第6話 悪魔の誕生?
僕は真っ白い部屋にいる。レトロな黒電話が置いてあり、コードは壁に直接繋がっている。ひんやりとした空気。呼吸はできるから酸素はあるようだ。つまり、どこかに外と繋がっている穴や隙間があるはずだ。しかし見渡す限り、ひたすらに真っ白い壁。ドアも窓も無く、隙間も穴も見当たらない。サスペンスドラマの密室とは違い、現実世界そのものから隔離されているようだ。最初は気にならなかったが、高校の教室ほどの空間の中で、圧迫感がある。
木元さんは地べたに、うつ伏の状態で寝ている。起きる気配はない。
「ここから出るべきだ。ここにいたらだめだ」
「でもどうやって? 出られる場所なんて、ないよ」
「電話がある。電話が外界と繋がる方法だ」
足助はおもむろに電話の受話器を取り、110とダイヤルを回す。
ツーツーツー
すぐに119のダイヤルを回す。
ツーツーツー
「だめだ、通じない!」
日頃、番号を押して電話することはないため緊急ダイヤル以外の電話番号を思いつかない。
「片っ端から適当にダイヤルを回すしかないな」
そう言って足助はやみくもにダイヤルをまわし始めた。
「だめだ、この電話、使えない! 着信しかできないようになってる」
僕は何気なく戸中さんを見た。戸中さんは蔑んだ目をして、木元さんを見下ろしていた。
「……たのよ」
「悪魔……」
「……払いしなきゃ」
戸中さんが一人でぶつぶつと言っている。
「じゃないと、ここから出られない。死んじゃう!」
戸中さん、さっきの木元さんのことで、パニックになっているようだ。僕だってこのような非現実的な出来事には頭がフリーズしているが。
「戸中、落ち着け。実際、俺たちは生きてるのか死んでるのかも分からない。どうなるのかも確かじゃない。けど、どんな状況でも悲観的になるよりはポジティブにいこうぜ」
足助が戸中さんを励ます。
生きているのか、死んでいるのかさえ不確かで、現実なのか夢なのか分からない狭間で、何も手立てがない無機質な部屋で、『事』は起きている。『事』が起きていることは確かだ。生きていようと死んでいようとも、心は生きている。心が『事』を意味づけている。ならば何もしないわけにはいかない。僕は足助の言葉が心に滲みた。
戸中さんは天井を見上げていて上の空だ。すると、戸中さんが再びぼそぼそと言い始めた。
「悪魔の亜也加ちゃん。
亜也加ちゃんが起き上がる。
亜也加ちゃんがくる。
亜也加ちゃんが笑う。
亜也加ちゃんが近づいてくる。
亜也加ちゃんが覆いかぶさる。
亜也加ちゃんが倒れる……。」
「うっ!」
なんと、戸中さんが僕に覆いかぶさってきた。その弾みで僕は後ろに仰向けの状態で倒されてしまった。
「戸中! 古坂!」
足助が片手で戸中さんを引き起こし、もう一方の手で僕の腕を掴んだ。
「大丈夫か」
「亜也加ちゃんが、亜也加ちゃんが、亜也加ちゃんがくる……」
「木元はまだ寝てる」
足助が諭すように言う。
戸中さんは倒れている木元さんの方を見た。
「でも、だって、亜也加ちゃんがきた」
「木元はそこにいるだろ。動いていない。木元がおかしくなったあれは確かに衝撃的だった。だから戸中の怖い気持ちも分かる。でも木元はとりあえずまだ寝てるんだ」
そういって足助は壁を勢いよく蹴った。音が壁に吸い込まれた
「防音素材だ。そして、木元を起こすのはまだ先だ。戸中の言うとおり、まだ油断はできないかもしれない。ある程度この部屋の仕組みを探り、何か分かってからでも遅くはない」
「仕組みを探るったって、これ以上何もわからないよ! 電話も通じない、外に繋がる隙間さえない。亜也加ちゃんが悪魔になって、それでもうみんな悪魔になって終わりだよ!」
戸中さん自身が悪魔に憑りつかれたようだ。そんなこと、口には出して言えないけれど。
「電話線、抜いてみよう。線が出てるってことはそれを繋いでいる穴があるってことだ」
電話線が壁に繋がっているが、はまっている部分がない。線がそのまま壁にくっついているだけだ。足助は線を抜こうとしたが、案の定、線は壁から離れなかった。
「だめか。やっぱ何もわかんね」
「ほらね。もうどうすることもできないのよ。あとは私たち、悪魔に食べられるだけ」
壁を壊すには無理がある。テーブルを壁に叩きつけたとしても、びくともしないだろう。
その時だった。
ジリ、ジリリリリリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ
電話が鳴った。
「もういやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
戸中さんが叫びながら電話の受話器を手にした。
すると、木元さんがむくっと起き上がったのが見えた。
きゃっきゃきゃきゃきゃきゃぁあはははっ、きゃっ
赤ん坊の笑い声が聞こえる。
受話器を持つ戸中さんの手はカタカタと震えている。
「手が、手が止まらない……」
カタン。
受話器が手から落ちた。
戸中さんの右手の震えは止まらない。左手で必死に震えを押えようとしている。
きゃっきゃきゃきゃっきゃあはぁきゃ
赤ん坊の不気味な笑い声。
戸中さんが後ろを振り返る。
戸中さんは立っている赤ん坊を振り切る。
赤ん坊は目を大きく見開いている。
恐ろしい形相の赤ん坊。
戸中さんを見つめ、一歩を踏み出そうとしている。
きゃっきゃっ。
赤ん坊は足を前に出した。
戸中さんは動かない。
きゃっきゃはっ。
赤ん坊は不敵な笑みを浮かべている。
2歩目を前に出した時、赤ん坊は倒れた。
ハッハッハッハッ
赤ん坊はハイハイを始めた。
いち、に、いち、に
いち、に、いち、に
いちに、いちに
いちに、いちに……
いち、に、いちに……
いち、にいちに……
いちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちに
次第にスピードが速くなる
いちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちに……
戸中さんは後ずさった。迫りくる赤ん坊に目を逸らさず、後ろに下がる。後ろに木元さんがいることに気がついていないようだ。
ドン。
「いたっ」
木元さんがよろめいた。
戸中さんは木元さんの腕を掴み、自分の体の前に押し出した。
いちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにいちに
赤ん坊はもの凄いスピードで木元さんの前へ辿り着いた。
木元さんはうずくまった。黒い髪の毛を振り乱し、頭を横に振っている。
きゃはは、きゃはは。
赤ん坊は木元さんの背中の上に乗り、口を大きく開けた。
「木元っ!」
足助が赤ん坊を押し、木元さんに飛び込む。
「やめろ!」
足助は迫りくる赤ん坊を腕で制止する。
赤ん坊は暴れた。
おぎゃああああああああ、おぎゃあああああああ。
赤ん坊は大きな口を開けて足助の腕に噛みつこうとした。
「うっ」
赤ん坊は消えた。
「はぁはぁ……」
足助は息を切らす。
「木元、大丈夫か?」
木元さんは小さくうなづいた。
「ってか、戸中! てめぇ、木元を身代わりにするなんて卑怯だぞ」
「そう? 亜也加ちゃん、悪魔だもん。どうなってもいいでしょ」
戸中さんは、必死に木元さんを守った足助を冷めた目で見ている。
「ってか、古坂も、何ぼーっと突っ立ってんだよ。こっちこい」
僕の気持ちはそっち側にあったのだが、気づいたら輪から離れていたなんて。僕はまた動けなかった。木元さんを救ったのも足助で、僕は何もできなかった。けれど、戸中さんもひどいこと言ったもんだと思う。
「木元、目が覚めたんだな」
「うん。何が起こったのかよく分からない。気づいたら眠ってたみたい」
木元さんは元に戻ったようだ。
木元さんが起こした衝撃のできごとをを誰も言おうとはしなかった。ただ眠っていただけ、そういうことにしようという暗黙の空気が流れている。
はずだったのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます