告白

告白 1

 サリュートアは震える銃口をぼんやりと眺めた。

 せっかく、アストリアーデを見つけたのに。

 ここを突破しなくては、しなくてはという思いはわき上がるのに、体は全く動いてくれない。

 それは、少女に銃を向けられているショックとか、それによる恐怖とか、何故こんなことをしてしまったのだろうという罪悪感とか、もっと上手くやれたはずなのにという悔しさとか、色々な感情がない混ぜになっているようにも思えたけれど、何よりも大きかったのは――諦めだった。

 自分は見てはいけないものを見てしまって、でも彼女は、自分を助けてくれて。

 だから、仕方がないと思った。

 もういいんだ、と。


 ――違う。諦めたらだめだ。


 また別の声が、それを押しのけるように主張する。


 ――アストリアーデをせっかく見つけたのに。


 でも、本当にアストリアーデだったかはわからないじゃないか。思い込みで、そう見えただけかもしれない。それに、人殺しをした兄貴が助けに行ったって、嬉しくなんかないよ。


 ――そんなの、ただ自分が逃げたいってだけじゃないか。


 ごちゃごちゃとせめぎ合う思考と感情が痛くて、辛くて、大きな波のようにそれを飲み込みながら押し寄せてくる諦めの中に、全てを委ねたくなってしまう。

 もう、これでいいんだ。

 体の力を抜き、目を閉じると、全てが闇に消えた。


(……ごめん)


 妹の姿が、暗い幕の上に朧げに浮かぶ。


(ごめん、アストリアーデ)


 けれども、いつまで経っても銃声は響かず、痛みも訪れない。

 大きな音に目をゆっくり開けると、落ちた銃が、床の上で跳ねていた。


「出来ない……出来ないよ。わたしには、出来ない……」


 少女は――泣いている。俯き、肩を震わせながら。


「助けて……父さん……」


 そして堪えきれなくなったように蹲り、子供のように泣く彼女を、呆然と眺めて。

 気がつけば――近づき、抱きしめていた。


 ◇ ◇ ◇


「元気出しなって」


 アストリアーデが声をかけても、ウィリスは顔を地面に向けたまま、スコップで土を掘り返すことを続けている。地面には不揃いな穴が幾つも開いていた。

 中庭の四角い空は、彼女の心など気にも留めないかのように青く澄んでいる。


「お父さま、わたしのこと、嫌いになっちゃったのかも……」


 ぽつり、と零した呟きが耳に触れ、アストリアーデは大きく首を振る。


「違うよ。あんたのことが大事だから、あんたのお父さんは仕事頑張ってるんだよ」

「……そうなのかな」

「そうだよ。だってそうしなきゃ、あんたはここで庭いじりも出来ないし、マーサの料理だって食べられないんだから」


 ウィリスの父親を庇いたかった訳ではない。ただ、彼女をこれ以上悲しませることはしたくなかった。


「お父さまに嫌われてないなら、よかった……」


 少しだけほっとしたように、ウィリスの手が止まる。彼女の表情は日除けの帽子に隠れ、こちらからは見えなかった。

 彼女は約束を破られたと怒ることもせず、ただ父親に嫌われることを心配している。

 本当に、その父親というのは何を考えているのだろう。

 腹立たしい思いと同時に、もしかしたらウィリスの父親は、やはり実在しないのではないだろうかという疑問が、再び顔を出してくる。

 けれども、落ち込んでいるウィリスに、色々と探るようなことは聞きづらかった。

 アストリアーデは、友達が出来たと喜んでいた彼女の笑顔を思い出す。

 自分がいつかここからいなくなったら、また、こうやって彼女は落ち込んでしまうのだろうか。

 溜息をつき、宙に向いていた視線を戻すと、ウィリスの頭は頼りなくゆらゆらと揺れていた。


「また、眠いの?」

「うん……お昼寝、しなきゃ……」


 頷いたつもりだったのだろう、頭が大きく動き、前にあった花に突っ込みそうになる。


「ちょっと、大丈夫!?」


 アストリアーデは、そのまま地面に突っ伏して寝てしまいそうな彼女を慌てて後から掴み、抱えるようにして家の中へと連れて行く。

 目蓋はほとんど閉じているような状態で、足元も覚束ない。ふらふらとしている彼女に肩を貸してやり、アストリアーデはマーサの元へと向かう。

 寄りかかってくるウィリスの体は見た目よりもずっと重く、人を支えながら歩く廊下は、随分と長く感じられた。

 やがて、部屋の中を探すまでもなく、廊下の窓を掃除しているマーサに出会う。

 彼女はこちらを見て一瞬驚いたような表情をしたが、大丈夫だというように頷くと、掃除用具を脇に置き、ウィリスを引き受ける。

 そして、彼女を背中に負うと、どこかへと連れて行った。

 アストリアーデは遠ざかる二人の背中を見送る。


 ――何故だか、胸騒ぎがした。


 ◇ ◇ ◇


「あたしは雇われただけ。大した事は知らないよ」


 リアはそう言って唇を尖らす。急に弱気になる辺り、本当に大した情報はないのに、吹っかけたという所だろう。


「大した事かどうかは俺達が決める。――まず、お前を雇ったのは誰だ?」

「ほんとに知らないんだってば! 報酬さえ貰えれば雇い主の名前なんて一々聞かないさ。真っ当な仕事でもなし。とにかくあたしは若い女をなるべく多く連れてけばいいって言われただけ」


 そうしてリアは、急にやる気を失ったかのようにベッドへと寝転がる。

 それから細かな手口などをぽつぽつと話すが、どれも予想がつく範囲で、人質の救出に繋がるような情報は得られない。あの屋敷のことも、特に知らないようだった。


「ああ、そういえばナオってあんた達の仲間なんだろ?」


 唐突に出てきた名前に、オーファとバートは視線を交わす。だが、もう知れていることなのだから、今さら隠したところで仕方がない。


「そうだが」


 リアはふんと鼻を鳴らしてから、面白くなさそうに言う。


「屋敷の連中が、あいつが客と……を連れてったとか何とかって話してるのは聞いたね」

「それだけか?」

「ちょっと小耳に挟んだくらいで、ほとんど聞こえやしなかったよ。……もうこれで話せることは終わり! さ、怪我人は寝るから帰った帰った!」


 そうしてリアはシーツを被り、こちらに背中を向けた。


「……やっぱ人質は、ナオさんが脱出させたんすかね」

「どうだろうな」


 バートの言葉に、オーファは曖昧に返事をした。

 あの屋敷の情報からは、まだ特に怪しい点は見つかっていない。屋敷自体は古く、空き家となっていた所を今の主が買い取ったようだが、それはよくあることだ。他の家とも離れているため、交流というものも、そもそも生まれにくくはある。手続きにも今のところ不審な点は見られないが、詳細に調べて行くには、まだまだ時間がかかるだろう。

 突入の際に揉めた件もあり、あの屋敷を再び捜査する事はまだ出来ていない。強引に押し切るにしても、証拠が少なすぎる。それに無理矢理入ったところで、何も見つかりはしないとオーファは踏んでいる。


 あの事件以来、ナオからの連絡は一切ない。何らかの事件に巻き込まれて身動きが取れなくなったとか、死んだという可能性だってあるだろう。

 だがオーファは、ナオの行動に不審な点を感じていた。バートもはっきりと口には出さないが、同じように感じているのではないだろうか。

 先日の『リーダー』の記録も見返し、記憶に残っている屋敷の内部と照らし合わせてみると、妙に引っかかることがあった。

 『リポーター』の作動には、ある程度の日の光が必要だ。そのため、出来るだけ窓のそばに置くことが望ましい。しかし、今回『リーダー』に送られてきた信号は、少し窓から離れているように、オーファには思えた。

 もしそれが正しいのであれば、何か隠すものがあった方が都合が良い。『リポーター』がそれほど目立たないとは言っても、あまりはっきり見えるところに置いておくのは不自然であるし、見つかれば取り除かれる可能性もある。

 あの部屋の窓から少し離れた場所には台があり――そして、花の入った花瓶があったはずだ。

 仮に『リポーター』を花瓶の底に隠したのならば、誰かがそれを移動させるまで日の光は当たらなくなる。ああいった屋敷であれば、こまめに花も変えるだろうし、掃除もするだろう。

 少なくとも日が昇ってから、誰かがその花瓶を動かすまでの間、信号は発せられることがないということだ。

 それが、何を意味するのか。

 ナオがオーファたちに、いち早く自分の居場所を知らせたいのであれば、そんなことをする意味がない。むしろそうする意味があるのは、オーファたちに自分の行動を知られたくない場合だ。

 あの位置にしか隠すことが出来なかったとは、あまり思えなかった。花瓶の下ではなく、後ろであってもだ。オーファがその立場だったならば、確実に違う場所に仕掛けただろう。

 そして、ナオが生活の拠点としていた家は、まだ残ってはいたものの、中は綺麗に片付けられていた。


「だが、あの会話だけでも、解ったことがある」

「マジっすか? ……あ、ホントっすか?」

「それ、そんなに違うか?」


 わざわざ言い直したバートに一言意見を述べてから、オーファは話の続きをする。


「あいつは、きゃくとと言ったな?」

「ああ、『客と』って事は、他にも……身内がいるってことなんでしょうか?」


 そう、普通ならばそういう風に受け取るだろう。リアもそうだった。


「いや、言い方が違う。あいつは『きゃくと』と言ったんだ」


 オーファはもう一度同じ言葉をゆっくりと、語尾を下げて言う。


「『客人』の事だな。ここらでそういう言い回しを使うのは、エンデルファの連中だけだ」

「へー、それは知りませんでした!」


 バートは感心したように相槌を打つ。


「そして、ナオもエンデルファの出身だ」

「えっ? マジで!?」

「マジだ」


 ナオは仲間たちにも自分のことを滅多に語ろうとしなかった。オーファがそれを知っていたのは、彼自身がナオを採用したからだ。


「バート、もしお前があの屋敷を拠点にしてエンデルファへ人質を連れて行くとしたら、どうやって、どこへ向かう?」


 オーファは懐から地図を出して広げる。バートはそれをじっと見て、少し考えた。


「見つからないように向かうなら……この森を通った方がいいっすよね。んで、ここは通れないし、出来るだけ街は避けて……っと」


 やがて、彼は顔を上げる。


「一箇所しかないっすね」


 オーファは頷いた。


「ああ。イシュケナへ向かうぞ」

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