第88話 「おい、決闘しろよ」

 風が吹いている。

 ――少なくとも、そう感じられる程度には空気が動いているようだ。

 自身の前髪がそんな空気の流れを受けて、いたずらに遊ばれているのを感じながら、俺はゆっくりと意識を浮上させていく。

 そんな穏やかな俺の目覚めを迎えたのは――

「……やっと目が覚めましたか。ご主人」

「……ノワール。人の寝顔を見ているのは趣味が悪いぞ」

 ――こちらの顔を覗き込んでいる見慣れた黒猫の姿であった。

 ノワールは俺の覚醒を確認すると一歩後ろに下がったので、俺は体を起こした。

 そうして、そのまま辺りを見渡して、俺は今いる場所が牢屋ではなく、大学内の見知った自部屋であることに気がついた。

 しかも今、俺の体は綺麗に布団に入っている。

 そんな光景に一瞬、俺の思考が停止した時に、ノワールが言葉を投げてきた。

「ふふ。どうやら少し混乱しているようですね、ご主人。倒れる前の記憶はありますか? こっぴどく殴られていましたけれど」

 かんらかんら――、と笑う黒猫の声を聞きながら、俺は思い出していく。

 楽しげなその調子には思う所が無くもないが、今は何より現状把握に努めるべきだろう。

「……ああ、確かナイアに殴られて気絶したんだよな? 俺」

 朧げな記憶をなんとか辿り、首を捻りながら俺はそう答える。

 そうだ。

 倒れる瞬間の事はよく覚えていないが、俺は牢屋でナイアに殴られて気絶した筈なのだ。

 それが何故、こんな所にいるのか?

「あれからどうなったんだ? ノワール?」

 そこから先は思い出しても良く分からなかったので、俺はノワールに訊いてみることにした。

 俺の質問に対してノワールは、んー、などと喉を鳴らしながら、しばし中空を振り仰いだ後で口を開く。

「そうですねぇ――まぁ、面倒なので詳細は省きますが、ご主人の気絶の後にアリア様が、ご主人の痴漢を許すという事で『賢国』に掛け合いまして」

「……へ?」

「色々と問題はあったようですが、この国の重役である理事長や賢者様の口添えもあって、特例としてご主人の釈放が認められたのですよ。それで気絶したご主人をナイアがここに運んだというわけですね」

「……おおぅ。マジか。それ? 当本人の俺が言えたことじゃねぇけど、随分と緩い気がするな」

 簡潔にまとめられた黒猫からの報告を聞いて、俺はそう感想を零す。

 だが、実際そう感じるのは俺だけではない筈だ。

 不可抗力だったとはいえ王族に不埒なことをしたにしては、随分あっさりとした判決だと思うんだが。

 ――と、そこまで考えた所で黒猫から言葉が返された。

「んー。まぁ、……そもそもご主人の頭からは抜けているようですけれど、痴漢の前にご主人は第二王女様を暗殺から救っていますからね? それも含めると十分に酌量の余地はあったということでしょう」

 そう話すとノワールは喋りつかれたとでも言うように欠伸を漏らし、こちらに近づいてくると至極当然という体で、俺の膝上に掛けられた布団の上で丸くなった。

 なんとも猫らしい仕草であり、愛らしくはあるのだけれど。

「……ノワールさんや。いっつも言ってるけど、<スキル>として主を称える気はないのか、お前?」

 ご主人としてはその傍若無人な立ち振る舞いに思う所が無くもない。

「まぁまぁ良いじゃないですか、ご主人。私の様に可愛い猫が膝の上に乗ってくるなんて――むしろそっちの業界ではご褒美でしょう?」

「どこの業界の話だ、それは。――あと、ちょっと尻尾をたため。変に腕に当たってこそばゆいから」

「当ててんのよ――ってヤツですよ、ご主人」

「マジで、どこに向けてのサービスだ」

 そこまでやり取りを交えた所で諦めて、俺は溜息を一つ吐くと、丸められたノワールの背中を軽く撫でる。

 こいつの我儘は今に始まったことでは無いし、張り合うだけ無駄と言うモノである。

 ……それにまぁ、こうして素直に甘えられるのは嫌ではない。

 毛並みも良いしな。

 いつも小憎たらしい相棒だが、この撫で心地だけは認めてやってもいい。

 ――なんて。

 本人には決して言えないような事を考えていたところに、ノワールから言葉が投げられた。

「――ふむ。これが痴漢のテクニックですか。思った以上に微妙ですね」

「よっしゃ。表に出ろ、ノワール。お前に三味線の作り方を教えてやる」

 認めた矢先にこれである。

 まったくコイツは。

「ふふふ。冗談ですよ、ご主人。――あ、もうちょっと右をお願いします」

「お前は本当に……。はぁ、まぁ今更だよな。この辺か?」

「あ~。良いです、良いです。……んー、もうちょい右」

「へいへい」

「次は上です、上。……そうそう。上、上、下、下、左、右、左、右、A,B――そこです、ご主人!!」

「よっし、隠しコマンド発動っと――やかましいわッ!!」

 叫びと共に、俺はノワールをベットの上へと放り投げた。

 多分、誰だって同じ気持ちには成る筈だ。

「いたっ!? 何をするんですかー!! ご主人!!」

「被害者面は止めろ、ノワール。今のに対して俺には反省も後悔も無いぞ」

 あいたー、――なんて言葉を漏らしながら、頭を摩る黒猫。

 どうでもいいけど、ノワールさん?

 受け身も取れないのは猫としてどうなんでしょうねぇ。

 いや、正確には見た目が猫なだけなんだっけか?

 ううむ、良く分からん。

「ふぅ。まったく、酷い目に遭いました」

「俺は大分、優しいほうだと思うけどな」

 ぶつくさと不満を並べながら戻ってくると、ノワールは再び当たり前のように俺のお膝元に上ってきた。

 なんとも図太さに定評のある猫である。

 だが予想に反して、ノワールはそのまま丸くなったりせずに、俺の目を見ながら言葉を紡いだ。

「まぁ、色々ありましたが、とりあえず――お帰りなさいです、ご主人。無事にまた合流出来て良かったですよ」

「……あいよ、ただいまだ。ノワール。またこれからよろしく頼む」

 そのまま、俺たちは手をぶつけ合う。


 ――こうして俺は黒猫と再会したのだった。




「――さて、気持ちも落ち着いたみたいですし。それじゃあ、そろそろ行きましょうか、ご主人」

「ん? 行くって、どこにだ? ノワール」

 まぁまぁ――、なんて言いながら俺の上から退き、尻尾を使って俺の手を引っ張るノワールさん。

 とりあえず、このまま寝てても仕方が無いし、応じるまま布団から出る俺。

 そんな俺の動作を確認すると、ノワールは動き出し、ドアを開け、廊下に出ながら俺を招くように腕を動かす。

 有無を言わせぬその様子に、俺は首を傾げながらも、とりあえず従うことにする。

 廊下へ出ると、ノワールは器用に俺の体を駆け上り、いつもの如く頭の上を占領した。

 そうして、そのまま言葉を紡ぐ。

「では、『食堂』に向かってもらえますか? ご主人」

「いつも以上に自由だな、ノワール。せめて理由くらい話してほしいモノなんだが」

「行きながら説明しますから。とりあえず、向かって下さい」

「……へいへい」

 ぺしり、ぺしり――、と尻尾をぶつけながら、そう言うノワール。

 結局は俺が折れる形で、移動は開始されるのであった。



 食堂へと続く廊下を移動しながら、俺は黒猫と会話を続けていく。

「――で、食堂には何があるんだ? ノワール?」

「それはあれですよ、ご主人。食堂ですからね。――お砂糖とスパイスと」

「……あと、素敵なモノがいっぱいってか?」

「ええ。あと、忘れちゃいけないのが『ケミカル・エックス』ですかね」

「それは余計なモノだと思うけどな。――で? 真面目に答える気はないのか、ノワール?」

「我ながら、割と真面目に答えてるんですけどねぇ」

 大ヒントなんですけど――なんて、嘯きながらノワールは言葉を続けていく。

 飄々とした黒猫の態度に俺は鼻白んでいたのだが、そんな主の思いを知ってか知らずか、ノワールはゆっくりと口を開いた。

「そうですねぇ。……それじゃあ、ご主人が気絶した処から説明していきましょうか」

「ん。頼むわ」

 俺の言葉を確認したノワールは適切な言葉を探り、組み立てては並べていく。

「まぁ、さっきも軽く話した通り、ご主人の『痴漢』問題は大体解決したんですよ」

「うん」

 俺は適当に相槌を返す。

 まぁ、解決したとは言っても、俺自身が『第二王女様』に対して誠意をみせた訳ではないし、後日しっかりと謝るのは謝るとして、その辺の話はさっきも聞いたし、一旦流そう。

 今、大事なのはここからだろうから。

 ノワールもそこで一呼吸を置いて、言い含めるようにゆっくりと次の言葉を紡いだ。

「――ですけど、ご主人と王女様の『婚姻』に関しては何の解決もしてなくてですね」

「……あー。そういやそうだな」

 そんな黒猫の言葉を聞いて、俺は大きく溜息をついた。

「ええ、思い出したみたいですね、ご主人。……まったく。ご主人が気絶してからは地獄絵図でしたよ? 声高に結婚を主張する第二王女様と、断固拒否のナイアが真正面から火花を散らしていましたから」

「……それはまた、考えたくもないな」

「でしょう? でも、ご主人は気絶しちゃってましたし。誰もその戦いは止めれなかったんですよ」

 ノワールの言葉からその様子を想像する。

 うん。

 確かにそれは地獄絵図と言って差し支えないモノだろう。

 もともと魔王として好き勝手に生きてきたナイアは直情型であり、あまり我慢が効くタイプでは無いし、相手も天上天下唯我独尊を地でいく王女様だ。

 なんとも厳しい状態である。

「……二人とも怪我とは大丈夫だったのか? ノワール」

「まぁ、なんとか怪我人は出ない方向で収められましたよ、ご主人。――っと、着きましたね」

 そう言うと、黒猫は俺の頭から下りて地面に着地を決めた。

 そのまま先を譲るようにドアを指し示すノワールさん。

 気付かなかったけれど、いつの間にか食堂の前まで来ていたらしい。

「ん? なんで下りたんだ、ノワール? 別に乗ってても良かったのに」

「深い意味はありませんよ。気にしないで下さい、ご主人……今、変にあの二人を刺激したくは無いですからね」

 俺の疑問に対して、ノワールはひらひらと手を振ってそう答えた。

 後半は小声だったので良く聞き取れなかったが、まぁ、本人が深い意味が無いというなら気にすることでも無いだろう。

 そう考えた俺はそれ以上、深く考えずに食堂の扉を開けた。


 ――そう。

 俺はその扉を開けてしまったのだった。


「――は?」


 そこに待っていたのは、俺には予想も出来ていなかった光景であった。

「……待ち焦がれたぞ、ノゾム」

「……相変わらず、待たせるわね。ナリカネ ノゾム」

 いや、誰が予想できるだろうか。

 通っている大学の食堂という実に日常的なその場所で――

「……ようやくじゃ。これでようやく舞台が整ったというわけじゃな?」

「そうね。後はどっちが勝つか――それだけだわ」

 ――魔王と王女が勝負服に身を包み、闘志を燃やしながら刃物を握りこみ、相対しているなんて。

 俺は目の前の光景が信じられずに、固まった。

 そんな俺に対して、後ろから言葉が投げ掛けられる。

「すみません、ご主人。……私では争い自体を止めることは出来ませんでした」

「ノ……ノワール……これは一体」

 俺は目の前の現実から目を背け、背後の黒猫へと視線を移す。

 黒猫は諦めたように首を左右に振ると、固まった俺の横を抜け食堂へ歩みを進めた。

 そのままノワールは言葉を紡いだ。

「――では、ナイア、アリア様。大変お待たせしました」

 俺はそんな黒猫から目が離せなかった。

 ――それはナイアもそして第二王女様も同じようで。

 彼女たちは向かい合う相手からは一瞬も目を反らさなかったが、その意識は確実にノワールの宣言に集中していた。

 俺たちは三者三様にノワールの言葉の続きを待つ。

 視線を集めるように両手を広げるノワールは今、誰よりもこの場の空気を支配していた。

 ぐるりと視線を動かし、俺たちの反応を確認するとノワールは一つ頷き、覚悟を決めたように大きく息を吸い――


 ――黒猫は言葉を吐き出した。


「ではっ!! これより、開催致しますッ!! 『第二回 ナリカネ ノゾム お持ち帰り――ッ!! お料理大会ーッ!!!!』」


 俺はその言葉に対して何のリアクションも取れなかった。

 ――けれども。

 そんな俺とは対照的に、エプロン姿勝負服のナイアと第二王女様は握っていた包丁刃物を掲げ、鬨の声を上げたのだった。

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