秘密 2

 ◇ ◇ ◇


 サリュートアは、ベッドの上でぼんやりと天井を眺めていた。

 結局あの後、少女と言葉を交わすことはほとんどなかった。彼女の態度に不可解なものは感じるが、それも仕方ないと思っていた。

 彼女は見ず知らずの自分の命を救ってくれた。それに、こちらだって何も話していないのだ。礼儀を欠くと責められても文句は言えないのに、彼女はそういうことはしない。

 溜息をつき、体を起こす。

 その時、何気なく視線を向けた家具の下に何かが落ちているように見え、サリュートアはベッドから降りると、そちらに近づいた。

 家具と床の隙間から、鎖のようなものが出ている。引っ張ってみると、その先には小さな石が通してあった。鎖は輪になった状態だったから、ポケットにでも入れていたのを落としたのかもしれない。

 きっと、大事なものなのだろうと思った。

 サリュートアは少女に届けようと部屋を出ると、リビングルームへと向かう。だが、彼女の姿はない。

 どこへ行ったのだろう。

 特に他の部屋からの物音も聞こえないから、どこかに出かけたのかもしれない。

 そう思っていると、目の端が動くものを捉え、サリュートアはそちらに顔を向ける。

 窓の外に、少女の姿があった。何か急いでいるようにも見える。

 ペンダントは直接渡さずとも、テーブルの上に置いておいても良いだろう。けれども少女の様子が気になって、サリュートアは思わず家を出て、彼女の後を追っていた。


 少女は早足で、森の中を歩いていく。慣れた道なのだろう。そこに迷いはなかった。

 サリュートアはこっそりと後をつけていることに罪悪感を感じながらも、彼女と距離を取って進む。

 ――しかし、歩きづらい地面や木の枝などに気をとられているうちに、いつの間にか少女の姿を見失っていた。

 周囲を見回し、目を凝らしてみるが、どこにも彼女の姿は見えない。

 やっぱりやめよう。

 こんなことは悪趣味だし、動けるようになったと言っても、まだ体も万全ではない。ここで迷ったら厄介だ。

 そう思って引き返そうとした時、物音がした。

 慌ててサリュートアは木陰に身を隠す。

 ざわざわと音は大きくなり、どこからか再び現れたのは、少女だった。

 彼女は落ち着かない様子で辺りを見た後、急ぎ足でこちらへと引き返してくる。

 サリュートアは呼吸を止め、じっと身を硬くした。鼓動が全身を叩く。だが息を荒げながら通る少女の瞳が、こちらを向くことはなかった。

 

 少女が去った後、彼女がいた場所へと向かってみる。しかし、そこにあるのは木の根がはびこる地面のみ。


(――いや)


 良く見ると、周囲とは微妙に異なった部分がある。一部の木の根の色や質感が違う。手で力を加えてみると、動きそうだった。

 両手でしっかりと持ち直し、強く引っ張る。

 すると地面が盛り上がって動き、その下に細い階段が現れた。サリュートアは周囲を確認すると、慎重に階段をおりる。

 その先には扉があった。鍵がかかっているが、それほど複雑ではないものだ。このタイプなら、遊びで開けたことがある。


 そんなことしちゃいけない。不法侵入じゃないか。


 止める声が、頭の中でする。

 でも、先ほどの少女の表情――あれは、何かに怯えた目だった。

 暫くの間気持ちがせめぎあい、そして、知りたいという欲求が競り勝つ。

 サリュートアは腰につけたポーチから針金を取り出し、鍵穴へと差し込んでみた。少し動かしていると、かちりという音と共に鍵が開く。

 彼は緊張の面持ちで扉をそろそろと開け、中へと足を踏み入れた。


 部屋の中は薄暗い。

 大きな箱や、家具などが置いてあるのが見えた。倉庫なのだろうか。誰かがいる気配もない。

 ほっとしたのと同時に、不安も首をもたげてきた。勝手に勘違いをして、やっぱりただの侵入者になってしまったのかもしれない。

 重い気持ちで少しずつ足を進めると、今まで箱の陰になっていた部屋の奥の一部が、薄っすらと光っているのが見えた。その場所が近づいてくるにつれ、何かに布のようなものがかけられていて、その隙間から光が漏れ出しているのだということがわかってくる。

 サリュートアはその怪しげな物体の前に立ち、唾を飲み込んだ。

 ここまで来たら、もう同じことだ。

 思い切って、厚手の布を持ち上げてみる。

 すると急激に部屋の中は明るくなり、サリュートアは眩しさに目を細めた。ガラスの板のようなものが光を放ち、何かを映し出している。


「何だ……これ」


 思わず、小さく声を漏らす。ガラス板の上を、数多の赤い点が忙しく移動していた。

 恐る恐る顔を近づけ、目を凝らしてみるが、全体が靄がかっていて良く見えない。

 ガラス板が曇っているのかと思い、指で触れてみた時だった。


「!?」


 それが突然動き出したように感じて、サリュートアは慌てて指先を引っ込める。しかし、そこに見えたのは、今度は見覚えのある光景だった。


「アレスタン城……!?」


 尖塔の上にはためく国旗。幾重にも重なる石の壁。その上を、赤い点が行き来している。どうやらその点は、人間を表しているようだ。

 もう一度、指先でガラス板に触れてみる。風景は歪みながら動き、先ほどよりも映っているものが大きく、はっきりと見えるようになった。

 城壁の内部を歩き回っている兵士たちの表情も確認できる。


「これって……」


 『遺産』だ。そしてこのガラス板には、空から見た地上の様子が映っている。

 適当に触れていると、細かいやり方は良く解らないものの、風景が近くなったり遠くなったり、見える場所が移動するということは理解できた。

 触れた指を滑らせる。町、草原、森――景色が目まぐるしく動いた。

 サリュートアは、再び唾を飲み込む。

 アレスタン城の上に当てた指を、上へと滑らせる。もしこれが地図のようになっているならば、映し出される景色は北へと向かうはずだ。

 そしてその考えは正しかった。

 ラウストスの上を通り、メザを通過する。見たい所は沢山あったが、それは後回しにしなければならない。


(――あった)


 オーファたちと向かった、あの屋敷。

 空から見たことはないが、記憶している地図や、作戦で知った情報、川の位置から見ても、間違いはないはずだ。

 そして、そこで指が迷う。

 アストリアーデの向かった場所を、サリュートアは知らない。そして、この道具で見える場所に妹が居るとは限らない。


(頼む!)


 それでも、祈る気持ちで指を動かした。

 ――北へ。

 根拠はない。ただそれは自分たちが目指した方角だからというだけだ。

 出来るだけ景色を速く動かし、目の前に映し出されるものに集中して見ていく。感覚を研ぎ澄ませ、こちらだと感じる方に指を動かしてみる。


「アストリアーデ!?」


 一瞬だった。

 指を急いで戻すが、先ほどの場所が上手く映らない。落ち着けと自分に言い聞かせ、指の動きをさらにゆっくりにして探す。

 再びその場所を見つけた時には、もう誰の姿もなかった。

 何度も何度も指でガラス板を叩く。屋敷が目まぐるしく大きくなったり小さくなったりしたが、中庭らしき場所が映るだけだ。

 自分でもまさかとは思ったが、確かにあれは妹の姿だった。


「どこだ……どこなんだここは!?」


 板に乗せた指先を動かしていく。もどかしく何度も指を叩いた。移り変わる光景を、頭の中に残っている地図と、必死で照らし合わせる。

 南にある森、山の連なり、流れる川。

 地図に書かれていた文字。――イシュケナ。


「何をしてる!」


 鋭い声に驚き、振り返る。

 そこには険しい表情の少女が立っていた。

 目の前のことで頭が一杯になっていて、全く背後を気にしていなかった。


「あの……僕は別に」


 開いた口が、そこで動きを止める。

 少女が手にしているのは、銃だった。銃口は、こちらへと向けられている。

 サリュートアはようやく理解した。

 これが、彼女の守りたかったものなのだと。

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