拓海千秋(3)見せかけの団結
「……たっくん、大丈夫?」
漂流から一夜明けた朝。
不安げな声で、彼女は、彼女しか使わない愛称で僕の名を呼び、肩を揺さぶった。
ゆっくり目を開け、広がる景色に意識を集中する。
入江の森から臨む広い砂浜。
右端には荒々しい岩礁。
水平線の向こうから上る朝日。
そしてその反対側で太陽と入れ替わりに沈もうとする三つの月が見える。
間違いない。
ここはまだ僕らの流れ着いた無人島だ。
「よかった……起きた」
身をよじるようにして起き上がると瀬名波さんが安心したのように息をついた。
瀬名波結依(出席番号16番)。
一学期のころ、僕の前の席にいた子。
すべてを柔和に包み込むような優しい瞳と輪郭に沿って垂れる前髪が儚げな女子。クラスの日陰者たちの羨望の的にして、女子たちの嫉妬の的。僕が彼女とまともに喋れるのは放課後の美術準備室での、ほんのひとときの間だけ。
彼女に「たっくん」と呼ばれるといつも少し、ドキッとする。
「せ……瀬名波さん?」
なんで僕のことを起こしてくれたの?
と思いかけて、すぐにいつまでも寝ていたのが僕だけだということに周りの状況を見て気が付いた。
他の同級生たちはもう各々覚醒して、昨夜のパニックをゆっくり回復している感じだった。
僕が起きたのをみて、瀬名波さんの後ろで心配そうに見ていた江藤紀子(出席番号五番)も強張った肩を降ろした。
「よかったぁ」
江藤は中学のときの同級生で、同じ美術部だったこともある。
いつもそばかすばかり気にしている、ちょっと地味だけど三つ編みの似合う良い子だ。彼女に絵を褒められるのが嬉しくてよく彼女の好きな漫画のキャラクターを模写してあげたことがある。
「拓海くんだけ起きないのかと思っちゃったよ……よく寝られるね」
「別に……」
江藤はちょっと嬉しそうに僕に軽口を叩く。
何故か中学のときから彼女とだけは自然に口がきける。女の子と一言も口を聞けないやつもいるなか、江藤の存在は救いだった。
が、露骨にそういう態度をとるのもあれなのでちょっと嫌そうにしてみる。
「悪かったね。暢気で」
「ち、違うよ……その……私なんて全然眠れなくて……今日一日みんなのお荷物になりそう」
「他のみんなもそうだよ」
瀬名波さんは肩に添えられた江藤の手をそっと握った。
「やっぱり、夢じゃないんだね」
夢。
誰もが目蓋を開けたときにすべてが夢であることを望んだ。
修学旅行の帰り道にバスが転落したことも。
次の瞬間、どことも知れぬ海の中に突然放り出されたことも。
無人島に流れ着き、夜空に三つの月とドラゴンとしか呼びようのない怪物が頭上を飛び去るのを目撃したことも。
すべては目覚めた瞬間に消え去る悪い夢であれ、と。
けれど目を開ける間もなく、鼓膜を打つ潮騒におそらく皆は、夢ではないと気付いた。
目覚めのけだるさを引きずって、クラスメイトの行動はまだ緩慢としている。
大きなパニックには至っていないが、その予兆は一人一人の不安な声音に潜んでいた。
辺りを見回す。
男子はまだイケてる男子グループや武道系、不良グループがときおり混ざり合いながら救難信号の出し方や食料調達について知恵を出し合っているが、女子たちの派閥はこの非常事態にあってもまだ個々のグループとか縄張りを堅持している。
露骨にギスギスしているわけでもないけど、積極的に垣根を越えて協力しあおうという様子もない。
昨日の晩に感じた団結力とか一体感はやはり一時的なものに過ぎなかったのかもしれない。
二年八組には僕が勝手に分類するだけでも九つの人種が存在する。
男子は不良グループ、女子はギャルグループを頂点にそれぞれイケてる男子、武道系男子、オタク男子、イケてる女子、健全女子、オタク女子、そしてどのグループにも属さない浮いてる系の計九つ。
このグループ分けは学校生活のどんな場面でも崩れることはなく、人間が猿の進化であることを物語るように徹底した縄張り意識をもって、クラスを細かく分断している。
よく宇宙人の侵略でもあれば、争ってばかりの人類もさすがに団結するのではないかという議論が映画やアニメの中ではもっともらしく語られたりするけれど、例えそうだとしてもおそらく人はすぐにその団結の中で縄張り争いをはじめるはずだ。
誰が作戦を練り、誰が支援の役割をして、誰が補給を行い、誰が先陣を切るのか。
困難を乗り越えたとき、それは誰の功績となり、損害は誰が補填するのか。
生物が自分自身の生存を第一に考えて行動する以上、利害を超えた団結はほんの一瞬の幻にすぎない。
二年八組について言えば昨日の晩がまさにそうだった。
つい8時間くらい前のことだ。
漂流したばかりでみんな混乱していて、誰かの助けを必要としていた。
夜が深いことや海から上がったばかりで身体が疲弊していたこともあり、ひとまず夜明けを待つよう睡眠をとることになった。
まずは寝床の確保が先決だった。
「枯葉を集めてクッションにしよう。もう暗いし、身体休めないと明日が持たない」
篠原智彦(出席番号14番)の発案で男子を中心に枯葉集めが行われた。
篠原はクラスで一番のイケメンで非の打ちどころのない完璧人間だった。
運動神経は抜群で学問は理数系に秀でて成績も良く、学生バンドのボーカルを務め、クラスで五本の指に入る美少女・森末紗耶の彼氏でもある。
いわゆるリア充というやつで、彼の取り巻きもまた学級委員長の飯塚茉莉(これまた五本の指の一角)を彼女に持つ宇崎圭佑(出席番号4番)をはじめ、サッカー部のエース・渡利準(出席番号40番)や憎めないお調子者の土橋直人(出席番号23番)、高校生にして作詞作曲をこなすベーシストの光家秀行まで、あまりの眩しさに目が眩んでしまいそうになるほど青春を謳歌しているような面子ばかりだった。
「俺たちは海岸の向こう側に行くから――」
「じゃ、オレら反対側見てく?」
そんな篠原と中学時代の同級生で、八組の不良グループのリーダー格・大庭晃(出席番号6番)もここぞとばかりに存在感を発揮して、枯葉集めをはじめた。さすがにこれだけ露骨な命の危機に晒されると普段やんちゃばかりやっている大庭も頼もしい一面を見せるものだ。彼の決定にグループのメンバーも同意した。自動車整備工の息子でクラスのツッコミ役である松島貴之(出席番号34番)、風邪薬を元によくないものを作っていると噂される佐々木俊(出席番号11番)。そして、不良グループにいながら学年トップの成績を有する都倉正明(出席番号22番)たちのことだ。
大庭がそうすると決めたらそれ以外の男子連中は従わざるを得ない。
もしものときのために武道系男子三名を女子たちのボディガードに残して、僕も含めたあとの男子――オタク系三人と、どのグループにも属さない三人ーーも枯葉集めに出た。女子たちはその間、一隻の船の明かりも見逃すまいと夜の水平線上をじっと見つめた。
四十人全員の寝床を設えるだけの枯葉が集まると女子たちを真ん中に集め、男子がそれを守るように円で囲うことになった。
海や森の向こうからいつ助けが来るかもわからなかったから一人一時間の交代制で森と海の両側にそれぞれ見張りをつけることにした。
もちろん男子限定で。
これには女子からわずかに異論が出た。
「別に男子にだけやらせることはないんじゃない。枯葉集めしてもらって、この上深夜の見張りなんて。希望者で分担しない?」
これはいかにも学級委員長らしい飯塚茉莉(出席番号2番)の言い分だった。
「みんなで」と言わないところがこのクラスの性質をよくわかっているところでもあり、クラスのマドンナ的存在である飯塚の冷静な部分が見え隠れしているように思えた。
飯塚を中心とした女子グループはギャルにもオタクにも属さない――あえて言うなら健康優良女子とでも言うのだろうか――子たちで構成されている。飯塚茉莉の幼馴染の五十嵐真由子(出席番号3番)をはじめ、眼鏡美人の玖野泉(出席番号10番)、陸上部出身のムードメーカー・天満めぐみ(出席番号20番)、クラス一の高身長で声楽部の道垣内皐(出席番号21番)、同じく声楽部でぽっちゃり体形の藤井祥子(出席番号30番)。人数ではギャルグループと拮抗している。
だけど僕たち男子は飯塚がクラスの音頭を取るように発言するのを見て、少し緊張した。
彼女は大所帯グループのリーダーで、学級委員長で、マドンナではあるがクラスで最も声の大きな存在ではない。
「悪くないんじゃない、梨香」
「そだねぇ。男子ばっかコキ使うのもフコーヘーだしさ。イインチョーにしては良いこと言ったんじゃね?」
茶髪の夏見梨香(出席番号25番)が「サンセー」と言わんばかりに手を振ると一部のクラスメイトたちからほっと安堵の息が漏れた。
彼女の一言のせいでいったい何度クラスの空気が一変したことか。
夏見梨香が賛同したことで同じグループの女子も「サンセー」の手を上げた。
夏見のイエスマンで人間拡声器の異名をとる小柄の西山可奈(出席番号26番)やボーイッシュでモデル体型の萩原珠季(出席番号27番)、温和な帆南悠(出席番号32番)に元バレー部の木嶋遥(出席番号8番)。それに僕の幼馴染で今は疎遠の立花柚(出席番号18番)たちのことだ。
ギャルグループが、相対する飯塚のグループに賛成したということは、他の女子たちの満場一致を得たにも等しい。
というよりも異を唱えられるはずがない。
こうして女子からも数人の希望者が出て、公平に男女交代制の見張りが立てられることになった。
後から考えればこれは女子側から男子を見張るという意味合いもあったとは思うけど真実はようとしてしれない。
見張りは一時間おきに代わり、水平線の上に現れるかもしれない捜索艇の探照灯や、森の奥から聞こえるかもしれない捜索隊の足音に五感を研ぎ澄ませた。
もし気配があれば全員を起こして、力の限り手を振って大声で叫ぶ。
そこまで決まると黙々と作業にあたっていたオタクグループの設楽つづら豊(出席番号19番)がボーイスカウトの経験を活かして火を起こした。
炎に照らされて光る額の汗が、設楽の長い格闘の時間を物語っていた。
海から這い出てようやく炊かれた人工の光に、心なしか安心する。
夜の闇はただでさえ人を臆病にさせるから例えその場しのぎであっても赤々と燃える火を見つめていると命の火までメラメラと燃えてくるようだった。
それは三十七人のクラスメイトと二人の担任教諭も同様だった。
放っておくと恐怖と不安しか語らない口をぐっとつぐんで、みんな一心不乱に火を見つめた。
「まるで『十五少年漂流記』だな」
そう言って鼻をすすったのはもう一人の学級委員長の屋島青児(出席番号38番)だった。
人の良さを絵にしたような爽やかな顔立ち。
長身でかつがっちりした身体つきはいかにも体育会系の青少年という感じだが、昔は全然違った。
「覚えてるか。小学校のころ、夏休みの課題で読んだだろ」
「そうだっけ……」
元々まっすぐで熱いやつだけど、今夜はまた特別に感極まっていた。
無理もない。
六月の合唱祭で「リタイア」というおおよそ学校行事においてはありえない結果を残し、団結力の欠片もないことを校内中に示した二年八組が、今ここで見事なまでのチーム力と助け合いの精神を発揮したのだから。
委員長としての不甲斐なさを常々自省しもがいていた屋島にとっては、感動的な瞬間だったのかもしれない。
けれど、僕はそんな屋島の眼尻に浮かぶ涙を見ても、どこか冷めていた。
「『蠅の王』にならなきゃいいけど」
足下にほら貝が転がっていた。
屋島が見つけて、「集合の合図に使おう」なんて提案しだすとせっかくの雰囲気にケチがつく。
僕はそっと拾って森の奥に投げた。
さすがに一人一人の命がかかっているから、漂流一日目とか二日目で自分勝手に振る舞おうなんて輩は出ないとは思うが、なにしろ個々の相性が悪く、協調性に欠けるクラスだ。
状況が長引けば、内部崩壊を起こすのは時間の問題に思えた。
だからこそ早く誰かに発見してもらって、救助してもらわなくちゃならない。
ここが本当に僕らの知っている世界ならば、の話だが。
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