10.旅立ちの日
神殿への帰り道。ソラとフォウは、森の中を歩いていた。フォウの胸には、シノブが抱かれている。
思い出した様に、シノブが切り出した。
「あっ、そうだ。フォウに聞きたい事があったの」
「⋯⋯なんでしょう」
「ほらっ、あの魔法。森の中でアルラ様と話をしていた⋯⋯」
「伝心術ですね」
「そう、それ!」
「えっ。俺、知らないよ」
「ソラは、気を失っていたからね⋯⋯その伝心術って、私やソラでも使えるのかな?」
「はい。術自体は、子供でも使える簡単な魔法なので⋯⋯大丈夫だと思います」
「お願い、教えて。離れていても、仲間と話ができたら便利じゃない?」
フォウは、ゆっくりと歩みを止めた。
「⋯⋯いいですか。まず、三人のソールを一箇所に集めてから、よく混ぜます。混ぜたソールを術者の器に戻すだけ⋯⋯」
フォウが説明した通りに、術の種を仕込んでみる。
『こんな感じで、どうでしょう』
フォウの口元は、まったく動いていない。
『距離が近ければ、声に出さなくても大丈夫です』
『おおーっ!』
二人はハモって、感動の声を上げた。
『凄いね。これなら人前でも話せるよ。やったーーっ!』
もう、シノブは大喜びだ。日本刀になってしまった彼女にとって、自由に会話をできる事が、何より嬉しかった。
・・・
その日の夜。ソラは、神殿の中をうろうろしていた。
(参ったなぁ。一つ屋根の下に男が一人。寝室で寝るなんて出来ないし⋯⋯)
アルラの部屋と寝室を除けば、ソラの居場所は限られている。
「やっぱり、ここにするか⋯⋯」
食事室に入ったソラは、部屋の一番奥まで進んだ。日本刀を壁に立て掛けて、ゆっくりと腰を下ろした。
「はぁ⋯⋯」
壁に寄り掛かり、静かに目を閉じる。体から力を抜いたソラが、ゴロンと床に転がった。
深い眠りの中、ソラは不思議な体験をする事になる。
・・・
そこは広い草原。舗装された一本道が遠くの方まで続いている。周りに建物は無く、人通りも少ない。
道端に、小さな少女がうずくまっていた。
そこへ、一人の男性が通り掛かり。
「どうしたね。こんな所で」
優しく声を掛ける。だが、少女からの反応はない。
「・・・」
男性は、ゆっくりと少女の隣に腰を下ろした。話し掛ける事もなく、ただ静かに座っている。
二人の前を、何人が通り過ぎただろうか。
ふと、少女が男性の服を掴んで。
「⋯⋯お腹が⋯⋯空きました」
小さな声で呟いた。
「儂もだよ。まだ、ここで待つのかな?」
少女は、首を横に振った。
「君の名前は?」
「⋯⋯フォウ」
「儂と行くかね?」
男性の問い掛けに、フォウは小さく頷いた。立ち上がった二人は、一本道を歩き出した。
・・・
「がはっ!」
ソラは、勢い良く起き上がった。
驚いたシノブが、声を上げる。
「うわっ! なに、どうしたの?」
「フォウは?」
「えっ。さっきまで、ここに居たけど。もう寝てるんじゃないかな」
「そ、そうなんだ⋯⋯」
「ねぇ、汗が凄いんだけど。悪い夢でも見たの?」
「いや、大丈夫⋯⋯」
ソラは、ゆっくりと立ち上がり。
「ちょっと、厠さんに行ってくる」
「ん⋯⋯ああ、お花摘みね」
扉を開けて、神殿の外へ。
「んーーっ」
大きく背伸びをしてから、だらんと力を抜いた。
「はぁ⋯⋯不思議な体験をしてしまった⋯⋯」
目を閉じて、右手をアゴの下に添える。
(あれは、夢⋯⋯夢にしては、凄くリアルだった。まるで、あの草原にいたような、不思議な感覚が残っている。あの男の人って、村長に似ていたな⋯⋯フォウの過去、と言うか。フォウの記憶⋯⋯)
「って、考えても仕方がない。まぁいいや、寝よ⋯⋯」
諦めたソラが、神殿に戻って行く。
まだ、この不思議な体験の理由をソラは知らない。
・・・
三日目の朝。神殿の周りには、穏やかな風が流れていた。
巫女見習いのフォウは、お務めに精を出している。食事の支度と後片付け、掃除に洗濯、テキパキとこなしていく。
途中から、ソラとシノブも手伝う事にした。もっとも、シノブは声出し担当。実務担当のソラは、慣れない事の連続で、邪魔になっている事もしばしばである。
「フォウって、凄い。何でもできるんだね」
「慣れているだけです」
「それに比べてソラは、邪魔ばっかりして。魔法を教えてもらう前に、花嫁修行が必要なんじゃないの」
「⋯⋯ソラが花嫁って⋯⋯フフッ」
花嫁姿を想像したのか、フォウが小さな声で笑っている。
「あ、ありえないわぁ」
シノブも、一緒になって笑い出した。
「はぁ。まったく⋯⋯」
呆れた口調で、ソラが呟いた。二人の笑い声に、自然と微笑んでしまう。
お務めを終えたソラとフォウは、神殿から離れて森の中にいた。日本刀を地面に置いて、三角形に座る。
「それじゃ、フォウさん。魔法の基礎知識からお願いします」
真面目な顔のソラに、フォウが微笑みを浮かべる。
「はい。最初は、ソールの三大要素である量、質、属性について。量とは、保有量。質とは、強度。ここまでは、マテリアルの魔法で体験したと思います。
属性とは、精霊と同属の要素。世界を構成する五大元素『土、水、風、火、空』には、それぞれを司る精霊があり。精霊と同調して現象を具現化する魔法を精霊魔法と呼びます。例えば、炎を起こす場合。火属性のソールで、火の精霊と同調して、炎を具現化するのです。
土、物質の魔法、固体の象徴。
水、生命の魔法、液体の象徴。
風、圧力の魔法、気体の象徴。
火、熱力の魔法、状態の象徴。
空、空間の魔法、有無の象徴。
これが、精霊魔法の基本となります」
「精霊かぁ。ピンとこないなぁ⋯⋯」
ソラは、小さな声で呟いた。
神殿の方からフィスが近付いてきた。
「フォウ。アルラ様がお呼びですよ」
「はーい」
立ち上がったフォウは、神殿へと走って行った。
フィスは、ソラに声を掛ける。
「魔法の練習をしていたのですか?」
「はい。これから始めようかと⋯⋯」
「宜しければ、お教えしましょうか?」
「是非、お願いします」
なぜか嬉しそうに、シノブが答える。
「ただし、魔法とは諸刃の剣でもあります。練習においても慎重に、小さな術から順に学ぶと約束して下さい」
「はい!」
二人は、ハモりながら答えた。
「それでは、小さな炎を出してみましょう」
「こうですね」
シノブは、あっさりと炎を具現化して見せた。
ソラが、右手をじっと見詰めている。火属性のソールを見つけられないようだ。
フィスの左手が、ソラの肩に優しく触れた。
「肩の力を抜いて、ソールを感じて下さい。ソールは、己が何者なのかを教えてくれますよ」
ソラの右手にも、小さな炎が現れた。
「いいでしょう。精霊と同調したまま、ゆっくりと炎を大きく、小さく、大きく、小さく⋯⋯」
数回繰り返した後、フィスが軽く手を叩いた。
「それまで!」
「はーーっ」
集中の糸が切れたソラは、体から力を抜いた。
「精霊魔法とは、ソールを通じて世界と繋がる事。自分を理解する事が、第一歩となります」
「はい!」
二人は、ハモりながら答えた。
「魔法の習得には、反復練習が重要です。それでは、続けて下さい」
優しく微笑んだ後。フィスは、神殿に向かって歩き出した。
「フィス様って、素敵だよねぇ⋯⋯」
シノブは、うっとりと呟いた。
「だよなぁ⋯⋯」
思わず、ソラも同意してしまう。
・・・
二人が、魔法の練習をしている頃。フォウは、アルラの前に置かれた長椅子に座っていた。
「フォウ⋯⋯あれから6年。魔法の鍛練を、よく頑張ったな」
「ありがとうございます」
「初めて会った時。成長するソールに精神と器が順応できず、いつ暴走するかも知れない状態だった。仕方無く、ソールを封印したのだが⋯⋯」
「命を救って頂いたと理解しています」
「今のフォウであれば、暴走する事もないだろう」
「⋯⋯はい」
「よし。これより、其方の封印を解く」
目を閉じたフォウは、静かに待っている。
アルラは、ゆっくりとフォウの前に立った。左手をフォウの額に当て、静かに目を閉じる。アルラの左手は青く光り始め、光が球状に広がっていく。部屋全体を覆った光は、音も無く弾け、消えてしまった。
「フォウ。これからは、思うままに生きなさい」
神殿で過ごした6年間の思い出が、フォウの脳裏に甦り。
「あっ⋯⋯ありがとう、ございました」
アルラの胸に飛び込んだ。
泣いてしまったフォウは、アルラの愛情に包まれるのだった。
・・・
六日目の夜。月の明かりがカロスの地を照らしていた。
神殿近くにあった岩の上に、ソラは腰掛けている。左手には、日本刀が握られていた。
「俺達がエデンに来て、もう一週間⋯⋯」
「そうだねぇ⋯⋯」
「なぁ、シノブ。このまま、ここで生きていくのかな⋯⋯」
「ん、どうしたの。お家に帰りたいって話?」
「⋯⋯正直。元の世界に帰りたいとは、あんまり考えてないな。ここでの生活も、悪くないと思っている⋯⋯シノブは、どうなんだ?」
「そうだねぇ。私は⋯⋯どんな状況でも、精一杯生きる!」
「アハハッ。シノブらしいな⋯⋯安心したよ」
「なによ。心配してたって事?」
「まぁ、なんだ⋯⋯シノブが居てくれて、本当に良かったよ」
「それは、お互い様でしょ」
「そっか⋯⋯」
微笑みながら、ほっとした表情を浮かべる。
ソラの所に、フォウが駆けて来た。
「二人共、ここに居たのですね。明日は朝早いので、そろそろ戻りましょう」
呼びに来てくれたフォウに、笑顔で振り返り。
「はーい!」
二人は、ハモリながら答えた。
神殿に向かう三人は、楽しそうに会話を続けるのだった。
・・・
旅立ちの日。アルラの部屋には、全員が集まっていた。
いつもの椅子に座り、アルラが口を開く。
「朝早く、すまないな。今から旅立てば、カリスの町で宿が取れるだろう」
アルラは立ち上がり、一通の封書をソラに手渡した。
「サクヤ・バロック博士への紹介状だ。カリュー領都の屋敷を訪ねるといい」
「はい。ありがとうございます」
続けて、ネックレスをフォウの首に掛ける。青い宝石が、胸元に輝いた。
「これは、アルラ・ノルンの従者である証だよ」
「謹んで、お受け致します」
椅子に戻ったアルラと入れ替わり。フィスが、ソラとフォウに黒い布を手渡した。
「旅の無事を祈り、私が仕立てたローブです。魔道具でもあり、二人の身を守ってくれる事でしょう」
続けて、ソラに巾着袋を手渡した。
「この袋には、村人達からの気持ち。それと、アルラ様からの謝礼が入っています」
「はい。大切に使います」
「私達がしてやれるのは、これくらいだ。旅の無事を祈っているよ」
言い終えたアルラは、壁の方に向きを変えてしまう。
ソラとフォウは、すくっと立ち上がり。
「では、行ってきます」
深々と一礼して、部屋を後にした。
旅立ちを見届けた後、カニーニャが口を開く。
「もう、アルラ様ったら。湿っぽいのが苦手なんですよね⋯⋯」
「これっ」
フィスが、軽く注意する。
「⋯⋯見事な隠形です」
アルラは、意外な言葉を口にした。刹那、二人の巫女がアルラの両脇を固める。
「流石だね⋯⋯アルラ」
部屋の片隅から、人影が歩み出る。その顔を確認した二人の巫女は、三歩下がって臣下の礼をとった。
「ソル様は、相変わらずの様で⋯⋯」
ソルと呼ばれた男性は、両肩を軽く上げて、とぼけて見せた。
『先程の少年⋯⋯サーガの言っていた希望のカケラなのだろう?』
『さて、どうでしょう⋯⋯』
アルラは、静かに岩を見詰めていた。
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