活路
活路 1
暗く細い道を、四人は進む。
通路の中は這って進まねばならないというほどではなかったが、この中では一番背の低いアストリアーデでも、少し体を屈めないと頭をぶつけてしまうくらいの高さしかない。バートは特に動きづらそうだった。
しばらく皆、無言で歩いた。ランタンの明かりに照らされたトンネルは、しっかりと固められ、崩れてくるような心配はなさそうだったが、圧迫感があり、息苦しく感じる。呼吸の音が耳元で響いて聞こえ、それが余計に気持ちを落ち着かなくさせた。
スウォルトの話からすれば、それほどの危険はなさそうな道ではあったが、やはりまだ気楽に話をするような気分には誰もなれず、足取りも自ずと慎重なものとなる。
後ろを振り返っても、閉じられた扉があった場所は、もうわからなくなっていた。
先の見通せない道は右へ、左へとゆるやかにうねりながら続き、それぞれ一歩、また一歩と足を動かしながら、出口が見えるのを待つ。
「明かりが見える」
先頭にいるサリュートアが最初にそれに気づき、小声で言った。その声は本人が意図したよりも大きく聞こえ、少しどきりとする。
程なくして、他の三人にも、その明かりが認識できるようになった。
出口かと思いかけ、今はまだ夜なのだということを思い出す。日の光のように煌びやかでもなく、ランプや松明の灯とも違う印象の光だった。明るいのだが、目が痛むような強さはあまり感じられない。
前へと進むたびに、その光は周囲の壁へと広がり、その表面を鮮明に見せていく。
向こう側には、今の場所とは明らかに材質の違う壁が見えた。
サリュートアは道の端から少しだけ顔を出し、その先を見る。左側はすぐに行き止まりで、右側には道が長く続いていた。これがスウォルトの言っていた『広く快適な道』だろう。
彼はまず自らがそちらへと出た。ずっと壁が広く、天井が高くなり、体が楽になる。
しばらく様子を見たが、特に問題はなさそうなので、皆に手招きをする。この場所から見れば、今まで通ってきた道は、横穴といった雰囲気だった。
その穴からアストリアーデ、セシリア、そして最後にバートが出てきて、サリュートアがしたのと同じように、周囲を眺める。
「あ……広いね」
アストリアーデが明るい道を眺め、自分の声の大きさを確認するようにしてから言う。
先ほどの道よりも声は響かず、部屋の中で会話をするような感覚がある。
「あー、狭いし息苦しいし、もう通りたくねー」
後ろでは、バートが愚痴をこぼしながら体をほぐすように動かしていた。
先ほどの狭い道はでこぼことしていて歩きにくかったが、ここは整備された道のように滑らかで真っ直ぐだ。
「古い水路……でしょうか」
セシリアが首をめぐらせて言った。
「ずいぶんと明るいわ」
天井が灯し、周囲を照らす光は、明らかにランプなどの生むものとは違う。角張った道の隅までしっかりと届き、長く続く先のほうまで明るくなっている。
「旧時代の名残だろうな」
バートが体を動かすのを止めて言う。彼のアジトもそうだった。
「旧時代……へぇ、こういうの初めて見ました」
興味深そうに壁や天井へと視線を行き来させる彼女を見て、アストリアーデが疑問を口にする。
「セシリアさんの家、お金持ちなんでしょ? こういうのなかったの?」
「お金持ちと言っても、何でもあるわけではないですからね」
それを聞き、セシリアはくすくすと笑った。
「父は旅の最中に何度か見たことがあるみたいでした。ああいうのは『遺産』だから、と言ってましたよ。どこにでもあるわけではないし、仮に持ってきたとしても使えないからと。……ああ、ここもその一つなんですね。道理で何度も通りたがるはずだわ」
そうしてまた、少し寂しげな表情をする。
父との思い出が、彼女の中を巡っているのかもしれない。
「皆さんは、見たことがあるんですね」
「ああ、俺が居たアジトもこんな感じだったからな。こいつらも……ま、たまたまその『遺産』とやらに巡り合ったってわけで」
バートがそういう言い方をしたのは、アストリアーデの気持ちを気遣ってのことだったかもしれない。
だが、アジトやウィリスの家に行くまでもなく、二人の住んでいる家がすでにそうだったということを、バートは知る由もない。
「とにかく、行こうぜ」
彼の言葉が合図となり、四人の足は継ぎ目のない道の上を進み始める。石畳の上を歩く時よりもずっと軽やかな足音が、周囲へと響いた。
壁にも天井にも特徴や起伏もなく、しばらく歩くことを続けていると、同じ場所をずっと歩いているのではないかという気分になってくる。
「どこまで続いてるのかな」
何となく黙っているのが耐えられなくなり、そう呟いたアストリアーデにサリュートアは答えた。
「近くの森って言ってたけど……」
それで思い出したかのように、セシリアがバッグの口を開け、中から地図を取り出す。
「ええと……ここ、でしょうか」
彼女が指差したのは、先ほどの町の北西方向にある森だった。
東側にも森はあるが、それだとどちらかというと町の中心部に近づいてしまう。昔と町の様相は変わっているかもしれないが、それだったらわざわざスウォルトがこの道を使わせることは考えにくい。
いつの間にか、サマルダまであと少しというところまで来ていた。
そこへ行けば何があるのか、未だに何もわからない。最初にあった漠然とした目的にも、サリュートアは今はあまり価値を見出せなかった。
でもその代わり、妹のために力になってやりたいという思いが強くあったから、旅をやめようという気持ちは湧いてはこない。
それよりもまず今は、追っ手から逃げ切ることが先決だ。
気がつけばまた、皆黙々と歩みを進めていた。
やがて、繰り返されているように思えた景色も、終わりが見えてくる。
「階段だわ」
真っ直ぐだった道の左手側の一部が行き止まりとなり、それ以外は階段となっていた。
壁の左端に窪みがあるのを見つけ、バートはそこを手で探ってみる。
だが、何も起こる気配がない。
「んー……ここ、何かありそうなんだけどな。壊れてんのか?」
彼はしばらくそうしていたが、やがて諦めたように肩をすくめ、振り返った。
「ま、いっか。行こうぜ」
そして彼は皆の返事を待たず、階段に足をかけて上り始める。アストリアーデとセシリアも、後に続いた。
サリュートアは振り返り、一応確認をした。誰の姿も、また物音も聞こえなかったので、彼も階段を上り始める。
長い階段の先はまた行き止まりになっていて、馬車の車輪のようなものがついていた。
バートは頭上のそれに手を伸ばし、押しても引いても動かないことがわかると、今度は時計回りに回してみる。
すると少しの抵抗を感じさせながらゆっくりと回り始め、やがてかちり、という音とともに天井の一部が少し浮き上がって窪んだ。
そのまま手で押すと、上に向かって動く。彼は慎重に力をかけて行き、生まれた隙間から外を覗いた。通路内から漏れる明かりに周囲が照らされ、湿った地面や草が光を発する。土と緑のにおいも漂ってきた。
注意深く目と耳を凝らしてみるが、特に妙な動きをするものや、音は聞こえない。
バートは扉をぐっと押し上げ、まず自らが表へと出た。
もう一度周囲に注意を向けてから、皆に合図をする。先頭のアストリアーデはほっと息をついてから地面の上へと這い出し、セシリアも続いて表へと出た。最後尾のサリュートアは、また中を確認してから扉を閉める。
通路から漏れる光がなくなると、周囲は一気に暗さを増した。空気も冷えていて、少し肌寒く感じるほどだ。
鳥の囀る声が聞こえたから、朝が近づいているようだった。
「まずはちょびっと移動するぞ」
バートがそう言って周囲を見回す。
スウォルトにその気がなかったとしても、もし彼の家が調べられたとしたら、あの抜け道も見つかってしまうかもしれない。
そうなった時のことを考えれば、この場所に留まり続けるのは、あまり得策とはいえなかった。
ランタンを灯すかどうか迷っていると、彼の袖を「あそこがいいんじゃない?」と言ってサリュートアが引く。流れのまま移動を始めた彼らに、アストリアーデとセシリアもついていった。
やがて、大きな木が倒れている場所が見つかる。茂った枝葉が他の木々とも絡み合って、上手く抜け道の出口から身を隠してくれた。
一同は倒れた木へと腰掛け、改めて出口のほうを確認をする。そちらには、特に異常は見られない。
ようやく、一息つけた心地がした。
すると、抑えていた不安もふっと心に上ってくる。
「……私たち、指名手配とかされるんでしょうか」
そう呟いたセシリアに、バートはそちらを見ないまま、ぶっきらぼうな言葉を返した。
「されるのは、俺たちだけだ」
「あ……ごめんなさい」
慌てて彼女は謝るが、かえってそれが彼の癇に障ったようだった。
「いちいちうっせーよお前は! 俺もこいつらも好き好んでやってんだからガタガタ言うんじゃねぇよ!」
バートは声を荒げ、おもむろに立ち上がる。
「お前らちょっとここで待ってろ、様子見てくっから」
そうしてバートはその場を離れ、今まで来たのとは逆の方へと進み始めた。
目が慣れてきたとはいえ、明かりもなしに歩くには、少し心許ない。木の枝に頭をぶつけたバートを見て、サリュートアも慌てて立ち上がる。
「俺も行ってくる」
「気をつけて。何かあったら合図するね」
アストリアーデの言葉に頷き、サリュートアはバートの後を追った。
二人が木々を掻き分け、地面を踏みしめる音は、次第に遠ざかっていく。
しばらくそれを眺めた後、セシリアがうな垂れ、ぽつりと言った。
「……私、バートさんに嫌われてるんでしょうか。怒らせてばかりで」
それを聞いて、思わずアストリアーデは笑みを漏らす。
何故笑われたのかわからず、不思議そうに視線を向けるセシリアに、アストリアーデは言った。
「ごめんね。……逆だよ、きっと」
「逆?」
それでも意味が伝わらず、彼女はもっとストレートに言い直す。
「バートさん、セシリアさんのことが好きなんだよ」
「えっ――え?」
アストリアーデの言葉がよほど意外だったのか、彼女の動きは一瞬止まり、それから急に、風に揺られる木のように慌しくなった。
「そ、そんなこと、ないですって!」
ぶんぶんと両手を振るセシリアは、年上なのに、何だか可愛らしく思えて、アストリアーデはまた笑みをこぼす。
「その好きが、どこまでの好きかはわからないけど、嫌いだなんてこと、絶対ないよ」
それから彼女は、言葉を探すようにしてから続けた。
「バートさんは……多分ね、悔しいんだと思う。自分が」
「……悔しい?」
「そう。セシリアさんのために、何かしてあげたいって思うんだけど、中々上手く行かないっていう、悔しさ……なのかな」
「そんなこと……とっても良くしてもらってるのに」
セシリアはそう言って、膝の上に乗っていた葉をつまみ上げ、指先で弄び始める。
「うん。……あたしもね、自分に出来ることがあったのに、してあげられなかったから、バートさんも、きっとそう思ってるんじゃないかなって、そんな気がするの」
アストリアーデは倒木に腰をかけなおす。触れた手のひらに、ごわごわとした木の肌の感触が伝わった。
ウィリスの父が望んだことは、決してウィリスの望んだことではなかった。
はっきりと彼女はそう口にしたし、それは彼女の本心だったということはわかっている。
それでも、もしかしたら、という言葉はちくちくと胸を刺したし、それ以外のことだって、もっと違うやり方があったのではないだろうかと、悔やむ気持ちは今でも尽きない。
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