第2話

「……と、いうわけだ」

「いや先生。何がというわけだ、なんですか。ちゃんと事情を説明してくださいよ。俺達の中に心が読める奴はいないんですから」

 死体が発見された翌日。

 悠美によって部室呼び出された三人の生徒の内の一人──天喰海斗《あまばみかいと》は大きく溜め息を吐いた。

 男子にしては長めな肩にかかる程に伸ばされた黒髪。それが首に刻まれた大きな斬痕を覆い隠すためのものだということは、ここにいる全員がわかっていることだ。細身ながらも鍛えられた体は間違いなく日頃の努力の成果によるものだ。こうして話している間にもぎちぎち、というハンドグリップを握る時の独特の音を響かせている。

「そうそう、こんな悪趣味な部屋には居たくないですし。さっさと説明してくださいよ、先生」

「紡ちゃん、流石に悪趣味は言いすぎだよ……」

「聖良先輩は思わないですか!? 滅茶苦茶暗くて頭蓋骨のレプリカが点在するこの部屋を!!」

 聖良と呼ばれた少女──愛蜜聖良あいみつせいら黒束紡くろつかつむぎを咎めるものの、その表情は若干引き吊っているように思える。その顔が紡の言っていることを少なからず肯定している。

 それはそうだろう。現在彼らがいる場所は進学校の中の進学校と言われる凰華高校に存在する部活の中でも、ゲテモノの中のゲテモノと呼ばれるオカルト研究会の部室だからだ。

 部屋全体が遮光率百パーセントの黒のカーテンで覆われているせいで、まだ高い位置にある太陽の輝きはすべて阻まれている。光源と言っていいものは、この部室の中に点在している骸骨を模したケースに覆われたランタンじみた物のみ。それも口の隙間や目から光が溢れているものだからひどく不気味である。

 その他にも怪しげな水晶玉やら中世ヨーロッパにでもありそうな三叉に別れた燭台やら、それはもはやオカルトに関係あるのだろうかと思わせる産物が大量に転がっていることもあって、この学校の生徒が近寄りたがらないのも当然と言えた。

「それに先生だって説明したくても化野くんが来てないでしょ? だからもうちょっと我慢しよ。ね?」

「うぅ……聖良せんぱーい!!」

「わぷっ」

 紡が軽く勢いをつけて聖良の胸に飛び込んだ。それを軽々──とはいかないまでも、これまで何度か繰り返してきたため慣れた手つきで彼女は紡を受け止める。

 男女問わずクラス──いや、学校の中でもトップクラスの人気を誇る聖良と、周囲に女子がいればすぐに埋没しそうな容姿を持ち、ろくに友達もいない──本人談だ──紡がここまで仲が良いというのはなかなかに意外だろう。海斗は「時々一緒に遊びにいったりもするんですよー」とない胸を張って自慢してきたのを覚えている。というかついさっきもされた。

 悠美はそれを微笑ましげに見ながら、同じように彼女達の戯れを眺めている海斗に声をかける。

「それで化野はどうしたんだい? 彼が来ないと説明を始められないんだが」

「あぁ、あいつなら確か生徒会かなんかでしたよ。それにしても遅いな……一体何やってんだか」

 彼はこのオカルト部の所属となっているもう一人の男に向かって溜め息を吐いた。

 ──正直言って、オカルト部はろくに活動をしていない部活だ。精々一週間か二週間に一度であり、なおかつ暇な時に来て読書に使ったり仮眠に使ったりとオカルト部らしい活動もなにもしていない。

 しかしそんな部活であっても悠美からのメッセージが入ったとき──召集命令が入ったときには必ず部員全員が集まるのだ。

「──申し訳ありません、遅刻しました!」

 噂をすればなんとやら。がららっとスライド式の扉が勢いよく開かれ、遮光カーテンの奥から長身の男が姿を見せる。海斗を含め、この学園の生徒のほとんどが多少は着崩している制服をきっちりと着込み、手には足の部分が壊れた机が二つ積み上げられている。

 制服に負けず劣らずきっちりと整えられ、寝癖も一つも見当たらない黒髪に四角のフレームの眼鏡。真面目という言葉がそのまま人の形となったような男──化野進あだしのすすむだった。

「……遅いぞ、進」

「すまない。壊れてしまった椅子などを運んでいたら思った以上に時間をくってしまった」

「……化野、お前の性格の馬鹿が付くほどに真面目な性格はわかっているつもりだが、連絡の一つぐらい寄越したまえ。報連相は社会人は勿論、学生でも常識だよ?」

「はっ! 申し訳ございません、失念しておりました!」

 進が悠美に向かって頭を下げたことによってぶん、と軽い風切り音が静かな部室では嫌に目立った。それに悠美は小さく笑うと、

「反省しているようならこれ以上咎めはしない。次から気を付ければ問題ないよ。それで、その壊れた机はどうしたんだい?」

「はい。これまで貯まっていた破損した道具なのですが、これを機会に処分してしまおうという話になりまして。それに強制召集ということもあり、海斗も『喰い溜める』必要があるのではないかと考え、ここに運んできた次第です」

「……要するに俺にまとめて処分しろって事だろ? それは構わんがせめて運ぶのぐらい手伝えよ」

「あぁ、わかっている」

 オカルト部の男性陣が外に出ていってしまったことで、ほとんどが闇に占められた空間に女性三人だけが残る。

「とりあえずこれでオカルト部を装う必要はなくなった。まず電気をつけてしまおうか。……紡」

「はーい。……それにしても生徒会ですか。事態を考えたらこっちの方が優先だと思うんですけど」

「仕方ないよ。私達『学生捜査員』の存在は学校側にも秘匿されてるんだから」

「そのせいで迷惑を被ることも多いがね。しかしばらされたらばらされたらでデメリットも大きいし、どっちもどっちだ。『学生捜査員』……しかも『異能犯罪』の解決に尽力させているとなれば、世論が黙っちゃいない。警察へのバッシング、特に『異能犯罪対策科』への向かい風になることは間違いないよ」

 ──『学生捜査員』

 それは文字通り学生でありながら、現役に警察と同程度とはいかないまでも、実際に起こった事件などに関わる事を許された者達の総称だ。彼らは現役警察官の監督のもと経験を積み、将来即戦力として現場入りすることを目標に育成されている。

 その中でも姫原悠美の元で経験を積んでいる彼らは全員が《言霊使い》──即ち『異能犯罪対策科』に配属される事となっているのだが、それは別に特異なことではない。むしろ現在の『学生捜査員』のほとんどが『異能犯罪対策科』の不足している人員を補う形で動員されているというのは、この界隈では有名な話だ。

「それにしても先生だって大変ですよね。刑事と教師の兼任に加えて私達の育成までやってるんですから」

「まぁ、それで後々楽になるのだから構わないよ。先行投資というやつだ。それに君達が後々活躍してくれれば、《言霊使い》に対する世間の印象も多少は良くなるだろうしね」

 ──そもそも『学生捜査員』という制度が作られたのは日本の『異能犯罪対策科』の慢性的な人手不足を解消するためであり、根本の原因は日本国内における《言霊使い》に対する迫害だ。

 《語彙能力》を持たない親からの虐待に同世代の人間からの差別、いじめは当たり前。未だに《言霊使い》の子供を殺したという親のニュースが世間を賑わせることは多く、児童養護施設前に《言霊使い》の子供が置き去りにされることなどざらにある。

 和を重視する──言い換えれば和を乱すものは徹底的に排除し、自分達と根本から異なる存在を断固として否定する日本国民の悪性が、『異能犯罪』を引き起こす原因となっており、その結果日本は先進国の中で異能犯罪率第一位という不名誉な称号を賜っている。

「さて、全員揃ったことだしそろそろ部活を始めようか」

 パンパン、と悠美が軽く手を打ち合わせることによって弛緩していた空気が一気に引き締まる。全員の意識が一人の学生ではなく『学生捜査員』の意識に切り替わった。

「君達も薄々察しているとは思うが今回呼び出したのは……新たな『異能犯罪』が起こったためだ。これからしばらくは私を含め君達には今回の事件の犯人の逮捕を目標に活動する。定期考査も迫っていないし、事件解決までは本件を最優先に動いてもらう。構わないね?」

『はい!』

 彼女以外の全員の声が重なった。

「結構。それでは皆タブレットを開き、事件の詳細を確認してくれ。……因みに本件の被害者は新米とはいえ、現役刑事が嘔吐するくらいにはひどい状態で発見されているものもある。予め覚悟しておくように」

「……愛蜜、大丈夫か?」

「……大丈夫。私だって『学生捜査員』になって三ヶ月になったんだし、そろそろ慣れないと。もう皆に迷惑はかけられないよ」

 海斗が『学生捜査員』となって日が浅い聖良に声をかけるが、彼女は小さく笑って返す。彼女は海斗や進と同じく二年生ではあるが『学生捜査員』としての経験は非常に乏しく、今回で三件目の事件になる。

 オカルト部──別名『凰華高校異能犯罪対策科』唯一の一年生である紡はその《語彙能力》の強さを悠美に見込まれ、中学三年生の時から海斗達と共に事件を解決している。そのため場数は彼女の方が踏んでいる。

 のだが──経験による慣れ、それを上から塗り潰すような凄惨な死体の写真が彼らの視界に飛び込んできた。

「……惨いな」

「これは……!」

「うぇ……!」

「酷い……!!」

 思わず口から漏れた言葉は各々違ったが、死体──腹部を捻切られ、腸や臓物を溢し、血の海に沈んでいる被害者。そして明日も当たり前のように生きていくはずだった人々の命を理不尽に狩り取った犯人に対しての怒りを積み上げていく。

 しかしそこは幾多もの事件を学生の身でありながら解決してきた『学生捜査員』

 大きく息を吐くと、死体の写真に改めて視線を向けた。

「……被害者は順に最上実篤もがみさねあつ武山淳治たけやまじゅんじ野仲未琴やなかみことの三人。全員が燐火高校に通う高校二年生であり、死因は全員に共通して出血性ショックだ」

「しゅ、出血性ショックですか? 捻切られた痛みによるショック死ではなく?」

「あぁ、私も最初はそう思っていたのだがね。鑑識からの報告書によれば出血性ショックらしい。捻切られた腹部が凄惨ゆえ目がいかないが、注視してみると全身にひとつひとつは小さいが全身に裂傷が走っているだろう? 鑑識曰くそこに加えて全身の毛穴から出血し、死に至ったらしい」

 進が問うと、悠美がタブレットを拡大するように指を動かす。それに全員が従い、改めて死体を見てみると確かに全身に裂傷が刻まれている。とはいえそれは刀で切られたような綺麗なものではなく、巨大な力によって強引に刻まれたものだと人目見てわかるような汚いものだ。

「となるとただの膂力増強系や肉体器官を巨大化させるような《語彙能力》ではないな。どちらも捻切るなどせずとも力に任せて殴打などを行った方が簡単に殺せる」

「ですね。過去の犯罪者に一定範囲内の空間を捻曲げる《歪曲》という《語彙能力》を持った《言霊使い》がいましたが、今回の事件とは毛色が違う気がしますし……」

「やはり死因が出血性ショックだというのが一番引っ掛かる。逆に言えばそれこそが犯人の《語彙能力》を特定するに当たって最も重要な点だと思うのだが……愛密くん!? 大丈夫か?」

 ふと進が視線を向けると口元を抑え、青い顔をしている聖良の姿が目に入った。彼女は聡明ゆえにこの写真から拾うことの出来るヒントを探しているのかと思ったが……。

「やっぱり無理があったか……大丈夫か、苦しいなら吐いてきても──」

「……ううん、大丈夫。まだ頑張れるよ。ここで私が吐いて皆に迷惑をかけていられない。早く犯人を捕まえなきゃ」

 彼女は海斗の言葉を遮り自分に言い聞かせるように言うと、一度大きく深呼吸をした。そのお陰だろうか、相変わらず顔は青いが嘔吐する一歩手前の顔ではなくなった。

 彼女とて彼らと同じ『学生捜査員』だ。死体への耐性などに差違はあれど、胸に宿す志は変わらないのだ。

「……俺、喋っていいか?」

「うん。ごめんね、話を遮っちゃって」

「別にいい。先生曰く現役刑事が吐くような死体だ。それを直接ではないが見て、気分を悪くするなって方が無理な話だ。それで話を戻すがこの写真を見てて思ったことがあるんだ」

「なんだ、言ってみてくれ」

「その……仏さんにこんなことを言うのは不謹慎だと思うんだが……この死体──雑巾みたいだなと思って」

「おい、海斗! 言っていい事と悪いことが──!!」

「天喰、続けてくれ」

 これほどまでに凄惨な死体、それに対して『雑巾みたいだ』と言い放った海斗に進は声を荒げる。

 それは当然だろう。彼の言葉はもしここに被害者の遺族がいれば、顔を殴られても決して文句の言えないだろうものだ。

 しかし悠美は席を立ち上がり、胸ぐらをつかみそうな勢いの彼を諌める。彼の性格上、こうなることは予めわかっていたからこそとれた行動だった。

「化野、気持ちはわからないでもないが落ち着け。天喰がそのような事をなんの理由もなしに言い出すような奴でないことは知っているだろう。続けてくれ、天喰」

「……俺も色々考えたんだが、これ以上に最適な言葉がなかったんだ。悪い、進」

「……遮ってすまない。続けてくれ」

「あぁ。やっぱりこの事件で一番目立つのは腹部にあるなにか巨大な力に捻切られた大怪我だ。それは資料を見てみると、上半身と下半身で全く逆の力で捻られたためだと書かれている。それに加えて被害者の死因が出血性ショックだと言うことを加えると……」

 自分達が雑巾を絞って水気を無くすように、犯人の能力は被害者を締め上げ身体中の血液を体外に放出させた。それによって被害者はほぼ即死し、そのあとで捻切られたのではないかと海斗は語る。

「天喰先輩は被害者の身体を雑巾本体、血液を雑巾の中にあった水だと捉えているわけですね。……確かに人間を雑巾から水分を出すように扱ったらこんな風になりそうです」

「犯人の能力は『物から液体を強引に排出させる』ような能力だと思う。それをどうやって行っているかなどはわからないが」

「なるほど。それならば確かに辻褄が合う。よし、そういう方向性で調べてみよう。周辺の聞き込みは他の職員に任せるとして、化野は私と一緒にそういった《言霊使い》がいないか調べてみようか」

 20年前より日本国籍を持つ《言霊使い》は全員が国に対して自身の《語彙能力》及びその詳細などを報告するように義務付けられている。当然それは今回のような『異能犯罪』が起きた際に迅速な解決を行うためだ。

「はい!」

「とはいえ、この国に住まう《言霊使い》は決して少ないわけではない。同時進行で黒束は被害者のSNSを調べ、情報収集を。彼らの人となりが分かればある程度動機の推測が出来るかもしれない。天喰も──」

「その事でちょっといいですか?」

「なんだ、言ってみてくれ」

「俺の知り合いが被害者が通っていた高校にいます。ですから俺と愛蜜でそいつに事情でも聞いてこようかと。警察が学校側に公式な調査を依頼すると、正直良い顔はしないでしょうし時間もかかるからこっちの方がよっぽど効率的かと。加えて俺の事情も大体知ってる奴なんで、情報漏洩云々も気にする必要もありません」

「……信頼できるのか?」

「間違いなく。十年近く一緒に過ごしていた俺が保証します。それにアイツは《言霊使い》じゃないので今回の反抗を行うことは不可能です」

「わかった。なら天喰と愛蜜はその人のところに行ってきてくれ。黒束とお前達で被害者の性格や日常態度などを調べてきてほしい。天喰達にはできることなら犯人候補も何人か挙げてきてほしいが……さすがにそれは無理な相談だろう。よし、それでは各自行動を開始しよう」

『はい!』

 こうして新たに発生した『異能犯罪』の解決に向け、『凰華高校異能犯罪対策科』は動き出したのであった。

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