秘密

秘密 1

 それから数日もすると、サリュートアは一人でベッドから起き上がり、動けるようになった。

 今までよくはわからなかった窓の外も、じっくりと見ることが出来る。緑が豊かだとは思っていたが、そこから見える景色はどこまでも緑色で、この家が森の中にあるのだということが伝わってきた。

 近くに流れているという川は、この場所からは見えない。


「もう、一人で起きられるようになったのか」


 背後から声がかかり、サリュートアはゆっくりと振り向いた。

 窓から差し込む光に照らされた少女の瞳は、驚きの色を宿している。


「おかげさまで」


 声を出すのにも、もう苦労はない。

 幼い頃、アストリアーデと『鎮守の森』で遊んでいて足を痛めた時、その回復の速さに医者が目を丸くしていたのを覚えている。

 人と同じようなことをしていても怪我をしにくいし、それも生まれ持った体質なのだろう。


「じゃあ、もう問題ないね。食事、ここに置いておくから」


 そう言って湯気の立つトレイをベッドサイドのテーブルに置き、すぐに部屋を去ろうとする少女。

 その後姿を見て、サリュートアの体の中から声が自然に湧き出てきた。


「あの……君は、食事は? もう食べた?」


 彼女は足を止め、静かに振り返ると、無愛想に答える。


「いや、今からだけど」

「良かったら、一緒に食べること……出来ないかな?」


 お互い探られたくない腹があるようだし、向こうはこちらを良く思ってはいないようだから、別々に食べたほうが都合が良いはずだ。

 言ってからそう思ったが、もう遅い。


「……別に構わないけど。こっちへどうぞ」


 しかし、少女は意外なことに、それを受け入れた。

 サリュートアは、さっさと部屋を出て行ってしまった少女の後を、慌てて追う。

 隣の部屋は、今まで居た部屋よりも広く、大きめのテーブルが置かれ、キッチンもあった。その反対側の壁は、大きな本棚で埋まっている。

 窓も大きい。朝の清々しい光がそこから差し込んで、室内を明るく照らしていた。

 少女はトレイをテーブルの上に置き、キッチンの方から自らの食事も運んでくると、それも並べる。


「どうぞ」


 頷き、サリュートアは椅子に腰掛けた。

 ぼんやりと周囲を眺めているうちに、少女は先に食事を始めてしまっている。サリュートアも慌ててスプーンを手に取った。


「い、いただきます」


 かちゃかちゃと、食器のぶつかる音だけが、静かな室内に響く。外で鳴いている鳥の声も良く聞こえた。

 一緒に食卓にはついたものの、とても気まずい。

 こうなるのは予想できたはずなのに、何故一緒に食べようなどと言ってしまったのだろうか。


 『ここから出てって欲しい』


 あの時の少女の言葉が蘇る。

 彼女の真意を知りたかったけれど、確かめる勇気はなかった。

 何日も顔を合わせているのに、お互いに名乗ることすらしていない。


「……あの、美味しいね、これ」


 この空気に耐えられなくなり、サリュートアは口を開く。


「そう」


 だが、彼女の答えはにべもない。

 そうして、また前のような空気にあっさりと戻ってしまう。

 ――いや、先ほどよりもさらに重くなったような気もする。


「あの、お父さんは、仕事……かな」


 父親の話も自らしていたし、そのくらいは聞いても良いかと思った。


「いや、死んだよ。今はわたしだけでここに暮らしてる」


 少女があまりにさらりと言うので、飲み込むまでに時間がかかった。


「あっ……ご、ごめん」

「別に。君が謝ることじゃないだろう」


 彼女はまたそう言うと、スープに口をつけた。

 サリュートアもスープに目を落とし、スプーンでかき混ぜる。

 彼が知っている女の子というのは、向こうから話題を振ってくるものだったから、適当に相槌を打っていれば、それで一応会話の形にはなっていた。

 だが、目の前の少女の場合はそうは行かない。こちらが黙っていれば、ずっと気まずい雰囲気が流れ続けるのだろう。

 話題を探すというのは、つくづく面倒だと思い知る。


「あの」


 また声を上げたサリュートアに、少女の目が向けられた。

 どきり、と胸が鳴る。


「片付かないから、さっさと食べてくれるかな」


 彼は、今度こそ黙り込むしかなかった。


 ◇ ◇ ◇


「今日はいいお天気ね」


 ウィリスはそう言って中庭の空を見上げた。四角く切り取られた空は、青々とした姿を見せている。

 アストリアーデの足はすっかり良くなり、もう杖をついたりはしていない。でも、彼女がこの家から逃げ出すことはなかった。


「何してるの?」


 早速というように何事かを始めたウィリスの背後から、アストリアーデは覗き込む。どうやら、花に添え木をしているようだった。


「イニアのお花は倒れやすいから、こうやって木を添えてあげるといいのよ」


 ウィリスは慣れた手つきで作業をする。


「へぇ」


 薄紅色の花は大きく、確かに支えてあげないと倒れてしまいそうだ。

 ウィリスは花の名前や種類、育て方、どの花がいつごろ、どういう風に咲くのかなど、花のことならばアストリアーデよりもずっと良く知っていた。


「こういうこと、マーサに教えてもらってるの?」


 そう尋ねると、ウィリスはきょとんとした顔をする。


「マーサはお庭があまり好きじゃないから、ここには来ないわ」

「じゃあ……お父さんに習ったとか?」


 今は仕事で忙しくとも、教えてもらった時もあるのかもしれない。だが、それにも彼女は首を振る。

 もしかしたら、小さい頃に母親に教えてもらったのだろうか。

 そういえば、向こうに見える庭は母親の庭だと言っていた。それならばきっと、ウィリスのように花が好きだったのだろう。

 そうして小さな門のある方を見た時、何かがアストリアーデの心に引っかかった。

 だがもう一度見ても、何の変哲もない庭に見える。

 何故だろう。


「アストリアーデちゃん、雑草を抜くの手伝ってくれない?」


 もう少し近くで見たら何かわかるだろうかと思った時、ウィリスがそう声をかけて来た。


「あー……うん」


 きっと大したことではないのだろう。色々なことが一気にありすぎて、疲れているからかもしれない。

 そう結論付け、アストリアーデはうんうんと唸りながら雑草を引っ張っているウィリスを手伝うことにした。

 そうして思いがけず園芸体験をすることになり、意外と面白いかもしれないと感じるようになってきた頃、ウィリスが急に立ち上がり、屋敷の方を見た。


「わたし、そろそろ戻らなくちゃ」

「昼寝だっけ?」

「うん」


 彼女は目を眠そうにこすりながら頷く。

 毎日昼寝の時間があると聞いた時、本当に子供のようだと思ったが、それは口には出していない。


「じゃあ、行ってきなよ。後、片付けとくから」

「……せっかく楽しかったのに」


 そう言って口を尖らせるウィリスを見て、アストリアーデは思わず吹き出してしまった。


「それなら、我慢してもう少しやる?」


 聞いてみたものの、相当眠そうだ。


「ほら、早く行ってきなよ!」


 手をひらひらとさせ、アストリアーデはウィリスを追い立てる。彼女は渋々ながらも、屋敷の中へと戻っていった。

 その姿を見送った後、アストリアーデは空を見上げる。

 ふと、サリュートアのことを思った。

 そして地面に転がった道具をさっとかき集めると、自分も中へと入る。

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