友人

友人 1

「イサ通り……あっちですね」


 セシリアの囁くような声に皆頷き、急いで、けれども出来るだけ静かに歩みを進める。

 駆け出したい気持ちはあったが、そんなことをすれば明らかに怪しくなってしまう。

 街灯の明かりがぼんやりと照らし始めた街には、まだそれなりに出歩いている人の姿もある。普通にしていたほうが、気づかれにくいはずだ。


「次の角を右です」


 再びセシリアが小さく言う。

 彼女が初めて訪れたこの町で、すぐに目的の場所を察することが出来たのは、初めての土地へと来たら真っ先に目立つ建物や通りの名前を覚え、全体を把握する癖がついていたことが大きい。もちろんそれは、追っ手から逃げることを考え、身に着けた術だった。

 咄嗟に変装ということは出来なかったが、それぞれ服の着方を変えたり、髪留めなどの小道具を使って、出来るだけ印象を変えるようにもしていた。

 緊張の中、歩みを進めていると、突然笑い声が聞こえ、皆ぴくりと体を動かす。

 しかし前から歩いてきた男女は、こちらになど全く興味はないようで、楽しそうに話をしながら通り過ぎて行った。

 日が落ちてから時間が経つにつれ、段々と闇は濃くなって行き、歩く人々の姿が明かりの下にふっと現れてはまた消えていくように見える。その度にどきりとはしたが、平静を装いながら進んだ。

 やがて道は十字路となり、四人は右へと曲がる。その先は今までよりも狭く、建物に囲まれた道が前へと伸びていた。

 大通りとは違い、人の声や足音は聞こえてこない。街灯は灯っていたが、数が少なく、夜に営業している店もないようで、明かりが映っている窓もまばらだった。

 皆の足取りも自然と速くなる。目的の人物の家は郊外にあるため、街を抜けてしまえば追っ手も撒きやすくなるかもしれないという思いもあった。

 石畳の上に打ち付けられる靴の音が、ばらばらと広がって周囲にこだまし、次第に大きくなる誰かの息遣いが耳に届く。


「走れ!」


 言ったのはバートで、その時にはすでに全員が走り出していた。

 この道は獲物を追い込みやすい場所とも言える。予感はしていたが、それが本当になってしまいそうで誰も口には出せなかった。

 背後に聞こえる足音は、その大きさを増している。


「止まれ!」


 前方から低い声が飛んでくる。そう言われても、もちろん止まるつもりなどない。

 しかし、待ち構える男が掲げた通行証を見て、一瞬の迷いの後、バートは他の三人に手で合図をし、自らも立ち止まった。すぐ近く、そしてやや離れた場所から、複数の荒い息遣いが聞こえてくる。

 男が持っていたのは、任事官の通行証だった。明かりを反射して光る金色の模様は本物のようだ。

 彼は迷ったが、隠していれば余計に面倒なことになるだけだと判断し、自らも通行証を取り出して見せる。


「あー、アレスタン第二地区遊動班所属、バート・レイトンっす。任務なんで通してください」

「任務とは、どのようなことだね?」


 男はその場所から動かずに言った。こちらを警戒しているのかもしれない。

 頭に布を巻きつけ、口もとまでマフラーで覆っている姿は、隠密行動の最中のようにも見えた。


「そちらは? 名くらい名乗ってもいいと思いますけど」


 バートが腕組みをして聞き返すと、男は少しの間を置いてから答える。


「……第四地区保安班、バーガンディーだ」

「詳しくは言えないっすけど、護衛です」


 バーガンディーと名乗った男は眉をひそめた。それはバートの態度のせいなのか、それともその他の理由なのかはわからない。

 担当地区を越えて仕事をする遊動班は邪魔者として扱われることも多く、よく「遊び班」などと揶揄もされている。


「……つーことで、失礼」

「レイトン任事官補佐」


 皆を促し、そのまま進もうとしたバートを、バーガンディーが呼び止めた。

 通行証を見れば、ある程度の役職はわかるようになっている。補佐、の部分を強調して言ったのは、自らの立場の方が上だと示したかったからかもしれない。


「彼女をこちらへと渡しなさい。私が保護し、安全に送り届けることを約束しよう」


 バートは男をじっと見る。

 彼が何も知らずに任務として遂行しているのか、それとも知っていてセシリアを連れて行こうとしているのか、判別は出来ない。けれども、この場で引き渡すことは出来ないと感じた。


「さっきのまだある?」


 サリュートアが、バートの背後から小声で素早く問う。それが何を示すのかは彼にもすぐにわかった。

 一瞬の迷いは生まれたが、前を見たままポケットから幾つかの小さな玉を取り出し、そっと渡す。


「何をした?」


 バーガンディーのいぶかしむ声がきっかけとなり、包囲がじりじりと狭まっていく。

 サリュートアは受け取った小玉を、近くに立っていた三階建ての建物の、細く開いていた窓の中へと投げ込んだ。

 何回か破裂音が響き、その後すぐに窓から煙が立ち上り始める。建物の中から、大きな悲鳴が上がった。

 仲間も含め、うろたえる周囲を尻目に、サリュートアは大きく息を吸い、夜の街へと思い切り声を放つ。


「火事だー!」


 ざわめきはさらに大きくなり、その場だけではなく、寝静まった街が刺激され、起き出したかのようだった。

 アストリアーデもすぐにそれに加わる。


「大変! 火事だよ火事! みんな逃げて!」


 我に返ったバーガンディーが号令をかけるが、一歩遅かった。


「火事だって!?」

「煙が! 助けてくれ!」


 建物から、パニックに陥った人々が飛び出してくる。

 火事と聞きつけ、他の家からも人影が続々と現れ、大通りの方からも騒ぐ声が聞こえ始めた。


「火事だって! ゼノアさんとこだよ!」

「皆さん、落ち着いてください! 何でもありません!」

「何言ってんだ! あんなに煙が出てるじゃねーか!」


 実際に煙が出ている以上、バーガンディーの言葉に説得力はない。


「まさか、あんたが火をつけたんじゃないでしょうね!?」

「何を言っているんですか!? 私は任事官――」

「そんな盗賊みてぇな格好の任事官がいるかよ!」

「おい、誰か水持って来い!」


 人々の憶測や叫びで、その場の混乱はさらに増すが、これがずっと続いてくれるわけではない。

 アストリアーデは隣で立ちすくんでいたセシリアの手を取り、強く引く。彼女の足も魔法が解けたかのように動き出した。

 そして二人は体を屈ませながら、もみ合う人々の間をすり抜けて行く。

 ちらりと後ろを振り返ると、どこにあれだけの人が居たのだろうと思うくらいの人だかりが出来ていて、彼女たちが離脱したことにはまだ気づかれていないようだった。


「あのっ、お二人が!」

「サリュートアたちなら絶対大丈夫。今は逃げなきゃ!」


 そう言ってアストリアーデは走る足に力を込める。セシリアも一旦緩みかけた足取りを出来る限り速めた。

 喧騒は次第に遠ざかり、夜の息遣いがまた、二人を包み込む。


 ◇


「ここまでくれば大丈夫かな」


 街の明かりが遠くなり、足の裏を土が押し返してくる。街の騒ぎが聞こえなくなった代わりに、虫の声が大きくなった。

 立ち止まり、振り返っても誰の姿も見えず、足音も聞こえない。


「……あの」


 セシリアが何を言いたいのかすぐにわかったので、アストリアーデは努めて明るい口調で答える。


「二人なら、絶対大丈夫だって! 場所も知ってるし。今あたしたちが下手に様子を見に行って捕まっちゃうのが、一番しちゃいけないことだと思う」

「そうですね。……ごめんなさい」


 アストリアーデとて、不安がないわけではない。

 自分で言った大丈夫という言葉をひたすら心の中で繰り返しながら、心の奥底から這い上がってこようとする暗いものを必死で追い払っている。


 それから二人は、また歩き出した。

 空には月や星が見えるが、やはり街灯のない夜道は暗い。でもランタンを使うわけにもいかないので、夜目が利くアストリアーデが前に立ち、何か気づいたことがあれば報告しながら進んでいく。

 やがて、少し高台になったところに、ぽつりと明かりが見えてきた。その光は、ほっと胸の中をも暖めてくれるかのようだった。

 二人はそちらへと向かって急ぐ。

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