真実
真実 1
「こちらの記録には、特に何も残っておりませんなぁ」
ダウルと名乗った恰幅の良い任事官は、資料に一通り目を通すと、灰色の瞳をこちらへと向けた。
イシュケナの任事所はこじんまりとしていて、働いている者も数人しかいない。
オーファとバートはあの屋敷からここまでの道のりをナオがどのように辿ってきたかを想像しながら進んできたのだが、特に目ぼしいものを見つけることは出来なかった。
そもそもナオが辿った道とは全く異なっていたかもしれないし、日数も経っている。その間に痕跡を消すことだって可能だろう。彼女は、任事官が何を見るのかを詳細に知っている。
「そうですか」
オーファは少し考えてから、ダウルに尋ねる。
「では、個人的に気になったことなどは?」
彼はのんびりと考えてから、首を小さく傾げ「特には思い当たりませんなぁ」と言い、それから後ろにいた若い任事官にも聞いてみる。しかし彼は書類に目を向けたまま、無言で首を振った。
「何せ、長閑な所ですから。私らの仕事も、ご近所同士の喧嘩の仲裁だの、やれヤギが逃げたから探してくれだの、そんなもんばかりですよ」
そう言って笑うダウルを、二人は複雑な表情で見る。
「ナオ・ルインセムという名前に心当たりはありますか?」
「さぁ……覚えがないですなぁ」
「そうですか」
念のため聞いてみたことだったが、予想通りの答えが返ってくる。
仮に彼女がこの場所に縁があったとしても、それをわからせるようなことはしないだろう。
「せっかく来ていただいたのにお役に立てず、すみませんな」
「いえ、こちらこそ、邪魔立てして申し訳ない」
二人は頭を下げると、任事所を後にした。
「……ま、何かあったとしても、何もなけりゃ気づかないでしょうね」
バートが一見矛盾したようなことを口にする。
「そうだな。もし捕らえられた女たちがここへ運ばれていたとしても、元々馬車の出入りが似たようなものであれば、誰も気づかないだろう。いずれにしても、この周辺で犠牲者は出ていないようだ」
先ほどの記録も確認させてもらったが、今回の事件と関連がありそうなものは見つけられなかった。
「連れて来るなら、ある程度のでかさがある場所は必要っすね。ここは広い家も多いっすけど、あんまりオープンだとばれちまいますし」
首を巡らせ景色を見るバートの隣で、オーファは空を仰ぐ。一雨来そうな様相を見せていた。
「もしくは、ここではないということだ」
手がかりも証拠も何もなく、ただ屋敷の連中がエンデルファ特有の言い回しをしていたという、それだけの理由でここまでやって来た。
リアの聞き間違いかもしれない。わざわざそういう言い回しをしたのかもしれない。ナオだって面接の際に嘘を言ったかもしれない。幾らでも突き崩せる部分はある。
それでもオーファがここへと来たのは、何らかのきっかけでも見出せるのではないかと感じたからだ。
オーファが考え込んでいるのを見て、バートは思わずといったように吹き出した。
「まだ行ったの、任事所だけじゃないっすか」
いつになく弱気になっている自分自身に気づかされ、オーファも苦笑いを浮かべる。
「そうだな。まだ結論を出すには早すぎる」
◇ ◇ ◇
あれから数日の間、何をして過ごしていたのか、アストリアーデはよく覚えていない。
ウィリスには、会わせてもらえなかった。
いや、強く言えばもしかしたら会わせてもらえたのかもしれない。でも、それはしなかった。
マーサを困らせたくないという理由ではないということは、自分でもわかっている。
――怖かったからだ。
ウィリスは今、眠っているのだろうか。それとも、起きているのだろうか。苦しんだり、泣いたりしているのだろうか。
色々な彼女の姿がありありと描かれてはぐちゃぐちゃに混ざって、得体の知れない恐ろしい物へと変わっていく。
その中に自分が飲み込まれていってしまいそうで、水面で息継ぎをするかのように顔を上げると、窓の外には雨が降っている。
いつから降り出したのかはよくわからない。別にそんなことを知っていたって何にもならないことだ。
アストリアーデは重たい頭を枕に埋めると、シーツを頭から被った。
『アストリアーデちゃんがいるもの。それだけで幸せだわ』
ウィリスの微笑んだ顔が浮かぶ。それがとても眩しくて、思い出すと胸が痛くなる。
最初は無理矢理ここに連れられて来て、それがとても辛く、耐えられないと思っていた。
でもウィリスの純粋さや、マーサの優しさに触れて行くうちに、ここにいることが心地良く、楽しくなっていった。いずれ訪れる別れが惜しくて、足が治っても逃げ出すことすらしなかった。
ここに来たばかりの時と、同じ行動をしている自分が酷く滑稽に思える。それでも頭も体も重くて、動くのが億劫だった。
でも、あの時よりも早く、アストリアーデは戻ってくる。
こんなことをしていて何になるのだろう。
もしかしたら自分が思っているよりも、ウィリスの状態だって悪くないかもしれない。
今までだって普通に遊んでいたのだし、彼女が目の前にいないのに、勝手に色々想像して悩んだって仕方がないことだ。
きっと、大丈夫。
「よしっ!」
アストリアーデは自分を励ますように声をあげ、勢いよく体を起こすと、ベッドから飛び降り、そして部屋を出た。
◇ ◇ ◇
「さぁ、ねぇ……」
女はそう言って困ったように視線を逸らす。
先ほどまで降っていた雨は止み、移動や聞き込みはしやすくなった。
「小さなことでも良いのですが、何か気づいたことはありませんでしたか?」
オーファの言葉に、女はさらに困惑を強めた。
「馬車の数がいつもよりも多かったとか、知らないヤツを見かけたとか、何か声を聞いたとか……どうっすか?」
隣で様子を見ていたバートも、少しでもヒントになることはないかと口を挟む。だが、良い反応は返ってこない。
「私も家事やらなんやらで忙しいしねぇ……ご近所さんとはお会いしたけれど、それもいつも通りだし」
「……そうですか。お忙しいところ申し訳ない。ご協力をありがとうございました」
これ以上情報は得られそうにない。
そう判断したオーファは、女に一礼すると、足早にその場を離れる。バートも彼女に礼を言い、後を追ってきた。
「さて、次はっと」
バートはそう言ってあたりを見回す。
豊かな緑が広がり、山も随分と近くに見える。一面のアジラの花畑や果樹園、牧場が広がる中に、家がぽつぽつとあるという様子だった。
何か異変があれば目立つ場所ではあるだろう。だが、目立たないように行動しようと思えば、幾らでも出来るのかもしれない。
オーファも周囲を眺め、人の姿を探した。
「おっ、あそこに誰かいますよ!」
バートの上げた声に、そちらを向く。そこには野菜が一杯に入った籠を持ち、歩いている少年の姿があった。
二人は急いでそちらへと向かう。
「すまない。少し時間を貰えないか」
「えー? また?」
オーファが少年に声をかけ、通行証を見せると、彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「また、とは?」
その言葉が少し引っかかる。少年は大げさに溜息をついてから、答えを返した。
「昨日も人に道聞かれたからさ。野菜売りに行かなきゃいけないのに」
「それは申し訳ない」
道をわざわざ尋ねるということは、この地に不案内な者だということだ。先ほどの婦人の話からしても、余所者がこの辺りをうろうろするというのは珍しいのかもしれない。
「……ま、仕方ないよ。でも何かあったの? こんな田舎町で事件なんて起きたことなかったのに」
「ちょっとした調べ物だ」
「ふーん」
少年はいかにも信じていないという表情をしながら声を漏らす。
オーファはバートにちらりと目配せをし、続けて少年に尋ねた。
「昨日道を尋ねたというのは、どんな人物だった?」
「うーん……フード被ってて、なんだかあやしい感じだったよ」
「男だろうか、女だろうか?」
「男の人だった」
「幾つぐらいに見えた?」
「えー? よくわかんないよ。……もっとちゃんと見とけばよかったなぁ」
「いや、気にしないでくれ」
残念そうにしている少年に、オーファはまた別の質問をする。
「その人物がどこへ向かったか分かるか?」
「こんな感じの場所を知らない? って聞かれたから、思い当たる場所を答えたけど、その後のことは知らないよ」
「もう少し、詳しく聞かせてくれないか?」
食い下がるオーファに、少年ははっきりと否定の意を表した。
「やだよ! もうそろそろ行かなきゃ。これ売れなかったら困るんだから! それともおじさんたちが全部買ってくれるの?」
任事官の人は知らないかもしれないけど、物を売るのって大変なんだから、とぼやき、歩き出そうとする彼の前を遮るようにオーファは立つ。
彼は反発の眼差しを向けてくる少年に向かって穏やかに言った。
「わかった。買おう」
「えっ?」
信じられないといったように目を瞬かせる少年に、オーファはもう一度はっきりと告げた。
「俺がそれを全部買うから、話を聞かせてくれ」
「ほんとに!? わかった、いいよ!」
気が変わらないうちにと思ったのか、少年は背中の籠をさっさとおろすと、中に敷かれていた薄い布で、野菜をそのまま包み込み、口を縛り始める。
「幾らだ?」
「五千リューゼだよ!」
懐から財布を出して聞くオーファに、少年は嬉々として答えた。
「高くね?」
横でぽつりと言ったバートを、オーファは手で制す。
少年はバートを睨みつけると、改めて言葉を発した。
「……じゃあ、四千八百……四千六百リューゼ」
その間もバートがじっと見ていたため、もごもごと口の中で価格が下がって行く。
オーファは財布から金を出し、少年に握らせる。予想よりも多い額に、彼は顔を上げてオーファを見た。
「釣りは要らない。情報料だ」
「ありがとう!」
結局最初の言い値が通った少年は、嬉しそうに札をポケットへと仕舞う。
「ええと……こっちに森があって、こういう風に壁があって、ここに大きな道がある家はないかって聞かれたんだ。中庭もあったって言ってたかな?」
少年は近くに落ちていた木の枝を拾うと、地面に図を描き始める。中々解りやすい図だった。
「それで、無言屋敷じゃないかなって。ここらへんじゃ、中庭がありそうな立派な屋敷なんて数えるくらいしかないし、森と道の感じから、あそこかなって思ったから」
「無言屋敷?」
オーファの言葉に、少年はこくりと頷く。
「普段人がいるのかいないのかわかんないし、住んでるおじさんも、お手伝い? のおばあさんも、たまに見かけたと思ってもなんにも喋んないし。女の子の幽霊が出るってウワサだってあるんだよ」
「で、その屋敷っつーのはどこにあるんだ?」
口を挟んだバートに一瞬むっとした表情をしたものの、少年は気を取り直し、指を立てた右手を真っ直ぐに伸ばして、そちらの方向を見た。
「この道をずっと進むと」
それから左手で、地面に描いた図を示す。
「この、大きな道にぶつかるから、そうしたら左に曲がれば正門のほうに出るよ」
「ありがとう。助かった」
そう言って微笑み、野菜の包みを持って早速移動しようとしたオーファの横顔に、少年は興味深そうに声をかけた。
「ね、あの屋敷に何かあるの?」
「秘密だっつーの」
だが、またもそこに割って入ったバートに向け、彼は思い切り舌を出す。
「ケチ! ――ま、いいや! ありがとう!」
二人は少年と別れ、無言屋敷と呼ばれている家へと向かうことにする。
何もきっかけが掴めなかった今までからすれば、大きな進歩だ。
「……んで」
バートは溜息をつき、彼が持つことになった大きな包みを眺める。
「まずはこの野菜、どうしましょうかね?」
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