拓海千秋(20)重金属製の女
鉄格子と鎖と鉄の仮面で拘束され、ドナドナの歌のごとく馬車に揺られること十日。
僕はエアリース三大大陸のひとつレムリア大陸の西海岸を臨む街道にいた。
この世界には三つの大きな大陸がある。
知性を持った五つの竜族が治めると言われるムウ大陸。
人間たちの国々がひしめく南北アトラス大陸。
そして、その二つの大陸に挟まれる形で存在するレムリア大陸。
捕まったあとでわかったことだけど僕たちが最初に流れ着いた場所はレムリア大陸の北東に位置するベルゼ島という島だったらしい。
世界地図で言うと赤道のちょっと上。南北アトラス大陸と交易を持つ自由都市の港にも近く、奴隷狩りが僕たちを競売にかけて世界中に出荷するのに絶好の場所だったというわけだ。
レムリア大陸は赤道から南半球の末端にまでかかる、三大陸のなかでは最も小さな大陸で、北に果てなく続く砂漠地帯を抱く一方、南には極寒の山々が聳えているのだという。地球でいうと中東とロシアの位置関係を逆さに見た感じに近いのだろう。
灼熱の太陽の下で汗がタラタラと頬や鼻を伝って流れる。犬の轡のように嵌められた鉄の仮面のせいで汗をぬぐうことはおろか、指先で鼻をかくことすらできない。
次の買い手は極寒の山々の内部に国を構えるマガルタ連峰という公国らしい。
肌を焼く熱さと、骨の髄まで激痛を刻む寒さ。
少しでもマシなのはどちらだろうか。
そんなことを考えていると無理矢理鉄格子の間から水筒の口を突っ込まれた。
思わず咳き込んでしまい、本来飲めたはずの半分の量を無駄にした。
少ししょっぱいのは塩だろうか。
奴隷商人なんて野蛮に見えても商品としての最低限の価値は落とすまいと考えているらしい。
飯には豆の煮ものや雑穀が出た。
最初にいたベルゼ島は東南アジアを思わせる熱帯雨林でヤシの実がよく採れたが、レムリア大陸はサバンナが多く、植物になる実も小さい。コロコロした豆の飯を唯一露出した口の部分から手づかみでむさぼるように食った。
馬車は二台。
騎手が二人と奴隷の見張りが一人。
救世主(セイバーズ)の焼印を押された奴隷は当然僕だけで、他の奴隷はこの世界の住人だった。
誰も彼も肌は白く、髪は金髪。黒い肌や黄色い肌の奴隷は一人もいない。
この世界ではこういう人種が奴隷になっているらしい。
畳み四畳くらいのスペースに五人が詰め込まれているせいか、息苦しくて夜はまともに寝られなかった。
それは過酷極まりないドナドナの旅が続いた十日目の夜だった。
運命の夜。
ランプを掲げて進む馬車の進路を一人の淑女が遮った。
「こんな夜中に道を塞ぐのは誰だ!」
騎手は口笛を鳴らすよりも淑女の存在を不気味がって、馬を止めた。
「これはこれは。ちょうどよいところにいらっしゃいました」
蒸し暑いサバンナの街道には似つかわしくないヒールとスリムドレス。
派手なつば広帽で顔を伏せ、パラソルをくるりと回しながらその淑女は振り返った。
「御機嫌よう」
久しく聞かない涼やかな女性の声に僕は衰弱しかけていた意識を取り戻した。
淑女は荒涼とした大地の無味乾燥さとは無縁な、上品で優雅な物腰で騎手に尋ねた。
「一見したところ、奴隷さんたちを輸送中の馬車とお見受けしましたが」
「ああ、そうだ。あんたもこの中に入りたいのか」
「いえいえ。わたくしはこう見えて買われるよりも買う立場にあるものです。突然の申し出で失礼とは思いますが、後ろにいる奴隷さんたちを何人かわたくしに貸していただけませんでしょうか」
「買う立場? いったい何者だ」
「しがない見世物家業です」
その一言に馬車を駆る男たちの息遣いが変わった。
「ほぉ、じゃ自由都市の興行の途中ってわけか」
「本隊は別におります。わたくしは現在、才能あふれる新たな団員の獲得に各地を回っている最中でして。次にお伺いする方はその中でも飛び抜けて――」
「誰もそんなこたぁ聞いちゃねぇ!」
「これは失礼」
騎手の怒声にも動じず淑女は自分のお喋りを自重するように口に手をあてた。
「すぐそこの川辺で馬車が転倒してしまったのです。籠を立て直して、車輪を付け直さねばならないのですが生憎こちらの騎手が腕を骨折しまったため、修復作業が思うようにいきません。彼の他に馬を操れるものもいませんし、助けを呼ぼうにも地平線に人家ひとつ見当たらない有様です」
「近くの集落でもこっから一日はかかる。御嬢さんの一人じゃ、朝日を見れるかどうか」
「ええ。ですから、お一人馬を操ることに長けた方をお貸ししていただきたいのです。今夜中に宿が見つかれば、明日の朝日を心配する必要もなくなります」
「可愛そうだが、ここに売りもんはねぇ。オレたちに襲われる前にとっとと馬車に戻りな」
ひひひっ、と湿った笑い声がする。
おそらく女の後をつけて、身ぐるみを剥そうという魂胆だろう。
それを檻の中で見てなきゃならないのかと思うと、僕は気が滅入った。
「それは困ります。が、貞淑を守るためでしたら金に糸目はつけません」
そう言って女は不用心にも硬貨の入った小袋らしきものを鳴らした。
男たちの耳には音だけでそれが金貨なのか銀貨なのか、すぐに検討がついたらしい。
途端に声音が柔らかくなった。
「ものによっては……考えないでもないかな」
「ただし次の町までオレたちも一緒についていくことになるがな」
「お借りしたものはお返ししなければなりませんから、当然でしょう。では、少々中を拝見させていただきます」
「どうぞどうぞ」
普段、荒っぽい男たちが見せるうやうやしい態度に胸がざわついた。
鉄格子の間から地面に目を落とす。
淡いランプの光がレムリアの雨季の湿った大地をじんわりと照らしながら近づく。
それとともに錆びた鉄で麻痺した鼻先に強く甘い香りがふわっときて、僕は顔を上げた。
薔薇の香りだ。
ランプの光が手枷、足枷で膝を抱える男たちの顔を闇の奥から引っ張り出す。
見世物家業と聞いて誰もが怯えるように目を伏せるなか、僕は淑女を見るでもなく、かといって背けるわけでもなく、虚空を見つめた。
怯えたり、恐怖に膝を抱えることはそれを欲している敵を満足させるだけだ。
やがてランプを持つ女性の手が僕の前でぴたっと止まった。
「たっく……」
たっくん。
一瞬、そう呼ばれたような気がして、僕は淑女の顔を見た。
「…………タクミ……チアキ様ですね」
頬を流れる亜麻色の美しい髪。
綺麗に通った鼻筋。
濡れた唇。
透き通るような白い肌。
碧い宝石を閉じ込めたような瞳。
絵に描いたような美人の顔に、何故かあの子の面影を見るような気がした。
「せ、瀬名波……さん?」
女は声を落として、
「ずっと、お探ししておりました」
「……」
黙っている僕を見て淑女は何の確信を持ったのか。
静かに頬に笑みを浮かべ、勢いよく男たちの方に振り返った。
「内海自由都市連合の金貨が二十枚。則金でお支払いいたします。彼の売買契約書を!」
「ばい、ばい?」
僕は耳を疑った。
見ず知らずの女性が僕を買いたいと言い出した。
奴隷商人たちも女の提案に騒然とした。
ここ数日、言葉らしい言葉を喋ることのなかった僕は乾いた喉に必死に唾を送り込んでカサカサの声で女に聞いた。
「僕のこと……知ってるんですか?」
「ええ」
女は澄んだ声で即答した。
「わたくしたちはこのように出会う運命にあったのかもしれません」
「運……命?」
「ええ。お会いできて光栄です」
「あなたは……いったい?」
「奴隷商人の皆様、売買契約書はまだですの?」
奴隷売買の提案に対し、男たちは取り合う素振りもみせない。
「そいつは売れねぇ」
荒っぽい返答とともに男たちが淑女の退路を絶つように立った。
その手にはショットガンを思わせる長い鉄の筒が握られている。
淑女はちらりと筒の先を見やった。
「あらあら」
脅しに青ざめるのかと思いきや、淑女はまるで掃除をさぼってチャンバラごっこに興じている弟たちを見つけたときのように溜息をついた。
「そのように野蛮な筒を所望した覚えはございません。しまってはいただけませんか」
「断る。とっとと自分の馬車に戻りな」
「内海の金貨で不足ですか。でしたらサントレアやヴァルツィオーネ、レアンの金貨までご用意できますが、それでも足りないと仰るようでしたら奴隷の範疇を超えた買い物ですわ。失礼ですが、この方はどこか名のある貴族の落とし子かなにかで?」
「てめぇには関係ない。見逃してやるから代金は自分の買値だと思って取っておけ」
長い筒の先が淑女の右肩を突く。
それでも淑女は動じない。
「いまどき鉄砲ですか」
「火の星術師がいなけりゃ、まだまだこいつの方が力を持つのさ」
「確かに。火薬を無効化する術師がいなければ鉄砲の天下と思われるのも無理はございませんわね。しかし、まだまだ星術のことについて深くご存知ではないようで」
「知ってるさ。これでもオレたちは術に通じてるんだ。一晩中、いろんな秘術を試してやってもいいんだぜ」
「野蛮なことは好みではありません」
「オレたちは好みなんだよ」
「では、業には業、と参りましょうか」
不意に淑女がランプから手を離した。
ランプが地面に落ちて割れる。一瞬にして灯りが消え、闇に淑女の姿が消える。
「ちっ、撃て!」
男たちが引き金に指をかける。
発砲とともに閃光が炸裂する。
淑女の細い背中がカメラのフラッシュの残像のように目蓋に焼きつく。
「!」
僕は穴だらけの淑女を思い浮かべて、目を背けた。
だが、僕の耳に届いたのは淑女の悲鳴ではなく、男たちの情けない断末魔だった。
「がぁっ!」
僕は前を見た。
淑女は生きていた。
彼女のパラソルの先が男の銃口を塞いでいた。
弾は筒の中で弾け飛んで暴発。
男の鮮血が宙に舞うも、淑女はさっとパラソルを開いて返り血を弾いた。
銃の破片は男の喉仏を砕いて、脳を貫通。男は喉から濁流のように血を流して倒れた。
ごぼごぼと溺れ死ぬ仲間を前に、もう一人の男が罵詈雑言を交えて引き金を引く。
「くそっ!」
しかし、弾は出ない。
「くそっ、なんで!」
引き金がびくともしないらしい。
焦る男に淑女が告げる。
「シャザーム」
淑女がパラソルの柄から仕込みのサーベルを抜く。
腰を落とし、さっと横薙ぎに振るうや、二人目の男の両足の腱が裂ける。
男の呻き声が地に落ちる。
「このアマ!」
淑女は立ち上がり、脇から不意打ちを食らわせようとした男の顔をサーベルで切り裂き、トドメに心臓を貫いた。
「っ!」
時間が止まったように男の顔が固まる。しかし、淑女がサーベルを抜くと途端に口から泥のような血を吐いた。
あっという間に三人の奴隷商人が淑女の足下に沈んだ。
「他愛もないとはこういうことですわね」
呆れた声で呟く淑女。
しかし、まだ一人戦意が折れていないものがいた。
両足の腱を切られた男が地面に這いつくばったまま銃を構えた。
彼女は気付いてない。
「死ね!」
「危な――」
銃声が僕の叫び声をかき消した。
弾丸は淑女目掛けて一直線。
が、しかし、
「……えっ?」
僕は目を疑った。
弾丸が淑女の目の前で制止したのだ。
リボルバーを抜いた男も目を見開いた。
「てめぇ……まさか!」
宙で制止する弾丸を見つめながら、淑女は言った。
「売買契約書というのは嘘です。ライアン教圏の国々では奴隷の売買は違法とされていますから、教会派、聖典派問わず宗派を超えて悪行は罰せられます。裁きを下さねばなりません」
淑女が顔を背ける。
同時に空中で制止していた弾丸が重力を思い出したように地面に落ちる。
「聖典派ってことは!」
「サントレア王国女王ユーフェミア・マリア・ギーニー陛下の名の下に」
淑女が真一文字にサーベルを振りぬく。
男は仰け反るような倒れた。
首元から噴水のような血飛沫をあげながら。
「ふぅ」
淑女はサーベルの血を拭うとその抜き身をパラソルに戻し、落ち着いた様子で僕のいる檻に手を翳した。
手品みたいにカランと開錠の音が鳴り、ついでに僕の両腕を縛っていた手錠も外れて足下に転がった。
「今、何を?」
「檻を開けて、手錠を外しました。遺体を探れば鍵も出てくるでしょうが……亡骸の持ち物を盗んで辱める趣味はございませんので」
「あなたは……いったい」
「失礼。ご紹介が遅れました」
淑女は恭しくスカートの裾を摘まんで腰を落とすと、とても男を三人殺した女とは思えないような優しい眼差しで僕の目を見つめた。
「わたくしの名はセイラ。セイラ・ノーマッドと申します」
「せ、セイラ?」
「自由都市の興行師ラルフ・ノーマッドの義理の娘にして、父亡きあとのノーマッド・サーカス団長。そして、今はサントレア王国女王ユーフェミア・ギーニー陛下の私兵にございます」
「ユーフェミア……って何? なんで僕のことを助けてくれるんですか。あなたはいったい、なんで僕のことを……なんでここにいるって」
「いろいろと混乱されているようですわね。詳しい話は中でいたしましょう」
「中……中って、どこ?」
「あれ、です」
突然、昼間のような光が頭上から差した。
上を見た僕は腰を抜かした。
「……なに、あれ」
大きな光が一つに、小さな光が複数。
まるでスポットライトのように地上にいる僕たちを照らした。
「なんだ、いったい……空飛ぶ……船?」
夜空を覆い尽くすほどの巨体と重力を無視する浮力。唸る風に吹き飛ばされまいと淑女は帽子を抑えながら僕に告げる。
「もうじき戦が始まります! この世界を巻き込む大きな戦が。わたくしの使命はその戦の火を少しでも小さくするためにあなた方セイバーズを元の世界に還すことです!」
「元の世界に……還る方法があるんですか!」
「もちろんです」
上から男たちの快活な掛け声が聞こえて、縄が投げられた。
縄は三本。
淑女はそのうちの一本を手に取り、僕に差し出す。
「ご安心ください。あれはわたくしの船です。タクミチアキ様。わたくしどもに同行していただきます。お手を!」
「……」
僕は躊躇した。
この世界に来て、見知らぬ誰かに手を差し伸べられるのは実は二度目だった。
鉱山にいたときだ。
気のいい奴隷の少年がいて、僕にパンをわけてくれた。奴隷たちの反乱のときに死んでしまったけど、最後の瞬間まで僕に親切にしてくれた。
友達になれたかもしれない人。
友達だったかもしれない人。
とても幸運だった。
この世界でそういう人に、助けて貰えたことは幸運だった。
でも、同じ幸運が二度や三度もつづくとは思ってない。
「僕は奴隷狩りに売られたんですよ……。大事な人だって殺されて……鉱山で酷い目にあったんです。なのに、そ、そこの人たちを殺してみせたからって……みみ、見ず知らずのあなたの言うことなんてそう簡単に信じられませんよ!」
「見ず知らず……あなたにとってはそうでしょうね」
「どういう……意味ですか」
述べられた手に戸惑っていると三本の縄の一本を伝って小人が降りてきた。
体長一メートル。
甲冑を纏い、腰に二本の剣を差したその小人は頭に被ったフードを剥いで僕を見上げた。
「噂の坊主はそいつか」
白い体毛に長い耳。
ぴくぴく動く鼻。
あまりに現実離れした生物を前に、僕の頭が思考を停止して真っ白になる。
「なんだ、喋る獣人ははじめてか」
「……」
人語を介する二足歩行の兎。その赤い目に睨まれ、僕はショックで気を失った。
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