拓海千秋(17)先生
「…………これで、全員かな」
どこの海の上とも知れない、商船の中。
僕と時生先生は夜が明けぬうちに箱のような檻に入れられ、大型の帆船の荷のひとつとして積み込まれた。
積荷に他のクラスメイトはいなかった。
奴隷らしき人たちはいたけど、檻の中に囲われた僕らよりもずっと劣悪な環境にいた。
首輪と足枷をつけ、ほとんど素っ裸の状態で船底に敷き詰められるように寝かされている。
当然、灯りの類はなくて、仄かに甲板の隙間から差し込む月灯りだけが地獄のような寝床を照らしていた。
「何してるんですか」
僕は傍にいると思しき時生先生に尋ねた。
先生は船に乗ってからずっと自分の売買契約書を広げて、何かしていた。
値がつかなかったものの、契約上は商品として扱われるため、先生にも証書が用意されていた。
買い手にとっては食玩のラムネにも等しく、価値のないものだから先生の手に預けられた。
先生の呼吸は塔にいたころに比べるといくらか落ち着いているように聞こえた。
もちろん、足の傷はまともに治療なんてされてない。
血は「あの子」の止血のおかげで止まっているだろうけど、消毒もできてないから、感染症にかかって得る可能性だってある。
だけど、手枷をはめられた僕には何もできなかった。
「……不謹慎やけど、久遠先生亡くなってもうたやろう……せやから、今はうちが担任や。担任やったら……リスト、作らなあかんやろ」
「……そんなこといいですから、もう喋らないでください」
「心配せんでも、あいつら何も言わへんわ……うちを死にかけや思うてるから……ははは、見くびられたもんやで……茨木の女も……」
「……もういいですから、今日はもう」
「あんた……あとで皆に、礼言うときや」
「へ?」
「吾郷と屋島……あんたのこと止めてくれたやろ。都倉にも……湯浅は…………あれは止めたんとはまた違うか……」
「……」
「自分が……殺されるかも……わからへんのに……守ってくれたんやで」
「……」
「それに……立花な…………あいつ、あんたの幼馴染やってんてな……通りでいっつも寂しそうにあんたのこと見てたわけや」
「寂しそう……睨んでただけでしょう」
「…………わかってへんなぁ……まだまだや、あんたは……瀬名波の気持ちかて」
「いいから、もう寝てください」
「どうでもいいなんて……誰も思ってへんねん」
「……なにが」
「自分では、存在消してたつもりやろうけど……ほんまもんのスパイに言わせたら、おこちゃまや。ちゃんと……あんたのこと……見えて、気にかけてくれとるやつもおる」
「…………」
「あんたが……みんなのことよう見てるようにな」
「僕は別に、みんなのことなんて」
「よう見てるやんけ……名前も憶えて…………ほんまは自分が覚えてほしいのにな」
「……あんなクラス……僕は」
「確かに……酷いクラスかもしれんけどな……でも、うちにとってはみんな大事な……教え子や……」
「まだ副担に三か月も経ってないでしょう」
「それがなんやねん」
急に先生の声に生気が宿った。
「悪いけど…………はぁ……うちなぁ……今からやらなかんこと……あんねん……みんなのこと……元の世界に……」
狭い檻の中で立ち上がろうとする先生。
すかさず支えに行こうとした僕だったが、その前に先生の足が何かに掬われて、滑った。
大きな音を立てて檻の中で転倒する先生。
急いで起き上がらせようと地面と先生の身体の間に手を滑り込ませようとした僕は床に広がっていたその生ぬるい感触に気付いた。
血だ。
血の海だった。
止まってなかった。
「なんで」
僕は先生の足を探った。
瀬名波さんがブラウスから切って巻いたはずの止血用の布が先生の太ももから消え失せていた。
消えた?
そうか。
彼女のブラウスもまた精霊が形作っていたものだったから。
「先生!」
僕は急いで代わりの布を作ろうと自分のシャツに手をかけた。
その手を先生の真っ青な手が力なく払った。
「拓海ぃ……」
「喋るなって言ってるでしょ!」
「でも、江藤のは……百点満点やったで…………あいつも嬉しかった……思うわ……やっぱり、ええなぁ……他人の成長……ゆうんわ」
先生の目から光が、消えていく。僕は必死に先生の身体を揺すった。
「先生! 先生!」
祈るような気持ちで必死に身体を揺さぶっている中、先生は自分の売買契約書をくしゃくしゃに握りしめながら、僕の胸元に押し入れた。
その手が力なく枝垂れて、血の海にぼとりと落ちる。
「先生!」
「………………………………カズくん、ごめんねぇ」
最後に婚約者の名前を呟いて、時生万葉先生は僕の腕の中で、息を引き取った。
星歴八三三八年 初夏月。
時生万葉(29) 死亡。
安芸東高校二年八組生存者数・男子生徒十八人、女子生徒十九人。
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