第3話
陽が山に呑み込まれ、空が黄昏色に染まっているなか、二人の男女──天喰海斗と愛蜜聖良は目的の場所である彼の昔馴染みである人物が住まうアパートに向かっていた。
この辺りは妙に人通りが少ない上に、現在調査している事件の被害者が発見された場所の近くだと言うこともあって酷く不気味だ。
──もしかしたら犯人が角を曲がったらいるのではないか。
元からフィクションであるホラーですら苦手な部類に入る彼女の脳裏に、そんなあり得ないと断言できない考えが過り小さく身体を震わせた。
「……寒いか?」
「ううん、そうじゃないの。ただ……ちょっと怖くて」
それを聞いて彼はあぁ……と小さく漏らした。そして彼女に心配させないように言い切る。
「これでもウチの中じゃ一番の武闘派で通ってる俺が護衛してるんだ。相手が異世界からやって来た化け物でもない限り、俺が撃退してやるよ」
「うん。……凄いね、天喰くんは。強い《語彙能力》持ってるもんね。確か──《暴食》だっけ」
彼の持つ能力は《暴食》
手や口からこの世界に存在しているすべての物質を喰らい、自身の身体能力や身体機能を無限に増強することが出来る《語彙能力》だ。その能力故に餓死という言葉は最も縁遠い物となっている。
文字通り何でも喰らえるためにありとあらゆる防御を真正面から打倒し、蹂躙する最強の矛としていくつもの『異能犯罪』を解決してきた。
「紡ちゃんの《束縛》とは方向性は違うけど、私達の切り札だもんね。化野くんの能力だってすっごい万能だし……私なんかとは全然違うなぁ」
「適材適所だと思うけどな。お前が得意なことは俺はさっぱりできない上に意味もわからんからな。俺はそんなことが出来るなんて素直にすげぇと思うけど」
彼女の能力である《慈愛》は相手に負の感情を一切抱いていない場合にのみ発動する治癒系の《語彙能力》であるが、その特徴は──心の傷すら癒すことが出来るということである。
事実、彼女と対話をした人々には心的外傷ストレス障害がなくなる、もしくはそこまでいかなくとも彼女と対話をする前と比べ遥かに軽減されたという報告が『異能犯罪対策科』にも挙がってきている程で、現在は自殺を何度も試みて死にきれなかった子供達のカウンセラーを行っているそうだ。
「事件解決したらはいおしまいってわけじゃない。むしろそっちの方が遥かに長いが、俺達は事件解決したら何もできないからな。その分ではお前の方が役に立っているよ」
「……でも、やっぱり歯痒いよ」
聖良の能力は非戦闘員と判断されるに相応しいもので、武術などの経験は一切なしで《語彙能力》は後方支援向きのものだ。そんな彼女が生粋の
あくまでも適材適所、そんなことはわかっている。しかし自分だけ事件が終わったあとに仕事があるからとあとに控え、友人に自分の分まで危険を背負わせてしまうことが我慢ならないのだ。
(相変わらず自己評価低いな……)
海斗は内心で頭を激しく掻いた。
彼はもちろん進も紡も悠美も彼女のような人の心理に精通した人物が新たに『学生捜査員』となり、仲間となってくれた事によって自分達がどれだけ助かったかは伝えている。今まで人の心理に精通している人物が自分達の支部にはいなかったために、事件解決後の遺族のアフターケアができていないような状況だった。
しかし彼女が加入してくれたお陰でアフターケアはもちろんの事、事件途中で遺族のカウンセリングを行うことで証言を得たりするなど彼女の活躍によって事件が大幅に進展したこともあった。のだが……そんなことがあっても彼女はこんな様子だ。
もっと自信を持ってくれても良いと個人的には思うが、これは時間が解決してくれるのを待つしかあるまい。
「──っと、着いたぞ」
海斗が足を止めたのは、なかなかに年期を感じるアパートだ。二階に上がる階段には錆が目立ち、元は白かったであろう壁は黄ばんでしまっている。このアパートには住民が一人もいませんと言われてしまえば納得してしまうであろう生活環境の悪さだ。
「なんというか……その……」
「あぁ……ボロいな。ったく、もうちょっと良いところがあっただろうに」
呟き、彼は崩れてしまいそうな階段をかんかん、と小気味良い音を立てながら登っていく。彼女はその後ろを一歩一歩ゆっくりと着いていくが、足を進めるごとに階段が軋み小さく悲鳴が漏れた。
「大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫……」
階段を登りきったところで彼は目的の部屋の前まで行くとこれまた古いインターフォンを押した。
『ほいほーい』
そんな陽気な少女の声がインターフォンから聞こえてきた。それに聖良が彼を軽く見上げて言う。
「女の子なんだ?」
「あぁ。言ってなかったか?」
「うん。てっきり男の子かと思ってた。天喰くん、私と紡ちゃん以外の女の子と喋ってるイメージなかったし」
「……俺にだって女友達くらいいるぞ」
そんな会話を繰り広げている間に、若干錆び付いているのか重そうな扉が開かれる。そのドアの奥にいたのは身長が百五十センチに届いているのか疑わしい、酷く小柄な少女だ。
「よぉ、久しぶり。花音」
「…………」
「お、おい。どうした?」
「……海斗くんが、海斗くんが──女連れてきたぁぁぁぁ!?」
「誤解を招くような言い方はやめろッ!!」
「いやー失敬失敬。中学校の頃、微塵も女っ気のなかった海斗くんが女の子連れてきたから驚いちゃって。……本当に付き合ってないの?」
「だから付き合ってねぇ、ただの仕事仲間で友達だよ。つかその辺にしとけ、愛蜜の顔真っ赤だから」
「うぅ……」
開口一番に爆弾を放り込んだことで、聖良は耳まで真っ赤になってしまっていた。もし事情を知らない誰かが通りすぎていたら『浮気相手を堂々と彼女に紹介するクズ男』という風に映るだろうし、彼とてそこそこに本気の拳骨を少女に叩き込んだ。
そんな特大の爆弾を叩き込んだ爆弾魔──
「そ、それで篠原さん──」
「花音でいいよー」
「──花音さん、痛くないんですか? それ」
「んー、大丈夫大丈夫。むしろ若干懐かしいくらい。昔はこうやってよく説教されたなぁ」
「お前らが麦茶の容器の中身を全部めんつゆに入れ替えたりするからだろうが」
「地味だけど悪質だ!?」
塩分の取りすぎによって骨粗鬆症にもなったりするため、そのいたずらはわりと洒落にならないタイプのものだ。
「よし、なんとか落ち着いてくれたみたいだね」
「お前が開幕にとんでもないものぶちこんだからだけどな」
「だからごめんってば。それで……本題はなんだっけ?」
「来る前にも言っただろ。燐火高校の生徒が三人殺された件についてだ。そいつらの人間関係とかが聞きたいんだが……知ってるか?」
彼の質問に花音は「あんまり詳しいことは知らないけど」と前置きして話し出す。
「あの三人で──というかあの三人のクラスで有名なのは……いじめ、かなぁ」
「いじめ?」
その言葉に聖良が反応する。
「うん。私は首突っ込んでないうえに違う学年だから接点もなかったけど、結構有名だったっぽい。トイレの洗面台に水を貯めてそこに顔を沈めたり、カツアゲとかしたりしてたらしいよ。でも噂だし、信憑性があるかって言われると微妙かなぁ。ほら、噂って結構尾ひれが付いたりするでしょ?」
「まぁなぁ……」
いじめグループに敵対するようなグループが印象操作のために自身があった被害を誇張している可能性は充分にある。といってもいじめを行っている行為事態が到底許されるものではないが。
「……なんか、意外だったよ。聖良ちゃんはこういういじめがあるって知っていて放置するような真似は嫌いな人かと思った」
「うん……まぁ、あんまり気持ちの良いことではないけど。それでもそれをすることで今度はいじめの対象が自分になるかもしれないって心配もわからないでもないしね。……それにそんなことを他の人にしてって頼むくらいなら自分がするかな」
他人を批判するだけして自分は全く動きもしないという輩は非常に多い。そんなことをしたって事態は何も好転しないのだから、それくらいなら自分が動くと彼女は言う。
「それで花音。そのいじめられてた人が《言霊使い》だってことはあるか?」
「あっ、それはわかるよ。いじめられていた人──
「いや、それだけでも充分助かった。サンキュー、今日は飯奢るわ」
「やった! ありがと、海斗くん!」
「じゃあちょっと待っててくれ。ちょっと上司に電話してくる」
そう言って彼は家賃の安さに比例するような小さな部屋を出ていく。ここで電話してもいいんじゃないかと思ったが、流石にただの一般人である自分には聞かせられない内容もあるのだろう。
「……すごく仲が良いんだね」
「まぁね~。これでも幼馴染み? みたいなもんだから」
「幼稚園が同じだったとかなの?」
「ううん、児童養護施設」
「……え?」
児童養護施設。思わぬ言葉が出てきたことで、聖良の動きが止まった。
「私の場合は母親が学生出産したけど、父親に認めてもらえなかったから育てることができなかったんだって。だから施設前に捨てられてたらしいよ。一回会ってもみたけど言い訳たらたら言ってきてムカついたから顔殴って、改めて絶縁状叩きつけたわ」
何でもないことのように笑いながら言う花音に聖良は信じられないものを見るような目で彼女を見る。どうして実の親にそんなことが出来るのか、理解できないのだろう。
「それで海斗は──」
「俺が《言霊使い》として生まれたせいで親が虐待されてた。で、それが行政にバレたところで無理心中図ってきたところを俺だけそのまま生き延びて施設に預けられたんだよ。《言霊使い》なら別に珍しいことでもないだろ?」
花音の言葉を引き継ぎ、電話から帰ってきていた海斗が続ける。
片や学生出産の被害者。
片や虐待されたあげくに無理心中に巻き込まれる。
彼の言う通り、《言霊使い》であればほとんどの者が味わうような悲惨な過去だ。故に彼女は自覚する。
自分は《言霊使い》であっても、しっかりと自分を育ててくれた。それがどれだ幸福なことなのか。そして普通の人間ならば当たり前のそれが《語彙能力》を持って生まれてきてしまったばかりに、味わうことができなくなってしまうのだという現実に改めて気付かされた。
「そんでどこ行きたい?」
「じゃあ私の行きたいお店でいい? 結構安めで近々行こうと思ってたんだけど、こんなことがあると一人でいけなくてさ」
「あぁ。愛蜜もそれで構わないか?」
「ん? うん、大丈夫。任せるよ」
「それじゃ、レッツゴー!」
呑気に二人は歩き出した。残された一人がどんな事を考えているかなど知るよしもなく。
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