錯綜 2
◇ ◇ ◇
「これは、俺たちが『リポーター』と呼んでいるものだ」
サリュートアがオーファに、どうやってアストリアーデたちのことを見つけるのか聞いたところ、返ってきた答えがそれだった。
そうして彼は、親指の先ほどの物体を目の前にかざしてみせる。
地下室には日の光は差さないが、サリュートアの自宅と同じく、天井が光を点しているため、十分に明るい。
オーファが持っている物は、黒い小さな箱のようにも見えた。やはりこれも同じく、『遺産』なのだろう。
「この中に入っている物質は、日の光に触れると溶け出し、それぞれが固有の信号を発し始める。それによって場所を特定する。完全に溶けてしまえば、証拠も残らない」
「その信号は? どうやって受け取るの?」
浮かんだ疑問を素直にぶつけると、オーファは今度は小さな板のような物をポケットから取り出した。それも同じように黒かったが、表面が艶々と光を反射していた。
「それはこの『リーダー』で読み取ることが出来る」
「へぇ」
サリュートアの反応を見て、オーファは口もとを綻ばせる。
「お前、驚いたりはしねぇのな。ここ入って来た時もそうだったが」
サリュートアはどきり、とした。
自分の家がそうだったから、すっかり慣れきっていたが、『遺産』に囲まれて生活している人間など、ごく僅かに違いない。
頭を急いで回転させる。
そして、呆れたような表情を作ると、少し大げさにため息をついてみせた。
「だって『科学』のことって、文献に沢山残ってるじゃないか。古本屋にだってあるし。怪しいものばかりなのは確かだけど、僕はそういうの信じてたし」
オーファはそれを聞くと片眉を上げ、「そうか」とだけ答えた。
信じてくれたかどうかはわからないが、憶測を巡らせたところでどうしようもない。
「それより、僕ももちろん連れて行ってくれるよね?」
連れて行かないと言われたって、どうにかしてついて行くつもりではあったが、作戦の指揮官の了承を取った方が良いのは間違いない。
テーブルに手をつき、じっと注がれるサリュートアの視線から抜け出し、「茶でも淹れるか」とオーファは部屋を出て行く。
その態度に釈然としないものを感じたが、サリュートアはおとなしく、彼が戻ってくるのを待つことにした。
オーファが淹れてくれたのは、サラウェアの茶だった。柔らかく、少し甘みがある香り。
母が好きで、心を穏やかにする作用があるとかで、サリュートアもよく飲まされていた。幼い頃はやや青臭いような風味が苦手だったが、飲んでいるうちにいつの間にか慣れている自分がいる。
薬草茶などオーファには似合わないような気がしたが、彼は無骨な外見の割に手先が器用だし、茶を入れる姿も様になっていた。そういうところは、父の友人の大男を思い出させる。
そのまま暫しの間、黙って茶を飲んだ。
「お前、親はいるのか?」
いつかされると予測していた質問だ。だから、頭の中で繰り返し答える練習をしていた。
「いない。だから、絶対に妹を助けたい」
すんなりと言葉が口から滑り出てくる。真っ直ぐにオーファの目を見た。
――大丈夫。
動揺はしていないし、嘘だと見破られない自信があった。
オーファは、また「そうか」とだけ言うと、続けてサリュートアに聞いた。
「ならば、人を殺す覚悟はあるか?」
◇ ◇ ◇
アストリアーデは、その男たちの姿を、呆然と眺めていた。
ナオと森の中を黙々と歩き、空が白み始めてきた頃、男たちは突然木陰から現れた。
七、八人――いや、十人くらいはいるだろうか。悪党、としか形容できないような風貌と登場の仕方だった。
皆、手に剣を持っていた。形やサイズなどは様々だ。
その切っ先は上や下に向いているものもあれば、アストリアーデたちに向けられているものもある。
金目の物を出せ、とか、お決まりの台詞もなかった。それぞれ微妙に違う、気味の悪いにやにや笑いを浮かべながら、ただじりじりとこちらに近寄ってくる。
「動かないで」
ナオは男たちを見据えたまま、アストリアーデに手のひらを向けた。
動こうと思ったところで、足が地面に張りついたかのように動けない。足が小刻みに震えて、立っているのだってやっとだった。
格闘を教えてくれたジェイムも、アストリアーデは筋が良いと褒めてくれた。自分も、そうなんだと感じていた。
けれどもジェイムは、怪我をさせないようにと気遣いのある拳を向けては来ても、アストリアーデを殺しても良いと思いながら、剣の切っ先を向けて来たりはしなかった。
そんなこと、当たり前だ。
リアに銃で脅された時だって、そうだった。
「あん? 姐さんヤル気? 勇ましいねぇ」
賊の一人がだらしなく息を漏らしながら、ナオに向かって言った。しかし、彼女はそれに取り合わず、黙って男たちを見渡した。
アストリアーデは不安に押し潰されそうになりながらも、それを黙って見守るしかない。
「そうでもないわ」
普段通り淡々とそう言って、ナオはジャケットの内側に手をやり、何かを取り出す。
銃だった。
銃はまだアレスタンでは珍しい代物だ。一般人の認識としては『金がある者が持っている珍しい武器』程度で、詳しいことを知る者はほとんどいない。だが、その強力さは知るところであり、それを見るだけで怯える者もいる。
だが、先ほどの男は、それを鼻で笑い飛ばした。
そして男が再び何かを言おうとしたその時――ナオが動いた。
銃声と共に放たれた弾丸は、近くにいた一人の男の腕に命中したようだった。男は大きな悲鳴を上げ、腕を押さえる。持っていた剣が宙を舞った。
その剣が下に落ちる前に、ナオは剣を掴み取り、そのまま迷いなく、無防備な姿を晒している男の喉元めがけて振るう。
ひゅぅっと音がし、男は鮮血を噴き出しながら後方へと倒れていく。
「――!?」
これには、その場の誰もが驚き、息を呑んだ。
しかし、ナオはその一瞬の隙を逃さない。咄嗟に剣で自らを庇おうとした別の男の革鎧の隙間に剣先を滑り込ませ、深々と潜り込ませる。男の苦痛の叫び声が、静かな森に響き渡った。
ナオは今度はその男の剣を奪い取ると、切り掛かろうとしていた男の剣を弾き、宙に舞わせた。そのままその男にも、容赦なく切り掛かる。
アストリアーデは、返り血を浴びることも厭わずに、男たちに立ち向かっていくナオを、信じられない思いで見ていた。
躊躇いなど、全く見て取れない。狙っているのは全て急所だ。彼女は、確実に相手を殺す気で戦っている。
最初はへらへらと笑っていた男たちの顔に今あるのは、形は違えど、恐怖だった。それに耐えられなくなった者は、その場を次々と離れていく。統制などありはしなかった。元々そんなものなど、男達の間には存在しない。
気がつけば、その場に残されたのは、剣を杖のように支えにし、肩を大きく上下させて荒い息をつくナオと、それを呆然と見守るアストリアーデだけだった。
我に返り、ナオに近づこうとするアストリアーデの足が何かに取られ、滑りそうになる。
血だ。――人の血。
それを認識した途端、襲ってくるむせ返るような血の匂いに吐きそうになり、鼻と口を慌てて手で抑える。
周りは恐くて見られなかった。
ただ、その場から走って離れた。
「何であんなことしたの!? 殺さなくたっていいじゃない!?」
近くにあった川で、ナオは服を洗い、髪や体についた血を洗い流した。
川原で火を起こし、少し落ち着きを取り戻すと、思わずアストリアーデはナオに感情をぶつけていた。
肌の露出した薄いシャツ姿になったナオは、長い黒髪に溜まった水を絞りながら、いつも通りの口調で答える。
「私は、自分の能力を正しく把握してるつもりよ」
彼女は、濡れたジャケットを火のそばへと寄せた。はぜる火の粉が、時折ジャケットへと踊りながら近づく。
「あの人数を相手に、あなたを守りながら、さらに手を抜いて戦えるほど、私は強くないの。そんなことをしていたら、二人とも死んでいたわ」
「でも――銃だってあったんだし! もっと脅かすとか、死なない程度に撃つとか!」
アストリアーデの熱弁に、けれどもナオはゆっくりと首を振った。
「銃はね、一回発砲すると、次の弾を撃てるようになるまでに準備が要るの。あれだけ人数がいるのだから、その間に攻撃するのは簡単」
「でも! ……だけど」
他にもきっと方法が――そう口にしかけて、本当にあったのだろうかという疑問が、アストリアーデの頭をよぎる。
誰かに助けを求めれば、来てくれただろうか。――近くに人家もない森の中で?
役人にでも助けを求めるのだろうか。――軍人と一緒に居るというのに。
「私はあなたを死なせる訳には行かないし、私も、ここで死ぬ訳にはいかないの」
ナオの口調は、相変わらず淡々としていた。それがかえって、起こった出来事をはっきりと浮かび上がらせ、アストリアーデの心に強く刻む。
自分の存在が、彼女にあんな戦い方をさせた。
その事実が、アストリアーデに重くのしかかった。
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