拓海千秋(15)競売

 瀬名波さんが死んだ。


 殺された。


「私を殺したいか、坊主」


 この女が命令さえしなければ、彼女は殺されなかった。

 僕は女に突進しようとした。

 何ができるとも思ってない。

 多分、無残に殺されるだけだろう。それでもよかった。

 この怒りを目の前の女に、一欠片でもぶつけられたら、それでよかった。

 けれどそんな僕の暴挙を吾郷薫と屋島青児が必死に食い止めた。


「ダメだ、千秋……耐えろ」


 二人は体育会系ということもあって、僕なんかがいくら暴れようと何度勢いをつけたり、やせっぽちの腕を振り回しところでびくともしなかった。

 

 彼らがどうして僕を正面から止めようとしているのか。

 その本心はわかっていた。


 ちょっと驚いたくらいだ。


 これ以上目の前の女に歯向かうようなことをすれば、次は僕がドラゴンの餌食になる。

 二人はそれを食い止めよとしている。

 屋島はともかく、あまりしゃべったことのない吾郷まで額に汗を流しながら僕の身体を受け止め、宥めるように声を続けていた。


「拓海君、落ち着け」


 興奮状態で『落ち着け』と言われても逆効果でしかないけど、彼にはそれ以外にかける言葉がなかったのだと思う。

 西郷隆盛のようにどっしりしていて、大らかで怒ったところを見たこともない。

 柔道部の二年主将で、大飯食らい。

 止める理由はわかってる。

 誰だって知ってる人間が目の前で死ぬところは見たくない。

 わかってる。

 それはわかってる。

 わかっているのに僕は僕の怒りを止めようとする彼らにすら、怒りを感じた。

 ただ見ているだけの他のクラスメイトたちにも。

 誰も彼女を本気で助けようとしなかった。

 誰も……。


「私に向かってくるのはいい」


 カーラが憎たらしい笑みで僕を見つめる。

 女の瞳の中に僕自身が映りこむ。


「だが、よく考えろ。誰が、この状況に導いたのか。誰のせいでこんなところにいる。誰のせいで恋人を失う羽目になった。もっと根本を見ろ」


 そうだ。

 僕だって何もできてない。

 彼女を本気で助けようとしたのは、一人だけだ。


「そうね。あんたのせいよ」


 湯浅が剣を構えてカーラの背後に立った。

 瀬名波さんを助けようと黒衣の男から剣を奪い、果敢にもカーラに立ち向かったただ一人のクラスメイト。

 正直、どうして彼女が瀬名波さんを救うためにどうしてそこまでしたのかはわからない。

 でも、瀬名波さんを本気で助けようとしたことだけは事実だ。


「その剣で私を刺すか。やるのは自由だが、後のことは考えんとな」


 カーラは僕から視線を逸らさず、背後の湯浅に警告した。


「考えるより先に身体が動く性質なの」

「あの娘は幸せだな。後を追ってくれる友人がこんなにいて」

「友達じゃない」

「なら、恋人か。両刀使いというわけか」

「友達や恋人じゃなかったら、あんたを殺していい理由にはならないっての」

「自分の命をかけるには似合わんだろ」

「私の命なら、どの道長くない」


 湯浅は失笑するように言った。

 こんなに彼女が喋っているのを見たことがない。

 おそらくクラスメイトの誰も。


 でも、長くないってどういうことだ。


 病弱なのは知ってるけど、修学旅行に来れたくらいだから回復に向かっている物だとばかり思ってた。

 僕はすっかり自分自身の怒りも落ち着いて、湯浅が殺されるのではと冷や冷やしはじめた。


「あんたたちの駒になるくらいなら、ここで死んでもいい」

「そうか。じゃ、要望通り二人とも」


「これ以上は、マズイんじゃないですか」


 黒衣の男たちに指示を出そうとするカーラを低くて理知的な声が阻んだ。


 都倉正明だ。


 真横に立った彼は僕とカーラの間に割り込むようにスッと右手を差しはさむと同時に、左手では湯浅に剣を降ろすよう促した。


「また一人増えたか。問題児が多すぎないか。なぁ、先生」


 僕の後ろで江藤に介抱されている時生先生に向けられた言葉だが、その視線は相変わらず僕から離れない。

 黒衣の男たちはすぐにでも都倉や湯浅を取り押さえられただろうから、カーラは二人を眼中に置く必要はなかった。

 僕に対してだって、警戒しているから視線を外さないんじゃない。

 ただ待ってるだけだ。

 もう一度僕が噛みつくのを。

 それがわかったら、挑発に乗ることは愚かにしか思えなかった。

 この女にこれ以上、笑わせていいのか。

 思い通りに動いていいのか。


 いいや、違う。


「マズイとは何のことだ。眼鏡の坊や」


 カーラに促され、都倉は眼鏡を押し上げた。

 白い喉仏が唾を飲み下して、こくりと上下するのが見えた。


「契約内容は知りませんが、あなたたちがここで得るはずの商品は大人を除く三十八人。あなたはそのうちの一人を殺した。ただでさえ大きな損失だと思えますが、さらに二人を殺すことは無用な損失を増やすことになるとしか思えません。そんなことをすれば……」

「すれば、なんだ?」

「あなたの信用問題に関わると思います」


 都倉はまったく物怖じしなかった。

 林田に反論したときと同じく、勤めて冷静に彼なりの自論を説いた。


「奴隷狩り、ということであれば家業でしょうから傷がつくことは致命的でしょう。俺たちはもう十二分にあなたの恐ろしさを知った」

「こいつらには伝わってないようだが」

「拓海や湯浅の怒りは一時的なものです。二人は自分の知る限り、俺たちの中ではもっとも弱く、印象に乏しく、はっきり言ってしまえば、劣等生です」

「!」


 思わずぐっと前に出かけた身体を右手がそっと押し返し、都倉は僕にアイコンタクトを送った。

 「いいから抑えろ」と。

 ゆらめく松明の光に惑わされてわからなかったけど、僕の胸を押す都倉の手はぶるぶると震えていた。


「ですから、生かすべきです。この中ではもっとも高値がつくでしょうから」


 劣等生から転じたこの結論にカーラは吹き出すように笑いだした。

 それでやっとカーラの視線は僕から離れた。


「実に合理的な考えだな。だがこの交渉で高値がついたのは、お前の方かもしれんぞ」

「彼には手を出さないでください。他の仲間にも」

「ははは、いいだろう」

 

 カーラはそう言うと片手を振って、奥に引っ込んだ。

 都倉に促され、湯浅は剣を置いた。


「偽善者が……」


 林田がどこかしらでそうつぶやくのが聞こえた。


「ありがとう、都倉」


 大庭たちの下に帰ろうとする都倉に屋島が声をかけた。

 それは僕は言わなければいけない台詞だったけど、わかっているのに、僕の口は素直に開かなかった。


「お前のおかげで助かったよ」

「誰も助かってない。あの女のプレゼンの片棒を担がされただけだ」


 都倉は声を潜めてそう言った。


「誰に投資するべきか。情報を与えてやったようなものだ」


 都倉はこれみよがしに上を見た。

 回廊の上層にいる白い像――いや、白装束の一団だ。

 相変わらず微動だにせず不気味なほど静かに僕らを見下ろしている。


「最後に注意することがひとつある」


 ドラゴンと僕らを隔てる檻を叩いて、カーラが最後の説明をする。


「お前たちは救世主と呼ばれ、過去幾度かに渡って、この世界の戦争に介入してきた。その結果、戦の期間を短縮することにはなったが、多くの犠牲者を生み、あるものは虐殺者として、ある者は独裁者として歴史に名を刻まれ、人々に忌み嫌われている。買い手以外にその素性がばれれば、お前たちはたちまち教会の異端審問官に捕えられ、拷問を受けるか、平民たちに吊し上げられ、火あぶりにされるだろう」


 女子たちの間で悲鳴にも似たざわめきが広がる。


「唯一の味方は、買い手のみだ」


 カーラは回廊の上層にいる例の白装束の一団を指さした。


「お前たちを手元に置いてでも自らの権威と力を高めようとする連中。そいつらの期待に応え続けろ。戦に貢献し、利益を生み続ける限り、お前たちがあの主人たちの手によって殺されることは……まぁ、ないだろう」


 黒衣の男が一人、丸めた紙筒をカーラに手渡す。


「では、競売をはじめる」


 筒型に丸めるよう巻かれた紐をほどき、重なった何十枚もの紙のその最初の一枚に目を落とし、カーラが名前を読み上げる。


「アゴウ・カオル」


 僕のすぐ横で吾郷が息を飲むのが聞こえた。


「前に出ろ」


 黒衣の男たちがいつでも無理矢理引き出せるよう待機していることは吾郷にもわかった。

 僕の目の前で「よせ」と屋島が吾郷の手を引くも、吾郷は首を横に振った。

 汗だくの顔が見たことないくらいに青ざめていた。


「大人しく出て行った方が……いいだろう」


 そう言って、吾郷は黒衣の男たちにその身を差し出した。

 恐れと不安の入り混じる表情で。

 重い鎖が両手に巻かれ、それを中心にして両腕と身体を縛るようにぐるぐる巻きになる。まさしくそれは奴隷の姿だった。

 吾郷自身に進み出る覚悟があるにも関わらず、黒衣の男は乱暴に鎖を引っ張り、カーラの前に連行して、膝を折らせた。


 彼女の元に新たに怪しげな炉が持ち込まれる。

 赤々と燃える炭の中には一本の鉄の棒が刺さっている。

 嫌な予感しかしなかった。


「落札に用いる貨幣は内海の自由都市連合のもののみとする。では、金貨八〇〇枚からだ」


 競売がはじまった。

 思い描いたような威勢のいい声は、そこにはなかった。

 回廊の上層にいる白装束を纏った『買い手』たちはそれぞれの懐から鈴を出すとそれぞれ違う回数で交互に鳴らしていった。

 全員ではない。

 何人かが決まった人物たちが牽制しあうように鈴の音を増やしていっている。

 やがて、それが二人に減り、鈴の音もまた一からになると数回目の鈴のやりとりで最後の一人が残った。


「落札」


 そう言うとカーラは突然吾郷の後頭部の髪を乱暴に掴んで、瀬名波さんを刺した槍で根本から断髪をはじめた。


「な、何すんだ!」


 何が起きたかわからず、慌てる吾郷を余所にカーラは彼の後頭部から一か所頭皮をむき出しにするほど刈り上げると足下の燃え盛る炉から例の鉄の棒を引き抜いた。


 先っぽは丸く平べったくなっており、真っ赤に光っていた。


「!」


 温厚な吾郷の目が恐怖で見開かれた。

 たまらず屋島が怒鳴った。


「おい、手は出さないって言ったろう!」

「安心しろ。これはただの焼印だ。お前たち救世主はこの世界に馴染むよう自分たちの意思でその容姿や体格を一度だけ変えることができるからな。だが、印だけは残る。買い手のもとから逃げ出しても印さえ残っていれば、また私が探しだして捕まえられる。なんせ奴隷狩りは信頼が大事だからな。重要な保証書のようなものだ」

「あぁあああああああああ!」


 吾郷の後頭部に焼けた鉄が押し付けられる。

 ほんの数秒。

 吾郷にとっては一分にも等しく感じられたかもしれない。

 カーラが手を離すと吾郷は激痛と悲鳴で真っ赤になった顔のまま地面に突っ伏した。


「連れて行って引き渡せ」


 印を炉の中に戻して、カーラは手に残った吾郷の髪を不愉快そうに払った。


「焼印は消えないが髪は元に戻る。安心しろ。次は……」


 カーラがまた一枚紙を捲る。

 僕は内心、妙な不安に駆られていた。

 最初に呼ばれたのが吾郷だったから。

 ただの偶然ならいいと思ったけど、二番目に彼女の名前が呼ばれ、そうもいかなくなった。


「イイヅカ・マリ」

「い……いや!」


 頭を抱え、飯塚が悲鳴をあげて蹲った。


「あそこだ」


 カーラにとっては悲鳴さえも都合のいい点呼代わりだった。

 ぶるぶると震え、怖気づく飯塚を守ろうと長身の道垣内皐や天満めぐみ、藤井祥子が壁になって阻む。当然、黒衣の男たちにとっては大した抵抗じゃない。

 すぐに彼女らを蹴散らして飯塚の腕を引っ張ると、往く手を塞ぐように飯塚の恋人である宇崎圭佑が立った。

 勇敢だけど、足が震えていて、立っているだけでやっとという感じだった。


「て……手を離せ!」


 飯塚を取りかえそうとするも剣の柄で鼻頭を思いきり砕かれ、その場に倒れた。


「ああぁ……」

「圭ちゃん!」


 両手で鼻を塞ぐも指の隙間から血がどくどくと溢れ出る。

 渡利や土橋が「なにすんだよ!」と抗議する。

 その間にも飯塚が引きずられていく。だが、飯塚の抵抗が強く、思うように前に進めないでいる。


「いいから早くしろ」


 先々の紙をめくりながらカーラが欠伸を漏らす。

 と、そこへ場違いなまでに落ち着いた足音が飯塚を連行する黒衣の男を抜き去って、カーラの前に歩みでた。


「私を先にして」


 五十嵐真由子だった。


「なんだと?」

「これ以上、この人たちと同じ空気を吸っていたくないの」


 競売に怯えるクラスメイトたちを憐れむように五十嵐は僕らを見て言った。


「いいでしょう」

「……えこひいきは、これで最後だぞ」


 五十嵐は自ら両手を差し出し、鎖を受け入れた。

 カーラも乱暴な真似はしなかった。五十嵐が進んで膝をついたから。

 競売は吾郷のときとは比べものにならないほど多くの鈴が鳴った。

 鈴の音を聞くとき、五十嵐は誇らしげだった。

 やがて買い手が決まると彼女は誰に言われるでもなく、胸のリボンを解いた。

 カーラが五十嵐の黒く長い髪の一部を根本から刈り取り、炉で赤く燃える鉄の焼印に手を伸ばす。


「何か言い残すことがあれば、構わんぞ」

「……」


 一時の沈黙。


 俯いた五十嵐の表情は前髪が長く垂れこめてよく見えない。

 しかし、心が決まったのか。

 顔を上げると彼女はいつかと同じように言った。


「あなたたちには、いずれ天罰が下る。そして、私がそれを見届ける」


 カーラが焼印を炉から引き出す。

 五十嵐は解いたリボンを口に咥えて噛むと身体を固くし、目を瞑った。

 皮膚を焼く音と煙は吾郷のときと変わらなかったが、叫び声だけが、出なかった。

 顔を真っ赤にしつつも、ぐっと耐えて、焼印が頭部から離れるころには苦悶の表情が恍惚に変わった。


 彼女がその頬に形作った不気味な笑みが瞼の裏に残像のように残った。

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