追跡 2
「はぁっ……はっ……」
荒い息が漏れる。肩が大きく上下しているのが自分でも感じられた。胸が苦しく、足が中身の詰まった砂袋のように重い。
一生懸命走り回って九軒の家を回ったが、駄目だった。この近くの家は、ほぼ回りつくしたと思う。
気がつけば、地面にしゃがみこんでいた。
遠くの空を見る。
直感なんて信じても、何も得られなかった。
もう、日が暮れる。血のように赤い西日が、自分を嘲笑っているかのように思えた。
もし自分に、父のような能力があったら、この状況を何とかできたのかもしれない。
自分には両親のように、『ル・パ』と呼ばれる存在は居ない。何故そうなったのかは分からない。でも何らかの理由で受け継がれなかった能力だ。
他の人間よりも優れていると感じることは、自分でも多くある。けれどもそれは、特別な能力ではない。
何故、自分には何も出来ないのだろう。
じわじわと染み出てくる重く暗い思考と感情に、体が蝕まれていく。
「おい、どうした?」
その時、背後から声がかかった。
いつもよりずっと重く感じる頭を何とか振り向かせると、サリュートアの視線は、釘付けになった。
――馬だ。
栗毛の、見事な体躯の馬。
「あの!」
思わずサリュートアは、そちらへと駆け寄っていた。緊張で胸が圧迫されるようで、息が苦しくなる。
「う、馬を、貸してください! ――僕に」
それを見て、馬に乗っていた男が訝しげな顔をした。後ろで縛った黒髪が揺れている。
「どうして馬が必要なんだ?」
「それは……」
当然といえば当然の問いを受け、サリュートアは言葉に詰まった。本当のことを言うべきかどうか逡巡する。
けれども、言うしかないと思った。理由を言わなければ、馬を貸してもらえないかもしれない。アストリアーデを助けるためだ。
「実は、妹がさらわれて……」
サリュートアが歯切れの悪い言葉を返すと、男の眉が勢いよく上がった。
「何故そんなに大事なことを最初から言わない!? 隠していても何とかなるとでも思ったか!」
男の厳しい言葉に、サリュートアは何も言い返せなかった。その通りだったからだ。
誰にも知られずに、自分だけで何とかすれば、また誰にも邪魔されることがなく、旅を再開することが出来ると思っていた。
「まあいい――乗れ」
男が、手を差し出す。
「え?」
「早く!」
男がもどかしそうにもう一度手を動かす。
その意味をようやく理解したサリュートアは、小さく頷いた。本当は馬を借りて、自分で探しに行きたかったが仕方がない。
「はい」
そして、男の掛け声と共に、馬は走り出した。
景色が、次々と後ろに流れていく。
家も、草も、木々も。
激しい振動が体を打つ。
サリュートアは落ちないように必死で馬の首にしがみつきながら、消えた馬車の姿を追った。
「轍の跡がある」
道が二手に分かれていた場所で、二人は馬を降り、地面を探った。そして、まだ新しい馬車の軌跡を見つける。
「この先は――」
男は、その先を見て呟いた。
「やられたな」
馬車の跡をたどり、向かった先は高台になっていた。
そして、そこにかかっていた吊り橋が、落ちていた。
サリュートアは滑るようにして馬から降りると、橋の近くに駆け寄った。かなり深い谷になっている。左右を見渡しても、代わりになりそうな道はない。
サリュートアは絶望に震えた。どうしたら良いのか分からなかった。
「妹を連れ去った奴のことを覚えてるか?」
男に声をかけられ、サリュートアは顔を上げる。今気がついたが、男は革の鎧を身に着けていた。
サリュートアは目を閉じ、記憶をたどる。
「……リアっていう女です。年齢は恐らく二十歳前後。赤い長い髪を後ろでひとつに束ねていて、左目の下には小さなほくろがある。右利きだと思う。それから多分……右足を怪我したことがある」
「ほう、大した観察力だな」
男は感心したように声を上げる。そして、さらに尋ねてきた。
「他には?」
「護衛が二人。名前は分からない。どちらも女。一人は多分三十歳くらい。短い黒髪で、化粧で隠してたけど、頬に刀傷があった。もう一人はもう少し年下だと思う。茶色い肩くらいまでの髪。多分左利き。話す時に、まばたきを多くする癖がある。黒髪の女の馬が鹿毛、茶髪の馬は栗毛。もう一台の馬車の方は確認できなかったから分からない」
「他に、覚えていることはあるか?」
「そんなこと言われたって」
男の度重なる言葉に、サリュートアは声を大きくする。
だが、すぐにまた考え込んだ。他に、何があるだろう。
眼鏡の奥にあって見えない瞳――。
「そうだ。乗客にナオって女がいた。偽名かもしれないけど」
「ナオ?」
サリュートアの言葉に、男は片方の眉を小さく上げる。
その反応に違和感を感じ、サリュートアは聞き返す。
「知ってるの?」
しかし、男はゆっくりと首を振り、またサリュートアを見た。
「いや。――お前、これからどうするつもりだ?」
サリュートアは真っ直ぐに男の目を見返すと、口を開く。
「あなたにお前呼ばわりされる筋合いはない」
すると男はニヤリと笑う。
「鼻っ柱が強いな。――じゃあ、名は?」
「……ギル」
少し迷ってから、サリュートアはそう答えた。男は片眉を上げてから、彼に問う。
「ギル。妹を助けたいか」
「はい」
そんなことは当たり前だ。
そう思いながらも、サリュートアはしっかりと頷く。
「ならば、俺と一緒に来い」
男はそう言うと、右手を差し出した。
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