分岐
分岐 1
「ちょっと! 長距離馬車が出ないってどういうこと!?」
「そ、そのままの意味だよ……しばらくは出ない」
ラウストスの町役場の職員は、窓口越しのアストリアーデの剣幕に圧され、少し顔を引きつらせながら言う。
「だからどーして出ないのよ!?」
「山賊が出るんだってさ」
見かねたサリュートアが、後ろから肩を軽く叩き、静かに言った。アストリアーデの声はよく響き、周囲の人々の視線が、痛いほどに集まってきている。
「山賊くらい、退治したら――あ、ちょっ、サリュートア離して!」
堪えかねたサリュートアが腕を強く引っ張ると、アストリアーデはあからさまに嫌な顔をしたが、放っておいたら何を言い出すか分からない。そのまま、町役場を出、往来を抜け、人気のない場所まで引っ張っていく。
「君はバカなの? 駄々こねたって仕方ないものは仕方ないじゃないか」
「だって、せっかくこんなところまで来たんだよ! 今さら帰りたくなんかないじゃん!」
「もちろん、帰る気はないよ。――何か方法を考える」
サリュートアの言葉に、アストリアーデの顔が輝いた。腕を組み、左方を見るサリュートアの顔を、期待をこめて見る。
「長距離馬車が使えないなら、他の馬車を探すしかない。誰かのものを借りるのは無理だし、流石に盗むことは出来ないから、やっぱり食品とか生活品の……」
「また荷台に乗るの? あたしはもう嫌!」
サリュートアの呟きを聞き、アストリアーデは悲鳴のような声を上げた。
「仕方ないだろ! 他に方法があるの? 君は自分で考えもせずに、文句を言うだけじゃないか!」
サリュートアにそう言われ、アストリアーデは黙り込む。彼の言っていることが正論だというのは分かっている。いつだって彼は正しくて、言い合いをして、勝ったためしがない。
目の中に、涙がじわりと広がる。また馬鹿にされたくないから、急いで横を向き、隠した。
自分の格好を見る。荷台に乗ったから、お気に入りの服が汚れてしまった。それだけでも、とても辛いことなのに。
この気持ちは、服など機能的であれば良いと思っているサリュートアには分からない。
今彼が着ている服だって、アストリアーデが見立てた服だ。服に金などかけたくないというから、安い服や古着を一生懸命探し回って、流行に左右されず、けれども洗練されたファッションに仕上げた。それも、荷台についていた土や肥料などで汚れてしまっている。
学校でも、サリュートアのことをお洒落だといって褒める女子の声を何度も聞いていた。彼がもてるのは、アストリアーデの努力だって大きく力を貸している。
けれども、彼はそんなことに気づきはしない。
こんなことなら、自分だけの荷物を持ってくるべきだった。
「こんなことなら、連れてくるんじゃなかった」
溜め息交じりに、サリュートアが言葉を吐き出す。
それは、とても冷たく、アストリアーデの胸を抉った。
「サリュートアのバカ! 死んじゃえ!」
気がついたらそう言い放ち、アストリアーデは走り出していた。
「なっ――ちょっと、アストリアーデ! 待てよ!」
後ろで、サリュートアの慌てた声が聞こえるが、それは無視して走る。
一方のサリュートアは、遠ざかっていくアストリアーデの背中を見ながら、しばし呆然としていた。止めた方が良いのは分かっていたが、どうしても追いかける気にはなれない。
「何だよ、あの態度。――勝手にしろ!」
そう吐き捨てると、彼は踵を返し、アストリアーデの向かった方とは逆へと歩き出した。
日は中天を過ぎ、もう傾き始めている。
アストリアーデは、町中の小さな酒場の窓際でひとり、ジュースを飲んでいた。果実の色をした液体を、ちびちびとすすってはため息をつく。まだ時間が早いので、店内にはまばらにしか客がいない。
サリュートアが探しに来る気配はまだない。つい頭に血が上ってあんなことを言い、ひとりでここまで来てしまったが、こんなところで旅を終わりにはしたくない。かといって、すごすごと戻って、自分から謝るのは悔しかった。
何か、きっかけとなるものはないか。
アストリアーデはジュースをまた一口飲むと、あごに手を当てて考える。
「お嬢さん、おひとり?」
唐突に声をかけられ、アストリアーデは弾かれるように振り返った。そこには、背の高い女が立っていた。赤く長い髪を後ろで縛り、男物のような色気のない服を着ている。
「さっき、馬車乗り場で騒いでたでしょ?」
そう言って笑う女に、アストリアーデは顔を赤くする。気にしているつもりはないが、改めて言われると恥ずかしい。
「別にからかいに来たわけじゃないのよ。いい話があるの」
「いい話?」
女は静かに頷き、少し周囲を見回した後、アストリアーデの向かいの席を手で示した。
「ちょっとここ、いいかしら?」
「あ、うん」
アストリアーデが頷くと、女は静かに席に着く。
「あたしはリア。宜しく」
「あたしは、アストリアーデ」
リアは、笑顔で手を差し出すが、アストリアーデは、あまりその手を取る気にはなれなかった。何が目的なのか、よく分からない。まさか、金目当てということもないだろうが、思わずバッグを手元に引き寄せていた。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
そう言ってリアはくすくすと笑ってから、やって来た店員に、アイスティーを注文した。
「まあいいわ。それで、話なんだけど……あたしたちの馬車に乗らない?」
「リア……さんの馬車に?」
アストリアーデは、訳が分からず目を瞬かせる。
「リアでいいよ。……つまり、こういうこと。長距離馬車が出ない。その代わり、あたしたちがファンサーレ方面への馬車を出す。もちろん、お代はいただくわ。でも、格安」
「格安!?」
アストリアーデは、つい声を高くしてしまい、リアに「しっ」と言われてしまう。
この町の長距離馬車は高いと、サリュートアがこぼしていたのだ。ファンサーレ方面への馬車は、ここからしか出ていない。競争相手がいないから、多少高くても、移動手段がない者は皆、結局は乗る。
「だけど、山賊が出るんじゃないの?」
盛り上がっていた気持ちが、すぐに崩れていく。そのことがあるから、危なくて馬車が出なかったのではないだろうか。
「だーいじょうぶ。護衛付きよ。長距離馬車の場合、そういうのはないからね」
「そうなんだ……」
アストリアーデの胸に、希望がじわりとにじみ、広がっていく。リアの馬車に乗れば、荷台でひっそり身を潜めることも、体を痛めることも、服を汚すこともない。しかも、旅費が浮く。サリュートアも、きっと喜ぶに違いない。
「……あの、連れがいるんだけど、一緒に乗せてもらえるかな?」
はやる気持ちを抑えながら、リアを見ると、彼女は形の良い眉を、ぴくりと動かす。
「連れって、一緒にいた男の子?」
「うん。……ダメ?」
「ふーん……」
リアはしばし考えるように視線を横に向けた。アストリアーデは、祈るような気持ちで、大きく呼吸をする。
やがて、リアは笑顔で頷いた。
「いいよ。連れておいで」
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