第2話 幼馴染と甘い声
友人の館に着いたのは日が暮れてからだった。侍女に案内された部屋で一息つく。
煉瓦造りの二階建ての洋館は、洋風建築に関して疎い身のため詳しくはわからないものの、豪奢で重厚感のある印象を受ける。特に大階段の柱は繊細な装飾を施してあり、時間のあるときにじっくりと見てみたいと思った。
華やかな彼に良く合う造りだと、一人納得する。
そういえば、最後に会ったのはいつだったか。
都に住む彼とそこからやや離れた山奥に居を構える六白とではそう頻繁に会わない。外に出ない自身とは違い、腰の軽い友人は時間が出来ればふらりと立ち寄ってくれるからそこまで間が空くこともないのだが。
最後に会った時に少し忙しくなると言っていた。あれはひと月前のことだったか。
「リク!」
扉が開けられて、長身の男が入室してくる。その瞬間に静かだった部屋が明るくなるのを感じた。気分的にというよりは、物理的にといった方がいいのだろうか。彼の神気は華やかなのだ。
「ラディ、忙しいところすみません」
「何を。俺とリクの仲に遠慮は無用だ」
大きな口でにかっと笑う男は、六白の幼い頃からの友人であった。
浅黒い肌に、無駄のなく筋肉のついたしなやかな身体の左目から腕にかけて刺青のような紋様が入っている。光を跳ね返す黒髪は後ろ側だけを伸ばし編んでいた。意志の強さが現れた黄金の瞳だけが彼を彩る色彩の中で明るい。
異国的と言える風貌は、男性的な官能を訴えかけてくる。その上、今の彼の格好は白いシャツのボタンをほとんど外しているから、その鍛えられた上半身がよく見えた。女性がこの場にいれば黄色い悲鳴をあげたことだろう。
「服を着る暇もないほどの多忙ぶりとは考えていませんでした」
「ん? ああ、湯浴みをしていたところだったんだ。すぐに出迎えられなくて悪かった」
「私が来たために慌ただしくさせてしまったのですね、申し訳ないです」
「気にするな。それより、夕食はまだだろう?」
挨拶の抱擁を受けると、確かに石鹸の香りが漂う。湯の熱が残った身体も熱い。
「はい」
「準備している。食べよう。リクの好きな魚料理だ」
機嫌良さそうに笑いかけられて、安心して頷いた。六白より百歳ほど年上なせいか、ラディは兄のように振る舞うのが好きだ。大抵のことで怒らないし、付き合いも長いから六白の好みや考えも熟知している。それ故の安心感か。都に来てようやく落ちついた気持ちになれた。
紅茶を楽しみながら、幼馴染と食後のひと時を過ごす。
「それで、リク。都は見て回れたのか?」
「いえ、残念ながらほとんど見れませんでした」
天都•
天にあまねく神々の住まう国の首都であり、上帝の在わす地。都に相応しいその華やかさと活気は、普段山奥で暮らす六白には些か目映くある。
都の中央に藍晶宮が置かれているのだが、宮は帝の住まう御所の他に政務や儀式のための施設を備えているため、かなりの広さを持つ。それ故に宮中に部屋を与えられるものはいるが、殆どのものは外から通うこととなる。そういったものたちは宮の周辺に館を建て住んでいるが、その地域のことを
友人の館はそこにある。
「迷った?」とからかいの眼差しをラディが向ける。
「迷いません。私の住む山に比べたらここの道はとても単純です」舐めてもらっては困りますねと六白が視線を受け返す。
「ふむ。出発が遅れたのか?」
「それも違います。少し具合が悪くなってしまいまして」
「え!」
頰杖をついていた幼馴染が飛び上がるようにして、途端に不安そうだ。
「気づかなくてすまない。まだ悪いのか? 医師を呼ぼうか」
「落ちついてください、ラディ。めまいがしただけで、今はなんともありません。それに助けていただきましたし」
「そうか? リクは無理をするからな…。調子が悪くなったらすぐに言うんだぞ」
「ラディは心配性ですね。もう子供ではないんですよ。……でもありがとうございます」
「リクが子供でも大人でも俺は心配なんだよ。うちにいる間はリクの面倒は俺が見るって決めてるし。本当になんでも言ってくれ」
大きな手で頭をわしゃわしゃと撫でられて、ありがたくもやはり子供扱いは変わらないのだあなと苦笑する。しかし悪気があるわけではないし、こちらのことを思ってくれているのだから文句をつけにくい。
「それで、助けてもらったって?」
「はい。通りすがりの方でしたが、とても上等な神気でしたから、ラディなら知っているかも知れません」
幼馴染は近衛兵として帝をお守りしている。なので、帝やそれに近しい者達を目にする機会が多い。
「そうかもなあ。名前は聞いたか?」
「紅焔と仰いました。紅から金に変わってゆく御髪が印象的な方です」
「えええーー」
ラディは驚きのあまり、ティーカップを音を立てておく。
「ラディ?」
「こうえん、って……あの紅焔か? 本当なのか」
「あの、とはどのことを言っているのです」
「都で紅焔と言えば一人しかいない。帝の十二神の内の九番目を与えられた長月の紅焔様だ。我らが天つ神の頂点であり、豊穣神の極み」
「……本当ですか」
「嘘なんかつかないって」
十二神とは、帝が選ばれた最上の神のことである。十二というから最大十二名まで任命されるが、現在は八名ほどしかいないと聞く。選定されたものは、十二の月のうちどれか一つの異名を与えられるのが慣例となっていた。
豊穣神というのことなので五穀豊穣の力を持つ。そのために秋である長月の名を与えらたのだろう。
選ばれることは最高の名誉だ。しかし名誉職というわけではなく神力が優れていなければなれない。家柄や血筋や権力などは全く考慮に入らない、純粋な力の評価のみで選ばれる。
「紅焔様はあまり表に出られる方でないから分からないのも無理はないな。しかも、皆、長月の方とか九つの君とか呼ぶもんだから紅焔の通り名を知らないやつも多い。都にいないリクが気づかないのは無理ないって、そんな顔するな」
「そんなにご高名な方だとは知らず驚きました……」
「会えたのは幸運だったな。俺でも滅多にお目にかかれないし、お言葉を頂戴したこともあまりない。ちょっと羨ましいかもしれない」
「そうでしたか……。春の旬宴にお越しになるようでしたから、その時に改めてお礼を申し上げたいですね」
「それがいい。それにしてもリクの舞は綺麗だからな、楽しみだ」
思い出して楽しくなってきたのか、ラディが笑みを浮かべる。
幼馴染は六白の舞が本当にお気に入りなのだ。事あるごとに舞ってくれとお願いしてくる上に飽きることがない。「美しいものはいつ見ても美しいし、飽きるわけない。永遠に見ていたい」となんとも恐ろしいことを言われたこともある。そんなに舞えるほど六白の体力は無尽蔵ではないというのに。
「時間が出来たら舞って見せてくれないか?」
「宴の練習になるから構いませんが、どうせならラディは横笛を吹いてください」
「いいよ」
「今夜は遅いし、また明日以降でいいですか?」
「もちろん。疲れてるだろう。部屋は整えてあるし、湯の準備も出来ている。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとう。宴の準備の間、お世話になります」
「自分の家だと思って寛いでくれ」
親しみを込めた笑顔が男臭くて、絵になるほどきまっている。
「ええ、程よく疲れましたし、お腹も満たされていますから今夜はよく眠れそうです」
「そうか。怖い夢を見たら俺のところへおいで」
低い声が甘く響く。女性が聞けば赤く頰を染めるところだったが、六白は「また子供扱いして…」と眉を寄せるのだった。
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