第8話 休むことは大切

 時間も空間も分からないこの真っ白い部屋。

「もう疲れちゃった。寝よっと」

 そういって横になったのは戸中さんだった。

 すぐに、ぐおぉーぐおぉーといびきが聞こえてきた。


 僕も床に寝ころんだ。床がひんやりとして、全身が冷たい。


「戸中、寝るの秒速だな。俺、腹減って寝られないわ。しかもこんないびきじゃ……」

「疲れてるんだよ。今日、色んなことがあったし」

「とりあえず俺たちも横になるか」

「そうだね」

 

ぐおぉーぐおぉーぐーーごおおおおおお!!!!!!


 戸中さんのいびきが響き渡る。

 眠れそうにないけれど、ひとまず目を閉じた。

 しばらくして、木元さんと足助の会話が聞こえてきた。

「私ね、妊娠してるの」

 これって、僕に聞こえちゃまずいよなと思いながらも耳がダンボになる。

「そう、だったんだ……」

 沈んだ声の足助の健闘を祈る。

「だからかな。赤ちゃん、私に伝えたいことがあったのかな」

 足助は何も言わない。しばらく会話が途切れた。

 


 僕は、僕だけではないと思うが、普段から完全に寝付くまで何度も寝返りを打つ。意識があるときの寝返りと、寝てしまってからの寝返りはどう違うのだろうか。まだ眠ってはいない状態で打つ寝返りは不自然になってしまう気がする。そろそろ体を反対向きに動かしたい衝動に駆られるが、何となく、動けずにいた。



「本当はね、今夜そのことを伝えるつもりだったの」

「ゴールデンウィークに妊娠が分かったの。でも、そのこと言えなかったんだ。彼には何回か会ったんだけどね。まだ、正式に付き合ってるわけじゃないから……」

「そっか。それを俺に、また、どうして? 今ここで……」

 この空気勘弁してほしい。寝られない。聞いちゃだめだと思っても聞こえてしまう。

「彼は同級生なんだけど、働いているの。でもね、他に付き合ってる人がいたみたいで。私は知らなかったんだけどね。正式な彼女じゃないのに、私、なんてバカなことしちゃったんだろうって」

 木元さんは足助の質問をスルーし、話を続けている。

「俺、上手いこと言えなくてごめん。木元は辛い思いを抱えてるんだなってことは伝わる」

「また、この部屋に赤ちゃんくるのかな」

「くるんじゃね。次は走れるようになってるかもな」

「成長、だね」

 


 正直、もう赤ん坊なんて勘弁だ。現実の赤ん坊は泣いて、笑って、怒ってても可愛い存在じゃないのだろうか。この部屋に現れる赤ん坊は、全く可愛げがない。



「もしね、彼に話して受け入れてもらえなかったら、どうしようって悩んでたの。父親になってくれなかったら。でも、どちらにしても私、母親になりたい、そう思った。赤ちゃん見たらそう思ったの。メッセージが伝わってきたの」

「いい母親になれるよ」

「足助くんもいいお父さんになるよ」

「俺は別に結婚するかどうかもわかんねぇし、そういうのわからないから」

「そうなの? じゃあもし彼に振られたら、お父さんになってくれる? 私の赤ちゃんの」

「仮定の話はできねえよ」

「ぷっ。冗談、冗談。私、彼のこと大好きだから。ちゃんと話す。彼のこと、信頼してるんだ。こう見えてね」

「なんだよそれ」足助はぼそっと言った。「はぁ、俺はどうしようかな」

「どうするの?」

「そこはふつう、『なにを?』じゃないんかい」

「いや、聞いたら悪いかなって」

「同じだろ。なんかさ、俺飽きっぽいんだよ。大学も多分やめる。勉強も嫌いだし、部活も本当は行きたくない。やめたら働くつもり。でもきっと、仕事も続かないんだろうな。何で続けられないのかな。こう、今の瞬間にいつも満足いかねえの」

「青い鳥、探してるの?」

 


 寝られない! 気まずい! 


 戸中さんは爆睡中。心底、羨ましい。僕も二人の会話なんて聞かずに、寝てしまいたい。

「そっか、俺、青い鳥探してるのか」

「でも、結局青い鳥は近くにいるんだよね」

「近くを探すか……」

 足助の近く、それは本当は木元さんのことだったはずだ。



「ふあぁぁ」

 戸中さんが起きたようだ。僕も、目をつぶっているのに疲れてしまった。本当に眠いときには目なんて開けていられないのに。眠くないときには、目を閉じていることが辛い。そして、寝てなんてないのに、寝てるのが僕だけになってしまうのは、それも気まずい。

 


 よし、目を開けよう。

「あ、まもっちゃん。おはよう」

「おはよ」

 戸中さんは正座をして僕を、上目使いで見つめてきた。

「ねえ、クイズ。答えてね」

 木元さんと足助の会話を聞いていないフリをしなくては、と考えていたばかりに、突然の戸中さんの発言に拍子抜けした。

「え? うん」

「私は今、何について困っているでしょうーか!」

「わからない」

「ヒントはこれ」

 そういうと戸中さんは正座している自分の足を指差した。

「足?」

「うん」

「足がしびれてる?」

「あっ、ほんとだ……」

 えっと、戸中さんの足がしびれてるということで良いのだろうか。でもそれは今気づいたようだ。話がかみ合わない。

「正解でいいの?」

「間違いではないけど、違うの。ほかには?」

「うーん……」

「じゃ、もう1個ヒントね。まもっちゃんも悩んでるはず」

「僕は今、特に悩んでることはないけど」

 


 僕は嘘をついた。他人が今の僕の悩みを知ったら、それだけのことで? と、バカにしてくるかもしれない。しかし、木元さんと足助の話を盗み聞きしてしまったもやもや感がちっとも晴れないのだ。聞かなかったことにすればいい、それだけのことが僕にはできない。気を抜いたら、戸中さんに話してしまうかもしれない。僕は表面的には物静かだが、つい、突拍子もなく口から出てしまうことがある。



「え! まもっちゃん、勇者!」

 僕には戸中さんのことが理解できない。

「答えはなに?」

「あのね、みんな……トイレは?」

 戸中さんが小声で聞いてきた。

「ふっ」

「またその変な笑い方した!」

「いや、大丈夫なんじゃないかな」

「なにが」

 どうやら僕は戸中さんから尋問を受ける羽目になってしまったようだ。

「だから、多分」

「なにが、どうして」

「その、少なくとも僕は」

 女子とトイレについて話すなんて。男女間ではお互い気を使う話題だと思うのだが。木元さんにこそっと聞けば良かったのに。僕も困る。

「そっか、そうだよね」

 戸中さんは諦めたのか再び横になろうとした。

 しかし。

「うぅ、しびれてるから……。足、動かないよぉ」

 足のしびれ、その辛さは僕にもよくわかる。ふと横に目をやると、足助と木元さんは眠ってしまったようだ。やっと、眠れる。僕も横になろう。



 体も心も休ませることは大事だ。

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