模索

模索 1

 土煙がもうもうと舞い、視界をさえぎる。

 その町はとても雑然としていて、落ち着きがないように見えた。

 暗くなったため途中で宿を取り、サリュートアが再び男と一緒に馬の背に揺られ、そこに到着した時には、もう日は高く上っていた。


「ここは?」


 馬を下りると、周囲を見回しながらサリュートアは尋ねる。

 柄の悪い男たちが道端で管を巻き、喧しい物売りの声が行きかう。舗装されていない道は、足を進める度に削られ、穏やかな風にさえさらわれる。


「メザだ」


 男は簡潔に答えると、先を急ぐように足を速めた。長い髪が、動きに合わせて馬の尾のように揺れる。

 メザ。

 頭に入っている地図を思い浮かべる。確か、リシュエンス地区にある町だ。いつの間にか、隣の地区まで来ていた。

 しかし――とサリュートアは思う。

 少し離れただけのはずなのに、ラウストスとメザの町は、随分と違って見えた。

 隣の地区に入ったとはいえ、まだ首都マイラよりさほど遠くはない。それなのに、こんなにも変化があるのは、何だか不思議な感じがした。


「そこの兄ちゃん! 花買わない?」


 突然近くで上がった声に驚き、振り返ると、黒髪の少年が目を輝かせながらこちらを見ていた。サリュートアよりもずっと背が小さく、幼く見える。着ている服は色褪せ、汚れも目立ち、ところどころに綻びも見えた。手に持った籠には、様々な形や大きさの黄色い花が入っている。目を凝らして見てみると、それは造花だった。


「いくら?」

「ありがとう! 百リューゼだよ!」


 サリュートアが懐を探りながら聞くと、少年は満面の笑みを浮かべ、籠の中の造花を一つ一つ見比べ始める。


「ああ、それいらないから」


 しかし、サリュートアはそれを声で制止し、革袋から銀貨を一枚取り出すと、呆然としている少年に向け、差し出した。


「はい、百リューゼ」


 少年は目を見開き、サリュートアと銀貨を交互に見る。

 そしてその意味するところを理解すると、きつく口を引き結び、籠を振りかぶった。

 だが、そのまま動きを止め、体を震わせてから、花を一本だけ引き抜き、サリュートアに向かって叩きつけるように投げる。


「バカヤロー!」


 そうして踵を返し、走り去っていく少年の後ろ姿と、手の中の銀貨をぼんやりと眺めているサリュートアの背後から、男の怒号が降りかかった。


「お前! 自分が何やったかわかってんのか!?」


 そのままぐいと肩を掴まれ、無理矢理振り向かされる。男の手には、先ほど投げつけられて落ちた造花が握られていた。

 鋭い目で睨まれても、すぐ力に訴えかける大人に屈服するものかという思いが、サリュートアを奮い立たせる。


「だって、お金が必要な訳でしょ? こんな花、いらないし。必要がないものを買ったって仕方がないじゃないか」


 それを聞き、男の目がさらに険しくなる。

 暫しの間、どちらも動かなかった。

 サリュートアが男の視線を受け止め続けていると、男は大きな溜め息をつき、サリュートアの体を乱暴に離す。

 そのまま視線は緩めないままで、男は重そうに口を開いた。


「謝って来い」


 そして、造花をサリュートアの胸に押し付ける。


「何で――」

「謝って来ないなら、お前には協力しない」


 抗議しようとする声を遮り、男は冷たく言い放った。サリュートアの中に、どっと怒りがこみ上げてくる。


「そんなことを駆け引きの材料にするなんて、卑怯じゃないか!」


 そう言って睨め付けるが、男は微動だにしなかった。


「卑怯で結構だ。お前は必要ない物は買わない主義なんだろう? 俺も自分の納得行かない仕事はやらない主義だ」

「もう引き受けた後だろ!」

「俺は引き受けるとは一言も言っていない。一緒に来いと言っただけだ。文句があるなら他を当たるんだな」


 分が悪かった。

 サリュートアにはアストリアーデを探すつてなど全くない。今、男に見放されるのはまずい。


「くそっ。――わかったよ!」


 サリュートアは吐き捨てるように言うと、男にさっさと背中を向け、無秩序に歩く人を避けて走り出した。




「どこ行ったんだよ……」


 周囲を見回しても、人に紛れてしまった少年の姿は見つけられない。時々似た背中を見つけてはドキッとするが、近づいてみれば別の人物だ。

 焦る気持ちばかりが目まぐるしく胸の中を動き回った。このままでは、アストリアーデのもとにはたどり着けない。男の仕打ちに、怒りが込み上げてきては体のあちこちを焼く。

 いや、あの男がアストリアーデを見捨てるはずはない。

 何故だか、そういう確信があった。けれども、ここまで来てしまった以上、何もしないで戻るのは、それこそ卑怯なようで嫌だった。

 サリュートアは息を整えると、改めて周囲を見回す。世間話でもしていたのだろうか、輪になった数人の女の一人が、こちらを物珍しそうに見ているのを見つけ、そちらへと早足で向かう。


「あの、すみません」


 申し訳なさそうに声をかけると、女は人のよさそうな笑みを浮かべる。他の者も、興味を引かれたようにこちらを見た。


「男の子知りませんか? ……十歳くらいの。黒い髪で、造花を売ってる。黄色い花の」


 サリュートアは順々に顔を見ながら、覚えている限りの少年の特徴を言ってみる。

 すると、女たちの中では年配と思われる、短い栗色の髪の女があごに手を当て、大きな目を数回瞬かせてから答えた。


「ああ、レンね。あんた、レンの友達? ずいぶん育ちが良さそうだけど」

「いえ、そういうわけじゃ……」


 謝りに来たなどとは言えず、言葉を濁していると、女は嬉しそうな顔で、なおも続ける。


「あの子学校も行ってないから、同じくらいの友達が居なくてね、心配してたんだ」

「そうなんですか」


 造花の入った籠を投げようとしてやめた少年の姿が脳裏によみがえった。


「さっき姿を見かけたから、今は家にいるんじゃない?」


 今度は長い黒髪の女が口を開いた。気の弱そうな笑みを向けられ、曖昧に微笑み返すが、もちろんサリュートアが少年の家を知っているはずなどない。


「あの……まだ知り合ったばかりで、家を知らないんです」

「そうなの。……あの路地を入ったところよ」


 彼女が指差した方角を確認し、サリュートアは礼を言うと、そちらへと急いだ。怪しまれなかっただろうかと思ったが、気にしていても仕方がない。

 石が積み上げられた塀を脇に見て路地へと入る。そこはとても狭かった。本当にここで良いのかと不安になりながらも進むと、やがて右手の奥に扉が見えて来る。

 窮屈そうに嵌め込まれた歪な扉を前にし、暫く迷った後、サリュートアは拳で扉を数度、叩いた。返事はない。

 再びノックをしようとした時、ドアが軋む音を立てながらゆっくりと開き、見覚えのある顔が出てきた。あの少年だ。

 彼は明らかに顔をしかめ、それから後ろを確かめるようにすると、小声で言った。


「母ちゃんが寝てるんだ。悪いけど、外で話そう」


 そうして体も潜らせると、扉を後ろ手に閉める。


「ここ狭いけど、どうせ来る人もいないし。……で、何か用?」


 改まって用件を聞かれると、急にばつが悪くなり、サリュートアは無意味に頭を掻く。だが、ずっとそうしている訳にも行かない。


「あの……悪かったよ」


 サリュートアは少年の肩辺りを何となく眺めながら、重い口をようやく開き、謝罪の言葉を口にした。


「別にこの花、悪くない出来だと思うよ。ただ、今は旅の途中だから、持ち歩きたいとは思えなかったから」


 それも大きな理由だが、出来の如何ではなく、そもそも造花が趣味ではないということは、流石に口には出さなかった。

 ただ、悪くない出来というのも本心だ。レンという少年自身が作ったのか、今は寝ているという母親が作ったのかは知らないが、細部まで丁寧に作られていて、マイラの雑貨屋で売られているものと比べても、何ら遜色はない。

 だが、せっかく作ったものを受け取らずに、金だけ払うということで、レンが気分を害するということも理解は出来た。


「母ちゃんが」


 サリュートアが続く言葉を見つけられずにいると、レンがそう言ってドアの方を見た。


「その人は、きっと悲しいことがあったのよって言った。……兄ちゃん、悲しいことがあったの?」


 サリュートアは言葉に詰まる。

 出会ったばかりの子供に、自分の状況を話すつもりなんてなかったし、それで同情されるのも嫌だった。

 けれども、自らの弱さを白日の下に晒されたようで、少なからずの衝撃を受ける。でもそれは当たり前のことだ。自分はアストリアーデの家族なのだし、兄として、そして旅の主催者としての責任がある。


「別に。……何もないよ」


 サリュートアは、レンの目を見ないままで言った。視線の先にあるのは、古く変色した木の扉だ。


「お母さん、仕事で疲れてるの?」


 今度は、レンの方が黙り込んだ。ずいぶん長い間沈黙が続いたように思えて、聞こえなかったのだろうかと訝しんだ時、押し殺したような声が聞こえた。


「母ちゃん、病気で働けないんだ。だから、オレが働いてる」


 今度は、重苦しい沈黙だった。それ以上何も聞くことが出来ず、「そう」とだけ、サリュートアは答える。


「お母さん、良くなるといいね」


 今度は、レンの方を向いて言った言葉だったが、レンはこちらを見ていなかった。「ありがとう」という言葉だけが返ってくる。


「これ、ちゃんと貰ったから。これからも、なくさないようにする。だから、受け取ってくれるだろ?」


 サリュートアはいたたまれなくなり、黄色い花をレンの前に掲げて見せ、それから百リューゼを差し出した。レンは服の袖で顔を拭うと、こちらに向き直り、銀貨を受け取る。


「ありがとう」

「うん、それじゃ」


 サリュートアはそう言うと、足早にその場を去る。

 大通りに出る前に、先ほどの女たちとすれ違ったが、そちらを見ることは出来なかった。

 胸がざわざわして、落ち着かなかった。


 ◇ ◇ ◇


 目の前には、闇が広がる。

 その代わり、馬車の音と振動が、いやに大きく響いた。今自分たちがどこにいるのか、どんな場所を通っているのかもさっぱりわからない。

 あれからリアは、窓に張り付いているアストリアーデを冷たく引き剥がし、長い布で目隠しをした。ちらりと確認した限りでは、同じくナオも目隠しをされたようだ。

 だが、アストリアーデは抵抗をしなかった。


「ようやく、おとなしくなったのね」


 リアが嘲るように言い、鼻を鳴らしたが、口答えもしなかった。リアもそれきり黙ると、アストリアーデから静かに離れる。

 諦めたわけじゃない。

 アストリアーデはそう自分に言い聞かせ、込み上げてくる怒りを抑えた。おとなしくしていようと決めたのは、希望が生まれたからだ。

 ナオは、何かを知っている。

 こういう勘は鋭いと自負している。間違いないと思った。

 出来れば、リアと出会った時にも、彼女が悪党だということを見抜ければ良かったのだが、それは今さら言っても仕方がない。

 今することは、逃げるチャンスを待ち、それを掴むことだ。

 アストリアーデは耳をそばだて、その時を待つ。

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