拓海千秋(22)箱の中身
セイラ・ノーマッドが立ち去ると、僕は可愛らしい褐色の少女と二人きりになった。
「ふんふんふふ~ん」
なんだか気まずい。
そもそもこちらの世界では知らない人間の方が多いのだけれど、一層気まずく感じるのは多分シーツの下の僕の格好がなんとなく半裸に近い状態だと思うからで。
一方の少女――アルニカと呼ばれる彼女の方は淑女がいてもいなくても特にペースを崩さず依然としてちょろちょろと僕の周りで動き回っていた。子どもの割に黙々と仕事をこなすタイプらしい。
向こうの世界でこんな少女に声をかければ犯罪になりそうなものだが、同世代の女の子でなければ親戚の子とかと変わらない。
僕は構わず話しかけた。
「あ、アルニカちゃんだっけ」
「アルニカでいいよ」
「団長ってなんなの? どんなことしてる人なの」
「団長は団長だよ。世界を旅するノーマッド・サーカスの団長でボクらのリーダー。一応言っておくけど、お兄ちゃんはとっても運がいい方だよ」
「運がいい?」
怪訝に返しつつ、僕は少女の口にした『お兄ちゃん』という響きに少しときめいたりなんかした。
元の世界では義理の妹は口が裂けてもそんな呼び方はしないから。
「だって団長が助けてなかったら、お兄ちゃんは今頃レムリアのツンドラ地帯で偉そうな王様にこき使われてたはずだもん」
鉱山でとっくにひどい目には合ってたけど、やはり次の買い手もろくな権力者じゃなかったようだ。
「サーカスって空中ブランコとか綱渡りとか、猛獣の調教とかそういうのだよね」
「お兄ちゃんの世界のサーカスはよく知らないけど、多分同じかな。ボクらの見世物は訓練された危ない技をやったり、星術を披露したり、そんなのだよ」
アルニカはカートの周りをちょろちょろと動き回って鉢うえをさすっている。
すると水を与えたわけでもないのに、ついさっき僕の霊薬を作るために花を摘まれた植物が次々と蕾をつけて、次々と開花した。
目の前で起こる秘術に僕は面食らった。
「それも……星術?」
「うん。この子たちにはお魚さんでいうところのエラみたいなものがあって空気中にある水分を直接摂取できるの。だから一定の湿度がある環境ではお水を与えてあげる必要がないの。あとは成長するスピードをこっちで上げてあげるだけ。でも、ボクの星術はちゃんとのじゃないんだって。めちゃくちゃだって、団長が言ってた」
「星術って、魔法みたいなものなの?」
「……お兄ちゃんの言うマホーっていうのがなんなのかはよくわかんないけど」
「あ……つまり……不思議な力で火や水を操ったりできるの?」
「そう。ボクの場合は植物だけどね」
淑女が奴隷商人たちを倒したときのことが頭を過った。
突然動かなくなった引き金や、空中で止まった弾丸も星術の仕業なのだろうか。
魔法と同じならそんなことも出来そうだがだとしたら淑女も星術師、というやつなのかもしれない。
そういうことを考えだすと向こうの世界の漫画やアニメとかより先にあの夏の日のことが思い出されて、僕は頭を擡げた。
『魔法』
金輪際関わりたくないと思っていたのに。
よりにもよって二年八組の面子全員が『魔法』の存在する世界に流されてきたなんて……誰かの陰謀か、悪い冗談にしか思えなかった。
「さっきの団長も君と同じ星術師なの?」
「うん。でも、ボクと違ってきちんと教会の養成機関を卒業した正規の星術師だよ。養成機関は八歳から入って十六歳で出るんだけど、ボクはもう十歳だし、貴族の生まれでもないから入学できないんだって」
「へぇ……」
さらっとよくわからない常識を聞かされたわけだけど多分、養成機関ってのは星術師を教育する学校みたいなものなのだろう。
十六歳で卒業ってことは少なくともあの淑女はそれ以上の年齢ということだから。
「セイラって人、いつから団長をやってるの。見たところ僕と同い歳くらいに見えるけど」
「さぁ。どうして団長の年齢が気になるの?」
問われて、僕は正直にこう答えた。
「僕の……知り合いに、似てたから」
「知り合いってなに? お兄ちゃんの恋人とか?」
アルニカは上目使いで首を捻った。
「違うよ」
恋人なわけあるもんか。
やっぱりバカらしいや。
面影を感じるからといって、ここで団長をやっているセイラ・ノーマッドという淑女が瀬名波さんと関係があるわけがない。
ただの他人の空似。
もしくは自分に優しくしてくれる女性に所構わず彼女の面影を重ねているだけなのかもしれない。
気持ち悪い。
これじゃ、ストーカー呼ばわりされた中学時代とまるで変わらない。
「具合がよくなったなら、ボクが団長の部屋まで案内してあげるけど」
「いや、いいよ。僕がこの後どうなるかって、聞いてる?」
「うん。元の世界に戻るんでしょう。団長はそれが自分の任務だって言ってたよ」
「そう……しばらく一人にしてくれないかな」
「ほぉ~い」
アルニカは聞き分けよくそう返事した。
鼻歌を歌いながらスカートを反転させて出口に向かう。
あの重そうなバルブのことを思い出して僕が起き上がりかけると、アルニカはただ一回、手をパンと鳴らした。
カートの上段に乗った植物たちがダンシングフラワーのように動きだし、ゆらゆら左右に揺れながら伸縮自在な幹をバルブに絡ませていく。
あっという間にくるくると開錠させると、特にドヤ顔で振り返るようなこともなく少女は平然と部屋を出て行った。
「ははは、魔法か」
乾いた笑いは溜息に変わり、僕は天井を仰いだ。
「…………」
首を横に向ける。
看護室の窓には白いカーテンがかかっていてそこからうっすらと青い空が見える。
きっとその下には船体に抑えつけられて跳ねる波頭が見えることだろう。
船酔いがあるから海はあまり得意じゃないけど、灼熱の大地をガタゴトと馬車で運ばれるよりはマシだろう。
ベッドもふかふかだし。
移動植物園の少女が出て行ってから一〇分くらい経ったのち、僕はようやくベッドから降りることにした。
服はバスローブのような薄手の大きな布が一枚だけ。
元々着ていた制服はボロボロだったから、きっとここの誰かが気絶した僕に着せてくれたのだろう。
ゆるゆるの帯を締め直して、僕はベッド脇に置いてあったスリッパを両脚に引っかけた。
一応壁に一枚鏡がかけてあったけど小さすぎて全身像を見ることはできない。
今の僕はきっと冴えない病人Aという感じの成りになっていることだろう。
布の触り心地の悪さに「ああ、向こうの世界では結構良い物着てたんだな」なんてことを思った。
「そういえば……」
部屋を出ていく前にセイラさんが僕の持ち物がどうとか言っていたのを思い出した。
ベッドの下に頭を突っ込む。
玉手箱みたいな形状の立派な木箱がある。
引き寄せて、蓋を開ける。
土埃がふわっと顔面を包み込み、僕はボロボロになった制服と再会を果たした。
汗と泥と血と、木々の匂い。
漂流当時のことが遠い昔のことのように蘇る。
その中に一枚。
血文字の滲む羊皮紙があった。
表には見慣れぬ文字がびっしりと書かれているが裏を返すと見知った字で三十八行。
名前が書かれている。
時生先生が奴隷船の中で自分の売買契約書の裏に書き留めていたものだ。
「元の世界……か」
還る場所なんて僕にはない。
セイラさんは救世主を見つけ出して、元の世界に戻すのが自分の任務だと言った。
使命だとも。
僕にも使命がある。
大事な人を失ったけど、まだ失いきってないものもある。
お礼を言わなきゃいけない人たちがいる。
僕を気遣ってくれた人がいる。
僕を……多分、想ってくれた子がいる。
そして、復讐しなきゃいけない相手がいる。
でも、どうやって……。
僕は鉱山で自分の中に目覚めたある『力』について、どう使えばいいか。
考えを巡らせた。
この世界で、僕が何をするべきか。
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