5.己の力

 静か過ぎるカロス村の中を、ソラはゆっくりと歩いていた。村と森の境目まで辿り着くと、後ろを振り返り。

「誰にも見られてない⋯⋯よね⋯⋯」

 小さな声で呟いて、森の中へと消えて行った。


 森の中を歩きながら、ソラは左手の日本刀に話し掛ける。

「もういいよ」

「喋っちゃダメって、どんな罰ゲームなのよーーっ!」

 シノブの声が、森の中に響いた。カロス村では一切の声を出さず、かなり我慢をしていたのだろう。

「うん。スッキリした」

「そっか⋯⋯」

 ソラが、ほっとした表情を浮かべる。

「ねぇねぇ、ソラに質問。さっきの話なんだけど、なんでソラが異国の剣士って事にしたわけ?」

「あんまり深い意味はないよ。その昔、洞窟の悪魔からカロス村を救ったっていう賢者様の話。あれになぞらえた方が、村人も納得しやすいだろ」

「そうかもだけど⋯⋯剣士様がリザードを何とかしてくれる、って考えるんじゃないの?」

「まぁ。そうだろうな」

 あっけらかんと答えた。

「そうだろうな、って。もう、何考えているのよ⋯⋯ソラが、一人で何とかするつもり?」

「勿論。シノブには、協力してもらうよ」

「はいはい。私は、織り込み済みなわけね」

 呆れたような反応だが、シノブの口調は明るかった。


「俺からも、シノブに質問があるんだけど」

「ん。なにかな」

「アルラ様に封印を解いてもらった事で、今のシノブができる事を教えてくれないか?」

「そうだねぇ⋯⋯聞く、見る、そんで話す。でも、人間の感覚とは違うかな」

「どんな風に?」

 シノブは、嬉しそうに語り始めた。

「んーーっ。言葉では、説明しにくいんだけど。

 聞くってのは、普通に音を感じるのに近いと思う。聴覚って、空気の振動を鼓膜で拾って、それを音として感じるでしょ。今は、大気が震える事を風が教えてくれる、って言えばいいのかなぁ。感度が良すぎて、いろんな音が聞こえてくる。

 見るってのは、なんて言うか⋯⋯視覚は、目に入った光で色とか形を認識するじゃない。今は、見ようと思うだけで見えるんだよ。それに⋯⋯意識を集中すると、視野が広がったり、遠くも見えたりするんだよね」

「簡単に言えば、目と耳が良くなったんだな⋯⋯」

「ちょっ、簡単にし過ぎっ!」

「まあまあ、大体わかったよ。やっぱり、シノブの協力は必須かな」

「ふぅーん⋯⋯珍しく、ソラが本気みたいだね。だから力を貸すのも、やぶさかじゃないわ」

「それはそれは、かたじけない⋯⋯」

 ソラは、頭を下げながら笑っていた。


「そう言えば⋯⋯ソラって、朝から何も食べてないんじゃない?」

「ガーン。忘れていたのに⋯⋯」

「朝が弱いからって、朝食も食べないからでしょ」

「⋯⋯はい。その通りです」

 会話をしながら歩いて行くと、前方に神殿が見えてきた。森の中に差し込んだ日の光が、白い建物を美しく飾っている。

「よし!」

 ソラは、軽く気合いを入れた。神殿の扉を開けて、突き当たりの部屋へと向かう。

「失礼します」

 一礼してから、部屋に入った。

 ソラの声に反応して、アルラが振り返る。

「随分と早かったな、少年。村の様子は、どうだね」

 ソラは、アルラの前に置かれた長椅子に座り。

「実はですね⋯⋯」

 カロス村での出来事について、アルラに説明を始めた。


・・・


「なるほど⋯⋯洞窟の悪魔に恐怖したか。それで、村人が自衛できる準備を整えてきたと⋯⋯悪くない判断だ」

 ソラに向かって、微笑んで見せた。

「アルラ様に、お願いがあります。村がリザードに襲われた場合、神殿へ避難するように指示しました⋯⋯勝手に決めて、すみません」

「まあ、構わないさ」

 あっさりと、ソラの期待していた答えが返ってきた。

「ソラ。良かったじゃない」

「ああ。万が一、村が襲われても最悪の事態は避けられると思う」

 安堵したソラは、肩から力を抜いた。


「それで⋯⋯村の守りは、いいとして。リザード退治の方は、どうするつもりだ?」

「俺とシノブで、何とかしようと考えています。リザードを相手に、真っ向勝負するつもりはありません。結果的に、リザードを排除できれば良いのだから⋯⋯動きを封じる事さえできれば、勝算は十分にあると思います」

「なるほどな⋯⋯」

 アルラは、ソラの考えを理解したようで、口元に笑みを浮かべる。

「もう一つ。アルラ様にお願い、と言うか。教えて欲しい事があります」

「ズバリ。リザードの注意を引く方法⋯⋯だな」

「流石ですね。アルラ様」

 反射的に、ソラも笑顔になっていた。

「えっ。どういう事?」

 シノブだけが、会話から取り残された感じだ。


 アルラは、ソラに視線を向けた。

「魔物の注意を引くには、敵意を向けさせるのがいいだろう。こちらから敵意を向けるのが最も簡単な方法だ。しかし、相手がリザードであれば、近付くにはリスクが高い」

「やっぱり、離れた所から⋯⋯」

「物を投げるにしても、相手は動くからな。当たるとは限らん。弓や槍などの武器では、それなりの技量が必要となる。そこでだ⋯⋯魔法を使うのが良いと思う。自身のソールを擬似物質化させて、リザードを攻撃する方法だな」

 真剣な顔をして、ソラは次の言葉を待っていた。

「⋯⋯いいだろう。まず、右手からソールを出して、その状態を維持してみなさい。ソールの本体から伸ばしていく感じだ」

「はい。やってみます」

 ソラは、右腕を前に出した。意識を集中させて、ソールのコントロールを始める。右腕が青く光り、手の平に半球体のソールを出現させた。ソールの表面が、深い藍色をしている。

「やはりな⋯⋯もういいぞ」

「はぁ⋯⋯」

 体から力を抜いて、右手のソールを体内に戻した。

「ソールには、量、質、属性という三大要素がある。マテリアルと呼ばれる擬似物質化の魔法では、量は物質化する体積に、質は硬度に影響するのだが⋯⋯ソラの場合は、そのまま使えそうだ」

「⋯⋯どういう事でしょう?」

「ソラの保有するソールは、量も多く、質も高い。つまり造形さえ出来れば、マテリアルの魔法で武器や防具を作り出す事ができる。例えば、こんな風に⋯⋯」

 アルラは、左腕を前に出した。手の平から、刃物の切っ先が現れて、徐々に伸びていく。剣身に続いて柄まで形作られ、短剣が生成された。

「すごい」

 ソラとシノブは、ハモリながら感動の声を上げる。

「あ、あの。必要になるのは、今日明日なんですが⋯⋯」

「そう心配するな。覚えるべきは、ソールを自在に変形させること。今度は、作りたい物をイメージしながらやってみなさい」

「はい⋯⋯」

 大きく深呼吸したソラは、体から力を抜いた。右手を見詰めながら、意識を集中させる。右腕が青く光り、擬似物質が生成されていく。

「ソラ、やるじゃない。んで、これは何かな?」

 シノブが、ノリツッコミを入れる。

「さぁ、何だろう⋯⋯」

 ソラ自身にも、よく分からない物が右手から生えていた。蛇のようにクネクネと曲がっている長い棒、と言えば伝わるだろうか。

「まぁ、なんだ⋯⋯重要なのは、正確にイメージする事だな。リザードと戦うまでに、いろいろ試してみるといい」

「⋯⋯よし。練習するしかない。シノブにも付き合ってもらうから」

「勿論だよ。なんだか、ワクワクするね」

「アルラ様。ありがとうございます」

「ああ、頑張りたまえ。それと⋯⋯今夜は遅くなるのだろう。森に入る時は、十分に気を付けなさい」

「はい!」

 立ち上がったソラは、一礼してから部屋を後にした。


・・・


 神殿の扉を開けて、ソラは建物の外に出た。両手を上げて、思い切り背伸びをする。

「んーーっ。さて、始めるか」

「ところで。アルラ様に教えてもらった、擬似物質化の魔法。マテリアルって、役に立ちそうなの?」

「いろいろと試してみるしかないかな。離れた相手を攻撃する、ってのが問題なんだよ」

「それって、リザードの気を引ければいいんでしょ?」

「まぁ、そうなんだけど。俺だって、デカいトカゲを相手に喧嘩なんかした事ないからさぁ。リザード、か⋯⋯二本足で立って、鋭い爪と長い尻尾で襲ってくる。たぶん、筋肉質でタフなんだろう。見た事もない、魔物⋯⋯」

 と、何やら始めるようだ。


 神殿から少し離れた場所に、大きな岩が一つ。直径2メートル以上はあるだろう。

 ソラが、大きな岩に近付いて行く。岩の表面を軽く叩いた後、そこから10歩だけ離れた。右手にテニスボールほどの球体をマテリアルで作り、ゆっくりとしたフォームで岩に向かって投げ付ける。だが、右手から離れた瞬間、球体は消えてしまった。

「あっ、なるほどね」

「なんか分かったの?」

「マテリアルってのは、ソールの本体から離れてしまうと消えちゃうんだな。つまり、体のどこかに触れていないとダメみたいだ」

「ふむふむ。んじゃ、これならどうだろう⋯⋯」

 日本刀の柄から生成されたマテリアルのクナイが、岩に向かって飛んで行く。クナイは、岩の中央に突き刺さった。

「よっしゃ!」

 クナイと日本刀の柄が、細いソールで繋がっている。そこから、ソールを手繰るように日本刀まで引き寄せた。

「す、凄いな⋯⋯シノブ」

「凄いでしょーっ。でも、このままじゃ使えないなぁ」

「えっ、なんで?」

「障害物の多い場所。森の中とかだと、真っ直ぐに飛ばせるだけじゃダメだよね。それにソールの糸が切れたら、クナイも消えちゃうじゃない」

「⋯⋯やっぱり。武術をやっている人は、見るところが違うんだな」

 感心した様子で、日本刀を見詰めている。

 それから二人は、擬似物質化の魔法マテリアルについて、試行錯誤を始めた。


・・・


 数時間後。練習相手として選んだ大きな岩は、その原形を留めていなかった。幾つもの穴が空いて、表面が凸凹になっている。周囲には、削り取られた岩の破片が散らばっていた。

「はぁーっ」

 大きく息を吐いたソラが、その場に座り込んだ。

「なによ。もう疲れたの?」

「ごめん。ちょっと休ませてくれ⋯⋯にしても、シノブは元気だな」

「へへーん。私ったら、全然平気だよ。まだ、若いから」

「いや、同い年だろ!」

 軽くツッコミを入れた後。

「魔法ってのは、思ったよりも体力を消耗するんだな⋯⋯気を付けないと⋯⋯」

 まるで、激しい運動をした後の様に、体中が熱を帯びていた。

「ねぇ、ソラ。マテリアルの魔法は、使えるようになったけど。必要な物って、手に入ったの?」

「まあね。とりあえず、って感じかな」

「ふぅーん。良かったじゃん」

 座ったまま、ソラは青い空を見上げた。

「⋯⋯もう少し休んだら、村に行こう。今日中に、やっておきたい事がある」

 ソラの火照った体を癒すように、森の中には優しい風が吹いていた。

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