秘密 3
◇ ◇ ◇
その日用意されていた夕食は、一人分だけだった。
アストリアーデが訝しげな表情をしていると、ウィリスは手でテーブルを示して言う。
「アストリアーデちゃんの分よ」
「あんたは食べないの?」
その問いに、ふふ、と笑いを零し、彼女は胸の前で指を組んだ。
「今日ね、お父さまが帰ってくるかもしれないの」
「……そうなんだ」
つまり、後ほど親子二人で食事をするということなのだろう。
「わたしがお父さまと一緒にお食事するために待ってたって知ったら、ずいぶん賢くなったねって、きっとお父さま驚くわ」
それはアストリアーデが教えたことだ。嬉しそうに語るウィリスを見ていて、何だかくすぐったいような、不思議な気分になる。
「だからアストリアーデちゃんは、どうぞ食べてね」
そう言っていつもよりも大人っぽく振舞う彼女の姿が可笑しくて、アストリアーデはつい笑ってしまった。ウィリスもつられるようにして笑う。
親子のせっかくの時間に割って入っても仕方がない。
「そうさせてもらうね」
椅子に座り、テーブルに並べられた料理を眺める。パンも、おかずも、スープも、どれも温かく、食欲をそそった。
いつもマーサは時間をずらして食事をするので、一緒に食べないかと誘った所、やんわりと断られたことがある。それは、彼女がこの家に仕えている立場だからという理由もあるようだが、いつも出来立ての状態で料理を食べて欲しいという思いも強いからのようだった。
「いただきます」
そう言ってアストリアーデはまず、肉ときのこをパイで包んだものを一切れ、口に入れる。
さくっとしたパイのほのかな甘みと、肉ときのこのしっとりとした旨みが絡まり、絶妙な味わいが広がっていく。
「すごく美味しい!」
そう言ったアストリアーデに、マーサは親指を立ててみせた。
彼女の料理はいつも味が良いが、今日は特別出来が良い気がした。
きっと楽しい夕食の時間になることだろう。
◇ ◇ ◇
「気分はどうだ?」
そう言ったオーファを、切れ長の目が見つめる。薬品の独特のにおいが、室内に漂っていた。
「まあまあかな。あたしって、強運の持ち主なのよね」
「では、その運も尽きたという事だろう」
「いや」
否定の言葉を放った女を、彼は見る。
「運はまだまだあたしの味方さ。命あっての物種、だろ?」
女――リアは、そう言って豪快に笑った。
「そうか」
だが、オーファは表情を変えずに、淡々と言う。
「用件は解っているな。知っている事を話して貰おうか」
リアは唇を歪めると、おどけたような口調で返した。
「それって、あたしと取り引きしたいってことかしら?」
「ふざけんなてめぇ、さっさと吐けっつってんだろ!」
それまで黙って控えていたバートが、リアに猛然と近づいて胸倉を掴み、締め上げる。
彼女は苦しげに体を捩り、手を伸ばして抵抗した。
「バート」
オーファはそれを制止し、部下にも淡々と告げる。
「邪魔をするなら出て行け」
バートの動きは止まり、彼は悔しそうに体を小さく震わせた。
「……すいません」
そして脱力したように手を離すと、後へと下がる。リアは大げさに咳き込みながら、バートを睨みつけた。
「……ったく、怪我人になんてことすんのさ」
こうなることは予想していた。だが、自分もついて行きたいと必死で訴える彼の気持ちを考えると、無下にすることは出来なかったのだ。
「取り引きだと思って貰っても構わない」
「オーファさん!」
「黙ってろバート。同じ事を言わせるな」
「だって……」
バートは俯き、拳を強く握って震わせる。ぎりぎりと歯を噛み締める音さえ聞こえてきそうだった。
一方のリアは、にやにやと笑いながらオーファを見る。
「流石、話がわかるね。ベテランさんは」
「だが、それ相応の覚悟はしてもらう」
その目に、オーファは静かに、けれども鋭く視線を突き刺した。
「情報に間違いの一つでもあってみろ。――その時は、今度こそ貴様の悪運が尽きたと思え」
◇ ◇ ◇
ウィリスは、上手くやれただろうか。
アストリアーデはダイニングルームの前で立ち止まり、そんなことを考えた。
彼女はきっと父親に褒められると張り切っていたけれど、アストリアーデの中には不安な気持ちが蠢いている。
娘に何も教えないような人物が、果たして娘が新しいことを覚えることを喜ぶのだろうか。
そんなことを考え、悩んでいる自分が可笑しかった。
何を遠慮しているのだろう。
騙され、ここに連れて来られたのだから、その首謀者かもしれない人物に理由を問いただす権利くらいあるはずだ。
そして、サリュートアを探して、家に帰らなければならない。
ドア越しには、何も声は聞こえてこない。別の部屋に移動したのだろうか。
少し迷ったが、アストリアーデはドアを静かに開け、隙間から中を覗いてみることにした。
薄暗い部屋の中、テーブルに伏しているウィリスの姿が見え、心臓が大きく脈打つ。
よく見ると、彼女は寝息を立てていた。背中には上着が掛けられている。
マーサは、寝ているウィリスを静かに見守っていた。
彼女の父親は、まだ来ていないようだ。それとも、もう今日は来ないのだろうか。
声をかけようかとも思ったが、何と言って良いのかもわからない。
アストリアーデは再び静かにドアを閉めると、黙って自分の部屋へと戻った。
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