真実 2
◇ ◇ ◇
「アストリアーデ……ちゃん?」
ベッドに横たわったウィリスは、思っていたよりもずっと元気そうだった。彼女はアストリアーデの姿を認め、嬉しそうに微笑んで体を起こそうとする。
「無理しないで」
止めようとしたが、彼女は大丈夫と首を振り、ベッドへと座った姿勢になった。マーサがすぐにこちらへとやって来て、枕をウィリスの背中とヘッドボードの間へ差し込む。
「別にそんなに大したことじゃないの。少し調子が悪いから、ゆっくりしてたほうがいいだけ」
「そうなんだ」
眠そうには見えるが、特に苦しそうにしているわけでもないし、言葉もはっきりとしている。
やはり自分が気を揉みすぎただけなのだと、アストリアーデは胸を撫で下ろした。
きっと、本当に大したことはない。
「大げさなんだから。ビックリするでしょ」
ほっとすると、そんな言葉も口をついて出てくる。
「うん、ごめんね」
ウィリスもそう言って笑った。
それからただ、二人は何気ない話をした。
久しぶりの雨のことや、中庭の花のこと、マーサの料理のこと。
何てことのない話題のはずなのに、言葉の一粒一粒が甘い菓子のように芳しく、それは時間の手をとって、あっという間に連れ去っていく。
「どうしたの?」
急にウィリスの表情が曇ったように思えて、アストリアーデは彼女の顔を覗き込んだ。
息が荒い。
マーサが近寄ってきて、ウィリスの体を両手で支えた。
何か手伝わなければと思ったのに、少しでも助けてあげなければと思ったのに、アストリアーデの体はちっとも動いてはくれなかった。
呆然としている彼女の目の前で、マーサはてきぱきとウィリスの体をベッドへと横たえ、水で冷やした布で汗を拭いて、水差しで口に水を含ませる。
ウィリスの腕をとったり、額に手のひらを当てたりしてから、彼女はこちらを向き、小さく頷いた。
「……だから、無理しないでって言ったのに」
ようやく出せた声も、乾いて喉に張り付くようなものとなる。
横たわったウィリスは、まだ少し呼吸を速めたまま、上気した頬をこちらへと向けた。
「でも、アストリアーデちゃんとお話ししたかったの……いつまでこうやっていられるか、わからないし」
「変なこと言わないで!」
つい声を荒げたアストリアーデに、ウィリスは首を振る。
「それは、わたしが病気でもそうじゃなくても同じことよ。今日話した人と、明日また会えるかはわからないもの。……それに、アストリアーデちゃんは、いつかここを出て行っちゃうでしょ?」
「それは……」
違うとは言えなかった。ずっとそのことを考えてきたからだ。
揺れる瞳から視線を外し、ウィリスは天井をぼんやりと見上げる。
「……お父さま、元気にしてるかしら」
それから静かに目を閉じると、もう一度、呟いた。
「お父さまに、会いたい……」
◇ ◇ ◇
「あれが、無言屋敷っすね」
前方に見えてきた屋敷を指差し、バートが言う。
その呼び名が表す通りに、辺りは奇妙に静まり返っていた。
大量の野菜は、途中で見かけた食堂を訪ね、全部置いてきた。店の主人は明らかに迷惑そうな顔をしていたが、通行証を見せ、任務のためだと説明すると、渋々受け取ってくれた。
申し訳なく思いはしたが、オーファたちが持ち歩くよりはよほど有効に使ってくれるだろう。
。
まずは屋敷の塀伝いに歩き、周囲からわかることを探る。しかし、特に変わったところは見受けられない。
結局のところ、中へと入ってみない訳にはいかないだろう。
しかし、どのようにするか。
ナオたちが消えたあの屋敷のことが思い出される。
その時、動く影を目の端に捉え、オーファは身を低くした。すぐ近くに見えていた曲がり角の先を瞬時に確認し、体を回転させるようにして隠れると、影の方へと視線を向ける。バートもすぐに続いた。
オーファたちが進んできた方向から、フードを目深に被った人物が歩いてきている。一瞬つけられていたのかという考えがよぎったが、恐らく反対側から屋敷を回ってきたのだろう。
「あれが、フードの男……いや」
バートは何かを言いかけ口ごもる。オーファにも、彼が何を言いたいのか理解できた。
確かにあの体格は、男だろう。しかし、大人のものではない。
じり、と思わずバートが踏み込むと、それに気づいた人物は、こちらを見ずに唐突に走り出す。
「ちょっ――」
慌てて二人も後を追う。
体格はもちろんのこと、歩き方、身のこなし。
任事官は、そういったことを観察する癖がついている。
顔や姿は隠せても、長年の間に身体に染み付いたものは、一朝一夕には矯正できないからだ。
暫く行動を共にした仲であれば、尚更そういったものは自然と目に入ってくる。
「ギル! 待ってくれ――!」
フードの男はバートの声を聞くと急に足を止め、こちらを振り向いた。
信じられないように見開かれた、その琥珀色の瞳。
取り除かれたフードから現れた顔は、少し痩せただろうか。あの頃より伸びた銀の髪が、雲間から射す陽光に煌く。
「バートさん。――オーファさんも」
笑みを零したサリュートアの言葉は、力強い抱擁に遮られた。
◇ ◇ ◇
かすかな音を聞いた気がして、アストリアーデは目蓋を開く。
シーツの皺が見える。ウィリスのベッドにもたれかかるようにして、いつの間にか眠っていたらしい。シーツはゆっくりと上下していて、安らかな寝息が聞こえた。
アストリアーデは顔を静かに上げ、周囲に意識を巡らす。
足音だ、と思った。
マーサの足音ではない、もっと重い足音。硬い革靴が絨毯に刻み込まれて行く印象。
もしかしたら。
アストリアーデはもう一度ウィリスの方を確認し、音を立てないよう、細心の注意を払いながら歩き、外へと出る。
部屋から出ると、音は先ほどよりもよく聞こえた。
誰かが廊下を足早に歩いている。金属がぶつかるような音も聞こえた。
その音を頼りに、アストリアーデは歩みを進める。
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