交差
交差 1
「食べないの?」
アストリアーデの呼びかけに、ウィリスははっと顔を上げる。
まだ気まずく感じるところもあったのだが、重い空気が漂う中朝食を食べるのも嫌だったので、声をかける決心をした。
彼女は昨日は席につくかつかないかのうちに朝食に手をつけていたのに、今日はただぼんやりと料理から立ち昇る湯気を眺めている。
「……うん、食べるよ」
だが、彼女はそう言っただけで手は動かさない。
「アストリアーデちゃんは食べないの?」
顔を上げ、そう言うウィリスに、アストリアーデは溜息をつく。
「一緒のテーブルについてるのに、あたしだけ先に食べづらいじゃん」
「そうなの? どうして?」
ウィリスは驚いたように目を丸くする。アストリアーデが予想していた通りの反応だった。
そういう習慣がなかったということは想像できた。きっとほとんどの食事は、一人で食べていたのだろうから。
ずっと自分は周囲の大人から「食事は皆でするものだ」と言われてきて、それに疑問も持たず、そういうものだと思っていた。
でももしウィリスと同じような環境で育ったなら、自分にとってそれは『当たり前』のことだったのだろうか。
一旦そう思ってしまうと、「そんなの当たり前じゃん」とは口に出しづらかった。今までだってそういう機会はあったはずなのに、立ち止まって考えようともしなかった。
昨日のことがあったからこそ、初めて考えたのだ。
気がつけば、黙りこんでしまった彼女をウィリスが不安そうな表情で見つめている。アストリアーデは慌てて明るい声を出した。
「とにかく食べない? せっかくマーサが作ってくれたんだし、冷めたら美味しくなくなるよ?」
「うん」
やはりその顔には笑みが戻らない。結局は気まずい雰囲気のままだ。
そのまましばらく、食事をする音だけが響いた。
「……アストリアーデちゃんのお父さまって、どういう人?」
唐突に聞かれ、アストリアーデは一瞬返事が出来なかった。
だが、せっかくウィリスが話題を振って来たのだから、何とか返そうと考える。
「どう、って……ちょっと変わってるかなぁ」
「変わってるって?」
さらに聞かれると、また言葉に詰まってしまう。それは漠然とした印象でもあって、細かく説明しようとすると、結構難しいものだ。記憶に残った父の姿が、次々と現れては消えた。
「うーん……それなりのお偉いさんで、皆に頼りにはされてるみたいだけど、どこか抜けてるし、よくボーっとしてるし」
何とか言葉を搾り出したものの、少し自分の感じていることとは違うような気もする。
しかし、それを聞いて少し考えていたウィリスは納得したようで、次の質問に移った。
「じゃあ、お母さまは?」
そう来るのは自然だろう。母のことを聞くのに、ウィリスは抵抗がないようだった。ただ疑問に思うことを聞いているという印象だ。
だからアストリアーデも、気にせずに素直に答えることにした。
「もっと変わってる。頭はいいけど趣味が変装と演技で、部屋もすぐぐちゃぐちゃにするし、突然良くわからないこと言い出すし」
母の悪戯っ子のような笑みが思い出される。そういえば、父の代からだという『ポーちゃん』の謎もまだ解き明かされてはいない。
今度の『変わっている』の方が上手く説明できたような気がした。
「他には? マーサみたいな人もいた?」
そんなことを思っている間にも、ウィリスの質問は続く。アストリアーデの脳裏に、今度は皺だらけの優しい笑顔が浮かぶ。
「ジェイムっていう人がいたよ。お祖父ちゃんじゃないけど、あたしたちにとってはそんな感じの人だった。時々口うるさいし、頭も固いけど、でも優しい」
「あたしたちって?」
つい口から出た言葉を、ウィリスはしっかりと拾い上げた。
二人は何をするにもいつも一緒だったから、ついそういう言い方をしてしまう。
どう答えて良いものか少し迷ったが、隠しても仕方がないから話すことにした。
「双子の兄弟がいるの。サリュートアっていう。今は……はぐれちゃった」
最後だけ、口ごもるようにして言った。
いつもの澄ました顔や、笑顔や、怒った顔や、言われた言葉、一緒に体験した出来事……沢山のことが一気に頭に流れ込んでくる。そして、喜びも、後悔も。
ウィリスの質問はぱたりと止み、それから彼女も何かを考え始めたようだった。時に視線を彷徨わせ、唇を動かし、溜息をつき、指を擦り合わせる。
「……わたし、おかしいんだと思うの」
次に彼女が口にしたのは、そんな言葉だった。
「だから、それは悪かったって」
アストリアーデは責められたような気持ちになり、少し苛立ち紛れに返す。けれども、ウィリスはゆっくりと首を振った。
「ううん、でも、知らないことがいっぱいあるわ。わたしももっといろいろなことを知りたい。知って、おかしくなくなって」
そして、ウィリスはアストリアーデに真っ直ぐ目を向けた。
「アストリアーデちゃんと、もっと仲良くなりたい」
◇ ◇ ◇
またドアが開く音を聞き、サリュートアは今度も寝たふりをする。以前と同じ足音が、ベッドへと近づいてくる。
「調子はどう? 体は痛くない?」
そしてあまり抑揚のない、静かな声が尋ねて来た。サリュートアの心臓は跳ね上がり、息が詰まる。
ばれないように注意を払っていたつもりだったが、どうやら無駄だったらしい。
そう思ったサリュートアは、少し逡巡した後、腹を決めた。
「……そんなに悪くないよ」
強がりではあったが、そのくらいはいいだろう。
久々に出した声は涸れ、裏返って不明瞭になる。喉の奥がざらざらとした。
「そう、それは良かった。……やっぱり起きてたんだ」
少女の言葉にまたどきりとし、今度は体が思わず動く。少し痛みが走ったが、それは我慢した。鎌をかけられたという事実にじわじわと体が熱くなり、文句の一つも言ってやりたかったが、声も上手く出せないし、そうする気力もなかった。
代わりに、そのまま体を起こそうとしてみる。
「ぐっ……」
先程よりも大きな痛みが走り、くぐもった声が上がったが、動けないということはなかった。少女は急いでこちらへと近寄り、サリュートアの背中を支える。彼女は枕を背中とベッドの隙間に差し入れ、体を起こしやすいようにしてくれた。
「お腹すいてない? きみ、ずっと寝てたから」
そう言われると急激に腹が減ってくるようで、内側からの軋みに、サリュートアは頷く。少女の黒い瞳と目が合い、慌てて視線を逸らした。
だが彼女は、そんなことは気にも留めずに、さっさと部屋を出て行く。
サリュートアはその後姿をぼんやりと見送り、そして改めて自分の格好を見た。
見たことのない男物の服を着ていた。サイズは少し大きい。露出した肌には包帯が巻かれている。
あの少女に着替えさせられたのだろうか。
そう思うと、恥ずかしさで顔が火照った。
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