第87話「最後の一撃は、せつない」

 前回のあらすじ


 勇国最強の王女が能力最低の男を誘いにきた。

 魔王ナイアと組んだのも一度なら、私と組むのも一度。

 機会が二度君のドアをノックすると考えるな。

 

 ――勇国第二王女 『アリア・アルレイン・ノート』より。




『私と結婚しなさい!!』

 ――高らかに宣言されたその声に、俺は反応を返すことが出来なかった。

 言葉の意味が理解できなかったからではない。

 理解出来てしまったが故の空白。

 ――そうして。

 その状況に陥ったのは、なにも俺だけではなかった。

「……えっ?」

「……はっ?」

「……ん?」

「……おぉ」

 この場に居合わせたノワール、カリエさん、ナギ、マーリーの四名も口を開け、驚愕を露わにしている。

 まぁ、誰だって予期しないタイミングで他人様のプロポーズを目の当たりにすればそうもなるだろう。

 唯一例外をあげるとするのなら――

「ほぅ。お主、やはり盛りのついた雌犬であったか」

 ――過去に一つの大陸をも支配していた実績を持つ超大物、我らが大魔王、ナイアくらいのものである。

 そんなナイアさんは動揺も無く、短くそう吐き捨てると、ゆるりと姿勢を整え、自らの拳を握り、ゆっくりと言い聞かせるように口を開いた。

「座すが良い、アリア・アルレインノート。まぁ、頭を垂れるのならば、辞世の句くらいは読ませてやろうぞ」

 言い終わるが早いか、ナイアの体からは怒気が漏れ始める。

 うん、もうね。

 なんという鬼神のオーラ。

 現実に触れそうな程に具現化したその感覚に、頬を叩かれたような思いで、俺はハッと正気に戻った。

「――まっ、まて! 落ち着け、ナイア!」

 俺は改めてナイアを羽交い絞めにして、抑える。

 見た目的に十二歳程度の少女に、後ろから抱き着く若干15歳。

 やはり、絵柄的には問題が大きいが背に腹は代えられないだろう。

 人死にが出てからでは遅いのだから。

 前回のマジ切れモードと違い、今度はナイアが紫電を纏っていなくて良かった。

「むぅ! なぜ、庇うのじゃノゾム!! やはり胸かの!? 乳がお主を狂わせたのかの!?」

「失礼なことを言うんじゃありません!! 当方、そんな思考は持ち合わせておらんっちゅーに!!」

「ならば、なぜ庇うのじゃー!!」

 大声でわめきながら、俺の抑えから逃れようとするナイア。

 一応、さっき俺のHPを半分持ってったことを気にしている所為か、あまり力を入れられないようだが、そうじゃなかったら数秒と持たずにナイアは自由になっていただろう。

 世の中、何が功を奏すか分からないモノである。

 なんていうやり取りをしている間に、どうやら呆けていた他のメンバーも我に返ったらしい。

 その中でも真っ先に口を開いたのは、王女の護衛であるカリエさんその人である。

 彼女は数度、口をパクパクとさせたかと思うと、蒼白な顔色で叫びを上げた。

「お嬢!! いっ……一体何を仰っているんですか!?!?」

「あら? カリエ。何を声を荒げているのかしら? 王族たる私の護衛である以上、慎みを持つことの重要性は説くまでも無いと考えていたのだけれど」

「この状況ではそれも仕方が無いでしょう!? こんな男と結婚だなんて、私は反対ですよ!!!」

 王女の肩を掴み、自身に振り向かせながら率直な思いをぶつけるカリエさん。

 どうやら今回の王女の要求は、護衛の彼女からしても予想だにしていない内容であったらしい。

 まぁ、身近な存在であるはずの彼女から止めてくれるなら有難い――なんて、呑気に俺が考えていた時だった。

 ――ナイアの抵抗が強くなったのは。

「なっ!? カリエ、貴様っ!! ノゾムを愚弄するかっ!! 許さぬぞーッ!!」

「うぉいっ!? 落ち着け、ナイアッ!! 今、カリエさんは味方だから!! 結婚を止めようとしてくれてるからーッ!!」

「それとノゾムをこき下ろすのは話が別じゃろうがっ!! 言うに事欠いて『こんな男』じゃとっ!? 叩き潰してくれるわッ!!」

「怒ってくれるのは嬉しいけど、今は落ち着け、ナイアッ!!」 

 俺はそんなナイアを逃がさないように、再度腕に力を込めながら、視線を王女と護衛少女へ向ける。

 カリエさんは予想外の事態に必至で主の蛮行を止めようとしているが、彼女の主であるアリア様はそんな従者の様子をどこか胡乱げに見つめていた。

「……おかしいわね、カリエ? 此処に来る前に貴方からの同意は得られたと思っていたのだけれど」

「何を仰っているんですか、お嬢!! そんな覚えは全く――」

「『彼には責任を取るべき罪があるし、私にはその罪に対して責任を追及する権利がある』――っていうことは貴方も認めてくれてたわよね?」

「――っ!? ああ、どこか浮かれているというか、心ここにあらずだったと思ったら、そう言う事でしたかっ!!」

「貴方、最近私が主だという事を忘れていないかしら? 浮かれてるだなんて、仮にも主に使う言葉じゃないわよ? ……まぁ、良いけれど。実際、今の私は機嫌が良いから」

 空でも飛んでる気分だわ――なんて台詞で言葉を切りながら、こちらにふわりと笑顔を浮かべる第二王女様。

 そんな思いがけない不意打ちに、一瞬どきりとしたのは此処だけの話である。

「……ノゾム? 今、お主の心音が一段と跳ねたが、何故かのぅ?」

 ――前言撤回。

 やはり同じパーティ間で秘密は作れないものらしい。

 もうやだ、この大魔王。

 冷や汗を流しながら、俺は必死に言葉を探す。

 こちらの胸に耳を当てながら低く呟く彼女の声は、選択肢を誤れば詰むということを明確に示唆していたのだから。

「なっ……何を仰っているんですか、ナイアさん。この現代の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースと呼ばれた成金 望さんが、笑顔ひとつでそんな……そんなわけ無いじゃないですか……?」

「めがっさ酷い言い訳を見ましたね……。ご主人、もう少し上手い言い訳はなかったのですか?」

「……にょろーん」

「……もう黙って下さい、ご主人」

 そうして、俺は鮮やかに詰んだ。

 ――なんて。

 俺たちがそんなアホな会話をしているうちにも、事態は動き続けていた。

「ほら、そこを退きなさい、カリエ。……貴方が邪魔で私の旦那様が見えないわ」

「旦那ッ!?!?」

 俺がナイアへの言い訳を考えている間にも、カリエさん達はやり取りをしていたのだが、最後に紡がれた第二王女の言葉における変化は劇的なモノだった。

 ――バキンッ!!

 不意に。

 俺が間近で生まれたその音を見やれば――

「…………」

 ――そこには俯き自身の表情を隠すナイアの姿があった。

 いつも明るい彼女が黙りこくっているのは、強く違和感を覚える光景である……が、重要なのはそこではない。

「……あ、あのナイアさん? ……その持ってる奴はなんですのん?」

「……ん? ああ。気付かんかったわ。妾としたことが怒りの余り、思わず握りつぶしておったらしいのぅ」

 ――低く、重く。

 そう呟きながら、拳を開くナイアの手の平からは――バラバラに粉砕された金属が零れ落ちた。

 俺がゆっくりと視線を動かせば、ナイアの腕が届く距離、牢屋の格子の一本が途中から折られている。

「……のぅ? ノゾム。真面目にそろそろ妾を放してくれんかのぅ? 妾としてはこれから先も自制が効くなどという自信は無いからのぅ」

 彼女はぐっぐっっと手を開いたり、閉じたりしながら。相も変わらず俯き表情を隠しつつそう言う。

 俺としてはその拳が作り出した惨状に、生唾を飲み込むことしかできない。

「……うわぁ、ご主人。『握撃あくげき』ですよ、握撃。初めて見ましたね」

「……レベル999になると、ここまで来るのか。ナイアにも鍛えることが卑怯とか言う発想が欲しかったなぁ、ノワール」

 それでも、まだ最後の足搔きとして俺はナイアに対話を試みようとしていたのだが、そんな俺の蚊の鳴くような声は、とある少女の叫びによって掻き消された。

「ほんっっとうにっ駄目ですよっ、お嬢!! 目を覚ましてくださいッ!! 庶民と一緒になる王族なんて聞いたことありますかっ!?!?」

「カリエ。何事にも先駆者という存在はいるものよ? 一番槍というのは良いモノだわ」

 そう言って、うんうんと頷く第二王女様。

 ちなみに、俺はそうは思わない。

 前例が無いというのは、非常に怖い事である。

 一国の王女様であるアリア様には、その辺は是非とも慎重になって頂きたい。

 何事にも先達はあらまほしきことなり。

「どうして、そこまであんな男に拘るんですか!!」

「カリエ。お母様は仰っていたわ。――『大事な所は将来の旦那様にしか触らせちゃいけない』って」

「王妃様が? でも、それとこれとは――」

「――それなら、『大事な所を触った人こそ、将来の旦那様』ってことよね?」

 そんな王女の言葉で、再び場は凍り付いた。

 それは、あの『ナイア』ですらだ。

 歴戦の魔王をしても、その理論の危うさには動揺を禁じ得ないらしい。

「ご主人。聞きましたか? これは……本当に危ないですよ? なんという『ちょびっつ』理論」

「ノワール。少し発音が違うぞ。正しくは『ちょびっツ』だ。もっと愛を込めろ。最後だけカタカナだから」

「いや、ご主人。なんか蝶混ざってますし、今はそこ重要じゃないですから。現実から目を背けないで下さい」

「何を言っているんだ、ノワール。発音は大事に決まっているじゃないか。レヴィオサーとレヴィ・オーサでは全く違うんだぜ?」

「だめだ、コイツ。早く何とかしないと」

 ――なんていう、やり取りに逃げる俺と黒猫は別として。

 明らかな危険思考に誰もが言葉を失ったその時、立ち上がった一人の男がいた。

 他の全てが動きを止めているからこそ、全員の視線がその男に固定される。

「その発想は無かったなぁ!! なんて素敵な発想なんだッ!!」

 そう大声で言い切ると、男は右手で自らの顔を隠し、大笑を漏らした。

 そのまま彼は言葉を続けていく。

 歌い上げるように堂々と。謳い上げるように朗々と。

「素晴らしいなっ!! ああッ!! その理論は実に素晴らしいッ!!」

 そう言い切ると、男は。

 堪えきれない――と。

 抑えきれない――と。

 笑みを湛え、愉悦を零し、歓喜を震わせ、喜悦を漏らす。

 ――そうして。

 彼は牢の奥から、移動を開始する。

 滑るように、這うように、速やかに、晴れやかに。

「――なッ!? 貴方はッ!!??」

 そんな男を視界に入れて、カリエさんの表情が驚愕に染まり、次の瞬間、絶望に歪む。

 さながら悪魔でも見たかのように。

 さながら悪夢でも見るかのように。

「そ……そんな……そんな」

 そう言いながら、自身の首を小さく左右に振る少女に、先ほどまでの気丈な様子は欠片も無い。

 そんな少女に。

 怯え、戸惑い、嘆き、悲しむ――少女に向けて。

「いっ……いやぁぁぁぁぁぁっ!?!?!?」

「それなら当然――俺たちも結婚ですよねッ!! カリエさんッ!!」

 世紀の下着泥棒、純白の貴公子ことマーリー・パンサーは、爽やかにそう言葉を投げたのだった。

「いやぁぁっ!!! なんて悍ましいことを言うんですかっ!! あり得ませんから!! 例え生まれ変わっても貴方だけは有り得ませんから!!」

「はははっ。良いんですか? そんなことを言って。――『護衛』の貴方が、他でもない『主』の言を否定することになりますよ?」

「――ッ!?!? お嬢っ!! 早く発言を撤回してください!! 貴方の理論でいくのなら、私はあの下着泥棒と添い遂げることになってしまうんですよっ!?!?」

「あら、カリエ。貴方、男には興味ないと思っていたのだけれど、いつの間にかそんな相手がいたのね」

「違いますよっ!! 先の事件で不可抗力が起きただけですっ!!」

「その割には忌憚なく意見が言いあえてるみたいじゃない。そういう関係性は少し羨ましいわ」

「ふふふ。どうやら王女様の了承は頂けたみたいですね。さぁ、カリエさん。これで私たちの道を遮るものはありませんよ」

「話しかけないで下さいっ!! 気色悪いっ!! 女性用下着を頭に被るような変態と話す舌なんて、私は持ち合わせていませんから!!」

「はっはっはっ!! これは手厳しい。ですが、話しかけるなというのも無理な話です。妻になる人の事を知りたいと思うのは当然では?」

「ですからっ!! 私にはそのつもりはありませんっ!! 私が思うのはただ一人!! 『メスト・フィーロ』様だけですからっ!!」

「――っ!? 『メスト・フィーロ』ッ!? 今、『メスト・フィーロ』って言ったかッ!?!?」

 ――そんなこんなで。

 気付けば、会話の当事者であった俺たちを置いて、牢屋はぎゃいぎゃいと騒がしくなっていくのであった。



「――ってっ!! 論点が変わっています!! 今は私の話をしている場合ではありませんッ!!」

 改めて、場が動き出したのは、先ほどの騒動から約数分後。

 俺がそろそろナイアを開放しても良いかなぁ、なんて考え始めた頃だった。

「お嬢ッ!! 貴方の想いは分かりましたが、それでもこの結婚は許せませんし、有り得てはなりません!! 間違いなく、双方にとって不幸になるだけです!!」

 カリエさんはそう言い切ると、強いまなざしで持って自身の主へ視線を向ける。

 その表情からは真摯さと必死さが溢れていて、誰の目から見てもこの少女が本気でそう思っているということは明らかであった。

 まぁ、それについては俺も同じ気持ちなのだけれど。

 まず、俺は自分と言う人間を信じてはいないので、俺が彼女を幸せに出来るとも思えないし。

 何より、そうなったら。

 ――俺はナイアに殺されるだろうしなぁ、とか考えている間にも、話しは進んでいた。

「……カリエ。『双方にとって不幸になる』とは、言い切ったものね。何か貴方がそう確信できることでもあったのかしら?」

 王女様は部下からの度重なる否定に、そろそろ機嫌も害してきたようで、強い口調で問いかけるが、それを受けてカリエさんは我が意を得たりとでも言わんばかりに目を輝かせ、胸を張った。

「勿論です!! お嬢!! 良いですか、その男はですね――」

 どうやら、カリエさんにはこの状況を打開する必殺の策があるらしい。

 俺は安堵の吐息を僅かに零しながら、深い祈りを持って彼女の言葉を待った。

 実際、現状を解決できる一番良い方法は、『第二王女様が俺との結婚を諦める』ことなのだから。

(頼みますよ、カリエさん!! 逆転の一手を!!)

 内心でそう縋った俺に応えるように、彼女は凛々しく自らの指をもってこちらを指さし、はっきりと言い切った。

「その男は――『同性愛者ホモ』なんですよ!?」

「「「「――!?!?!?!?」」」」

 その言葉で俺、ノワール、ナイア、第二王女は絶句する。

 何故かマーリーとナギだけは、『ああ、納得』みたいな顔をしていたが、今はそこに関わっている場合ではない。

 俺は慌てて、言葉を投げた。

「ちょちょちょ……ちょっと待ったー!! カリエさん!? なんですか、その間違った情報は!? どこ情報ですかっ!?」

「はっ! 誤魔化そうとしても無駄ですよ!! 勇国での行動は私の耳にも入っています!! 冒険者からの情報によると、貴方は頻繁に門番の男性の逞しい腕に抱かれていたらしいじゃないですか!!」

 慌てて、話しかけた俺に対して、お見通しだとでも言うかのように、冷ややかな目線を投げながら言葉を投げるカリエさん。

 そうして、告げられた発言は頭を抱えたくなるものだった。

 何故なら、その情報はある意味では噓偽りの無い真実であったからだ。

「……うぉぅ。やっぱり、変態だったんじゃねぇか、ノゾム」

「マジですか、ノゾムさん……遥か高みにいるとは思っていましたけれど、まさかそれ程までに」

「カリエさぁぁん!? 情報収集なら、もっとしっかりと最後までして貰えませんかねぇ!! なんでピンポイントでそんな情報だけ引っ張ってくるのか!? 後、そこの二人も引くんじゃねぇ!! 単純にゴブリンとかオオトカゲから逃げた時にお世話になっただけだわ!!」

「……お世話になった……ねぇ」

「無駄に含みを持たすんじゃねぇぇぇぇっ!! ナギィィィィィ!!」

「……大丈夫ですよ、ノゾムさん。貴方の性癖がどうであれ俺に取って貴方が恩人であることに変わりはありませんから」

「違うっつってんだろうがぁぁッ!!! 後、理解あります的な発言してっけど、それなら、なんで離れていくんですかねぇッ!! マーリーくぅぅんっ!!」

 俺は泣きそうになりながら、そう叫んだ。

 いや、実際、コレは酷いわ。

 昨日、一緒に馬鹿をやったりして、僅かなりとも仲良くなれたと思った友人たちが、尻を隠すようにしながら、後退していくのだ。

 これには俺も切なさ炸裂状態待ったなしだった。

 そんな俺の痛切な叫びが届いたのか、ナギとマーリーは気まずそうに互いに顔を合わせた後で、口を開く。

「いや、だってなぁ。聞いてたらお前、あまり女子に興味なさそうだしな。ぶっちゃけホモって言われても違和感ないぞ」

「言いにくいんですが……俺からもその意見には同意ですね。だって第二王女の胸を触った事についても、なんとも思って無いんですよね?」

 それは男として……なぁ? ――なんて、響きを言外に匂わせながら、互いに目配せしあう悪友二名。

 そんな二人に対して、俺は我慢できずに激情をぶちまけてしまった。

「アッッホッッかぁぁぁああ!! んなもん本音を言うなら滅茶苦茶興味あるに決まってんだろうが!!」

 一度吐き出せば、それはもう止まらなかった。

 ――気付けば。

 俺はこの身に有り余るほどの感動を、自らが尽くせるだけの修辞を持って、語りだしていた。

「王女様の胸!? 最高でしたよ!! これで満足か!? ああん!! 寧ろ、こっちが満足したわッ!! おっぱいってあんなに素晴らしい感触なんですね!! 良い感触すぎてビビったね!! 今だって鮮明に思い出せますぅ!! なんならアレからずっと考えてますぅ!! 言えなかったのはただ、言えばナイアに殺されるのが目に見えてたからですぅ!!」 

 ああ、思い出せば、なんて過ぎた幸運だったのだろう。

 マシュマロ? 肉まん? テニスボール? 二の腕?

 ――否、断じて否。

 アレはそんな物質論で代用し、語りつくせるモノでは無い。

 いつまでも触っていたくなるほどに、離れがたく。

 どこまでも優しい感触を持って、この手を包んでくれた。

 あの感激を何といえば良いのか、あの感動を何といえば良いのか。

 滾る思いを吐き出しながら、いつからか俺は涙を零していた。

 ああ、あんなに素晴らしいモノに出会えたのに。

 ああ、あれほどに凄まじいモノに出会えたのに。

 俺は言葉では、その神秘を一割も伝えることが出来ないのだ。

 この狂おしい程の熱情を、この愛しい程の劣情を――もってしても。

 『おっぱい』について語るには、余りにも俺は力不足だった。

 そんな己の至らなさを恥じ、俺は両目から涙を零しながら頭を下げ、王女へ向けて――いや。

 そこにある『おっぱい』に向けて――言葉を投げていた。

「ありがとう」

 こんな俺にアリガトウ。

 こんな俺なのにアリガトウ。

 謝り・・たいと感じ・・ている。

 ――だから『感謝』と言うのだろう。

 ――これを『感謝』と言うのだろう。

 俺は過去に自らを天上へと連れていってくれた存在に、そう言いながら――


「ほぅ」


 ――地獄行きが確定した。

「――はっ!? 俺は何を……!?」

「終わりましたね、ご主人」

「違うぞ!! 違うぞ、ナイア!! 俺は別に……」

「ノゾムの……アホゥ……そんなに……そんなに巨乳が良いんじゃな……?」

 泣いていた。

 あのいつも明るい大魔王が、自らのスカートを握りしめ、ぽろぽろと泣いていた。

 動揺して、ナイアから腕を放し、俺は釈明の言葉を投げるが。

「違うって!! 巨乳なんてオレにはなんの関係もない――」

「――ノゾムの……アホォォォッ!!」

 そんな俺に対して、彼女は腰の入った一撃を叩きこんできた。

「――がっ!? ……あっ……あっ」

 その一撃はナイアの気が籠められたモノだった。

 衝撃は一切後ろに流れることも無く、俺の体内を駆け巡っていく。

「オーノーだズラ。ご主人はもうだめズラ。あーあ。迂闊な事を言うからですよ」

「ノワァ……ル? オレは何を言った……? え……? あ……何を……?」

「祈って下さい、ご主人。――生きている間に、貴方に出来ることはそれだけです」

 衝撃は俺の体を蝕み続ける。

 一連、二連、三連、四連、五連。

 殴られたのは一度なのにも関わらず、さながら、釘を深く、深く打ち込むように。

 衝撃は俺の体を駆け巡る。

 殴られた鳩尾から浸透し、腹筋を越え、胃を揺らしていく。

 あぁ、分かってしまう。

 これは無理だ。俺に耐えられる攻撃ではない。

 今までの人生の中で、これほどまでに強く殴られたことは無い。

 そんな一撃を受けて、俺の中に。

「お……お許しください……」

 こみ上げる。こみ上げてくるモノがある。

 懺悔の言葉が、悔恨の念が、そして何よりも――涙と胃液が。

「お許しください……オレの、本心ではないのです……!!」


 なんとも醜い言い訳と共に、俺は静かに涙と胃液アクア・ウィタエをまき散らしながら気絶した。


「聞きましたか!? やっぱり彼は変態です。どうか考え直して下さい、お嬢!!」

「……良い感触だった? ずっと考えて……?」

「何故、ちょっと満更でもないんですかッ!? お嬢ぉぉぉ!!」


 最後にそんな会話が聞こえた気がしたが、気の所為だろう。

 ――俺の記憶ログには何も無い。

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