神さまの愛と痛覚

じゅん

第1話 双子と夕焼け髮


「この辺りは商人の住むところでしょうか。あまり見かけない洋館も多いですね」


 久方ぶりに足を踏み入れた都に、六白りくばくは感嘆のため息を漏らす。


 都に住まう友人を訪ねてやってきたのだ。すぐに向かおうかとも思うのだが、せっかく来たのだからまっすぐに目的地に行かずに散策をしようと考えていた。これほど多くの人や物を見るのは都でなければ出来ないことなのだ。


 空は夕暮れより少し早いくらいであったので、暗くなる前に着けば良しとする。


「立派ですねえ」


 人通りの多い道をゆるりと歩きながら呟く。

 中心街は古くから立ち並ぶ和風の屋敷が目を惹くが、ここらは目新しい西洋風の館がちらほら見受けられる。商人は新しい物に敏感なのだろう。大陸からもたらせられたものや建築物を盛んに取り入れたがる。


 機会があれば中を覗いてみたいものだと思いながら歩いて行くと、不躾な視線があちらこちらから投げかけられているのに気づく。


「……ねえ。あのお方」

「ああ、本当」


 婦人が囁きあっている。

 ……ああ。この辺りでは六白の容姿は目立つのだ。癖のない銀の髪は頸で結ったものが背中に流れている。日に焼けていない陶器のような肌に青紫色の瞳は怜悧でどこか冬を思わせた。男臭さを感じさせない美貌の青年。

 女性の関心を得ているというのも視線の理由の一つであるが、身にまとう色彩とその美しさから、「力あるもの」だと気づかれているのだ。

 

 だとしても、気分は良くない。


 顔に感情が出にくい質であるから無表情で不快感を得る。話しかけられる前にさっさと離れてしまおうと、小道に入った。


「あ、」

「行ってしまわれたわ……」


 途端に人気がなくなり、静かな薄暗い場所に変わった。六白を見ていた人たちが去っていく気配を感じながら、歩き進める。


 ここは神々の国だった。

 住まうのは、神力のある神、神より劣るが力のある天人、何も持たない人。その中でも数は人が多い。先程の婦人も力を持たぬ人であった。

 そのほかには神獣などもいるが、見かける機会は少ない。

 力のない人は鮮やかな色を持たず、大抵が暗い茶の髪や目をしている。つまり、それ以外の色は目立つというわけだ。

 目立つからといって物珍しげに観察されるというのも嫌なものだった。


 秀眉を寄せるその姿も悩ましく美しいが本人に自覚はない。先程の婦人がいれば騒がれたに違いなかった。




 光の遮られた路地裏を進んでいると、不意に前方に気配を感じた。二つ。しかも神気を纏っている。

 変だ。

 容姿と同じで神気にも個体差がある。似ている程度ならばありうるが全く同じというのは考えられない。しかし目の前のそれは明らかに同じ神気が二人分ある。何者だ、と不信感が芽生えたと同時に姿が見えた。

 コツコツと靴の音を鳴らしてやってきたのは見分けのつかないくらいよく似た二人の少年だ。


「双子……?」


 金の髪に明るい茶の目をしている。微笑みを浮かべた二人は、面白いものを見つけた子供のように瞳を輝かせていた。


「こんなところで会えるなんて」

「幸運ってやつだ」

「どうしようか?」

「どうしようね」 


 言っている意味が分からない。クスクス笑う双子は次から次へと言葉を並べていく。


「綺麗だね」 

「綺麗だ」

「貴方たち何を……、」


 気持ち悪い。


 言葉を最後まで発する前に、突然襲ってきた嫌悪感に口をつぐむ。

 何だ、これは。彼らの気が六白の気に触れた瞬間にありえないほどの違和感と得体の知れない気色の悪さを覚えた。


「どうしたの?」

「具合悪そう」


 愛らしい笑顔なのに、瞳は仄暗い。

 何かがおかしいのに何がおかしいのかは分からない。彼らの気が触れたところから、自分が汚れていくのではないかというくらいの異質さ。


「私に、近づかないでください」


 冷たく拒否すれば、二人は顔を見合わせて声を上げる。


「嫌われちゃった?」

「嫌われちゃったねえ」


 心臓が嫌な風に跳ねた。触れてはいけないと訴えているようだ。


「話せば分かるかな?」

「お話ししよっか」

「来るなと……言って…」


 ぐるぐると目が回る。双子の笑い声が頭に響いて思考が霧散していく。


 ああ、だめだ、何も考えられない。


 吐き気すら込み上げてくる。片方が六白の手に触れようとしたその時、身体が後ろに引かれた。


「え?」


 優しく耳障りの良い声がすぐ後ろで聞こえる。


「少し目を瞑っているといい」


 訳がわからずに後ろを振り返ると、紅色が目に飛び込んでくる。そのあまりの色の強さに目が眩んだ。声の主が腕で支えてそのまま抱き寄せられる。


「あの…」


 離れようとする前に六白を柔らかく清浄な神気が包みこんで、ここにいなさいと宥めた。


「……」


 先程まで感じていた不快感が徐々に薄れていき、小さく息を吐き出す。癒すように優しく触れて来る気に身をゆだねた。


「君たち、この辺りのものではないね。これ以上遊びたいなら私がお相手しようか」


 余裕のある優美な口調だった。

 ほとんど身長が変わらないから、柔らかな声が間近に聞こえる。気持ちを落ちつけるために息を吸うと、男から甘い花の香りがするのに気づいた。

 どこか懐かしい香り。嗅いだことがある気がするけれど思い出せない。


「んーやめとく」

「やめとこう」

「またね」

「またね」


 あっさりと双子が去っていく。足音が聞こえなくなるまで無言だった救世主が気遣うように声を掛ける。


「何かされなかった?」

「いえ……」


 だいぶ気持ち悪さも落ちついていたから、のろりと顔を上げ、身体を離した。


「貴方が来てくださって助かりました」


 初めて顔を見て息を飲んだ。他人の美醜にそれほど興味を示さない自分でも分かるほどに、艶めいた美青年だった。


 腰の近くまで伸びて緩く波打っている髪は、頭頂は紅色だが、毛先にいくにつれ橙、そして金色へと変化していて、陽の光に煌めいている。青みがかった白い肌と薄い空色の瞳はどこまでも透き通っていた。

 六白と同じく男性的な無骨さを感じさせないが、高潔そうな印象を与える六白と違い憂いを帯びた気怠げな雰囲気が色っぽい。


「夕焼け空の色ですね。薄い青空を夕日の色が染めて、どこか切なくも美しい……」


 思わず口にして、陶酔に浸る。これほどまでに胸を締め付ける美しさを持つ者と会うのは初めてだった。身にまとう色とは対照的に明るさを抑えられた紺の着流しが、本来は砕けた服装であるにも関わらず品を感じさせる。


「私のこと?」

「はい」

「お褒めに預かり光栄」


 見つめる視線に気を悪くすることもなく男は口の端を上げる。微笑は彼によく似合った。


「……お礼も言わずに大変失礼しました。先程はありがとうございます。あれほど他人の気にあたっておかしくなったのは初めてです。貴方が癒してくださらなかったらどうなったことか」


 微笑む彼の気は、穢れも汚れも全てを払う凛とした静謐に満ちている。


「お役に立てて良かった。貴方のような清らかな方にはさぞ辛かっただろう」

「一体、あの者たちは何だったのでしょうか」

「私にもわからない。何にせよ、良くないものだと思うから関わらないようにするのがよろしいかと」

「そうですね。……申し遅れました。私は近美国おうみのくに伊吹山のまもり六花りっかとお呼びください」


 告げた名は本名ではないが偽名でもない。力ある者の真名はごく親しい者にしか明かされないのだ。名は魂に通ずる。故に非常に重要なものであるために軽々しく呼ばせることはない。代わりに通り名や渾名などで呼ばれることが常だった。


「ご丁寧にありがとう。伊吹山というとこの国の霊山の中でも枢要な地だね。領主殿にお会いできて光栄ですよ。私は紅焔こうえん

「紅焔様、ですね。貴方のような方にお会いできた私の方が僥倖というものです」


 氷の眼差し、と評されることもある瞳を和らげて六白は微笑んだ。


「おや、位階も官職も告げていないのにそのように言うのかな」

「何も言われずとも、神気が貴方の尊さを教えてくれます。これほどに美しい力の方はそういないでしょう。……私が都の方々に明るくないばかりに存じませんが、本来なら名乗らずとも皆に知られているお方なのではないですか?」

「長く住んでるから、私を知る者は多いかもしれないね。……ところで、もう日が暮れる。行くところがおありなのでは?」


 気づけば日が落ちかかっていた。せっかくの散策の時間も終わりにした方が良さそうだ。


「都の中央にある友人宅に参る途中です」

「私もそちらに行くから、よかったら一緒にどうかな?」

「喜んで」


 先程の大通りに戻る。このまま道沿いにまっすぐ歩けば中央街に着くのだ。碁盤の目のように道が引かれているから、目的地の方角さえわかれば困ることがないのが便利だった。


「六花の君は友人に会うために上洛を?」

「あ、いえ。この度の宴で舞役となりましたので、その打ち合わせに来たのです。友人はついでですね」

「春の旬宴かな?」

「はい。上様が政務を開く儀を行われたあとの宴です。昔に舞ったことを覚えてくださっていてまた見たいと仰っていただきました」

「ああ、もしかして二百年程前のことではないかな?」

「そうです。ご存知なんですね」

「私も見ていたよ。素晴らしかったからよく覚えてる。また拝覧できるとは楽しみだ」

「ご期待に添えるかは分かりませんが、楽しんで頂ければ幸いです」


 六白の微笑に応えるようにして紅焔も微笑んで頷いた。


「……中央に入ったね。私は西に行くけれど」

「私は北ですので、ここでお別れですね。……お世話になりました」

「この辺りは安全だけど、気をつけて。それでは、また」


 背を向けて去って行く姿が夕暮れに馴染んで、それが何故だか名残惜しい。会ったばかりの相手にこんな感情を抱くなんて不思議だった。

 また、宴の際にお会いできるのを期待することにした。あれだけ目立つ人であればおそらく見つけられるはずだ。

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