」
最初は自分たちが何者かを探す目的の旅だった。
それが今ではどうでも良くなったかというと、少し違うのかもしれない。でも、それだけだったなら、アストリアーデはあの時、旅を続けたいと言うことはなかっただろう。
「知ったところで、もうあの子は帰ってこないけど……でも、あたしもね、もう少し前に進める気がするの」
言葉と共にウィリスの顔が脳裏に浮かんで、鼻の奥がじんと疼いた。多少涙を流したところで、見えはしないだろう。でも、どうしてもそうしたくなくて、ぐっと堪える。
そんなことをするのは、誰かに見られるのが嫌なのではなく、めそめそする自分が嫌だからなのかもしれなかった。
「強いんですね、アストリアーデさんは」
まるでそれが伝わったかのように、セシリアの口から言葉が漏れる。
「そんなことないよ」
アストリアーデは遠くに目を向けたままで言った。
「一人だったら、なんにも出来なかったと思う。サリュートアや、バートさんや、沢山の人たちがいたから、ここまで来れたの。……もちろん、セシリアさんもね」
暗い森の中に、マーサの笑顔や、旅を続けろと言ってくれたオーファの顔も浮かんだ。
「今までだってそうやって誰かに助けてもらってたのに、あたし、ずっと気づかなかった」
旅を始めたばかりの頃、サリュートアと喧嘩をしたことを思い出す。あの時は本気で腹を立てていたのに、今思い起こせば何だか微笑ましくさえある。
あの出来事がなかったら、今はどうなっていただろうか。
もう旅は終わっているだろうか。それとも途中でやめて、家へと帰っていただろうか。
きっとこんな思いをすることはなかっただろう。けれど、ウィリスと会うこともなく、こうしてバートたちが戻るのを待って、セシリアと話をしていることもなかったに違いない。
「私は、何もしていません。ご迷惑をかけてばかりですし……」
セシリアの言葉は、終わりに近づくほど小さくなっていく。
「あたしはそんなこと思ってないよ。サリュートアもね。やっぱり同性がいると違うんだなあ、とか言ってたよ」
アストリアーデはサリュートアの口調を真似て言う。
「……それは、私も同じですね。もしアストリアーデさんがいなかったら、声をかけづらかったですし」
それで少し気持ちが和らいだのか、セシリアの声が少し柔らかく、はっきりとした。
「きっとバートさんもそうだから、ちょっと怒ったりするんじゃないかな?」
しかし次の言葉で、彼女の顔は訝しげな表情へと変わる。
空は少しずつ明るくなってきていて、お互いの表情の細かい部分も徐々に読み取りやすくなってきていた。
「誰かの助けになれたり、誰かが喜ぶことをしてあげられることって、すごく嬉しいことでしょ? 自分にもそれだけの力があるんだって思えるし」
今度はセシリアの瞳を、アストリアーデは見た。
「だからセシリアさんも、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうって言えばいいんだよ。そしたらバートさんも、きっと嬉しいんじゃないかな」
彼女は少し考えるようにしてから、やがて小さく、何度も頷く。
「そうかも……しれないですね」
その時、少し離れた場所から木々が擦れる音が聞こえ、二人はそちらに顔を向けた。
一瞬の緊張が走るが、すぐにそれはバートたちだということがわかり、安堵の息が漏れる。
「少し行くと森が途切れるみてーだな。結構明るくなってきたし、少し移動してから休まねーか?」
あまりここでじっとしていることも良いとは思えなかったので、異論を唱える者はいない。
昨日から落ち着かない状況で、皆、寝ずに歩き通しだったから疲れていたが、何とか気力を振り絞る。
「……あの」
そこで唐突に、セシリアが声を上げた。
皆が視線を向けると、彼女は亀のように首を縮こまらせ、困ったような顔をしていたが、やがて深々と頭を下げる。
「改めて、色々ありがとうございます。お三方には、とても感謝しています」
そんなセシリアを、サリュートアとバートはぽかんと眺めていた。
何も今すぐに言わなくても、とアストリアーデは思ったが、そういう彼女の生真面目とも言えるところは、好ましく思えた。
「どういたしまして」
アストリアーデもそうやってお辞儀をすると、サリュートアも戸惑うように首の後ろを掻きながら言う。
「あ、どうも。こちらこそ」
「……別に、礼を言われることなんかしてねーし」
バートは目を逸らしながらぼそりと言った。
双子は思わず同時に吹き出し、ようやく顔を上げたセシリアも、照れたように笑う。
「まだ安心できる状況でもねーだろ。……行くぞ!」
そう言ってそそくさと歩き出したバートが、また木の枝に頭をぶつけたのを見て、今度は朗らかな笑いが起こった。
◇
森を抜けると、そこには緑の丘陵が広がっていた。
今までが暗かったこともあり、その緑はとても明るく見える。所々に咲く花が、鮮やかな彩を添えていた。
見晴らしが良いので、この場所で何かがあればすぐに気づくだろう。だが、こちらの姿も同じように見えてしまう。
近くに見つけた茂みの陰にひとまず隠れ、四人は休みを取ることにした。
「俺が見張ってっから、お前ら寝ていいぞ」
バートはそう言って水筒の水を一口飲み、口もとを拭う。
「私も起きてます。二人ずつ交代のほうがいいでしょう?」
セシリアもそう申し出た。
彼女の言うように、その方が何かあった時にも気づきやすいだろうということで、まずはサリュートアとアストリアーデが眠ることになった。
横になると今までの疲れがどっと押し寄せるように、体が重たく、意識は蕩けるように曖昧になっていく。
すぐに寝息を立て始めた二人を眺め、バートはふっと表情を和らげる。いつも生意気なことを言ってはいるが、寝顔からはまだまだ幼さを感じさせた。
それから、視線を外の世界へと向ければ、鋭い草葉の先に虫が止まるのが見え、鳥が高らかに鳴く声が聞こえ、少し温められた空気が肌に触れるのを感じる。
注意深く観察をするが、丘陵の上に流れる時間はただ長閑で、何の危険もないように思えた。
「……しっかしお前の親父も物好きだよな。あの抜け道をよく使ってたって。こんなとこに出るんだぜ?」
ずっと流れていた無言の時に慣れた耳に、独り言のようなバートの言葉が届く。
セシリアはふっと笑みを浮かべた。
「山や森の散策とか、好きでしたからね。それに、あの抜け道を通るのが、とても楽しみだったんだと思います」
セシリアには、嬉々としてあの通路を歩く父の姿をありありと思い浮かべることが出来た。
あそこを通るためならば、他の不便さなど犠牲にしても惜しくはなかったのだろう。
「バートさんは、どうしてお二人と一緒に旅をしてるんですか?」
彼女も双子の安らかな寝顔に目を向け、それから尋ねると、バートは何故か困ったように頬を指先で掻いた。
「……上司の命令」
「嘘ばっかり」
やがて出てきた言葉を聞いて、セシリアの口からはそんな言葉が飛び出す。
「マジだって」
手を動かしながら力説するバートを見て、彼女は微笑んだ。
「でも、それだけじゃないでしょう?」
「……ま、ほっとけなかったっていうのはあるな。あいつら無茶ばっかするし。そこら辺、上司とも意見が一致したっつーか」
セシリアは、今度は堪えきれなくなったようにくすくすと笑う。
「何で笑うんだよ」
「だって、バートさんって素直じゃないんですもん。とっても優しいのに、それを無理に見せないようにしてるみたい」
セシリアの答えに、バートは押し黙ってしまう。その姿を見ていたら、今までのことが急に思い出された。
「今まで私の周りにいた人は、逆でした。皆とても親切で、優しいふりをしてるけど、本心は全然違って……でも、私は馬鹿だから、その表面を信じきってたんです」
「いいじゃねーか、もう気づいたんだしよ。一つ賢くなったってことだ」
寂しげに言った彼女に、今度はすぐに言葉が返って来た。その視線は彼女ではなく、周囲に配られている。
「……そうですね。皆さんとも会えましたし。本当に良かった。あの時、声をかける勇気を出して」
彼女も、つられるように周りを見ながら言った。
「俺も――」
バートが何かを言いかけたので、セシリアはそちらを見る。
だが彼は目が合うと急に視線を逸らし、寝ている双子のほうへと向けた。
「いや、ねみーなって話。そろそろ交代!」
彼がそう言って体を揺さぶると、二人は呻り、重そうにまぶたを上げる。
「もう時間なの……?」
アストリアーデは眠い目を擦りながら、懐中時計に目をやった。
「えー!? まだちょっとしか経ってないじゃん!」
そう言って口を尖らせた彼女の頬を、バートはつまんで左右に引っ張る。
「バーカ、これからまた移動もしなきゃなんねぇのに、そんなに寝てたら日が暮れちまうだろ! 俺だってねみーの!」
「もうちょっと落ち着いたら、もっとちゃんと寝られるよ。……たぶん」
サリュートアも伸びをし、焦点の定まらない目のまま妹に言う。
「わはったから引っ張るのやめへよ」
バートが頬から指を離すと、彼女は頬をさすりながら、しぶしぶと言った表情で起き上がった。
少し寝たことで、疲労感が大きくなったようにも感じる。
体が重く、気持ちの動きも鈍い。でもあのまま起き続けていたら、緊張の糸がぷつりと途切れてしまう瞬間が来るのかもしれなかった。
優しく通る風に吹かれていると、少しだけ目が覚める。
でも日が当たっている地面を手で触るとぽかぽかと暖かく、また眠りへと誘われそうになった。
ふと目を向けた先には、うららかな陽気の中、気持ちよさそうに日向ぼっこをしている野ねずみの姿があったが、羨ましげに眺めているアストリアーデの視線に気づくと、慌てたように草むらの中へと姿を消した。
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