17.魔法の研究者

 同日の深夜。月明かりが、カリュー領都を照らしていた。

 静まり返った街の中を、一台の黒い馬車が走っている。北区のとある大きな屋敷の前で、馬車は止まった。降り立ったのは、小柄な少女と細身の女性。屋敷の正門を通り、邸内の道を歩いて行く。

 歩きながら、少女は呟く。

「ったく、無駄足だった⋯⋯」

「まだ、怒っていたの?」

 女性が、呆れた顔をする。

「当たり前だ。バロックの森が襲われたと聞いて、急いで行ってみれば⋯⋯人間が暴れていたんだぞ!」

「⋯⋯そうね」

「魔物を相手に新作の魔道具を試せると思ったのに!」

「⋯⋯そうだったの」

「それに、急いで戻れと言うから帰ってみれば⋯⋯ったく、下らない!」

「はいはい」

「そうだ。マリアを呼び出して⋯⋯」

「はいはい。続きは、明日にしましょう」

 二人は、大きな建物に入って行った。


・・・


 翌日の朝。マリア邸に、一通の手紙が届けられた。

 手紙を受け取ったマリアは、その場で封を開ける。そこには、たった一行「研究所で待つ」と書かれていた。

「はぁ⋯⋯言葉が足りないのよ。でも、行くしかないようね⋯⋯」

 呆れた顔で、小さく肩を落とした。

「あっ、それなら⋯⋯」

 何かを思い付いたように、マリアは顔を上げる。


・・・


 領都の北区。魔法研究所の正門前には、マリア、ソラ、フォウが立っていた。

「俺達が同行しても、良かったんですか?」

「勿論よ。君達が旅をしてきたのは、サクヤに会うためでしょう?」

「はい。助かります」

 シノブが、素朴な疑問を声にする。

「にしても、大金持ちの豪邸にしか見えないなぁ。本当に魔法研究所?」

「以前は、領主の屋敷だったのよ。ある事が原因で、国が管理をする事になったの⋯⋯では、行きましょうか」

 正門に近付いたマリアは、門柱の石板に触れた。閉じていた門が、ゆっくりと開いて行く。


<王立魔法研究所>

 リュー王国の魔法産業を支える特別な施設。魔法や魔道具の研究開発が行われている。施設に関して、詳細を知る者は少ない。


 マリア達は、研究所の正門を通り、大きな建物に入って行く。応接室に通された三人は、部屋に置かれた大型のソファーに腰を下ろした。

 数分後。応接室の扉が開いて、二人の女性が入って来た。一人は、青いワンピースを着た小柄な少女。一人は、袖なしの黒いスーツを着た細身の女性。二人は、マリア達の向かい側に座った。

 マリアは、ゆったりと話を始める。

「サクヤ。待たせてしまったかしら?」

「待った⋯⋯と言うより、退屈していた」

 口を開いたのは、小柄な少女である。

(この子が、サクヤ・バロック博士⋯⋯見た目も変わり者、って事なのか?)

 ソラは、冷静に観察を続ける。


<サクヤ>

 金髪のショートボブ。大きな目には左に青、右に赤い瞳。エルフの特徴が、耳先に見て取れる。外見とは異なり、その言動からは少女らしさを感じられない。身長138センチ。


「バロックの森は、無事でしたか?」

 マリアの問い掛けに、細身の女性が対応する。

「はい。我々が到着する前に、バロックの魔道士が防衛ラインを構築。戦闘の痕跡もありましたが、バロックの森に被害はありません。賊は、領軍によって駆逐されました」

「そうですか。ライラも、ご苦労でしたね」


<ライラ>

 金髪のセミロング。切れ長の目には青い瞳。クールな大人の女性、と言った感じだろう。身長167センチ。


 視線をサクヤに戻して、マリアは話を続ける。

「カティから聞いているかしら。中央区に現れた精霊樹の事を⋯⋯」

「ああ、それなら対応済みだ。精霊が暴走する事は、もう無い」

「あらっ、そうなの?」

「精霊が集まるから悪さをする。ならば、散らしてしまえばいい」

「散らせる?」

「中央区には、四本の柱があるだろう。全ての柱に、精霊を呼び寄せる術を施した。あとは自然に拡散するだけだ」

「仕事が早くて助かるわ。流石は、サクヤね」

 サクヤは、ドヤ顔をして見せた。

「さてっ⋯⋯私を呼び出した用件は、これで済んだのかしら。次の話をしてもいい?」

「ああ。いいだろう」

 心地良い話の流れから、サクヤは受け入れてしまう。


 姿勢を正したソラが、話を切り出した。

「初めまして、サクヤ・バロック博士。俺は、ソラと言います。縁あって、カロス神殿のアルラ様から紹介していただきました」

 差し出された紹介状を、サクヤは受け取った。書面に目を通しながら、ゆっくりと表情を変化させる。読み終える頃には、キラキラと目を輝かせていた。

「面白い! それで君は?」

「アルラ様の従者。フォウと申します」

「そして、その剣が?」

「はい。シノブです」

 身を乗り出したサクヤは、シノブを凝視した。

「いいね。実に面白い!」

「⋯⋯落ち着きなさい。サクヤ!」

 威圧を込めたライラの言葉が、サクヤをフリーズさせた。

 固まったサクヤを余所に、ライラは言葉を続ける。

「失礼しました。ご依頼の件、お受け致します。つきましては⋯⋯」

 その場で、詳細な話し合いが行われた。


 ライラは、ゆっくりと立ち上がり。

「では、場所を移しましょう。ご案内します。サクヤ、行きますよ」

 固まったサクヤを残して、移動を始めてしまう。


「こちらです」

 ソラ達は、ある部屋に案内された。研究所の一階、普通の扉を開いた先には、領都より大きな空間が広がっていた。その空間は、全てが白く、物も置かれていない。

「私達は『虚構の間』と呼んでいます。この部屋は、サクヤによって造られた異空間⋯⋯部屋の内側と外側では、互いの空間に影響を与えません。つまり、魔法の実験を行う場所、という訳です」

「ここならば、何が起きても問題無い。私が保証しよう⋯⋯」

 部屋に入ったサクヤが、言葉を続ける。

「アルラが、全ての封印を解かなかった理由。それは⋯⋯危険を伴うと判断したからだろう」

「えっ!」

 ソラとシノブが、驚きの声を上げる。

「強力な封印を解くには、それなりの準備が必要だ。無論、封印を解く対象にもリスクが生じる⋯⋯君達に、その覚悟はあるか?」

「私は⋯⋯自分の体を取り戻したい。人として生きる為に⋯⋯」

「それは、俺の望みでもあります」

 二人の言葉には、決意が込められていた。


 心配そうな様子で、フォウがソラを見詰めている。

 フォウの肩に、マリアの手が優しく触れた。

「大丈夫よ。きっと⋯⋯」

「マリア様、フォウ殿。お二人は、部屋の外でお待ち下さい」

 ライラに導かれて、マリアとフォウは部屋を後にする。


「少年。その場に座り、剣を床に置きなさい」

 指示通りに行動したソラは、静かに目を閉じた。

 サクヤは、ソラに近付いて行く。両手を前に出して、意識を集中させた。サクヤの両手は青く光り始め、光が球状に広がっていく。全ては、光の中に消えてしまった。


・・・


 ソラは、ゆっくりと目を開ける。目の前には、制服を着たシノブが立っていた。

「えっ⋯⋯シノブ!」

「なに?」

 床に置かれた日本刀から、反応が返ってきた。

「あれっ⋯⋯こっちも、シノブ?」

 驚いた顔で、交互に見てしまう。

「私の姿をしているけど。あれ、私じゃないよ⋯⋯それに、ここは何?」

「確かに⋯⋯虚構の間に似ているけど⋯⋯サクヤ博士もいない」

 シノブの体が、ゆっくりと動き出した。

「私は、エデン⋯⋯」

 録画された映像の様に、エデンは語り始める。

「無事、封印は解かれたようですね⋯⋯存在の結び手、テンドウ・ソラ。神器の所有者、ミツルギ・シノブ。運命に導かれて、再び出会う時⋯⋯」

 語りの途中で、ふわりとエデンの姿が消えてしまう。辺りは、白い霧に包まれた。


・・・


「はっ!」

 気が付くと、ソラは虚構の間で倒れていた。目の前には、サクヤが背を向けて立っている。二人の周りには、ガラスの様な結界が張られていた。

 上体を起こして、ソラが声を上げる。

「博士!」

「大丈夫か?」

「はい。これは⋯⋯何が起きたんですか?」

「封印が解けた後、シノブが暴走した。ソールを撒き散らかして⋯⋯手が付けられん」

 結界の外を、無数の青い火の玉が飛んでいた。大きな火の玉が結界に当たり破裂する。破裂の衝撃は、結界の中にまで伝わった。


『落ち着け、シノブ!』

 伝心術で呼び掛けるも、反応が無い。

「何か、暴走を止める方法は無いんですか?」

「無い⋯⋯ソールが尽きるのを待つか。この異空間ごと消滅させるか⋯⋯」

「そんな⋯⋯」

 ソラは立ち上がり、右腕にマテリアルを展開した。

「俺が⋯⋯シノブを助けます」

「待て、もう手遅れだ!」

 サクヤの言葉を無視して、ソラの右手が結界に触れる。全身を青い光で包み、結界をすり抜けた。


 飛び回る火の玉を避けながら、ソラは前へ進む。ふと、小さな火の玉を右手で弾いた時、ソラの感覚とシノブの眼がリンクした。床に転がった日本刀を発見する。

「そこかっ!」

 日本刀に向かって、ソラは走った。何度も火の玉の破裂に巻き込まれながら、それでも前に進む。右手で日本刀を拾い上げ、展開したマテリアルで包み込んだ。

 日本刀から放たれる火の玉が、ソラのマテリアルに当たり破裂する。その度、ソラの全身に破裂の衝撃が伝わった。

「絶対だ! 絶対に助ける!」

 次の瞬間、ソラは強烈な一撃を受けた。雷に打たれたような電撃が全身を走る。思考は止まり、シノブの笑顔が脳裏に浮かんだ。

「⋯⋯シノブ⋯⋯」

 薄れゆく意識の中、ソラのソールが日本刀に吸い寄せられていく。全身から力が抜け、ソラは後方に倒れてしまった。

 ソラの手から離れた日本刀が、静かに床を転がった。


・・・


「ソラ⋯⋯」

 優しい声が、ソラを目覚めさせた。

「痛っ⋯⋯」

 寝ているソラの額と胸には、マリアの手が置かれている。

「治療中よ。動かないで⋯⋯」

 ソラを囲むように、フォウ、サクヤ、ライラが立っていた。

「⋯⋯シノブは?」

「おはよう、ソラ。私は、大丈夫だよ」

 フォウに抱かれたシノブが、呑気に返事をした。

「ああ⋯⋯良かった⋯⋯」

 いつも通りの声を聞いたソラは、安堵の表情を浮かべる。


 キラキラと目を輝かせて、サクヤが問い掛ける。

「少年。どうやって、シノブの暴走を止めたのだ?」

「サクヤ⋯⋯今、聞く必要があるの?」

 呆れた顔で、マリアが問い返した。

「当然だろう。暴走した者は、ソールを使い果たして消滅する。或いは、堕天して悪魔になるしかない!」

「ねぇ、ソラ⋯⋯私って、かなりヤバかった?」

「みたいだな⋯⋯正直、俺は無我夢中でした。ただ⋯⋯シノブの心と繋がったような⋯⋯」

「心と繋がった、だと⋯⋯もっと詳しく⋯⋯」

「そこまで!」

 威圧を込めたライラの言葉が、サクヤの口を封じた。


「博士。俺からも質問があります。エデンという人に、心当たりはありませんか?」

「⋯⋯エデン。一般的には、この世界や大陸を指すのだろうが⋯⋯人の名では、聞いた事が無い」

「どうやら、俺とシノブを封印した人物のようです⋯⋯」

「そうそう。あの感じからして、たぶん女性だよ」

「・・・」

 その場にいた誰もが、エデンという名に心当たりは無いようだ。


 マリアの手が、ソラの体から離れた。

「はい、お仕舞いよ」

「ありがとうございます」

「ソラ君⋯⋯この治療は、あなたへの貸しとします」

「えっ?」

「君の無謀な行動で、私達に心配を掛けた事⋯⋯十分に反省なさい!」

「⋯⋯はい」

 シノブが、楽しそうに問い掛ける。

「マリア様。この貸しは、高く付きそうですね?」

「あらっ。私は、とても優しいのよ。でも、どうやって返して貰おうかしら⋯⋯」

「じゃあ、みんなで相談して決めませんか?」

「それも、いいわねっ!」

 女性達が、相談を始めてしまう。その理不尽な内容に。

「⋯⋯もう、好きにして⋯⋯」

 十二分に反省をする、ソラであった。

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