友人 2
◇
門の前にたどり着いても、誰の姿も見えなかった。
「まだ、来てないみたいだね」
アストリアーデは、まるでただの待ち合わせをしているかのような口調で言ってみたが、それでも気分は沈んでしまう。
セシリアも何か言おうと、口を開きかけた時だった。
「よっ、遅かったな」
突然横からした声に、喉元まで出かかった悲鳴を、二人はぐっと堪える。
茂みの中から出てきたのは、バートだった。続いてサリュートアも這い出してくる。
「驚かすなんてひどいよ! 心配してたのに!」
気持ちが落ち着いてくると、アストリアーデの口からはつい、そんな言葉が出ていた。
「いや、別に驚かせたかった訳じゃなくて、誰かに見つかったら困るから隠れてただけなんだけど」
興奮で声が大きくなりそうな彼女に、しっ、と指先で合図をしてサリュートアが言う。彼女は「そっか」と、ようやくほっと緊張を緩めた。
「んじゃ、早いとこ乗り込もうぜ!」
そのまま色々と話し込みたい気持ちではあったが、バートの一言で、今の状況へと意識が引き戻される。
鉄扉は押せば開いたため、そのまま中へと入らせてもらった。
良く手入れされ、石畳が敷いてある庭は、外とは違ってとても歩きやすい。それでも暗がりではあるし、でこぼこもしているので、少し慎重に歩みを進めた。
やがて大きなドアの前へとたどり着く。セシリアは緊張をほぐすように何度か息をした。
そして、ドアベルの取っ手に手を伸ばして引く。少し離れた場所で、軽やかなベルの音が鳴るのが聞こえた。
しばらく経っても返答はない。
先ほど見えた明かりは、この位置からは見えなかった。寝ていてもおかしくない時間ではあるし、突然の来客に警戒されているのかもしれない。
もう一度ベルを鳴らすかどうか迷い、セシリアが振り返って皆の顔を見た時、ドアがゆっくりと開いた。
慌てて彼女は体を戻し、隙間から漏れ出た黄金色の光に目を細めながら、ぎこちなく礼をする。三人もそれに倣った。
「こ、こんばんは。夜分に申し訳ありません。スウォルト・ナシェビルさんでしょうか?」
ランプの光には年老いた男が照らし出され、その眼差しをじっとこちらへと向けている。
「そうだが、どちら様かな?」
「あの……フォルスタの娘のセシリアと申します」
次に何を言えば良いのか、言葉が中々見つからない。
男の目に見つめられ、視線を逸らしたくなるのをこらえながら引きつった笑みを浮かべる。
「そちらは?」
男は、今度は後ろにいた三人へと目を向けて言った。
「ええと、その……お友達です」
セシリアはそう言ってから後悔をした。
こんな時間に明かりすら持たず、初対面の人物のところへ友人を三人も引き連れてくる者などいないだろう。
サリュートアも何とかフォローできないものかと考えたが、言い訳を重ねれば余計に怪しくなるし、かといって本当のことをいきなり言っても良いものかわからない。
「水車小屋のある風景」
気まずい雰囲気が漂う中、男が突然、そんな言葉をぽつりと発した。
「……妖精のダンス」
セシリアは驚いたように目を見開いて言う。
「ああ」
すると男の表情は、柔らかな笑みへと変わった。
「良く来たね。入りなさい」
「は、はい……お邪魔します」
彼に手招きをされ、セシリアは再び頭を下げてから、ゆっくりと家の中へ足を踏み入れる。
彼女以外の三人は、訳がわからないという顔をしながらも、その後に続いた。
「待たせてすまなかったね。手伝いの者も、時々しか来てもらわないものでね」
そうして、廊下を少し進んだ先にあった部屋へと通される。
そこにあるランプにも火が灯され、部屋がずいぶんと明るくなった。落ち着いた風合いのソファーやテーブル、高価そうな茶器の並べられた棚が光に照らされ、揺れている。
「少し待っていてくれ。茶でも淹れてこよう」
「あの、お構いなく!」
慌てて言ったセシリアに、男はにっこりと笑う。
「私も飲みたいのでね。それに、何か話すこともあるのだろう?」
「は、はい……せめて、何かお手伝いを」
「君は客なのだから、座っていなさい」
「はい……恐れ入ります」
男は頷くと、入って来たのとは反対側にあるドアから出て行った。
四人はソファーへと腰かけ、ほっと息をつく。アストリアーデは少し声を控えめにしながら言った。
「でも良かった! 二人とも無事で」
「ったりめーだろ。お前がセシリアと一緒に逃げてくれたおかげで、こっちも助かったぜ」
バートはそう言ってぐっと親指を立てた。
「私も、ほっとしました。お二人は、どうやってあそこから逃げてきたんですか?」
「ああ、『宿にまだ人が残ってるぞー』って声がしたから、よし助けっべ! みてーな感じで中入って、そのまま裏から出て逃げてきた」
セシリアの方へと答えたバートに、アストリアーデも尋ねる。
「中に残った人は、大丈夫なの?」
「ダイジョブダイジョブ、あれ、別に燃えるわけでもねーし、くせー煙が出るだけだし」
「あれって、任事官の道具なのかな?」
サリュートアも思い浮かんだことを聞いてみた。滅多に使われないのかもしれないが、見たことも聞いたこともない。
「いや、前に知り合った、自称発明家のおっさんに貰った」
「あれ、普段は使い道なさそうだよね。周囲の迷惑になるし。どっちかというと悪役の道具かもね」
アストリアーデの言葉に、バートは笑う。
「すっげー役立ったのに、ひでー言われようだな!」
つられて起こった笑いが収まると、セシリアがぽつりと言った。
「でも、逃げてきて良かったんでしょうか。あの人、任事官だったのに。皆さんまで悪人にされてしまうかもしれません。……本当にごめんなさい」
小さく発せられたセシリアの声は、さらに尻すぼみに小さくなって行く。
「そうやっていちいち謝んなよ」
バートは少し苛ついたように言い、でも、と付け加える。
「もしあいつが味方だったら、一緒に行った方が良かったのかもしんねぇ。そしたら謝んのはこっちの方だ」
「そんなこと――」
「それはないよ」
アストリアーデが二人の会話に力強く割り込む。
「あの人にセシリアさんを渡しちゃダメだった。みんな絶対正しかったって!」
「は、はい。そうです。私も、そんなこと望んでませんし」
断言するアストリアーデを見て何度も頷き、セシリアも珍しく力のこもった言い方をする。そんな二人に勇気付けられたのか、バートは「そだな」と軽く言って笑顔を見せた。
騒ぎを大きくした張本人のサリュートアは、発言するタイミングを掴めずに思わず苦笑いを浮かべる。
救われた気分なのは、彼も同じだった。バートはいつも軽口を叩いてはいるが、自分が責任者だという思いがあるのだろう。
その時、ノックの音がしたので、皆一斉に口をつぐんでそちらを見た。
ドアが開き、ポットとカップを乗せた木のワゴンを押して、男が入ってくる。セシリアは立ち上がり、ワゴンを移動させるのを手伝った。
男は礼を言うと、テーブルの上にカップを並べ、ポットから茶を注ぎ入れる。柔らかく湯気が立ち、少し甘みのある爽やかな香りが鼻をくすぐった。
「さぁ、どうぞ」
男もソファーへと腰掛け、そういって手のひらでテーブルを指し示す。だが、今までの経緯を考えると、すぐには手を出し辛い。
躊躇いを見せる一同に、男はまず自らがカップに口をつけ、そして微笑んだ。
「妙なものは入っていないから、安心していい」
「あ、あの……すみません」
頭を下げるセシリアに、男は小さく首を振った。
「謝らなくていい。大変な思いをしたのだろうね。……改めて、私はスウォルト、フォルスタの友人だ。セシリア、まず何があったか話して貰えないだろうか」
セシリアは仲間たちを見る。話すことに異論を唱える者はいなかった。
「……はい」
そして彼女は、彼女の父が死んでから、今までに起こったことを話し始める。
スウォルトも、他の皆も口を挟むことなく、ただ彼女が話すことを聞いていた。
内容があのレストランの部分へと差し掛かってからは、主にサリュートアが時々補足をする。
そうして話を聞き終えると、スウォルトは少し考えるように時間を置いてから口を開いた。
「まず、葬儀にも行けずに、申し訳ない。ここから祈らせてはもらったが」
「いえ」
セシリアはそう言って小さく首を振る。
「……父は、本当に病死だったのでしょうか」
少し目を伏せた彼女の問いかけに、返答はない。
顔を上げてそちらを見ると、スウォルトは何かを考えるように視線を動かしていた。
「実は私も今、それを調べている。……いざとなれば、君にも力を貸して貰いたい」
やがて発せられた言葉を聞き、セシリアは目を見開く。
「ええ――はい、もちろんです!」
「だが、もう少し時間が必要だ。それまで辛いだろうが、耐えてはくれないだろうか」
「はい」
セシリアは頷き、そして笑顔を見せた。
「大丈夫です。今は、一人ではないですから」
「それは良かった」
スウォルトは三人を見る。皆、何となく照れ臭くなり、視線を逸らしたり、茶を飲んだりした。
その様子がおかしかったのか、彼は愉快そうに笑ってから言う。
「すまないね。せっかく来てもらったのに、こちらの話ばかりで」
「いや、いいっすよ、別に。俺たちはオマケみたいなもんすから」
バートがそう答え、また一口茶を飲んだ。
アストリアーデは、ふと思い浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「そういえば、さっきのは何だったの? 水車とか妖精とか」
「あれは、私が小さい頃に父と決めた合言葉で、それぞれの部屋に飾ってあった絵のタイトルなんです。父の部屋には『水車小屋のある風景』、私の部屋には『妖精のダンス』。部屋をノックしても、合言葉を言わないと部屋に入れてあげないって決めて」
そう言って、懐かしそうな表情をセシリアは浮かべる。
スウォルトもまた、笑顔を見せた。
「あいつは、娘の合言葉の言い方がとても可愛いんだと何度も言ってたよ」
「……ひどい。秘密の合言葉を簡単にばらすなんて」
そうして微笑んだ彼女の目からは、いつの間にか涙が零れていた。
それはとめどなく流れ始め、口からは嗚咽が漏れ始める。
今まで泣くことすら出来ずに、ずっとここまできたのだろう。
隣にいたバートが背中に優しく手を置くと、彼女は彼にしがみつき、堪えきれなくなったように声を上げて泣き始めた。
しばらくの間、セシリアの泣き声だけが部屋へと響く。
彼女がひとしきり泣き、落ち着くのを待ってスウォルトは言った。
「いずれ、ここにいることもばれるだろう。早いうちに移動した方がいい」
「でも、どうやったら見つからないように逃げられるかな?」
少し不安げな表情で言ったアストリアーデに、スウォルトは頷きを返す。
「皆、支度をして私についてきなさい」
そうして彼はランプを持ち、足早に部屋を出た。四人は急いで荷物を持って後に続く。
黄金色の光に導かれながら廊下を進み、幾度か角を曲がり、そこから一番奥の扉をくぐると、そこは書斎のようになっていた。
スウォルトはそのまま、部屋の壁にあった大きな本棚の前まで歩みを進める。
そしておもむろに、中の本を取り出して床へと置き始めた。
「すまないが君たち、手伝ってくれないか」
彼に言われ、皆も本棚へと近づくと、分厚い本を取り出し、床へと移動させていく。
「よし」
彼はすっかり空になった本棚を満足そうに見てから、本棚の中の仕切りを手に持ち、足を踏ん張って横へと引いた。
すると、がらがらという音と共に、本棚が移動する。
それから露わになった壁を手で探る。何かが外れるような音と共に、一部が四角く盛り上がった。
彼はその側面にある溝に指を滑り込ませ、手前に引く。
「隠し扉!?」
それが扉のようになって開くのを見て、アストリアーデが声を上げた。
ぽっかりと空いた穴のように、向こう側は暗い。少し黴臭い空気がひゅうと届く。
「抜け道だよ。この家が建てられた当初、何かあった時のために作られたようだ。私は幸いにも、今まで使わずに来られたがね」
「これって、どこまで続いてるのかな?」
「この先にある森の中まで続いているようだね。最初は狭いが、しばらくすると随分と広く、快適になるようだ」
スウォルトの返答に、彼女は首をかしげる。
「どうして使ったことがないのに、中まで知ってるの?」
「フォルスタが良く使っていたからね」
そう言って彼は、懐かしそうに微笑んだ。
「こっそり出て行けるからと面白がっていたな。来る時も使いたいと言っていたが、それはやめてくれとお断りしたよ」
それを聞いてセシリアも、「父らしいですね」と笑う。泣いたことで色々なものが流れ出たように、彼女はすっきりとした表情をしていた。
「スウォルトさんは、ヨセミスフィアって知らない?」
アストリアーデはふと思い立ち、そう聞いてみる
彼は目を瞬かせ、それから少し思いを巡らせてたが、やがてこう口にした。
「さぁ、聞いた事がないね」
「そう」
駄目で元々という気持ちで聞いてはみたのだが、想定していた答えであっても、やはり残念な気持ちにはなる。
「あっ、何でもないの。ちょっと探し物をしてるだけだから」
彼が少し申し訳なさそうな顔をしたので、アストリアーデはそう言って手をひらひらとさせた。
「そうか。見つかるといいね」
その穏やかな笑顔は、どこかジェイムを思わせて、何だか胸が温かくなるような、少し締め付けられるような気分がする。
「君たちのおかげで、次に取るべき行動がわかったよ。ありがとう」
彼はバートの方にも目を向けて言った。
「セシリア君を頼む」
「ああ、じーさんも元気でな」
「ありがとうございました。……私たちのことも、それから、父とも仲良くしてくださって」
体を屈め、扉の中へと進む皆に続きながら、別れを惜しむようにセシリアは振り向き、スウォルトへと言う。
「礼を言うのはこちらの方だ。私は君のお父さんから、沢山のものを与えてもらったよ。……元気でまた会おう」
そうして扉は閉じて行き、彼の穏やかな顔は、ゆっくりと見えなくなって行った。
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