模索 2

 ◇ ◇ ◇


「ちゃんと謝ってきたか?」


 もしかしたら居なくなっているかもしれないという不安が胸をよぎったが、男は別れた場所で待っていた。開口一番の言葉に、うんざりした気持ちになりながらも、サリュートアは頷く。


「お金も、きちんと払ってきたよ。これも貰って、持って行く」


 そう言って造花を見せると、男は満足そうに頷いた。


「よし。じゃあ行くぞ」


 どこに行くのかもわからないまま、サリュートアは男の後についていく。馬はどこかに預けてきたのだろう。いなくなっていた。

 男の後ろ姿を見失わないように気をつけながら、サリュートアは手にした花を見る。

 マイラでも、学校に行けずに働く子供というのは、もちろんいる。けれどもそれは、『どこかの誰か』であって、自分の友人や知り合いではなかった。クラスメイトにしても、両親の友人の子供にしても、皆それなりに裕福な家の子供だからだ。

 見た目も品質も同じような造花が、片方は立派な店の中で千リューゼもの値がつき、もう一方は百リューゼで手売りされている。

 何が違うのだろう。

 そんなことをぼんやりと思い、ふと気がつくと、男の背中は遠ざかっていた。

 サリュートアは慌てて足を速め、男の背中を追う。


 ◇ ◇ ◇


 馬が嘶く声が聞こえ、アストリアーデは顔を上げる。

 馬車は大きく揺れ、そして止まった。


「着いたよ」


 リアの声が耳元で聞こえ、アストリアーデは眉をひそめる。視界はきつく布に覆われているため、周囲の明るさがわからない。


「早く立って! 降りるんだよ」


 そんなことを言われても、指示もされていないし、何も見えないのだからどうしようもない。

 そう言い返したい気持ちを堪え、アストリアーデは恐る恐る立ち上がり、足を進める。目で確認出来ないというのは、随分と怖いものだと思った。バランスを崩し、手が宙を泳いでしまう。リアは舌打ちをし、大きく溜め息をつくと、アストリアーデの腕を乱暴にとった。

 痛みが腕に走り、アストリアーデは口を引き結ぶ。

 だが、このくらい何でもない。弱みを見せるくらいなら、我慢する方がずっとマシだ。

 そう思い、アストリアーデは、リアに腕を引かれるまま、よろよろとした足取りで進み、馬車を降りる。

 吹く風が、肌にひやりと触れた。


「誰かっ――!?」


 突然近くで女の声がしたが、それはすぐに呻き声に変わる。手か何かで口を塞がれたのだろう。

 この周囲には一般人がいるのか、それともいないのか、判断はつかなかった。ただ、とても静かだ。

 いずれにしても、ナオが何かを考えているのならば、彼女が何も言わない以上、騒ぐのは得策とは言えない。

 それは、サリュートアとの付き合いで学んだことだった。計画を立てられない者が一番してはいけないこと、それは、計画の邪魔をするということだ。


「こっちに来な! 騒ぐんじゃないよ」


 リアの苛立たしげな声がし、アストリアーデはまた腕を強く引っ張られた。

 今はただ、一刻も早く状況が良くなることを祈り、アストリアーデは歩く。


 ◇ ◇ ◇


 先ほども通った道を、今、再び通った。

 似たような道、入り組んだ道を、二人はただ黙々と進む。

 その理由を、サリュートアは考えてみた。

 男は、仲間のところに行くと言っていた。もしそれが本当であるならば、アジトの場所を知られないためかもしれない。もし追っ手や、彼らのことを探っている者が居たとしたら、それを撒くことや、不自然な行動を見抜くことも出来るだろう。

 もしくは、サリュートアに道をわからなくするためか。

 それは、全く意味のないことだが、いずれにしても、サリュートアはこのまま男について行く気だった。

 何も手がかりがない状態よりも、アストリアーデに少しでも近づける方がいい。

 そう決意を新たにした時、男が、一つの民家の前で足を止めた。周囲を注意深く窺い、サリュートアを肩越しに見る。そして、家の中へと向かい、再び歩き出した。

 サリュートアはあえて反応はせず、そのまま普通の足取りで後に続く。

 家を囲う塀の内側へと入り、裏手へと回る。一見したところ、何の変哲もない民家だ。

 しかし、ただ壁があるだけの場所に、男が何事かをすると、不思議な音がし、壁の一部がへこんだ。

 そして、静かに横へと滑る。――扉だ。

 それが何なのか、サリュートアにはすぐにわかった。『遺産』――旧時代の『科学』の名残り。

 世界のあちこちに残されていると言われているが、サリュートアは自宅以外で見るのは初めてだった。男はまたこちらを一瞥すると、扉の中へと消える。

 サリュートアも、後に続いた。


「まだ名乗っていなかったな。俺はオーファと言う」


 家の中――地下室は案外広く、男の仲間と思われる者たちと何度かすれ違った。愛想が良いものも、あからさまにサリュートアを胡散臭そうな目で見る者も居た。

 最奥の部屋で向かい合って座り、男が名乗った名が、本名なのか偽名なのかは判断できなかったが、彼が懐から出して見せた通行証が、それを些細なことだと思わせるに十分だった。


「アレスタン軍……任事官」


 任事官とは、事件や事故など、様々な事を任されることから、そう呼ばれる。

 民間人であれば、ほとんど縁がない軍人の通行証だが、サリュートアは以前、父の持っている物を詳しく見せてもらったことがある。

 右端に、金色の複雑な模様が描かれていた。正式に国から発行されたものであれば、特殊な印が押されている。それに間違いないと思った。

 オーファはサリュートアに頷いて見せると、言葉を続ける。


「俺たちがここ数ヶ月の間、追っている事件がある」

「……事件」


 その言葉の禍々しい響きに、サリュートアの背筋がぞくりとする。もちろん、アストリアーデもそれに無関係ではないのだろう。

 しかしオーファはそれに構わず、淡々と告げた。


「失踪事件だ。それも、若い女ばかりの」


 彼によると、最初の失踪者は、身寄りがなく一人暮らしをしていた女だったという。

 人を避けて生きているような人物で、近所付き合いもほとんどなかったため、姿を消したことに気づいた者もおらず、後になってからそれを知っても、誰も不審には思わなかった。


「最初は、ただの失踪だと思われていた。どれも人との関わりを避けている者や身寄りのない者、貧しい者だったから、皆気づいたとしても、そういうもんかと納得していた」

「貧しいって……」

「借金が返せなくて夜逃げするヤツも居るだろうし、身売りするヤツも居るだろうさ」


 頭の中を読んだかのように、オーファに先に答えられ、サリュートアは口ごもる。言われてみればそうなのかと分かるのだが、いまいちピンと来なかったのだ。


「しかし、そういう失踪が次々と起こる。これは妙だという話になった。だが調べても何も掴めない。もしかすると、やっぱりただの失踪が重なったんじゃないかって話にもなった」


 オーファはそこで腕を組み、ふうと息を吐いた。


「だが、近頃になって、急に目撃談が増え始めた。ゴロツキみたいな奴らが、女を無理矢理連れ去ったとか、揉めているのを見たとか」

「それは、別の事件っていうことは?」


 話を聞く限りだと、全く関係がないようにも思えなくもない。偶然が重なったということもあり得るのではないだろうか。

 オーファも軽く頷いてから、指先でこめかみを掻いた。


「ああ、しかしな……それについて探っていくと、やっぱり途中でぷっつりと糸が途切れちまう。少なくとも、そのゴロツキたちが首謀者ではない。同じ事件だっていう感触だ」


 これは任事官の勘だ、と彼は一言付け加える。


「でもそれならば、何故急にやり口が杜撰になったのかがわからん」

「杜撰?」

「なりふりを構っていられないとでもいうのか……お前を馬車から蹴落としたのも、女じゃないからってことだろうが、それって随分といい加減なやり方だと思わないか?」

「それは、そうかも……」


 そんなことをしたからこそ、こうやってサリュートアから、情報がオーファへと渡った。

 もし最初の頃の失踪にも事件性があり、同じ者の指示で行われたことなのであれば、今までは慎重に、痕跡すら残さないように行われていたのに、確かに妙だと感じる。


「でもおかげで、こちらにも付け入る隙が出来た。ぷっつり切れた糸の先には、必ず誰かがいるはずだ。出来た隙間に、俺たちはネズミを忍び込ませることにした」

「囮……?」

「その通り」


 何となく、予想はついた。オーファの言葉の続きを、サリュートアは待つ。

 すがるようなサリュートアの目に、オーファは、大丈夫だというように力強く頷いた。


「それが、ナオだ」

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