決意
決意 1
稜線を越える朝日は眩しく、長い夜の終わりを告げる。
無言屋敷と呼ばれた屋敷の周囲には人だかりが出来ていて、任事官たちもその対応に追われていた。近くの町から応援も駆けつけてはいたが、まだ人手は足りない状態だ。
サリュートアとアストリアーデは喧騒から離れ、近くの宿で休んでいた。彼らへの対応は、オーファたちが一手に引き受け、ただでさえ忙しいところを走り回ってくれている。
屋敷の中庭からは、沢山の遺体が発見されたらしい。
オーファたちがそう言ったわけではない。町の人たちが噂するのが、嫌でも聞こえてきたのだ。それ以上のことはサリュートアは知らないし、聞くつもりもなかった。
彼自身、正式なものではないとはいえ、今回の事件の捜査に当たった任事官と行動を共にし、屋敷に囚われていた少女の兄という、歴とした関係者である。その責任があるとは思ったが、妹を一人にしておくことも出来なかった。
アストリアーデは赤子のように体を丸め、ベッドへと横たわっている。名前を呼んでも、壁を見たままで反応がない。
サリュートアは暗く沈みそうになる自らの思いを叱りつけながら、妹の上に毛布をかけてやった。
その時、ドアをノックする音がして、彼は身を硬くする。
「俺だ」
向こうから聞こえてきたのは、オーファの声だった。ほっと息を吐くと、すぐにドアを開ける。少し硬い表情の彼と一緒に、後ろにいたバートも中へと入って来た。
「調子はどうだ?」
バートがドアを閉めるのを待ってから、オーファが尋ねる。サリュートアは「うん」と曖昧な返事をした。オーファも「そうか」とだけ言うと、話題を変える。
「これから、どうするんだ?」
サリュートアは背後を見て、すぐに視線を戻した。
妹の姿はとても痛ましく、そちらを見続けてはいられない。
「……二人で、家に帰るよ」
「そうか」
オーファは再びそう言い、それならば安全に帰れるよう手配しようと言ってくれた。
これ以上世話になるのは心苦しいが、やはりあれだけの目に遭った後で正直不安は拭えなかったし、アストリアーデの今の状態を考えると、とても有り難い申し出だった。
「また、遊びに来いよ!」
そう明るく言うバートの表情も、普段の彼からすればずっと神妙だ。
サリュートアは頷き、言葉を返す。
「うん。……でも、どこに遊びに行けば」
あのアジトに気軽に遊びに行って良いはずもないだろう。
問われ、バートは気まずそうに頬を掻いた。
「あー……それは追って知らせる」
「何だよそれ」
「うっせーよバカ! 感動のシーンが台無しだろ!」
彼の物言いはあんまりだと思いながらも、嫌ではなかった。むしろ、水面でようやく呼吸出来たような気分だった。
アストリアーデとの再会を喜べるはずだったのに、何故、こんなことになってしまったのだろう。
自分を幾度も救ってくれた笑顔は、もうここには無い。
「……ヨセミスフィア」
「え?」
突然発せられた言葉に、振り返る。
アストリアーデがベッドから身を起こし、こちらを見ていた。彼女はゆらり、と体を揺らすと、転げ落ちるようにしてそこから降り、こちらへと向かってきた。
「――あたし、旅を続けたい!」
そうしてサリュートアに強くしがみつく彼女の目は、少し恐ろしさを感じさせるほど、真剣だった。
「だって……もう無理だよ。帰ろう。父さんも、母さんも、ジェイムだって心配してるよ」
サリュートアは妹の肩を優しく掴み、出来るだけ柔らかな口調になるように意識しながら告げた。それでも、声は震えてしまう。
彼女をこんな風にしてしまったのは自分のせいだと思うと、悔やんでも悔やみきれない。
「お願い、サリュートア! お願い……」
顔を両手で覆い、その場に崩れ落ちるように座り込んで泣く妹を、サリュートアはただ、抱きしめることしか出来なかった。
「サリュートア」
その空気を打ち破ったのは、オーファの落ち着いた声だった。
「旅を続けろ」
意外な言葉に、驚きの目を向けたサリュートアへ、彼は続けて言う。
「そして、終わらせるんだ。妹の為にも」
「だけど……」
オーファの言いたい事は理解できた。アストリアーデは、あの屋敷で行われたことの真相が知りたいのだろう。
でも、それを知って、彼女は救われるのだろうか。これ以上傷つけることになったらと思うと、それだけで恐ろしかった。
「そうっすよ! 何があるかわかんないですし!」
バートもオーファに訴えかける。今度はその彼に視線が向けられた。
「バート」
「な、何すか」
急に名を呼ばれ、彼は少し怯んだような顔をする。
「お前、一緒に行ってやれ」
「へっ?」
「何だ、不服か?」
バートは動きを少し止めた。
そしてようやく事態が飲み込めると、大げさな動きと共に、再び声を発する。
「いやいやいやいや全く! 喜んで! オーファさんサイコー! 男前!」
すぐに調子の良いことを言い出す彼を呆れたように見てから、オーファは一つ咳払いをした。
「サリュートアはどうだ?」
問われ、サリュートアは二人を見る。
出会った頃であれば、絶対に嫌だっただろう。
でも今は、バートが一緒に来てくれるなら、やり遂げられるような気がした。
「心強いです」
「アストリアーデは?」
頭上からかかった声に、彼女は強張った顔を上げる。
けれども向けられた目は、優しかった。
彼女は、小さく頷く。
「決まりだな」
そう言って頷いてから、オーファは懐から出した地図を広げた。
「だが、すぐにという訳にはいかない。だから、お前たちはこの先の町へ行って宿を取れ」
現在居るイシュケナに置いた指を、北へと少し動かす。そこには『サイアネス』と書かれていた。
「エンデルファの中でも比較的大きな街だ。宿も多い。滞在するには良いだろう。出来るだけ早く向かわせるが、バートにもやって貰わねばならない事が色々ある」
「そんなこと……本当にありがとうございます」
サリュートアは頭を深く下げた。沢山の迷惑をかけたというのに、まだ面倒をかけようとしている。
しかし、まずはアストリアーデのためにも、ここを離れることは良いと思った。
「それから」
オーファは少し照れ臭そうに視線を逸らしてから、腰に着けた鞄を手で探り、何かを取り出す。
「お前の荷物に、これが入っていた」
それは、小ぶりの白い封筒だった。
「これが、荷物の中に?」
あの屋敷へと向かった晩、大きな荷物は邪魔になるから、特に大事なもの以外は持っていなかった。その後サリュートアは川へと落ちたため、置いてきたバッグはそのままになっていたのだ。
しかし、その中は何度も見たが、こんなものを目にした覚えがない。
「ああ、見えないように縫い付けられていた」
差し出されたそれを受け取り、中身を出して開いてみる。
薄い紙に書かれていたのは、短い文章だった。
*
まだ見ぬ協力者の皆さまへ
彼らは困難に遭い、旅を諦めようとするかもしれません。
けれども、もしその先に進むことを望んだならば、どうか背中を押してあげてください。
二人の母より
*
「これは……」
間違いなく、母の字だ。綺麗ではあるがやや癖のある書体に、懐かしさがこみ上げる。
彼女は、二人がいつか旅立つことを察知して、バッグの中にこれを忍ばせたのだ。
趣味で変装をしたりしているし、分からないように仕掛けを作るくらい、お手の物なのだろう。
「これ、マジなのか?」
隣からそれを覗き込んだバートが、そう口にする。
「ああ、母さんの字だから」
「お前の母ちゃん、何モンだよ!?」
彼のその反応が面白くて、思わず口元が綻ぶ。
何とも答えにくいが、いつも返している言葉がある。
「……変人かな」
驚きもしたが、母がずっと自分たちを傍らで見守ってくれていたようで、嬉しくもあった。
「俺が連絡をしておこうか?」
オーファの声が優しく耳に触れた。彼の度重なる心遣いが、胸に沁みる。
「いや、少し落ち着いたら、自分で手紙を書こうと思う」
もう、今さら隠す必要も感じられなかった。
家をこっそり離れてからずいぶんと経ち、様々なことがあった。そのくらいはしても良いだろう。
振り返ると、アストリアーデは再び毛布へと包まり、体を縮こまらせている。
でも、先ほどよりもずっと、この部屋には希望が漂っていた。
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