表白 2
◇
その後、皆で昼食を取り、街を少し散策してみることになった。
ヨセミスフィアに関しての情報を少しでも探そうと、図書館や古書店を探したのだが、目ぼしいものは見つからない。
サリュートアが今まで調べてきた情報の中に、その名前が全く出てこなかったことを考えると、もしかしたら、あの男が作った言葉なのではないだろうかという考えも頭をよぎった。
しかし、そもそも自分が見てきた情報など微々たるものであろうし、もし、自分の理解出来ない言語で書かれていたならば、それが目に留まるはずもない。
町の人にもそれとなく聞いてみたが、知らないか、見当外れの答えが返ってくるばかりだった。
サマルダにも近づいているので、そちらのことも聞いてみるが、ごく普通の町だという情報しか得られない。
日も大分傾いてきて、そろそろ宿へと向かおうとした時だった。
「おい」
「わかってる」
小声で言ったバートに、サリュートアはそちらを見ないまま答える。
――誰かが、自分たちの後をつけている。
アストリアーデも気づいたらしく、一瞬不安そうな表情をしたものの、騒いだりはしなかった。
それまで、これから向かう宿について明るく話していた彼女の表情が曇ったのを見て、セシリアは不思議そうに首をかしげている。
どう伝えたら良いものか迷った後、アストリアーデは後ろにいるサリュートアをちらと見ると、今までと同じ口調で「宿っていえば、この前サリュートアったらね」と言ってから、セシリアの耳元で小声で囁いた。
「普通のままにしてて。誰かにつけられてるみたいなの」
すると、セシリアの表情がさっと蒼ざめ、彼女の足元がふらつき始めた。
「お、おい、何言ったんだよ?」
「そんな変なことは言ってないもんねー」
こういう連携はお手の物である二人は、彼女のあまりのうろたえぶりに動揺しながらも、何とかフォローをし合う。
誰かからつけられる経験などあまりするものではないが、それを伝えただけでここまでになるとは、正直予想はしていなかった。
「何だよ、俺にも教えろよな!」
状況を察したバートも話を合わせ、セシリアに目配せをするが、彼女は虚ろな目でどこかを見て、苦悶の表情を浮かべている。
やがて、弱々しい笑顔をこちらへと向けた。
「ごめんなさい。……気分が悪くて。先に宿に向かいます」
そして、歩く足を速めたかと思うと、皆が止める間もなく、宿とは別の方角へと走り出す。
それに反応するように、背後からはっきりと複数の足音が迫ってきた。
つけられていたのは、セシリアだったのだ。
「セシリアさん!」
アストリアーデが彼女を追って走り出す。サリュートアは先頭を走っていた男に咄嗟に足払いをかけた。派手に転んだ男に、周囲にも動揺が走る。
その間にバートが何かを取り出し、男たちの方へと向かって撒いた。それはパン、パン、パンと弾ける音を出しながら、辺りに白い煙を撒き散らす。彼はサリュートアの手を引き、走り出した。
アストリアーデたちの後を追う二人の背後からは、男たちの怒号と、煙に咳き込む声が聞こえて来る。
角を曲がると、大通りとは違い、細い路地が入り組んでいた。もう既にセシリアはおろか、アストリアーデの姿も見えない。いつ男たちが追ってくるかもわからないから、大声で探すわけにもいかない。
しかし、ぐずぐずしていれば追いつかれてしまう。
二人とも、何かヒントになるものはないか、目を凝らして周囲を観察する。一か八か、バートが自らの勘にかけてみようかと思った時、サリュートアが声を上げた。
「バートさん、こっち!」
「マジか?」
「うん」
バートはとにかくサリュートアを信じてみることに決め、彼の後ろについて走った。サリュートアは角で一旦止まってはきょろきょろとし、何かに手を伸ばしてまた走る。
それを幾度続けただろうか。
やがて視界が開け、遠くに山々が連なるのが見えるようになってきた。
「サリュートア、こっち!」
小さく呼ぶ声がし、サリュートアは足を止めてそちらを見る。緑が広がる敷地内に立つ、白い石造りの納屋の扉の隙間から、揺れる金の髪が見えた。
サリュートアはバートに手招きをすると、開いた扉から中へと滑り込む。
二人とも入ったことを確認し、アストリアーデは扉を静かに閉めた。
「開いてたから、ちょっと借りちゃった」
「不法侵入だぞ」
バートはそう言ったものの、彼自身それを気にしている様子はない。中に置かれていた木の箱の一つに、早々に腰を下ろした。
「はい。……ちょっと汚れちゃったけどね」
サリュートアはそう言って、ポケットから取り出したものを妹に渡す。
「いいよ、役に立ったんだから」
「それ、さっき買った髪留めか。……なるほどな」
アストリアーデが笑顔で受け取ったものを見て、バートが目を丸くした。
「アストリアーデがよく迷子になってた頃を思い出したよ」
懐かしさに、サリュートアの顔も綻ぶ。
「サリュートアが小石に絵を描いてくれたんだよね。それを目印で置いておけば、迷わなくてすむって。最初は赤い花、次は白い犬、黄色い鳥……って決めて、それをたどって帰ったの。今でも部屋に置いてあるよ」
髪留めが残っていれば、男たちに見つかる可能性も高くなるが、サリュートアが真っ先に見つけてくれると信じて、道へと置いて行った。
「ごめんなさい。皆さんにご迷惑を……」
セシリアはそう言って、両手で顔を覆う。
「まず説明。泣き言はそれからだ」
バートが彼にしては珍しく、鋭い声で言った。
セシリアも驚いたように顔を上げたが、そのおかげで少し落ち着いたのか、先に別の箱に座っていたアストリアーデに促され、隣に腰を下ろす。
そして一つ大きく呼吸をした。
「……私は、逃げ出して来たんです」
彼女自身、何から話してよいのかわかりかねているようだった。何か言いかけては、また口を閉じる。
「どうして?」
見かねたアストリアーデが、彼女に問いかけた。
すると彼女は、急に寒さを感じたかのように、自らの腕を何度もさする。
「……殺されると思ったから」
おずおずと発せられた物騒な言葉に、皆驚きの表情を浮かべて彼女を見た。
「どうして、そう思ったの?」
アストリアーデがもう一度尋ねると、セシリアは唇を震わせながら搾り出すように言う。
「……父が死んだ後、私が財産を受け継ぐことになったからです。そしてその財産を狙う人たちが、私のことを殺そうと話しているのを、偶然耳にしてしまいました。父も……もしかしたら……」
「誰かに、そのことを話さなかったの?」
「話しました」
彼女は唇を噛み、悲しげな表情を浮かべた。
「その人は、一緒に逃げようって言ってくれて。私たちは人目を盗むために、バラバラに出発して、近くにある湖のほとりで待ち合わせることになっていたんです」
そこで言葉は、一旦途切れる。
「でも、そこで待っていても、その人は来なかった。代わりに来たのは、知らない男の人たちでした。その時になって初めて、自分が騙されたことに気づいたんです」
彼女は、きつく目を閉じ、握った手で額を支えるようにすると、長い息を吐いた。
詳しくは語らなかったが、その人物のことをとても信頼していたのだろうということが、皆にも伝わる。
「私が走り出すと、その人たちは追ってきて……もう逃げられないと思った時、足が滑って、体が湖の方へと転げ落ちました。私の体は途中の木に引っかかったんですが、石か何かが湖に落ちたようで、大きな水音がして……暗かったのもあって、私が湖に落ちたと思ったのか、男たちは帰って行きました」
それから彼女は、必死で逃げたと語った。
なるべく遠くへ、遠くへという一心で進み、途中で見つけた店で服や身の回りのものを色々買って、今までのものは処分し、長かった髪も自分で切り落とした。
それから追手に遭遇することもなく、ようやくこれからのことを考える余裕が出てきた頃に入ったのが、あのレストランだった。
「そこであなたたちの話を耳にして、もしかしたら一緒に連れて行ってもらえるかもしれないって思いついたんです」
彼女のことを良く知らない追っ手の目であれば、十分に欺けるだろう。
「ヨセミスフィアって書いてあるっていうのは、嘘なんだね?」
「……ごめんなさい」
アストリアーデの言葉に、セシリアはうな垂れる。
「アイセフバックが使われているというのは本当で、あれは当時の書簡なんです。父が研究をしていたものですから……嘘をついて、皆さんを巻き込んで、本当にごめんなさい」
久しぶりの、誰かと一緒に行動するという体験は、とても安心感があった。
あの服飾店での一軒も、拒否し続けたら怪しまれるかもしれないと思い、顔を晒すことになったが、皆と一緒に歩いていれば、気づかれないかもしれないという淡い期待もあったし、いざとなれば自分だけが標的になれば良いと思っていた。皆が巻き込まれるかもしれないということまで、きちんと考えていなかった。
どうせ三人だって、いざとなれば自分のことを見捨てるのだと、何処かで思っていたのかもしれない。
「大体そんな感じじゃないかなって、思ってたよ」
彼女は、アストリアーデの声に引っ張られるように顔を上げる。
「だって、タイミングが良すぎるでしょ? あの変な字だって、あたしたちの誰も読めない」
「……そうですね。でも、皆さんは僅かな可能性にも賭けていた。私は、それを卑劣にも利用しました」
「違うよ」
言葉と言葉がぶつかり、余韻を残して消える。アストリアーデは少しだけ首を振った。
「……ううん、何かわかるかもって思ったこともある。だけど、やっぱり一緒に行こうって決めたのは、セシリアさんと旅をしてみたいって思ったからだよ」
セシリアの目は、驚いたように見開かれる。
「あたしね、バカだから何度も騙されてるの。そのせいですごく沢山の人に迷惑をかけて、だから、サリュートアも心配してくれてた。あたしだって、もう騙されるのなんてごめんだし、恐かった。だけどね、バートさんも言ってたでしょ? 『旅は道連れ』って」
その瞳に向かって、アストリアーデは微笑んだ。
「あたしもセシリアさんと一緒に旅をしたら、楽しいんじゃないかなって思えたの。それなら、もし言ってることが嘘だったとしても、いいんじゃないかって。悪い人には見えなかったし。実際、そこは合ってたよね?」
「アストリアーデも少しは成長したよな」
サリュートアが言葉を挟むと、彼女は口を尖らせて彼を睨んだが、堪えきれなくなったかのように吹き出した。
しかしすぐに、その表情は陰りを見せる。
「それに、あたしが余計なことしなきゃ、見つからなかった。……ごめんなさい」
頭を下げる彼女に、セシリアはゆっくりと首を振った。
「いいんです」
それから、バートとサリュートアの方にも目を向ける。
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