暁の道標

暁の道標 1

 小さな扉の取っ手に、サリュートアは手を掛ける。扉は軋む音を立てながらも、すんなりと内側へ開いた。

 暗い空間に明かりを灯したランタンをかざすと、すぐに下へと続く階段があるのが見える。

 サリュートアは慎重に右足を前に出して、扉の向こう側へと差し入れ、それからゆっくりと体重を乗せた。

 特に変わった様子は感じられない。そのまま思い切って左足も持ち上げ、完全に体を中へと入れる。

 やはり、何も妙なことは起こらなかった。

 とりあえずはほっと息をつくが、どちらにしてもここを進む以外にはないだろう。その他の可能性を考えるのも、正直うんざりした。

 肩越しに振り返り、皆に向かって大きく頷いてから、前に視線を戻し、彼はしっかりとした足取りで階段を踏みしめて進む。

 後ろにはアストリアーデが続き、セシリア、殿をバートが守る形となった。何かあった時にはすぐ戻れるよう、扉は開けたままにしておく。

 暗く狭い階段を、ランタンの明かりを頼りにしながら、四人は慎重に下りた。

 時折振り向くと目に入る、開いた扉から漏れる光も、次第に遠ざかっていく。

 先立って動こうとするバートを制してサリュートアが扉に触れたのも、先頭を進むことを買って出たのも、他の二人よりも、自分たちのほうがこの場所に『近い』存在だと感じたということもあった。

 だが、何か特別な反応がある様子も今のところ感じられないし、そもそもそんなことがあるのなら、あの迷宮だってもっと簡単にクリアできたのではないかと思う。

 階段は、緩やかに右へとカーブしていた。

 そのため、しばらく進むと壁に遮られ、背後の扉の光が完全に見えなくなる。

 その時、微かな音が背後からした。


「――!?」


 バートは急いで階段を駆け上がる。三人もすぐに後を追った。

 音は段々と近く、大きくなり、きぃぃ、と尾を引くものへと変わっていく。


「くそっ!」


 伸ばしたバートの手は間に合わず、扉は硬い音を立てて完全に閉じた。

 勢い余った彼の体は、痛そうな音を立てながら扉にぶつかる。


「どうなってんだ!? 何にもねぇ!?」


 それからすぐにノブに手を掛けようとしたのだが、彼の指先は、そのまま宙を掻いただけだった。

 慌てて叩いても、手で探っても、繋ぎ目もなく、ドアがあった形跡すらない。

 今度は蹴飛ばそうとして体が後ろへ傾き、危うく階段を転げ落ちそうになるのを、両脇の壁に手を突っ張ることで何とか凌いだ。

 彼はほっと息をつき、そして大きく舌打ちをする。


「進むしかねぇってことか」


 そう言って体をくるりと皆のほうへと向け、バートは大げさに両手を挙げてみせた。他の皆も、大して落胆はしない。

 奇妙な出来事の連続に、皆あまり動じなくなってきていた。感覚が麻痺していたとも言えるだろう。

 四人は、また慎重に階段を下り始める。それぞれの足音がぱらぱらと、不規則に響いた。

 それは周囲へとこだまして数を増やし、雨垂れのようなリズムを奏でる。

 その音を聞いているうちに、サリュートアの意識は今いる現実から離れ、冷静に状況を眺める目となった。

 指先に触れる壁の色は良く見えなかったけれど、それが街を形作っていたアイボリーの壁ではないということはわかった。もっと冷たく、硬い感触だ。足下で音を立てる階段も同じだった。

 今までと材質が変わったということなのだろうか。だとしたら、どこで変化したのだろう。

 そんなことを思っていた時、今までとは違ったものが、目に飛び込んできた。


「光だ!」


 先に見える一点の光。自然と足の動きは速まる。

 階段を下りているはずなのに、時に上るような、細い綱の上を渡っているかのような、同じ場所でぐるぐると回っているかのような感覚を覚えながらも、皆、その光を目指して進んだ。

 そして、徐々に大きさを増していた光が突如、目の前を覆うほどに広がる。


 ◇


「ここは……?」


 光が収まり、今いる場所を確認したサリュートアの口から出たのは、そんな言葉だった。

 我ながら芸のない台詞だと、つい思ってしまうのは、バートの影響が大きいのかもしれない。

 後ろに視線を向けると、下りて来たはずの階段はなく、つるりとした白い壁の手前には、同じように周囲を見回している仲間たちの姿があった。

 飾り気のない部屋の天井はぼんやりと光り、広い室内を鮮明に照らしている。

 壁には、大きなガラス板のようなものが何枚も嵌め込まれていて、奥の方には扉らしきものも見えた。

 中央には円形の台座のようなものが置かれている。

 そこには、子供が腰掛けていた。


「あんたは……?」


 アストリアーデの口から、尋ねるというよりは驚きのような声が漏れる。

 六、七歳くらいだろうか。シンプルな白いワンピースを着た少女だった。

 黒髪で目が大きく、肌は日に焼けたように小麦色をしている。それがさらに、この場所に彼女がいる違和感を際立たせた。


「ヨルウェド地区特殊情報管理機関、通称ヨセミスフィアへようこそ。わたしは、そのコンソールよ」


 彼女は興味深そうに四人を見て、それから言った。


「コンソール?」


 耳慣れない言葉に聞き返すと、少女は淀みない口調で答えを返す。


「わたしと話すことで、必要なものをやり取りできるってこと」

「何なんだよ、ここ」


 バートが信じられないという表情で周囲を見ながら、そう口にした。

 『遺産』と呼ばれるものを利用してきた彼らではあるが、ここに漂う空気は、それとはかなり違う感じがした。

 そもそも、ここへと辿り着くまでの道筋が尋常ではない。


「様々な施設や端末を管理し、情報の伝達や集積、解析を行う場所。あなたたちが『リポーター』と呼んでいるものの情報もここへと送られ、『リーダー』へと伝えられるの」

「俺が誰だか知ってるみてぇな口ぶりだな」


 訝しげなバートの言葉に、少女は笑顔で頷いた。


「ええ、バート・レイトン任事官補佐。アレスタン第二地区遊動班所属の21歳。出身はファンサーレ地方メザ。酒場で女の子を――」

「ちょ、ちょっと待った! ストップ、そこまで、終わり!」


 少女の言葉を、真っ赤な顔で止めに入るバート。


「わかった、よくわかったから。――な、何でそんなことまで知ってんだよ?」

「あなたたちが話してたことがこっちに伝わって、記録されてるってだけよ」

「だから、どういうことだってばよ?」


 にこにことしながら説明する彼女に、バートは質問を繰り返した。

 ここには今まで一度も来たことがないのに、そんなことを言われても訳がわからない。


「そうね……なら」


 少女がさっと手を振る仕草をすると、奥の壁の上半分ほどに、突如四人の姿が映し出される。絵よりももっと鮮明で、実際に目の前に当人が居るかのような姿だった。

 その場所がどこなのかは、すぐにわかる。スウォルトの家から続いていた、あのトンネルだ。

 皆、歩いたり、時折立ち止まって周囲を眺めたりしている。

 自分たちの動いている様をこうして見るというのは、妙な気分だった。


「こんな風に、あなたたちがメザでアジトとして使ってる場所の情報も、ここに届くようになっているの」

「えっ、ま――マジかよ!?」


 バートの顔が、今度はさっと青ざめる。


「じゃ、じゃあ、全部筒抜けってことか!? 俺が――いや、俺らの情報が、敵に。犯罪者とかに」


 その反応が面白かったのか、少女はくすくすと笑った。


「その情報を引き出そうっていう人がいればね」

「まさか、『遺産』って呼ばれてる場所は、みんなそうやって見張られてんのか!?」


 声が段々と上ずって行くバート。

 だが、少女は首を横に振る。


「ううん、そういう仕組みになっている場所だけよ」


 徐々に稼動数も減ってきているしね、と彼女は付け加えた。


「……父も」


 壁に映ったトンネルの様子に目を奪われていたセシリアが、震える声で言う。


「ここを通ってるはずなんです。――何度も。それも見られますか?」

「日時は?」


 問い返され、彼女は小さく首を振る。


「正確なことはわかりません。恐らく……数年前には」

「数年前なら、ほとんど人も通ってないから……」


 そう言って目を閉じた少女が再びまぶたを開くと、壁に映るものが、ぱっと切り替わった。

 景色は同じ。だが、そこで動いている人物は一人だけだ。

 初老の男で、撫で付けた黒い髪には、多くの白いものが混じっている。上等なジャケットに不釣合いな、色あせた円筒形のバッグを背負っていた。

 彼は上機嫌で少し歩いては立ち止まり、目を輝かせて周囲を観察している。


「お父さん……」


 セシリアは目を潤ませながら、ふらふらとそちらへ近づいた。

 バートは彼女の腕を取り、引き止める。何があるかわからないからだ。

 彼女はそれを振り払おうとはせずに、足を止めたまま、首を伸ばすようにして目を凝らした。本当に父がいるわけではないということは、わかっている。

 壁に映る父は、彼女の思い出の中にある姿、そのままだった。

 珍しいものがあると子供のように目をきらきらとさせて、興奮した様子でずっとそれを眺め、嬉しそうに語る。

 大好きな父はもういないのだと、改めてその事実を突きつけられたような気がした。


「……父は、殺されたんでしょうか」

「さぁ。そういった情報は、こちらには届いていないわ」


 彼女の呟きのような問いに、少女は淡々と答える。

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