第5話 事態把握

「今日の夜、ドタキャンになっちゃうじゃん」

 木元さんは複雑そうな表情をしている。

「デート?」

 戸中さんが食いつく。

「そんなとこかな」

 2人の会話を聞きながら僕は足助を見た。足助はぼうっと木元さんを見ていた。 女子の会話を熱心に聞いているのだろうか。

「夜ならまだ間に合うかもよ」

 戸中さんが言うが、木元さんは首を横に振った。

「間に合うのがいいのか、悪いのか……」

 木元さんはこれ以上話したくないようだ。その話を始めたのは木元さんなのに、女子はよくわからない。

「そういや、俺も今日部活の飲み会があったんだ。すっかり忘れてた。正直あんまり気が進まないんだよな」

「私も。このまま目が覚めなきゃいいと思う」

「まもっちゃんは? 今日予定あるの?」

 戸中さんに馬鹿にされた気分だ。そういうつもりはないのだろうが、イラッとする。何て答えれば良いのだろう。僕は今日、予定がない。そう答えるだけなのだが。素直に答えたくない自分がいるから困る。戸中さんも、僕に予定がないことくらいわかっているのだろう。わざわざ聞くなんて……。

「ちょっと、ちょっと。まもっちゃん、安心して。私も365日、大学以外予定入ってないから」

 戸中さんは得意げだ。戸中さんみたいに、僕も堂々としていればいいのだけれど、要するに見栄っ張りなのかもしれない。

「古坂、聞いてんのか?」

「古坂くん!」

「まもっちゃん!」

 ハッ。

 つい、深く考えすぎていた。いつもこうなる。そうだ、戸中さんの質問に答えなければならないんだ。みんなが僕に注目している。声を出さなきゃ。

「特に……」

 これが精一杯だった。

「まぁそういうとこもかわいいじゃん」

 戸中さんのこの言葉にぞくっとした。みんなが一斉に戸中さんの方を見た。そして、見比べるように僕の顔も見られている。

 戸中さんはあっけらかんとしている。

「え? まもっちゃん、前から思ってたけど無愛想なとこがかわいいなぁって」

 そんなことを言われ、穴があったら入りたい。そんな僕の思いが通じたのか、足助が僕に関する恥ずかしい話題をまとめてくれた。

「ま、人それぞれでいいんじゃね」

 足助は意外にもあっさりまとめてくれた。しかし、あっさりすぎるのではないだろうか? もっと他に言葉なかったのだろうか。足助の言葉によって、僕の心の隅っこに細い針が刺さったような感じがした。

「なんかさ、お泊り合宿みたいな感じでわくわくする!」

 戸中さんはケラケラと笑いながらあっさりと話題を変えた。

「そういえば、私たち、ゼミ以外ではあんまり話したことなかったよね。私もみんなのことあんまりよく知らなかったな。そういえば、入学してから3か月だよね。4年間のうちのまだたったの3か月だよ」

 木元さんがしみじみと言った。

 木元さんの言うとおりだ。僕たちはゼミ以外で関わりがない。僕も、興味がないわけではなかったが、本当にみんなのことについては知らないことばかりである。

「亜也加ちゃん、部活入ってるの?」

「入ってるよ。コーラス部」

「へー、コーラスしてるんだ。すごーい」

「ユウちゃんは?」

「ふふっ、帰宅部だよん。まもっちゃんと一緒!」

 戸中さんと木元さんの会話を聞いている僕。何故僕が帰宅部だということを知っているのだろう。やはり、戸中さんは完全に僕を雰囲気で見ているに違いない。今日の予定がないのも。

「古坂、もっとガツガツしたほうがいいぞ。見た目は仕方ないが、中身はもっと貪欲に。彼女いたことないだろ?」

 彼女、いたことならあるさ。僕にだって! 高校時代、ゲームで知り合った人と、バーチャルだったけど、付き合っていた。と、僕は思っている。急に音信不通になったのだが。足助にとってみれば、それは彼女がいたうちに入らないことは予想がつく。しかし、僕は真剣だった。いつかは会いたいと思っていたのだ。

 そういえば、足助のいうガツガツというのは。足助のように使用済みの臭いタオルを人に貸すみたいにガツガツいけというのだろうか。そもそも、電話取ったのは僕である。不運なのか不注意なのか、内容を覚えていなかったため、電話を取っていないも等しいのかもしれないのだが。

 突然戸中さんが立ち上がった。

「だーかーらー、まもっちゃんは無愛想でいいの」

 また話題の中心が僕に来ている。話題の中心がきてもいい。ただ、その内容が問題なのだ! 好きな食べ物とか、そういうたわいない話題なら別にいいのに。

 その時だった。

 ジリ、ジリリリリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリリ……

 突然黒電話が鳴った。

 みんなが一斉に黒電話の方を見る。

 ジリリリリリリリリリリリ

 木元さんはきゅっと口を横につぐんだ。

「私、行くね」

 僕は足助をちらりと見た。足助は男らしくいかないのか。こういうとき、口先だけの男だと思ってしまう。そして、こんなときにも足助を気にする自分がいる。木元さんは一糸乱れぬ姿勢で電話の前にいる。足助が木元さんに惚れる理由が分からないでもない。男はこういうスタイルの女性に惹かれるのだ。確かに、木元さんは美しいプロポーションをしている。木元さんの背中から、迷いは感じられない。

 逆に言えば、木元さんの背中が異様にしっかりしているようなそんな気さえする。何かに動かされているような……。

 ジリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリ……

 木元さんは受話器を取った。表情は分からない。

 木元さんは静かに受話器を置いた。

「何にも聞こえなかった」

 木元さんはそう言って振り返り、ふふっと笑った。

「古坂が電話取ったときも、本当は何も聞こえなかったんじゃないか」


 ジリリリリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリ

 「あれ、また鳴りだしたぞ」

 ジリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリリ

 ――思い出した。あの時の電話の内容は……。

「私のかわいい赤ちゃん、知らない?」

「ん?」

 みんながきょとんとして僕を見る。

ジリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリリ

「って、女の人が言ってた」

「え? なんて? 電話の音でよく聞こえな……」

ジリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリリ

電話の音に木元さんの声もかき消される。

木元さんは受話器を取った。

 おぎゃ

 おぎゃぁ、おぎゃ

 おぎゃぁ、おぎゃぁ、おぎゃぁああああああ

 おぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 赤ん坊の泣き声が電話から漏れる。


 ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 今度は若い女の悲鳴だ。

 ガタンッ。

 木元さんは受話器をテーブルに落とした。

 

 おぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 木元さんの肩が震えている。

 僕は、動けない。全身におもりがのっているようだ。木元さん……。助けることもできない。僕は情けない男だ。

一瞬、温度が下がった。

 木元さんはその場に倒れ込んだ。


 おぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 

 受話器から漏れる赤ん坊の泣き声は止まない。

 足助が木元さんのそばに駆け寄る。

「木元っ!」

 木元さんはすくっと起き上がった。みんなに背中を向けたまま。

「ハハッ」

「え?」

バンッ。

木元さんは投げるように受話器を切った。

そして、振り向いた。

 顔面蒼白だ。

「あは、あは、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっははっははっははっはははっはあはっははははははははははははははぁはははぁはっはぁはははははははは!」

 木元さんが突然笑い出した。

「木元? 木元?」

 足助が木元さんの腕を握る。

「触らないで!」

 木元さんの横に赤ん坊が座っていた。

 さっき見たしわくちゃの赤ん坊と同じ気がするが、少し大きくなっている。

 木元さんは赤ん坊を片手で拾い上げた。そして、両手でそれを高く掲げた。そしてそれを振り回した。

 

 やばい! 

 そう思ったとき、僕の全身のおもりが取れた。体が柔軟になる。

「木元! 木元! やめ、ろおおおおおおお!」

 足助が叫ぶ。足助は赤ん坊を木元さんから引き離そうとする。戸中さんは木元さんの足を、僕は木元さんをうしろから抱きしめるよう覆いかぶさる。木元さんはうつ伏せになった。赤ん坊は宙に舞った。足助がキャッチする。赤ん坊は足助の腕から消えた。

「っはぁ、はぁ。木元……」

「亜也加ちゃん……」

 僕は、声が出ない。頭がついていかない。

「木元、大丈夫か?」

木元さんは動かない。戸中さんは木元さんの顔を覗き込み、首の脈に触れた。

「呼吸あり。顔色よし。唇もピンク。あ、脈も正常」

「良かった」

スースースー……。

寝息が聞こえる。

「亜也加ちゃん、眠っちゃったね」

 戸中さんは、素早い対応だった。まるで看護師のような。

 今のは一体なんだったのだろうか。電話が鳴り、泣き声と悲鳴が聞こえ、木元さんが豹変した。なんとか木元さんの顔色は元に戻ったようだ。今は眠っているが、元の木元さんに戻ったのだろうか。なんとなく安心はできない。

「亜也加ちゃん、寝てるけど、元に戻ったってことでいいんだよね?」

「わからない」

「何だったんだろう。あんな木元、初めて見た」

「何かに憑りつかれたみたい」

「とりあえず、俺たち、ヤバい事態だと思う。最初は永遠にここにいてもいいなって思った。けど、ここはヤバい」

「ユウもヤバいと思う。ここにいちゃ、だめだ。赤ちゃんの尋常じゃない泣き声、亜也加ちゃんがおかしくなって……」

 ヤバい状況。ここはいてはだめな場所。ひんやりとした真っ白い空間から出なければならない。

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