2.白の少女

 黒い球体に取り込まれてしまった、ソラとシノブ。


 ソラは、暗闇の中にいた。突然の出来事で、状況を理解してはいない。

(何も見えない⋯⋯何も聞こえない⋯⋯何も感じない⋯⋯)

 全ての感覚は無く、思考する事だけが許されていた。

(俺の体は⋯⋯声が出ない。手足も動かない。呼吸をしているのか⋯⋯これじゃ、まるで⋯⋯)

 そこまで考えて、悲しい結末を思い浮かべてしまう。


「⋯⋯ザイ⋯⋯スビテ⋯⋯」

 薄れていく意識の中、女性の声を聞いた気がした。


・・・


「⋯⋯!」

 ソラは、意識を取り戻した。と同時に、経験した事もない激痛に襲われる。全身に力が入らず、指一本さえ動かす事もできない。信じられない速さで心臓が脈を打ち、呼吸をするだけで苦しくなる。

(な、んだ⋯⋯体中、痛い⋯⋯い、息が⋯⋯)

 思考する事ができたのは、不運と言えるだろう。この異常事態において、何もできない現実が、恐怖となってソラを襲う。唯一、異変が治まるのを祈る事しかできなかった。


 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。


 ソラは、仰向けで倒れていた。

「⋯⋯疲れた⋯⋯」

 ようやく呼吸を整えて、冷静になれたようだ。ゆっくりと慎重に体を起こして、その場に座った。

「はぁ⋯⋯マジ、やばかったな。昇天するかと思った⋯⋯で、ここは?」

 首が動く範囲で、辺りを見回した。

「俺の知らない場所⋯⋯」

 薄暗い空間の中、ほのかに光る壁だけが見える。


「見つけた⋯⋯」

 不意に聞こえてきた、感情の無い声。

「うわぁ!」

 驚いたソラが、大声を上げた。この場に人がいるなど、考えてもいなかったのだろう。

 声の方へ振り向くと、少し離れた所にシルエットが見えた。頂点から流れるストレートロングヘアに、ロングスカートのアウトライン。薄暗い中でも、その声とこの輪郭から少女なのだと推測できる。

 思わず、ソラが口を開く。

「あ、あの。ここは何処なんでしょうか?」


 数秒の沈黙。


(あれっ。俺、変なこと聞いたか。言い方が変だったのか。この間はいったい⋯⋯)

 ソラは、少女の返事を待っていた。

「⋯⋯カロスの洞窟」

「そ、そうですか⋯⋯」

(カロス⋯⋯知らないぞ。いや、洞窟とも言っていた。閉鎖的な空間、反響している音、冷たい空気⋯⋯)

 納得のシチュエーションではある。が、何処なのかは結局わからない。

 二人の居る場所は、縦横20メートル、高さ5メートルはあるドーム状の空間。発光している壁には、ヒカリゴケに似た生物が密生していた。松明や電球など、明かりの類は見当たらない。


 ソラは、ゆっくりと立ち上がり、軽くストレッチを始める。

(気温が低いからか、関節がめっちゃ重い。でも、ちゃんと動くし感覚もある。体は大丈夫みたいだ⋯⋯あれっ。違和感があるな⋯⋯制服は着ているし、バックが無くなって⋯⋯)

「ない!」

 ここで、重要な事を思い出した。

「シノブがいない!」

 慌てた様子で、辺りを見回している。

 まったく、気付くのに時間が掛かり過ぎだ。


「何をしているの?」

 放置されていた少女が、呆れたように問い掛けた。ソラの行動を傍から見れば、何とも意味不明に見えたであろう。

「君! 俺の他に誰かいなかった?」

 シノブが消えた焦りからか、口調が早口になっている。

「いいえ、誰も⋯⋯」

「誰もいない。俺だけ⋯⋯ああもう、それじゃあ⋯⋯」

 ソラの言葉を遮るように、少女が言葉を被せていく。

「ここは、安全ではありません。洞窟を出ます」

 背を向けた少女は、歩き出している。

「ちょっ、ちょっと待って。誰もいないのは、わかったよ。じゃあ、いつもと違う。そう、変わった事とかないかな?」

 少女が、動きを止める。振り返り、ソラの足元を指差した。

「あなたの側に転がっている⋯⋯長い棒」

「えっ、長い棒?」

 足元を探して、棒と言われた物を拾った。

「これ、棒じゃなくて⋯⋯」

 全体的にゆるやかな反り、細工の入った鍔、鞘には紋章のようなマークが光っていた。長さ120センチ、大太刀に分類される日本刀である。

「このマークって⋯⋯」

 ソラには、見覚えがあった。長剣と短剣、二本の直剣が十文字に交差している紋様。

(小さい頃。シノブの爺ちゃんに御剣家の宝刀を見せてもらった事がある。俺が見たのは、太刀と脇差の一対⋯⋯そう、これと同じ家紋が刻まれていたっけ)

 日本刀を見るまで、記憶の中に埋もれていた。

「なんで、御剣家の日本刀が⋯⋯こんな所に?」

 理解できない謎が一つ増えてしまった。

「とにかく。ここに置いていく訳にはいかないな」

 日本刀をしっかりと左手で握り締める。

「えっと⋯⋯洞窟から出るんだよね?」

「こちらです」

 少女は、くるりと背を向けて歩き出した。


 洞窟の中は、道幅も広く地面も平坦で歩きやすい。自然にできた洞窟というより、人工的に掘られた鉱山を連想させる。

 出口に向かっている途中、幾つもの別れ道に遭遇した。

「まるで、迷路みたいだね。俺一人だったら迷子になってたよ」

 前を歩いている少女に話し掛けてみたのだが、反応がない。

「無視ですか⋯⋯」

 小さな声で呟いた。


 会話が成り立たないまま、洞窟の中を歩いて行く。

 少女は立ち止まり、左手で前方を指差した。洞窟の外から差し込んだ光が、暗い道を明るく照らしている。

「出口だ!」

 ソラは、走り出した。出口まで移動して、視線を外に向ける。

「眩しい!」

 反射的に目を閉じて、右腕で両目を覆う。視覚に感じるのは、眼球に焼き付けたような光の残像。徐々に、残像は消えていく。右腕をゆっくりと降ろし、視界から邪魔な物を取り除いた。

「ふわーーっ」

 ソラの口から溢れたのは、感動の声。自然と顔の表情も和らいで、嬉しさと驚きの感情が見て取れる。眼前に見えるのは、広大な緑の大地。どこまでも続く、青い空。その光景に魅了され、ソラの思考は止まっていた。

「⋯⋯すっごい⋯⋯こんなん、見たことない」

 洞窟の出口は丘の上に位置し、視界を遮る物も無い。視線を左へ移していくと、遠くの方に山脈が見えた。そのまま、体を左へ回転させる。背後にあったのは、切り立った岩山。体を一回転させた所で、動きを止めた。

「にしても⋯⋯ここって?」

 誰かに問い掛けた訳ではない。口から溢れた独り言。

「カロス」

 ソラの背後から、聞き覚えのある声がした。声の方へ振り返り。

「んなっ!」

 予想した通りに少女はいたのだが、予想外の姿をしていた。

 紅色のストレートロングヘアー。大きな目には、朱色の瞳。透き通るような白い肌。純白のワンピースと紅の髪が、風にふわりと揺れている。神秘的でキラキラとした空間が、そこにはあった。

 数秒間、見蕩れてしまい。

「あ、ありがとう」

 思わず、口走ってしまった。何に対しての「ありがとう」なのか。洞窟から助け出してくれた事、それとも別の意味で言ったのだろうか。

(驚いたな。日本の少女と思っていたけど、外国のご令嬢だったのか。それとも⋯⋯紅の髪はカツラ? 朱色の瞳はカラコン? 肌だって、白過ぎるでしょう⋯⋯)

 なんて、勝手な事を考えていた。

「そうだ。自己紹介が、まだだったね。俺は、ソラ。テンドウ・ソラ。君の名前は?」

 彼女が子供に見えるからか、口調が柔らかくなっている。

「私は、フォウ⋯⋯」

「よろしくね。フォウちゃん」

 少女は、小さく頷いた。


<フォウ>

 見た目は、10才ぐらいだろうか。不思議と落ち着いた雰囲気を持っている。身長138センチ。


「えっと⋯⋯君に、教えて欲しい事があるんだけど。いいかな?」

「はい」

 それから、二人の会話が始まった。と言うか、ソラの質問をフォウが淡々と答える、という作業に入った。


 ここは、エデン大陸の内陸にあるリュー王国。カリュー領の北部に位置する、カロスと呼ばれる地域。洞窟の近くには、人が暮らしている村があるようだ。


<カロス村>

 周りを深い森と岩山に囲まれた、陸の孤島。200人程の小さな村で、自然の恩恵から自給自足の生活をしている。ライフラインである電気、ガス、水道などは存在しない。地下水を汲み上げる井戸があるだけ。


 ソラは、右手の人差し指を曲げ、顎の下に添えた。考え事をする時の癖である。

(シノブの事が心配だけど⋯⋯今は、できるだけ情報を整理しよう。洞窟より前の記憶だと、電車の事故だよな。いきなり、電車の中から洞窟に飛ばされたって感じだ。見たこともない景色、知らない地名⋯⋯ここは、日本じゃない⋯⋯)

 目を閉じて、ソラは思考を続ける。

(次に、フォウちゃんだけど⋯⋯やっぱり、コスプレしている様には見えないんだよなぁ。逆にコスプレだったら『変だよ!』ってツッコミ入れちゃうよ。それに、現代生活に不可欠なライフラインを知らないみたいだ⋯⋯そんなこんなで『異世界でした!』的な事なんだろう。起きてしまった事は仕方がない。それよりも、これからどうするかだ)

 情報を整理した上で、ソラは現状を受け入れたようだ。


「じゃあ、次の質問ね。なんで、洞窟にいた俺を助けてくれたのかな?」

 ソラには、何気ない疑問だったのだが。

「あなたを助けたのは、カロス村を救って欲しいから⋯⋯」

 フォウの答えは、思いも寄らない物だった。

「えっ、俺が⋯⋯村を救う?」

 思わず、口から溢れてしまう。

 フォウは、左手でカロス村を指差した。その手をゆっくりと右に移動して、森の中にある白い建物を指し示している。

「まずは、カロス神殿へ行き。巫女アルラ様に会います」

 言い終えたフォウは、丘を下り始めた。

「ねぇ、どういう事?」

 ソラの声が聞こえないのか、フォウは止まらない。

 フォウの背中を眺めながら、ソラは右手を腰に当てる。

「うーん。フォウちゃんって、集中していると周りが見えなくなるのかな。ここに居ても仕方がないし、付いて行くしかない⋯⋯」

 左手の日本刀を見詰め。

「荷物と言っても、これだけだし⋯⋯なんか腹減ったなぁ⋯⋯」

 嫌な考えを消し去るように、大きく首を振った。

「よし!」

 気合いを入れて、ソラは走り出した。

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