7.森の魔物

 その日の深夜。カロス神殿には、明かりの灯る部屋があった。巫女アルラは、神殿に祀られた岩を静かに見詰めている。部屋の中には、他に誰の姿もない。


「私の結界に侵入するとは、無礼だな」

 唐突に、アルラが口を開いた。

「⋯⋯非礼は、謝罪する」

 部屋の片隅から声がした。そこに実体は無く、ゆらゆらと黒い影だけが揺らいでいる。

「心にもないことを⋯⋯何用だ、サーガ」

「⋯⋯天の書に、一文が加えられた。風穴の地より、希望のカケラ現れる」

「それを確かめにきたか」

「⋯⋯左様。して、真実は如何に」

「希望のカケラは知らん。が、異界から来訪した者はいる」

「⋯⋯承知した」

 ふわりと黒い影は消えてしまった。


「はぁ」

 ため息を一つ。

「天の書⋯⋯エデンに関わる予言の書⋯⋯私も、覚悟するとしよう」

 アルラは、静かに岩を見詰めた。


・・・


 月の光が、カロスの地を明るく照らしていた。夜が明けるまで、まだ時間がありそうだ。


 カロス神殿の寝室には、ソラが眠っている。日本刀になったシノブは、ベットの端に立て掛けられていた。

 目を開けたソラが、むっくりと起き上がる。

「あらっ。おはよう、ソラ」

「おはよう。なんだ、シノブは起きていたのか」

「ま、まあね⋯⋯」

 寝室の入口からフォウが現れる。

「おはようございます。アルラ様が、二人をお呼びです」

「フォウちゃん、おはよう。それじゃ、行こうか」

 日本刀を手に取り、ソラは立ち上がった。


 アルラは、いつもの椅子に座っていた。部屋に入ったソラとフォウが、アルラの前に置かれた長椅子に座る。

「いよいよだな、少年。戦いへ行く前に伝える事がある」

「はい」

 真剣な顔で、ソラは返事をした。

「魔法を行使する上で、重要な話をしておこう。魔法とは、存在の力であるソールを用いた術。使うだけで術者の力を奪い、全てのソールを失う事は死を意味する⋯⋯この事、決して忘れるな」

 小さく頷いたソラは、アルラの言葉を心に刻んだ。


 アルラは、フォウに視線を向ける。

「では、フォウ。二人と共に、行ってくれるか?」

「はい」

「えっ! 俺達に同行させるつもりですか?」

「フォウの魔法と知識は、役に立つ。それにだ⋯⋯ソラの身に何かあった場合、誰が助けるのかね?」

「うっ⋯⋯」

 アルラの正論に、ソラは言葉を詰まらせてしまう。結果、フォウの同行が決まった。


・・・


 日の光が、大地を照らし始めていた。カロスの森は、昼の姿へと変化していく。小鳥はさえずり、動物が活動を始め、自然の雑多な音を奏でる。


 ソラとフォウは、決戦の地である狩場へと向かっていた。

 ふと、シノブが声を掛ける。

「ねぇ、ソラ。なんで、こんなに朝早くから行動しているの?」

「リザードが変温動物だからさ。気温の低い朝なら、動きも鈍くなると思う」

「へぇーっ。朝に弱いソラが、そんな事を考えてたんだぁ。ソラの動きも鈍くなったりして⋯⋯」

「ほっとけ!」

「フフッ」

 思わず、フォウも笑ってしまう。

「そう。それだよ!」

 シノブの言葉に、二人は首を傾げた。

「ここに来るまで、ずっと緊張してたでしょ。もっとリラックスした方がいいんじゃない。『平常心は戦いの基本じゃ』って、爺ちゃんの受け売りだけど。心を整えないと実力も出せないよ」

 ソラは、ゆっくりと足を止めた。大きく深呼吸をしてから、だらんと力を抜く。

「ありがとう。シノブ」

「なんのなんの」


 フォウが、右手の人差し指を口元に当てた。

「シーッ、静かに⋯⋯森の空気が変わりました」

 周囲から自然の雑多な音が消えていた。

「これって⋯⋯もう、近くにいるんじゃないの」

「俺も、そう思う。フォウちゃんは、隠れた方がいい」

 頷いたフォウは、来た道を戻って行く。


 ソラは、左手に握っていた日本刀を腰のベルトに差し込んだ。

「シノブの眼で、リザードを探してくれ」

「了解」

 道から外れて森の中へ。つる草や小枝を掻き分けながら、慎重に進んで行く。

「ソラ!」

 シノブの声に反応して、すっと腰を落とした。

「見つけた。11時の方向、50メートル」

「一番近い仕掛けは?」

「4時の方向、250メートル」

「遠いな⋯⋯」

 腰を落としたまま、リザードとの距離を縮めていく。移動しながら、手頃な石を2つ拾った。20メートルまで近付いて。

「あれが、リザード⋯⋯」

 大きな体を地面に伏せ、頭を縦に振っている。全長4メートルはあるだろう。全身土色のトカゲは、不気味な魔物に見えた。

 何かを砕くような音がする。

「奴は、食事中みたいだ」

「そうだね。仕掛けまで、私がナビってあげる」

「⋯⋯よし、行くぞ」

 一気に10メートルまで距離を詰め、2つの石を投げ付けた。1つは背中、1つは頭に命中する。

 リザードは、二本足で立ち上がり。

「ガァーッ」

 威嚇の声を上げて、ソラに向かって突進する。

「こっちだ!」

 リザードに背を向けて、ソラは走った。仕掛けまでの最短距離を、駆け抜けるつもりのようだ。

 だが、50メートルほど走った所で。

「ソラ。ストップ、ストーーップ!」

 急停止して、ソラが振り返る。リザードは、30メートルも離れた場所に立っていた。ソラに対する興味を失ったのか、動き出す気配が無い。

「やっぱり。逃げるだけじゃ、ダメだ」

 今度は、ソラの方からリザードに向かって行く。近付きながら、右腕にマテリアルを展開した。右腕が青い光を放っている。

 リザードまで5メートル。

「どりゃーっ!」

 右手から伸びたマテリアルの棍は、リザードの右肩に命中した。威力が足りなかったのか、上半身を揺らしただけだ。動きながら棍を当てた事で、ソラはバランスを崩してしまう。

 この隙をリザードは見逃さない。前進しながら左腕を振り上げ、ソラの頭を目掛けて振り下ろした。

「いっ!」

 頭に当たる寸前、バックステップでリザードの攻撃を躱す。

 左腕を振り下ろした勢いのまま、リザードが体を回転させた。長い尻尾が、ソラに向かって襲い掛かる。

「うわっ!」

 素早く体を反転させたソラは、ダッシュで逃げ出した。

 逃げる獲物に対して、リザードが追撃を始める。

「まともに戦えないじゃないか!」

「今は、逃げる方が大事でしょ。それより、距離が空いたじゃない。もっと、ゆっくりだよ」

「マジかよ! 怖いんだぞ!」

 攻防を繰り返しながら、仕掛けの場所へと近付いて行く。

「1時の方向、15メートル」

「見えた!」

 地面の上に、ロープで作られた直径4メートルの輪を確認した。ソラは全速力で走り、ロープの輪をジャンプして飛び越える。

 遅れて来たリザードが、ソラに向かって行く。ロープの輪に入った瞬間、地面が陥没して大穴の中に吸い込まれていった。

 直ぐ様、ソラは次の行動に移る。近くの木陰から油瓶2本を手に取り、ズボンのポケットから火の魔道石を取り出した。瓶の口から垂れ下がる布に火を付けると。

「⋯⋯すまない」

 2本の火炎瓶を大穴の中に放り込んだ。大きな爆発音と共に、大穴から火柱が上がる。

「うわっ!」

 想定外の現象に、ソラの体がビクッと反応してしまう。

 大穴から噴き出る、炎と煙。焼け焦げた匂いが、辺りに広がった。


・・・


 一時間後。木の根に座り、ソラは大穴の様子を見守っていた。火が消えたのを見届けると。

「なぁ、シノブ。これで終わり、だよな⋯⋯」

「そうだね、もう大丈夫でしょう。フォウちゃんにも知らせないと」

「だな。迎えに行こう」

 ソラは、すっと立ち上がった。森の中から道まで戻り、村に向かって歩いて行く。

「この辺りにいると思うんだけど⋯⋯」

「⋯⋯あっ、あそこ。1時の方向」

 道沿いにある大きな木の下で、フォウはしゃがみ込んでいた。

 下を向いているフォウに、ソラが明るく声を掛ける。

「フォウちゃん、お待たせ。リザードを退治してきたよ。もう、大丈夫だからね」

「ダメ⋯⋯まだ、森の中に⋯⋯」

 フォウは、ひどく怯えている。

「後ろ!」

 突然、シノブが叫んだ。

 ソラは、後方を確認しないまま、フォウを抱き抱えてダッシュする。

「ぐっ!」

 背中に衝撃を受けながらも、何とか体勢を立て直して、森の中へと走り出した。

「シノブ、今のは?」

「信じられないけど、リザードよ」

「くそっ!」

 一撃で仕留められなかったからか、リザードは追って来ない。


 リザードから十分な距離を取り、ソラは走るのを止めた。ゆっくりとフォウを下ろして、振り返る。

「フォウちゃん。ここから一人で、村まで行ける?」

「だ、大丈夫です。でも⋯⋯あっ!」

 ソラの背中を見てしまった。右肩から左下へ、深い爪跡が刻まれている。血に染まった制服がザックリと裂けていた。

「シノブ、仕掛けは?」

「近い方で、500メートル」

「正直、厳しいと思うか?」

「ソラの体力次第⋯⋯かな」

「んじゃ、頑張るしかない⋯⋯」

 フォウに背中を向けたまま、後手に離れての合図を送る。

「ダメです!」

 叫んだフォウは、ソラの左腕にしがみついた。

「その傷じゃあ、もう⋯⋯」

「それでも、俺がやらなきゃ⋯⋯君を助けられない」

 フォウは、ソラの左腕から離れようとしない。


「ソラが動けるうちに⋯⋯あっ。フォウちゃん、ここに大穴掘って!」

「は、はい!」

 後ろを向いたフォウは、両手を地面に当てた。

「クレイ!」

 呪文を唱えると、目の前の地面が渦を巻きながら形を変えていく。みるみる円柱状に地面が陥没して、深い縦穴が生成された。直径4メートル、深さ10メートル。

「ソラ。この穴に奴を落とすよ。この距離なら何とかなるでしょ。って言うか、何とかしなさい!」

「了解だ」

「フォウちゃん、離れて。奴が落ちたら、穴に閉じ込めて」

「はい」

「ソラは、光の魔道石を準備。右腕にマテリアルを展開!」

 次々とシノブの指示が飛ぶ。

「行くぞ⋯⋯」

 ソラは、リザードに向かって走り出した。シノブも、日本刀を包み込むようにマテリアルを展開する。


 リザードまで10メートル。

 日本刀から3本のクナイが放たれる。リザードの首、右腕、腹部に突き刺した。刺したクナイを変形させ、リザードの体内に無数の針を食い込ませる。

 リザードは、虫を払うように両腕を振り回した。


 リザードまで5メートル。

「どりゃーっ!」

 走る勢いを乗せ、ソラはマテリアルの棍をリザードの首元に打ち込んだ。リザードの体がバランスを崩して後退する。一撃を与えたソラは、リザードに背を向けて一目散に走った。

「ガァーッ」

 大声を上げて、リザードが追撃を始める。


「ソラ。対象を直線上に乗せて、合図したら閃光」

 シノブが、カウントダウンを開始する。

「3」

 大穴の横を走り抜ける。

「2」

 急旋回して、大穴の後ろに回り込む。

「1」

 光の魔道石を掲げ、両目を塞ぐ。

「ナウ!」

 魔道石から強烈な光が放たれる。

「ガァーッ」

 リザードの叫び声が、森の中に響く。視覚を奪われ、その場で暴れている。大穴まで2メートル。

 透かさず、シノブの指示が飛ぶ。

「まだよ! ソラ、突き落として。フォウちゃん、準備」

 リザードの背後へ回り込んだソラは、マテリアルの棍で攻撃を加える。だが、バランスを崩すだけで、押し出すほどの力は無い。

「ダメかよ⋯⋯だったら俺の全力で⋯⋯」

 ソラは、覚悟を決めた。右腕全体が、藍色のソールに包まれていく。

「これなら、どうだぁーっ!」

 右腕から放たれたマテリアルの棍は、腕よりも太く、高速で伸びる。リザードの後頭部を直撃すると、巨体を微かに浮かせた。押し出された巨体が、大穴に落下する。

 シノブが叫ぶ。

「今よ!」

 大穴に駆け寄ったフォウは、両手を地面に当てた。

「クレイ!」

 呪文に反応して、周囲の地形がぐにゃりと変形する。大穴は塞がれ、穴の中では隙間が埋まり、リザードを地中に閉じ込めた。


「⋯⋯やった⋯⋯やったよ!」

 シノブが声を上げた時、ソラは意識を失っていた。膝から崩れるように倒れてしまう。

「⋯⋯えっ⋯⋯い、いやあああああっ」

 カロスの森に、シノブの叫び声が響いた。

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