チエちゃんへのラブレター
青海老圭一
ラブレター
竹本チエちゃんへ
こんなこと畏まって言う必要はないのだけれど、僕は君が好きだ。
いや、キミが架空のキャラクターだっていうのは分かってはいるし、ましてや君が小学生だってことなんてことは百も承知だ――こういうことわざめいた書き方をすると君は嫌がるかもしれないが。
君と初めて会ったとき、君は劇場版だった。正直なところ――これは僕の口癖だ――君という人がいるのは前々から知っていた。だって君は有名人だからね。毎週君に会うのを楽しみにしていた人がどれだけいたことか。ウチの母もその一人だった。
――ごめん、ラブレターに母の話なんかして。とにかく、君はそういう存在だったんだ。君が好む、好まざるに関わらず。でも君はそんなこと気にしないかもね。「ウチ知らん。勝手にしたらええ」とピシャリと言ってほしい。
でも、僕は君にそんなことを言って貰えるだろうか。多分難しいんじゃないか、と僕は思っている。
僕の話をしてしまって恐縮だが、僕は今年27になった。
27――大変な年月が経過した。しかもここ二年は、眠ったような生活をしている。眠っているというのは、もちろんたとえ話だけれど。
花井先生がお幾つか、僕は知らない。僕は君やヒラメちゃんを通してしか花井先生を知らない。最近――僕は今第一期の五十話を見ていて、君のお母さんが市川雷蔵からの手紙を焼いている頃だ――はテツと花井先生が仲良くしているけれど、それでも僕は君やヒラメちゃんと同じように先生を見ている。
五年生になって最初の頃、テツにどつきまわされていた花井先生。僕らから見ると、花井先生はテツに慣れてきているように見えて、これはとてもよかったなあと僕は思っているんだけれど、君はどう思っているだろうか。
テツ、とここまで君のお父さんを呼ばせて貰っているが、テッちゃんと呼ばせて貰ってもいいだろうか。僕は「テツ!」と怒鳴り飛ばせる胆力も腕っぷしもないし、竹本さんと呼ぶほどよそよそしくはしたくない。別に花井先生とテッちゃんがよそよそしいと言っているわけではないけれど。あの二人の関係は不思議なんだ。
とにかく、僕はもう27になってしまった。君は嫌がるかもしれないけれど、煙草も吸うし酒だって飲む。お酒は君は嫌がらないかもしれないね。機会があれば、本当にホルモン片手に日本酒を、君のお店で飲みたいと思っている。僕は日本酒党なんだけれど、ホルモンに合うお酒というのはまだ知らない。君に選んで欲しい。そのときは、君にサイダーを奢りたい。
おっと、一応断っておくけれど、このラブレターはしらふで書いているよ。しらふで書いている方がちょっと怖いなんて君は思うかもしれないけれど、残念だけれども、僕はしらふで書いている。自分でも少し怖くなってくるが、しらふなんだ。煙草は吸っているけれどね。
そう、花井先生の話だった。お幾つか知らないけれど、多分僕と同じような年回りなんじゃないかと思っている。40ということはないだろう。でも、大学を出てピカピカの一年生、というようにも見えない。もしそうだとしたら、花井先生はかなりのものだ。
君は花井先生を尊敬していると思うし、僕も花井先生を尊敬している。今どき花井先生のような生徒思いの先生は少ないんだ。
これはお世辞ではなくて、僕の本当の気持ちだ。君に気に入られようと思ってこうしてえんぴつなめなめ――まあえんぴつじゃあないんだけれど――しているわけではなくて、本当に、心からそう思っている。
実は君が思っているより世の中は少し世知辛くて、先生が子供に向き合おうとするとなかなかどうして、そんな単純なことが難しかったりする。
ヒラメちゃんが、テッちゃんの絵を描いて金賞を取ったときのことを覚えているかい? ボクシングのアッパーカットの絵で。あの授賞式の日に、先生は会場にいた。
そんなん当たり前やんか、先生なんやから――と君は思うかもしれない。いや、君はそんなこと思わないな。先生来てくれはったんや、と思っただろう。でも、先生が来ていなかったとしたら、ヒラメちゃんや君は悲しいと思っただろう。僕は多分、そう思う。
お休みの日に、生徒がコンクールに受賞したから、その絵を見に行く。これがどれだけ難しいことか。
いや、行くこと自体は簡単なんだ。一回ならだれでも行けるだろう。でも、花井先生は違う。多分チエちゃんが何を受賞しても駆けつけてくれるだろうし、マサル君が他の賞をとったとしても――君は嫌がるかもしれないが――駆けつけてくれる。それが何回あってもだ。
これって結構難しいんだぜ。大人が自分の休みを使って、子供のために時間を使うって。
先に白状するけど、僕はこれが出来なかった。
教育実習生――って分かるかい? ほら、たまにいるだろう。秋ごろに何日か若い人が来て、先生の真似っこをするあれだよ。ピカピカの、少し緊張した、でも少し大人みたいな人が来る。僕は中学生相手だけど、それをちょっとやったんだ。
その時に、子供――中学生だから、君から見るともう大人かもしれないけれど、そんなに違わないさ――に、「今週末にクラブの試合があるから、来て欲しい」と言われた。
僕は行けなかった。なぜって――なんでなんだろうね。少し恥ずかしかったのかもしれないし、ちょっと家でゆっくりしたかったのかもしれない。もしかすると、行ってどんな顔をすればよかったのか分からなかったからかもしれない。でもとにかく――行けなかったんだ。
今でも心残りだ。人間生きていて何回かあの頃に戻りたい、と思うことがある。君はまだそんなことは無いかもしれないけれど、長いこと生きているとそういうことが何回かある。僕の場合、そのうちの一回が、これだ。
行っておけばよかったなあ。
だから僕は花井先生を尊敬しているんだ。もしかしたらラブレターに書くべき内容じゃないかもしれないけれど、これは君に伝えたかったんだ。僕はそんな人間だ。
そんな花井先生と僕は同じくらいの年で、君からするともしかしたらおっさんかもしれない。良くても、おっちゃん、かな。なにせ僕は27だ。おっちゃんだな。
そんなおっちゃんが君に、五年生の君にラブレターを書いている。ちょっと怒られるかもしれない。もしかすると、ミツルさんが僕をお縄にするかもしれないし、テッちゃんは僕を夜通し自転車で追いかけまわすかもしれない。でも、書く。嫌だったら、燃やしてしまうかひょうたん池に沈めてしまって欲しい。僕のせいでまたマサル君に悪口を言われてしまうかもしれないから、先に謝っておく。ごめん。でも、君はそんなこと気にしないだろうね。なんてったって、君は世界一タフな少女なのだから。
チエちゃん、君は自分の横顔を見たことがあるかい? 僕はあるし、あの当時テレビに噛り付いて君やヒラメちゃんの活躍を見ていた人はみんな見ている。もしかしたら、見たことがないのは君だけかもしれない。
君は多分君が思っているよりもずっと美人なんだ。
いや、美人だから君が好きだって言っているわけじゃなくて――いやいや、美人じゃないって言っているワケでもなくて――ええと、とにかく君の横顔が魅力的だっていう話なんだ。ただそれだけ。
なんでだろうか、って考える。いろんな人の横顔がある。君の横顔もあるし、ヒラメちゃんの横顔もある。ヨシ江さんの横顔もあるし、おばあはんの横顔もある。でもなんでかな、君の横顔に惹かれてしまう。
あのアンニュイな――と言うと、地獄組のボスみたいになって馬鹿にしてると思われるかもしれないけれど――少し何かを憂うような、ちょっとセンチな、少し不安げにしている君の横顔が好きなんだ。
美人とか、美人じゃないとか。そういう話ではなくて君の横顔が好きだ。あんな表情を出来る人はいない、と僕は思う。もしテッちゃんに僕が感謝するとすれば、少しばかり君に苦労を掛けていて、君がそういう表情をするようになったところかもしれない。少し独りよがりな考え方だけど、許して欲しい。
もちろん君の弾けるような笑顔も――あまりに陳腐な表現だけれども――大好きだ。ころころ猫の目のように変わる君の、そんな真っ直ぐな表情の豊かさが好きなんだ。いっときテッちゃんに笑い方が似ていることを君は悩んでいたけれど、その笑顔もなかなか魅力的なんだ。これもテッちゃんに感謝しなくちゃいけないかな。
そんなにキレイに笑える人、結構少ないんだぜ。
ちなみに、これは本当にちなみになんだけれど、少しツンとすましたような表情は、ヨシ江さんの方が上手かもしれない。僕らはヨシ江さんのすましたような表情を知っている。地区対抗の運動会、テツと走る前。赤いハチマキを巻いて髪が風になびいている。僕らはそれを画面越しに見ている。僕らはあの表情も、一生忘れることはないだろう。
比較したいワケではないんだ。僕が君の一番好きなところは、その表情がコロコロと変わるところだし、その一つ一つが君が思っているところに真っすぐなところだ。ここもテッちゃんに少し似ているね。思ったところが顔にすぐ出るところ。かぶをやるときには少し弱みになるかもしれないけれど、僕はとても好きだ。
あのヨシ江さんの少しすましたような表情は、まだ君の表情のレパートリーにはなさそうだ。もう少し時間が経つと、加わるのかもしれない。それは僕は楽しみにしておく。願わくば、君にそういう表情をさせる初めての人は僕でありたいと思っている。
そういう意味で、思いが行動に繋がっている君が好きなんだ。下駄でマサル君をひっぱたく――褒められた行動とは言えないけれど――君も好きだし、テッちゃんとかぶをして熱くなっている君も好きだし、やけくそになってホルモンを焼いている君も好きだし、テッちゃんの横暴に歯ぎしりしている君も好きだ。君の表情や動きぜんぶが好きなんだ。思いと裏表のない君が好きだ。
他にも君の好きなところは沢山ある。
友達思いの君が好きだ。君の友達のヒラメちゃん――ちょっと傷つき易い一面があるあの子――を、君は守ってあげているわけではないと思う。君はただ友達思いなだけだ。そういうところが、好きなんだ。
結構言いたいことを言ってしまう好きだ。ウチ知らん。そんなんウチ関係ない。ウチの勝手やろ。ウチな――。そういう君の主体性のある、と言ったらかしこまりすぎか。言いたいことは言ってのける君が好きだ。ちなみに僕は、自分のことをウチという女の子が好きなんだけれど、これはあまり書いても気持ちが悪いだけかもしれないので、ここでは細かい話はしない。でも、自分のことをウチっていう女の子に魅力を感じる人は、結構多いんじゃないかと僕は思っている。
走るのが速い君が好きだ。運動会やマラソン大会で活躍する君も好きなんだけれど、僕は下駄をカラカラと鳴らしながら西萩を走る君が一番好きかもしれない。こう、たくましくて。
ホルモンを焼いている君も好きだ。仕事に一生懸命なのは、君は当たり前と思うかもしれないけれど、実はそういう人は少ないんだ。で、実はそういうのってかなり魅力的なんだ。
そういうことで――と一言でまとめていいのだろうか。とにかくそういうワケで僕は君が好きなんだ。
今すぐどうしてくれってワケではないのだけれど、僕がチエちゃんに望むのは、はやく大人になって欲しいってことだ。
僕はもう27になってしまった。チエちゃんはまだ西萩小学校の五年生だ。それが悪いってわけじゃあもちろんないのだけれど、君を初めて見てからもう20年が経ってしまった。僕は27になり、君はまだ五年生。
僕は、少し大人になった君が見てみたい。ただそれだけだ。
もし君が大人になったなら――その時は、またラブレターを書くよ。
今までありがとう。これからも、よろしく。ほな。
チエちゃんへのラブレター 青海老圭一 @blueshrimp
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