拓海千秋(13)炎

「殺し合うんだ」


 腹の底から冷えるようなカーラの声を聴いて、篠原の身体がわずかに仰け反った。


「戦士として、女王として、あるいは賊として。この大いなる戦の中で己の才能を極限まで磨き、引き出して、お前たち一人一人が背負うことになる家や組織や国を、勝利に導き、最後の一人になるまで殺しあう。自ら手を汚すのでも、ただ命令を下すのでもいい。救世主を殺せば相手を構成していた精霊は打ち倒した者のものとなる。当然、肉体は強固になり『力』も高まる。殺せば殺すだけ、より多くの精霊の力を自らの中に貯めこむことができる。『ゲーム』は最後の一人になったらそれで終わりだ。最後の一人になるということは、各陣営をつぶし、世界の覇者になるということだ。完全な肉体を得てこの世界に君臨しつづけるのも良し、元の世界に還るも良し。それは好きにしろ」


 全然、現実感がなかった。

 多分、ここいる半数以上は彼女の語る話を受け止めきれていなかったと思う。第一、まだ自分たちの身体が精霊でできているって話自体、受け入れられていないのに、三年で死ぬとか、クラスメイト同士で殺しあえとか。

 ドラゴンや魔法の存在を飲み込めたとしても、それ以上は理解が追いつかなかった。


「殺し合って最後の一人になる以外に、元の世界に還る方法はないんですか」


 都倉正明の質問は、今まで以上に皆の注目を集めた。


『あり得るあり得ないではなく、あるがままを受け入れ、対処する』


 学年首席で僕の知る限りもっとも頭の良い男はかつてそう語った。

 冷静に疑問を投げかける彼の目に、今あるこの現実はどう映っていたのだろうか。


「探るのは自由だ。来ることができたのだから当然還ることもできる。だが、決して楽な道ではない。それに、お前たちはあくまで奴隷だ。脱走を企てた奴隷が主人によってどんな重い罰を課せられるか。わかるな」


 カーラは捻じ曲がった鉄格子と広間の向こうにいるドラゴンを指さした。

 都倉も、僕たちも黙るしかなかった。


「余計なことは考えるな。お前たちはただ自らの主人に従い、己の能力を駆使して、殺し合えばいい」


「誰も……誰も、殺し合いなんかせぇへん」


 僕は先生の声に驚いて振り返った。

 必死に制止する瀬名波さんと江藤を宥めて、時生先生が起き上がっていた。

 依然として額には玉の汗が噴き出ているのに、彼女の表情は頑なに強く、カーラに挑んでいる。


「要らない大人がまだ残っていたか」


 カーラは彼女の根性が気に入ったのか。

 こちらに近づいてきた。

 カーラが一歩踏み出すごとにクラスメイトたちが怖れから道をあけていく。


「異世界やなんや知らんけど……この子らは友達と殺し合うたりせぇへん」

「教師、というやつだな。私たちにもいたよ。大昔に。ただし、そいつが私たちに教えたのは仲間同士で、殺しあうことだった」

「……」

「やつは私たちに新しいルールを与えてくれた。殺してもいい、と。そうしなければ生き残れないと。そして、誰もその行いを罰することはできないと。それは私が今まで信じていたルールとは違った。初めに覚えたルールを破ることになると言ったら、教師はこうも言った。自分の身を守れなくなるルールに、ルール足る価値はない」


 カーラは自らの眼帯を指さした。

 黒く光るそれは、見た限り動物の革を鞣して作られているようだった。

 眼帯の上下には剣による傷のようなも跡もある。

 その傷がどんな経緯でつけられたものにせよ、彼女には彼女の身体を持って知った現実があるのだ。


「私は新しいルールに従った。ルールはその教師を殺した後でも私の中で生きている」

「……」


 それがわかったから、時生先生は何も言い返せなかった。


「教え子の純真さを信じたい気持ちはわかる。だが、どんな聖人君子でも住む世界が変われば心も変わる。それだけは異世界人のお前たちや私でも変わらない。今は単に前の世界のルールという『物語』に縛られているだけだ。違う世界のルールを示し、それに従うことこそが生き残る道とわかれば、人は簡単に一線を越える」

「それでも――」


「――それでも私たちは、あなたとは違います」


 時生先生がカーラの気迫に押されそうになったとき、横で支えていた瀬名波さんが先生を庇うように前に出た。


「お前か」

「あなたがどんな風にして生きてきたのか。私には想像することもできません。あなたにだって私たちがどんな風にして生きてきたか。わかるはずはないでしょう。それなのにすべてがあなたの思い通りになるなんて、そんなこと」

「あたしとトモのこと売っておいてよく言うわよ!」


 カーラに挑む瀬名波さんに対し、良からぬところから反論の声が上がった。


 森末紗耶だった。


 篠原智彦と二人して奴隷狩りから逃げようとしていた彼女の怒りは、ここに連れてこられた当初からずっと瀬名波さんに向けられていたが、ついに我慢しきれずに噴火した。


「あんたが喋ったんでしょ!」

「……」

「あんたが余計なことさえ言わなけりゃ、あたしもトモも助かってたのに!」

「自分たちさえ助かりゃ、それでいいのかよ!」


 非難の声を上げたのは渡利のサッカー部仲間で髪をちょんまげのようにゴムで縛った土橋直人だった。

 土橋に賛同するように他の男子たちから一斉に反論が出る。

 森末はそれらの叫びを打ち消すように発狂した。


「全部、そいつのせいなのよ! クソビッチのくせに良い子ぶんのもいい加減にしろ!」


 森末が制止する篠原の手を振り払って、瀬名波さんに突進してきた。

 瀬名波さんの前にいた僕はもちろん盾になろうとしたけど、森末が僕のことを払いのけようとする寸前のところで僕は誰かの手で引っ張られ、左の方にバランスを崩した。

 よろけた程度だったが、瀬名波さんを守るにはもう遅かった。

 森末紗耶の両手が瀬名波さんの肩を突き飛ばす。

 沢代たちの上に倒れ込んだ瀬名波さんの上から森末が覆いかぶさり、二人して揉み合いになりながら床を転がった。

 巻き込まれた沢代たちは悲鳴をあげるだけで、飯塚たちも「やめなさないよ!」と訴えるだけで手も出さない。

 女子二人の喧嘩に男子たちは指をくわえているしかなかった。


「紗耶!」


 興奮状態の森末を取り押さえるべく、藤宮杏や涼華樹里、萩原珠季が間に入るまで瀬名波さんの頬は森末にやりたい放題叩かれて真っ赤になっていた。

 森末は友人たちに羽交い絞めにされてなお、暴れ続けた。


「離してよ!」


 瀬名波さんは呆然自失としていた。僕の見る限り一度も抵抗しなかった。

 唇を切ったのか。

 口元に血がにじんでいた。


「結依!」


 慌てて江藤が駆け寄るも、瀬名波さんはじっと床に飛び散った自分の血を見つめていた。


「なんでそんなに結依のこといじめるのよ!」

「あんたに関係ないでしょ、ブス! ぶりっ子同士反吐が出るのよ!」

 

 森末が江藤に暴言を吐いた瞬間、生気を失ったかに見えた瀬名波さんがバッと顔を上げて森末を睨み付けた。

 眉間に皺をよせ、憎しみのこもった目で前のめりに構えた。


 はじめて見る目だった。


 森末は一瞬、たじろいだが彼女の目に感じた恐怖はすぐさま怒りに変わった。


「な……なによ。やるっての!」

「うるさい」


 カーラの一喝とともに黒衣の男の一人が森末の腹に剣の柄を見舞った。

 鳩尾を突いた一撃に森末は膝から崩れ落ちた。


「なにすんだよ!」


 恋人の篠原が男に飛びかかろうとしたが渡利と宇崎にすぐに止められた。

 気がつくと僕らはみんな魔法陣の外側にいて、中央に瀬名波さんと森末、そしてその二人を止めようとした女子たちだけがぽつんといた。


 カーラが瀬名波さんの前に立つ。


「自分のことでは抵抗せずとも、友人のためには命を貼る、か。海岸のときと同じだな。お前の行動は実に筋が通っている。嫌いじゃないぞ」

「……」

「お前のような女を知っている。そいつも自分のためには戦わない女だった。いつでも他人のために。身内や仲間を切り捨てられない、憐れな女だったよ」

「…………あれは、あなたじゃなかったのね」


 カーラの顔をまじまじ見つめたかと思うと、怪訝な表情で瀬名波さんがそんな風に呟いた。


「……」


 何のことかわからなかった。

 他のみんなも。

 カーラでさえも首を傾げたが彼女の目線まで膝を折ると、血の滲んだ頬を革の手袋に包まれた右手で撫でて、


「そうか……お前か……」


 突如、彼女の細い首を掴んで、乱暴に持ち上げた。


「ちょっと、結依に何するのっ!」

「容赦はしないと言ったはずだ」


 江藤の抗議を一蹴して、カーラは抵抗する瀬名波さんを引きずって奥へと歩いていく。


 胸騒ぎがした。


 巨漢が動きだし、ドラゴンと僕らを隔てる鉄柵を持ち上げる。

 カーラの歩みはどう考えてもそこへ続いていた。


「やめろ!」


 勝手に身体が動いていた。なんとしてでも止めなければ行けなかった。


「拓海ぃ!」


 時生先生の声が聞こえた。

 屋島や江藤の声も。

 もう一人聞き覚えのある声を聞いた気がするけど、僕の頭は瀬名波さんを助けることでいっぱいだった。

 でも、すぐに黒衣の男に阻まれた。

 肩を掴まれ、突っ込みに行こうとした勢いを遠心力に変えられ、僕に続こうとしていた屋島たちの方に蹴り戻された。


「たっくん!」


 瀬名波さんの声が聞こえた。

 カーラはもう鉄柵の手前まで来ていた。


「せ、瀬名波さん!」


 手を伸ばした瞬間、黒衣の男の拳が飛んできた。


「っ!」


 僕は鼻頭を潰された。

 目の前が真っ白になる。


「結依!」

「瀬名っち!」

「結依ちゃん!」

 

 江藤だけでなく、何人もの女子の声が聞こえた。

 悲鳴に近い声で彼女の名を叫んでる。

 男子も何人かが「やめろ!」とか「離せ!」と訴えている。

 けれど、その声は黒衣の男たちが作った壁を前にただ虚しく響くだけだった。

 失敗だった。

 僕がこうしてのされた後じゃ、誰もそれに続けやしない。


 なんで出て行ったんだ。

 こうなるとわかってたのに。

 もっと勇敢で、もっと強い誰かが出ていくのを何で待てなかったんだ。 

 出て行くことに意義なんかない。

 止められなきゃ。


「セナ!」


 聞き覚えのない呼び名とともに黒衣の男たちの脇を抜けて、黒い影が飛び出した。

 壁際に追いやられて塊になっていた僕らのずっと端の方から。

 虚を突かれたのか。

 黒衣の男が一人、股倉を抑えて倒れた。

 地面に転がった剣を素早く持ち上げて、細身で小柄な影がカーラに向かって一直線に駆ける。

 

 湯浅だった。


「ああああああぁ!」

 

 剣の重さを逆に利用するように、カーラ目掛けて一気に振り回した。

 でも、経験のない湯浅の剣線はすぐにカーラに見切られた。

 一撃目を交わされ、剣の重みに振り回されるようによろめいたところで蹴り飛ばされた。


「まなちゃん!」

「セナ!」


 湯浅が立ち上がりかけたところで、瀬名波さんは鉄柵の奥に容赦なく放りこまれた。

 巨漢の男が手を離し、鉄柵が轟音を上げて閉まる。


 絶望の音。

 

 投げ入れられた瀬名波さんが身を起こして、闇の奥を見つめる。

 大地を揺らす足音が、また、近づく。

 ついさっき絶命した久遠健介の姿が目蓋の裏に蘇った。


「結依!」


 江藤が泣き叫ぶ。


「瀬名波!」


 時生先生が必死に身体を起こす。


「どこでもいいから逃げろ!」


 屋島が一縷の望みに託す。


「おい、とめろよ!」


 渡利が黒衣の男たちに訴える。


「お願い、やめて!」


 飯塚たちが懇願する。


「どかねぇとぶっ飛ばすぞ!」


 松島が声を荒げている。

 いつもは飄々としている彼が、腕を撒くって、男たちに喧嘩腰で食い下がっている。

 グループの違う宇崎や土橋、光家も黒衣の男たちと揉み合いにながら最悪の事態を阻止しようと足掻いている。


 けれど、それ以外は。

 夏見や大庭、篠原や森末たちは黙ってそれを見ているだけだった。


「瀬名波さん!!」


 僕の声に反応したように、彼女が振り返った。

 傷だらけのドラゴンが闇の中で足を止める。

 食らいつくにはまだ距離があった。

 その足にはいまだに鎖が繋がれている。


 ただの脅しかもしれない。


 一瞬でもそんなことを思った僕が、愚かだった。


「ノリちゃん! たっくん!」

「燃やせ」                      

















「見ないで」

















 カーラの合図とともにドラゴンの喉の奥がマグマのように燃え盛り、瀬名波さんの輪郭を真っ暗なシルエットに変えたかと思うと勢いよく噴出された炎が、彼女を飲み込んだ。

 髪の毛が舞い上がり、白い制服が火に包まれる。


 悲鳴。


 僕はそれ以上、見られなかった。


 生きたまま、焼かれ、頭を振りみだし、四肢をバタつかしてのたうち回る彼女の姿を直視できなかった。

 ドラゴンの炎は思ったより弱く、彼女を一気に灰にはしなかった。


 何度も、何度も彼女は焼かれた。


 炎を浴びるたびに断末魔が細く、高くなっていく。


 彼女を焼いた炎は鉄柵を通りぬけて僕らのいる塔の内部まで届いたが、カーラの手前で見えない壁に阻まれるように行き場を失って、天井に向けて吹きあがった。


 それでも熱は届いた。


 彼女を燃やした炎の熱が、僕の頬を焦がしていく。


 結局、悲鳴は七度も転調して、パタリと止んだ。


 黒い煙がたちこめ、人間の焼ける匂い。

 何人かが悲鳴の果てにえずいた。

 肉の焼ける匂い。

 彼女の焼ける匂いが、背けた目蓋の裏に無残な光景を描かせた。


 綺麗な髪が燃え千切れていく。

 白い頬が赤く泡立ち、黒くなっていく。

 細い指が焦げて煤になる。

 優しい目が溶けていく。


 燃えていく。

 彼女のすべてが、燃えていく。


 ドラゴンの炎が止んで、顔を上げるとそこに僕の知っている瀬名波さんの姿はなかった。

 鉄柵の傍で横たわっていたのは、手足を折り曲げた黒く焦げた物体。

 彼女だった物体。

 もう彼女ではない物体。

 生死は確認するまでもなかった。


 なのにカーラにはそれが必要だったらしい。

 腰から三十センチくらいの棒を抜いて、横に振って三倍くらいの長さの柄を展開した。

 先っぽは鋭く、どうみても槍にしか見えなかった。

 水色の宝石が埋まった凝った装飾の槍。それを鉄柵越しに差し込んで、彼女の身体に突き刺した。

 黒焦げの身体の、ちょうど胸に当たる部分を貫いて、槍はすぐにその下の石畳みにぶつかった。

 金属の耳触りな音がした。


「よく焼きすぎたな」


 カーラは苦笑した。

 まるでステーキの焼き加減を間違えたかのように。


 まもなくして、黒焦げの物体は光の粒になった。

 輪郭からさらさらと。

 砂の像が風に流されていくように。

 焦げた煤の一片も残さずに、彼女は光の粒になって、散って行った。


「これがお前たちの死だ」


 カーラは言った。

 けれど、何も頭に入ってこない。

 なにもかも、現実感がなかった。


「元の身体も今頃心臓の動きを止めていることだろう。信じられないというのなら自分たちで試してみることだ」


 ふとカーラが僕の方に近づいてきて、その隻眼を不愉快そうに歪めた。


「なんだ?」

 

 女の瞳の中に僕が映る。

 そのときになって、僕は気付いた。

 自分が屋島や吾郷に止められながら、今にもカーラに飛びかかろうと暴れていたことに。


「あの女の後を追いたいなら、手伝ってやってもいいぞ」



 出席番十六番・瀬名波結依(17) 死亡。

 安芸西高校二年八組生存者数・男子生徒十八人、女子生徒十九人、教師一人。

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