真実 3

 ◇ ◇ ◇


「それ、マジなのか? ギル――っと、サリュートア」


 バートが目を丸くする。


「ギルのままでもいいよ。ああ、理由は言えないけど、妹はあそこにいる」


 無言屋敷が見える、けれども少し離れた場所で、三人はそちらを警戒しながら情報を交換する。日は傾き始め、辺りは茜色に染められる。

 もし再会できたら、何と言おうかと考えていた。沢山の迷惑をかけたと思ったからだ。

 でも、二人とも責めることは一切せずに、ただ、サリュートアの無事を喜び、歓迎してくれた。


「でも、どうしたらいいか迷ってたんだ。あの屋敷の二の舞になるかもしれない。俺が捕まったら、もうそこで終わりだから。だけど、二人が居てくれるから心強いよ」


 それに、空から一瞬見えたアストリアーデは拘束もされてはいなかったし、元気そうに見えた。

 それで楽観することは出来ないが、だから慌てて踏み込むよりも、まずは下調べをと思ったのだ。


「お前、何か変わったな」


 バートに真顔でそう言われ、サリュートアの表情は思わず綻ぶ。こうしたやり取りも何だか懐かしく、嬉しい。


「そうかな」

「ニヤニヤして気持ちわりーぞ、お前」

「そっちこそ」


 サリュートアに言い返され、バートはばつが悪そうに指先で頬をかく。


「しかし、ここの任事官に協力を仰ぐのも難しいだろうな。証拠があるわけでもない」

「そうだ。どうして、二人はここへ来たの?」


 オーファたちならば、いつかここを見つけるだろうと思ったのは確かだ。しかし、どういう経緯でここまで辿り着いたのか気にはなった。


「ああ、それはあのリアという――」

「あっ!」


 オーファがその名を口にしたのと同時に、バートが鋭く声を上げる。


「えっ……?」


 遅れて、サリュートアの口からも声が漏れた。


「そうだよ! リアは生きてるんだぜ! 今、ピンピンしてんだ!」


 両肩を手で掴み、前後に揺すられながら、サリュートアはその言葉をどこか遠くから聞こえてくるもののように感じていた。

 激しく打つ雨や、血溜まりの中倒れているリアや、手をこちらへと必死で伸ばすバートの姿が思い出される。

 ――自分は、人を殺してなどいなかった。

 その事実が体の力を一気に抜き取り、思わず体が崩れ落ちそうになる。

 いや――でも。


「教えてくれて、ありがとう。でも俺は、あの時逃げちゃいけなかった。……ごめんなさい、そのせいで、皆に迷惑をかけてしまった」

「気にするな」


 オーファの大きな手が、頭を優しく叩く。


「お前、マジ変わったよ。何があったんだ?」


 今度は額を小突かれ、サリュートアは苦笑いを浮かべる。


「また改めて話すよ」


 照れ臭さもあったが、今はそれどころではないということもある。彼は無言屋敷と呼ばれているらしい建物の方を見た。


「多分、妹は、すぐにどうこうなる状況じゃないと思う」


 安堵の気持ちと共に訪れたのは、覚悟だった。

 妹を助けるために、今度こそ向き合わなければならなくなるかもしれない。


「だが、出来る限り急ぐ必要があるだろう」


 オーファの言葉に、バートも頷いた。


「今度こそ、妹を助けてやるよ」

「そのためには、まずどうするかだな」


 オーファも言って、堅牢にめぐらされた塀の中の建物を見た。


 ◇ ◇ ◇


 そうして辿り着いたのは、あの中庭だった。

 アストリアーデはガラス扉をそっと押し開け、足を土の上へとおろすと、さらに慎重に歩みを進める。

 暗くなった中庭へと出るのは初めてのことだ。ウィリスと一緒に来るときは、いつも陽の光がここを照らしていた。その違いだけで、全く別の場所に来たかのような錯覚を覚える。

 柵に囲まれた、ウィリスの母の庭の方に、動く影が見えた。

 その影は、こちらへと気づくとゆっくりと向かってくる。

 四十代くらいだろうか。あごに髭を蓄えた、精悍な顔つきの男だった。手には大きなシャベルを持っている。

 誰なのかは、すぐにわかった。


「ウィリスに会いに行かないの? ずっとあなたのこと、待ってるんだよ」


 男は表情を変えずに、こちらを見ている。


「私は今、私に出来ることをやっているんだよ、お嬢さん」


 それはウィリスに会うことよりも、大切なことなのだろうか。彼女はずっと、父親に会いたいと願い、今もそう思っている。

 会えると嬉しそうにしていた顔。暗闇の中の寂しそうな背中。病床の中で呟いた言葉。

 ふと。

 耳障りな音が、アストリアーデの感覚に割り込んで来た。

 その音と、以前ここで感じた違和感が、すうと結びつく。

 男の肩越しに、ウィリスの母の庭を見る。そこに蠢くもの。

 虫だ。

 羽虫の数が、異様に多い。

 アストリアーデの視線は、次に男の持つシャベルへと向かった。


「何を、埋めたの……?」


 ウィリスの母の庭に。――ウィリスの庭を踏みにじって。


「……あの子はね、一度死んだんだ」


 男はそれには答えず、意味不明な言葉を返してきた。


「事故だった。打ち所が悪くてね。マーサはそのショックで、口がきけなくなった。彼女はずっと当家に仕えてくれていて、ウィリスのこともとても可愛がってくれていた。妻亡き後は、彼女は祖母の様にウィリスを見守ってくれた」


 男は、懐かしそうな目で遠くを見る。


「私はずっと『旧時代』の研究をしていた。そして見つけたんだ――ヨセミスフィアへの道を」


 ヨセミスフィア。聞いたことのない言葉だ。


「そしてそこで技術を提供してもらい、あの子を蘇らせた」


 荒唐無稽な話に、アストリアーデの理解は中々追いつかない。でも、彼女の思いが取り残されるのを気にしないまま、男の話は続く。


「だが、仮初めの命を維持し続けるには、犠牲が必要だった」


 犠牲。

 その言葉を引き金に、リアの顔が、ナオの顔が、そして、あの屋敷で一緒に食事をした皆の顔が浮かぶ。

 ――仮初めの命を維持するための代償。


「ただ私は、ウィリスに生きて、そばに居て欲しかった」


 男は落ち着いた声音で、遠い世界の物語を読み上げるかのように言葉を紡ぐ。

 全ては、ウィリスのために。彼女が、生きるために。


「何よ、それ……」


 溜息をつくように、言葉が口から飛び出した。それで何かの螺子が外れてしまったかのように、肩が震えだす。

 そんなのは違う。

 目の奥に熱さを感じ、視界がゆらゆらとぼやける。

 なんて自分勝手なんだろう。


「あの子がどんな気持ちで、食事が冷めるまで待ってたと思うの? 苦しい中どんな気持ちで、お父さまって呼んだと思ってるの!?」


 体の奥底から熱いものが、ぐらぐらと沸き立つかのように噴出してきて、体中を駆け巡る。

 胸が苦しくて、膝ががくがくして、声が震えた。


「そばに居て欲しい? あんたはどこにも居ないのに? あの子はあんたの人形じゃないのよ! 生きて、感じて、考えてるの!!!」


 こんなに怒りを感じたのは、初めてのことだった。

 体中を駆け巡った熱は、涙となった。嗚咽となった。衝動となった。

 男を睨みつける。頭は張るように痛くて、耳鳴りがした。

 だが、それだけの怒りをぶつけても、男は――微笑んでいた。


「ウィリスは、良い友達を持ったようだ」


 曙光を見たかのようなその表情に、怒りは次第に戸惑いへと変化していく。 


「貴女が、協力してくれるなら」


 そしてアストリアーデは、男の真意を、そしてナオが自分をここへと連れて来た理由を悟った。


「……あたしの、血が必要なのね?」


 アストリアーデが、受け継いできたもの。


「そう、貴女ならば、貴女自身の生命を保持したまま、ウィリスの活動を長期的に維持出来る可能性がある」


 可能性。


「もう通常の女性の血液では、ウィリスの生命を保てる限界まで来ている。消費までの期間が短すぎて、より多くの素材が必要となってしまう」


 彼が語る内容はおぞましすぎて、かえって現実味が感じられない。

 ただ、自分が協力すれば、もう誰も犠牲にならず、ウィリスも生き続けられるかもしれないということはわかった。

 それだけわかれば、十分だ。


「わかった。なら――」


 アストリアーデが言いかけたその時。

 かたり、と音がした。

 すぐに振り向いたはずなのに、景色の動きはとてもゆっくりで。

 そして、視線が止まった先には、ウィリスが――いた。

 彼女は後ずさり、そして駆け出す。

 一瞬だけ合った目と目。

 そこにあったのは、悲しみでも、怒りでもなかった。

 彼女の瞳にあったのは――ただ、底のない絶望。


「ウィリス!? ――待って!」


 叫び、後を追う。でも、彼女が立ち止まることはない。

 速い。

 ウィリスがこんなに速く走れるなんて思わなかった。彼女が屋敷の道を良く知っていて、自分はそうでないとはいっても、それでも速い。

 精一杯足を動かしているのに、夢の中の追いかけっこのように、全然追いつくことが出来なかった。

 ざわざわと胸騒ぎは収まってくれず、外に出たいと体を殴りつけるかのようで苦しくて、吐き気がした。

 早く、追いつかなければ。

 階段を上り、幾つ廊下を曲がったのだろう。やがて、マーサの姿が見えた。

 彼女は床に尻餅をつき、背中を痛そうにさすりながら、こちらを見ると涙を流し、震える指で道を示した。

 その方向へと駆ける。


「ウィリス!」


 開け放たれた重厚な両開きの扉の向こうには、天蓋のついた大きなベッドがあった。

 お姫さまの寝室なんだ。

 そんなことを、思った。

 それを囲むように置かれた、沢山のワードローブ。そこからベッドへと伸びる無数の管。


「ごめんね。……わたし、生きてちゃいけなかった」


 ウィリスはベッドにしがみつくようにして立ち、荒い息で体を震わせながら、そう言葉を発する。


「そんなことない! ――ないよ!」


 アストリアーデは何度も首を振った。

 彼女を早く休ませてあげなければ。動くのだって辛いはずなのに、そんなに無理をしたら。


「あたしが協力すれば、誰も傷つけずに、生きていけるかもしれないんだよ!」

「大切な友だちに、そんなことさせられない」


 きっぱりと言うウィリスの口調は、あのたどたどしい、幼いものではなくなっていた。


「……それに、わたしの罪は消えないわ」


 ウィリスのせいじゃないよ。

 そう言おうとしたけれど、その言葉を発することさえ許さないかのような空気を、彼女は漂わせている。


「あたしだって、友達を死なせたくなんかない! ――あたしだったら助けられるかもしれないのに!」


 精一杯気持ちを込めた言葉は、けれども水色の瞳に拒絶された。


「もうね、無理なの。わたしの体だから、わたしにはわかるよ」

「でも!」

「初めて、友だちって言ってくれたね」


 ウィリスはそう言って、初めて名乗りあった時のような笑顔を見せた。


「ありがとう。それだけでわたし、救われる。アストリアーデちゃんと出会えて、本当によかった。――幸せだった」

「待って! ――何をする気なの!?」

「ウィリス!」


 おぞましい予感が体を走った時、背後から震える声がして、アストリアーデは振り向く。

 そこには、ウィリスの父の狼狽える姿があった。


「……お父さま」


 ウィリスは、父へと目を向ける。

 とても、哀しそうな目を。


「さようなら」

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