第12話  ロマンチスト

「まもっちゃん」

 戸中さんの意識はまだあり、少しは話せる状態のようだ。僕1人じゃないことにほっとする。しかし戸中さんの顔色は悪い。すぐにでも傍に駆け寄るべきだが、何せ体が動かない。

「戸中さん。ごめん。助けられなくて」

「ぷっ」

「え?」

「ユウね。ゴッソン押しって言ったじゃん。覚えてる?」

「あぁうん」

 こんなときにまだあの漫画の話をするだけの余力が残っているのか。幸い、赤ん坊は疲れたのか眠っている。しかし、いつ目を覚ますか分からないから怖い。目を覚ましたら次は僕だ。

「ゴッソンってさぁ実はね。あ、ネタバレだけどいい?」

「いいよ」

 とはいうものの、この話、本当にどうでもいい。

「ゴッソンってね、実はタイムマシンで過去から来たの。ってもう言ったか。でさぁ、今ってスマホじゃん? なのにポケベルってやつ使ってんだよね。パパも大昔使ってた記憶あるけどさ。でも、なんかいいよね。ポケベル」

 ゴッソンがポケベルでミゾレに暗号で気持ちを伝えていたことはもう既に聞いていた。戸中さんは話したことを忘れているのだろう。

「けどけど、けど、はぁはぁ」

 戸中さんの息が苦しそうだ。無理してしゃべったからだろう。声を出すというのは案外体力のいることだということに気づかされる。

「大丈夫?」

 僕の足が動いた。戸中さんに足を向ける。僕はとっくにメガネを赤ん坊に壊され、目の前はぼんやりしている。戸中さんは鉄の棒で殴られ、痛々しい風貌。よく見たら顔も腫れてる感じだ。僕は手を伸ばした。戸中さんの手に触れる。戸中さんの手がびくっとした。

「っもう。神経に響く」

 普通に話しているようだけど、ちょっとした刺激でも痛いんだ。

「っはぁ、いた、い」

「ごめん」

 謝るしかなかった。赤ん坊はまだ寝ている。もう成すすべもない。次に目を覚ましたらそれで最後なのだから。あの時、病院で目覚めれば良かった。こんな赤ん坊を助けるなんて、人が良すぎる。この子は、悪魔だ。

色々と考えているうちに、戸中さんは目を閉じていた。

 スースー

 戸中さんの寝息が聞こえる。生きているようだ。ついに、僕は1人ぼっちになってしまった。この真っ白い部屋で。仲間が死んでいくのをただただ見届けるだけの僕。そうか。悪魔は僕だ。

 




 カン 

 カン カン

 カン カン カン

 カン カン カン カン

 カン カン カン カン カン

 カカカカカカカカカカカカ

 カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ

 カン

 トン

 僕は鉄の棒を手にしていた。そして、赤ん坊を見る。もう終わりにしよう。鉄の棒を赤ん坊の腹部に置く。

 ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 赤ん坊が目を覚ました。

 カラン

 鉄の棒を落としてしまった。

 赤ん坊の目がトンボになる。目の玉が飛び出そうだ。がぶっと僕の右腕に噛みついてきた。

「うっ」

 腕の皮膚がちぎれそうだ。ぎぎぎぎぎと噛みしめる音が聞こえる。必死に腕を守ろうとするが、びくともしない。もうだめだ、そう思ったとき、腕が解放された。

「さようなら あいしてる」

 赤ん坊が呟いた。爺さんの言葉だ。




そうか、この赤ん坊は爺さんなのかもしれない。

「山田三郎さん……?」

「ママ あいたい」

 案の定質問に答えてもらえることはなく、赤ん坊に鉄の棒を取られてしまった。そのまま棒を今度は僕の腹部に押し付けられる。内臓が押しつぶされる。

「うぐっ。ぐうぅううううううう、うっ」

 息ができない。苦しい。このまま死ぬ……。

「まもっちゃん」

 戸中さんの声がする。しかし、そっちに注意を向ける余裕がない。

「ゴッソンはね」

 戸中さんは床に倒れたまま言葉を放っている。か細いがはっきりと聞こえる。けれど、今、この状況でゴッソンがどうしたんだ……。

「うぅうっ」

 腹部への圧迫がさらに強まった。

「ゴッソンってロマンチストなんだよ」

「はっ……?」

 やっと出た僕の声。

「ポケベルって数字の暗号なんだよ。番号で伝え合うの」

現物を見たことはないが、ポケベルは番号でやりとりするってことくらい知っている。どこで知ったのかは覚えていないが、僕の世代でもそれはなぜだか常識だ。時代的にポケベルから携帯電話の過渡期あたりに生まれている。



 ばんごう。バンゴウ。番号。そうか、番号! 腹部の圧迫が緩んだ。

「戸中さん、詳しく」

 戸中さんの方へ身体をひねる。さっき噛まれた腕がずんずんと重い。戸中さんは目を閉じたままだった。

「たとえばね、ええっと。0840だったら『おはよう』なの」

 そうか、『さようなら あいしてる』もポケベルの暗号かもしれない。この言葉を変換した番号が、赤ん坊の母親に繋がるダイヤルだ。思いついたのはこれだけ。それで違ったらもう諦めよう。

 僕は全神経を集中させるために目を閉じた。爺さんの最後の言葉をポケベルの暗号、すなわち番号への置き換えを試みる。まずは『さようなら』だ。さっき戸中さんが言っていたのは、0840が『おはよう』になる。真っ先に正解になるのは『は』は8だということ。まぁ、これくらいはヒントがなくてもわかっただろうな。『さ』3に間違いない。『な』は7だろう。じゃあ『ら』は何か。0~9を数字という。1は『い』とか、2は『に』とか『ふ』も考えられる。『ら』と読めそうな数字が思いつかない。後回しにしよう。次に『あいしてる』を考える。ぱっと分かるのは『い』は1。『し』は4だけだ。『あ』、『て』、そして『る』が分からない。考えて思いつくものなのだろうか。戸中さんによると『う』は0。0はきっとどうしても他の数字に当てはめることができない文字に使うのだと思う。

「戸中さん」

 僕は意を決した。恥はかき捨て。

「ポケベルの暗号、教えてほしい」

 聞こえているのだろうか。戸中さんは目を閉じていて、生きてるのかもよく分からないが。さっきは目を閉じたままなんとか話してくれた。

「『さようなら あいしてる』を番号にするとどうなる?」

 返事がない。

「戸中さん」

 実のところ僕も腹部の痛みであまり声を張ることができないのだ。どうしても蚊のなく声になってしまう。自分で考えるしかないのか。そもそもポケベルの暗号であるということ自体が間違いの可能性があるのだけれど。

「戸中さん」

 もう一度呼びかけた。

「んん」

 戸中さん! 生きてる! 

「戸中さん」

 戸中さんの声が聞けただけでこんなにも嬉しいなんて。

「戸中さん」

 何度でも呼ぶよ。

「戸中さん」

「もうっ。なに」

 戸中さんは細めた目で僕を睨む。

 僕も戸中さんを睨み返す。僕たちは睨みあう。いや、そんなことしている場合ではないのだ。

「戸中さん」

「何度も呼ばないでよ。恥ずかしいんだから」

 戸中さんが少し顔を赤らめた気がした。

「時間はない。至急。ポケベルの暗号教えてくれ。ゴッソンもきっと言ってただろ。ミゾレに愛してるとか、さようならとか」

 僕は無表情で戸中さんを見つめる。ゴッソンなら絶対に暗号でミゾレに伝えているはずだ。戸中さんがいうロマンチストだったとしたら。

「3470114106」

 戸中さんは流れるように番号を言った。川の流れのようだった。

「ゆっくりめで」

「3 4 7 0 がさようなら。1 1 4 1 0 6が愛してる」

 3470、114106、3470、114106

 何回か唱える。覚えただろう。あとは、ダイヤルを回すだけだ。

 ぎくっ。

 噛まれた方の腕を勢いよく床に押してしまった。うぅ。僕は悶えた。しばらく動けずにいると、音がした。

 


 カラン、コロン。

 


 振り向くと、笑顔の赤ん坊が立っているではないか! 

 


 赤ん坊は鉄の棒を僕に振りかざそうとする。動けない。逃げることができない。



「戸中さん」

 思わず戸中さんに助けを求める。助けてくれるはずがない。戸中さんも動けないのだから。

 ガンッ!

 目の前がぼやける。後頭部がずんと一気に重くなった。ダイヤルを回さないと。何とかして這いつくばるが、天地がひっくり返りまともに進めない。

 ガンッ。

「っつ」

 足首の骨が分離されたような感覚だ。僕はまるで赤ん坊のようにほふく前進をする。電話線を掴む。もう少しだ。

 ドスン。

 背中に重圧がかかった。同時に、僕の髪の毛の毛が引っ張られる。電話線を引っ張り、こちらへたぐり寄せる。もう少し、耐えてくれ、僕の体。そして、とどめを差すのは、もう少し待ってくれ。ほとんど視界は真っ白だ。手探りで進む。

 バキッ!

「うっ……」

 もともと噛みつかれた腕がさらにへし折られる。それでもまだかろうじて僕は意識がある。噛まれていない左手で電話をよせる。

 ガッシャン

 もう少し、左手で電話を身体に近づける。

 


 トントン 

 棒で肩をつつかれる。

 ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ。

 赤ん坊が悲鳴をあげる。

 目の前がぼやけていて見えないが、一つ一つ指で確認しながらダイヤルを回す。3、4、7、0、1、1、4、1、0、6。

 プルルルルルルルルルルルル

 繋がった!

 プルルルルルル

「もしもし」

 最初に聞いた女の人の声だ。赤ん坊は電話を指さしている。僕は受話器を赤ん坊に渡した。赤ん坊は両手で受話器を握り、耳に当てた。

「もちもち。ママ、ママ、ママ……」

 赤ん坊は声を震わせる。

「ママ、あいたい。ママ、いかないで。ママ、だいすき」

 しばらく赤ん坊は黙っていた。母親の声は聞こえないが、通じ合ったのだろうか。赤ん坊は僕の方を見て言った。

「ありがとう」

 この言葉を最後に耳にして、僕は意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る