第86話「お前は最強の男と結婚して、最強の子孫をつくるのだッ!!」

 とある男の話をしよう。

 誰よりも貯金に燃え、それ故に絶望していた男の物語を。

 その男の夢は初々しかった。

 この世の誰よりも金持ちに成り物欲が赴くままに全てを手にしたい、と、そう願ってやまなかっただけ。

 全ての少年が一度は胸に懐き、だが現実の非情さを知るうちに諦め、捨てていく幼稚な理想。

 どんな貯蓄にも代償となる犠牲があるものと――その程度の理は、どんな子供も、大人になるまでの内に弁える。

 だがその男は違った。

 彼は誰よりも愚かだったのかもしれない。どこか壊れていたのかもしれない。あるいは何かしらの常識を逸した天命を帯びていたのかもしれない。

 この世の全ての経済が生産と消費の両天秤に載っているのだと悟り……

 決して片方の計り皿を空にすることは叶わないのだと理解したとき……

 その日から、彼は天秤の計り手たろうと志を固めた。

 出費を可能な限り安価に抑え。

 できうる限り貯蓄を増やす。

 決して需要と供給を測り違えぬこと。

 ただ無謬の天秤たれと、それだけを自らに課した。

 

 だが、彼は気づくのが遅すぎた。

 全てにおいて貯蓄のみが最上だと尊ぶのならば、それは、何一つとして購入しないのと同じこと。


 そんな鉄則を、もっと早くから肝に銘じておいたなら、まだ彼には救いがあった。

 若い心を凍らせ、壊死させ、血も涙もない計測機械として自身を完成させていたなら、彼はただ冷淡に出費と収入を選別し、財を肥やし続けるばかりの人生を送れただろう。そこに苦悩は無かっただろう。

 だが、男は違った。

 小説は彼の胸を満たし、漫画は彼の心を震わせた。

 消費社会の理を越えた理想を追い求めておきながら――男は、あまりにも人間過ぎた。


 その矛盾に男は幾度、罰せられたか知れない。

 奇妙な冒険もあった。めぞんな一刻もあった。

 そんな愛おしい作品と、己が全てを賭けた貯蓄が、天秤の左右に乗った時――彼は、あっさりと過《あやま》った。

 自ら信念に謝り、自ら判断を誤り、自ら夢への道を過った。

 ――思えば。

 初めから彼の道は狂っていたのだろう。

 全てを手に入れるという夢が為に、全てを諦めるという過程を辿る必要があるなどと。


 ――けれども。

 どんな事情であろうとも、どんな状況であろうとも、どんな事態であろうとも、どんな時代であろうとも。

 彼が自らが定めた信念を裏切ったことに間違いは無い。


 それは幼き自分への冒涜であり、穢れ無き夢への裏切りであった。


 ――だから、だろうか。


 『無謬の天秤』たれなかった男への。


 ――これは罰なのだろうか。


 判断を誤った天秤には、端から誤った選択肢がお似合いだとでも言うつもりか。


『ナリカネ ノゾム!! 貴方には責任を取って貰うわっ!! 私と『結婚』しなさい!!』

 

 そして今、男は最大の罰を科されている。




 ……話は少し遡る。


「なんじゃ。昨日よりも随分と打ち解けたようじゃの」

「やっぱり、男子は仲良くなるの早いですね」

 ――そんな声が聞こえてきたのは、俺がこの収容所に入れられて二日目の昼だった。

 振り返り、声の方向を見やれば、予想通りそこは黒猫を胸に抱いた少女の姿があった。

 昨日よりも明るげなその少女の表情に、あの土下座も無駄ではなかったと密かに胸を撫で下ろし、俺は言葉を返す。

「おお。ナイア、ノワール。来てくれたのか。ごめんな、こんな何も無い所に」

「水臭いことを言うのは無しじゃ、ノゾム。お主が居る、それだけで妾には価値がある」

 軽い感謝の言葉に対して、砂糖菓子の弾丸で持って撃ち抜くナイア。

 その余りにも気恥ずかしい返しに、俺は思わず息を詰まらせる。

 照れも気負いも無しに、こういう不意打ちを入れてくるからこの魔王様は侮れない。

「ありがとな、ナイア」

 俺は何とか照れを隠し、それだけを口にして、檻の隙間から手を伸ばす。

 すると彼女は嬉しそうに笑いながら、そんな俺の手の平に自らの頭を擦り付けてきた。

 うむ。

 今日もさらさらとした手触りが心地よい。

 ――なんて、いつも通りナイアの頭を撫でていると、そこに黒猫から声がかけられた。

「しかし、それにしても仲良くなるのが少し早すぎる気はしますね。昨日、私たちが帰った後で、何かあったんですか? ご主人?」

 言葉と一緒に、伸ばしている俺の手に――ぺしり、と尻尾を当ててくるノワールさん。

 気を惹くためなんだろうが、変にこそばゆいからやめて欲しいんだが。

「ああ……まぁ、何かあったと言えばあったんだけどな。一つ先に言っとくとな、ノワール。現状の受け取り方に、お前と俺で齟齬がある」

「齟齬……ですか?」

「なんじゃ? 煮え切らん言い方じゃのぅ。ノゾム」

 俺の言葉を聞いて、ナイアは顔を上げて疑問を表してきた。

 その動作を最後に、心地よい手触りが俺の手から離れてしまう。

 そのことに僅かな後ろ髪を引かれつつ、猫の尻尾に対象を変えることでその寂寥感を晴ら――そうとしたが、そんな浅はかな想いを汲んだかのように、ノワールの尻尾はするりと逃げていった。

「私は何かの代用品ではありませんよ、ご主人」

 お高い猫である。

 相も変わらず手厳しい。

「ちぇっ、ちぇっ、気取ってやんの」

「それは本来、黒猫わたしの台詞です、ご主人。そんな事よりも話の先が気になるんですが」

「んー。なんていうかなぁ。打ち解けはしたかもしれんが、仲良くはなってないんだよ」

 俺の言葉を受けて、二人は分からないというように眉根を寄せた。

 そんな二人に思わず苦笑しながら、俺はチラリと後ろへ視線を送る。

 そこには――

「二人がかりってのは卑怯だと思わないのか、てめぇら」

「全く思わん。なんてったってノゾムさんの敵は俺の敵なんだからよ。というか、そもそもステータス的には、それでやっと勝負になるレベルだから良いじゃんか。……実際、ノゾムさんのステータスなんてゴミみたいなモノだったしよ」

「……まぁ、それは確かにな。冗談抜きに魔力0っていうのは予想外だったわ」

「だろ? 俺が必至に結界を駆使して、お前を抑えつけたってのに何も出来なかったんだぞ? あの人。ぶっちゃけ居ても居なくても変わんねーよ」

「……アイツなりに頑張ったのは伝わってきたんだけどな」

「それな。流石に無抵抗の相手に対して、ダメージ0だった時は俺も言葉を失ったわ。……まぁ、そんなノゾムさんに気を使って、魔力抜きで戦ったにしても、お前が俺たちに負けたのは事実なんだからよ。これからは敬語を使えよ、ナギ」

「まぁ、敬語までは使わねぇけどよ。……お前の気持ちが少しは分かったぜ、マーリー。俺としても、この喧嘩でノゾムの事は見直したからな。……あんなステータスなのに、良くああも笑って生きてられるわ。俺ならとっくの昔に世界に絶望してるぜ」

「……ああ、本当にすげぇよ、ノゾムさんは。あそこまで酷いステータスに加えて、性格的にも幼女から王族までセクハラをせずにはいられないって社会不適合っぷりだろ? ……本当は相当に生きにくい筈だぜ。ノゾムさんにとって、この世界はな。――なのにな、いつも笑ってんだよ、あの人は」

「……泣けてくるわ。俺は勘違いしてたんだな。俺レベルの不幸で、自分の過去を悲劇ぶるなんて。将来的にも改善策が見えないノゾムのステータスや性格に比べたら、俺の絶望なんて可愛いモノだったっていうのに」

 ――全力を出した結果として、仰向けに突っ伏したままそう語り合う二人の姿があった。

 無性に夕日の河原をイメージさせるような光景ではあり、どこか爽やかに言葉を紡ぐ二人の姿は何かをやり遂げたような達成感を滲ませてもいて、それが更にこの場の雰囲気を良い感じに装飾している。

 ……のだが。

 その会話の内容はどう好意的に見積もっても、俺に対する酷評だ。

 この光景を見て素直に『仲良くなった』と思える奴は中々いないだろう。

 少なくとも、俺にはそうは思えない。

「――って感じだ。ナイア、ノワール。俺としては『仲良くなった』っていうより、『泣きそうになった』の方が近い」

「そうだったんですねぇ」

「切ない話じゃのぅ」

 そう言いながら、ノワールは軽く首を捻り苦笑を漏らし、ナイアもどこか苦い顔。

 どうやら、我が親愛なるパーティーメンバーを持ってしても、俺のフォローは出来ないらしい。

 ノワールも魔法を使えるようになった今、異世界魔法の劣等生である俺の味方は、相変わらずスペランカーだけである。

「成金 望は自分のこの『ステータス』を見る時、いつも思い出す」

「目からエメラルドなスプラッシュを出すのは止めて下さいね、ご主人。……まぁ良いじゃないですか。喧嘩を通して、少し打ち解けれただけでも」

「まぁなぁ」

「只でさえ、こんな牢屋に男三人で収容されてるんですから、雰囲気の改善は大事ですよ、実際。諍いの種は速めに摘むに越したことはないでしょう」

「諍いねぇ。振り返れば戦いにもならなかったけどな。……今回の件で俺は学んだよ、ノワール。争いって言うのは同じレベルの相手じゃないと発生しないってな」

「ご主人ェ……。さっきから無駄に哀愁が滲み出ていますけど、そんなに酷い状況だったんですか?」

「……お前に分かりやすく伝えるなら、『俺がナギを殴るために握り固めた拳より、ナギが無意識に垂れ流してる霊圧の方が強い』って感じだ」

 単純な疑問として状況を聞いてくる黒猫に、俺は自分でも分かるくらいに苦く笑いながらそう返した。

動けない状態の相手ナギに向かって、全力の腹パンを叩き込んだ結果、ダメージ0で気まずそうに眼を逸らされれば、誰だってそうなる筈だ。

 何がいたたまれないかって、その後からナギがデコピンだけで戦い出したのがいたたまれない。

 あれを戦いだったと言い張れるほど、俺のメンタルは強くはなかった。

「……それは、またご愁傷様ですね、ご主人。――って、あれ? でも、ご主人は一回ナギくんを蹴り飛ばしてますよね? あの時と今ではご主人のステータスも変わって無いと思うんですが」

「ああ、アレな。あの時はナイアにぶん投げて貰ってたからなぁ。多分、アレはナイアの攻撃って扱いだったんだろうよ」

「成る程。この世界のステータス参照のルールは良く分かりませんね」

「それな。まぁ、今後を考えるとちょいちょい検証した方が良いかもな」

「そうですねぇ。――あれ?」

「ん? どうしたんだ? ナイア?」

 なんて、ほのぼのと会話をしていると、不意にナイアがそっとノワールを床へと降ろし、自分たちが入ってきた方向、即ちこの牢屋から続く廊下側へと体を向けた。

「……来よるのじゃ」

 そして彼女は、ぽそりと呟き、拳を固めた。

 同時にナイアから零れる圧倒的な威圧感。

 こちらには背中を向けているにも関わらず、俺は気づけば生唾を飲み込んでいた。

 そうして言葉を失った俺の代わりに尋ねるのは、やはりノワールだ。

「来る? 誰か来るんですか? ナイア」

「……うむ。妾が今、一番会いたくない奴がのぅ」

 ナイアがそう言ってすぐ、その音はこちらにも聞こえてきた。

 ――カツン、カツン、と反響するのは足音か。

 反響にしても数が多いソレは、来訪者が一人ではない事を俺たちへと知らせてくれた。

 やがて、言葉も無く待つ俺たちの前に、その人物たちは姿を見せた。

「……その説はお世話になったわね、ナリカネ ノゾム」

「……」

 そう。

 それは彼の事件の当事者も当事者。

 『アリア・アルレイン・ノート』その人と、その護衛の『カリエ・エテーシュ』であった。



「……」

「……静かに言葉を失くさないで下さい、ご主人。……どーするんですか? この状況?」

 王女の来訪から数秒。

 僅かな沈黙の後に俺に出来たことは、何とか言葉にならない声を漏らすだけだった。

 そんな俺を叱るように、ぺしりと尻尾をぶつけながらノワールが話しかけてくるが、頭が上手く働かない。

 それも仕方がない事だろう。

 誰だって、自分が痴漢をしてしまった少女が目の前に現れれば、動揺はする筈だ。

 だが、そんな俺に構うことも無く、状況は流れてしまう。

「ほぅ。間にいる妾を無視とはやりよるな、この小娘が。一体、何用かは知らんが疾く去ぬが良い。今すぐ帰れば妾も寛容さをもって許してやろうぞ」

「あら。小娘とはご挨拶な庶民ね。……まぁ、良いわ。鏡も見たことが無い女児に同情を抱かない程、私は冷たくはないから。精々、私の機嫌の良さに感謝することね。小娘・・さん」

 ――それも。

 明らかに悪い方向へと。

「っ!? やばいっ、やばいぞノワール!! 昨日、ようやく持ち直したのにっ!!」

「……ええ、コレはちょっと不味いですね、ご主人」

 黒猫と小声を交わしながら、俺はチラリとナイアの様子を窺う。

 彼女は昨日、少女姿の自分への苛立ちを露わにしていた。

 普段は明るく振る舞っているから気づかなかったが、五百歳になる魔王としてナイア自身、復活直後の今の体型には大いに不満があるらしいのだ。

 そんな彼女に対して、先の王女の発言は火に油を注ぐようなモノだろう。

「……言うたのぅ。今の妾に対して、一番言うてはならんことを言うたのぅ」

 ……ああ、やっぱり。

 もう、後ろから見て分かるほどに、お怒りになってるもの。

「これは……本気でやばいですね、ご主人。スーパーナイアさんの登場も近いですよ!!」

「言ってる場合か!! ノワール!! 何とかして、止めないと……」

 焦ってる俺たちを置いて、少女たちの会話は続く。

「ああ、それと。これは忠告というか、親切な私からの助言なのだけれど――大人ぶるにしても、そういうのはもう少し成長してからの方が良いと思うわよ。今の貴方がやっても、子供の背伸びと思われるのがオチだから」

「……気付かんかったのぅ。この三百年で妾はここまで腑抜けていたのか。器の広さと誇りの無さを見誤るとは」

 そして、言葉と共にナイアは全身に紫電を纏い始めた。

 全身に漲る魔力が彼女の髪を逆立たせていく。

「うぉぉぉっ!! 馬鹿野郎、ノワール!! お前が変なこと言うから、ホントに出たじゃねぇか、スーパーナイアさん!!!!」

「誰がバカですか、ご主人!! バカっていう方がバカなんですよ、このバカ!!」

「うっせぇぇぇっ!! このバカ!!!!」

 そうして、俺たちがぎゃいぎゃい叫んでいる中でも、時は止まらない。

「? 人と話している時に俯くのは良くないわよ? 聞いているのかしら? ……まぁ、私にもそういう時期があったから気持ちは分かるのだけれど。それでもどうしても続けると言うのならせめて、人を下げるのではなく、自らを上げる方にアプローチを変えなさい」

「……せめて、祈れ。来世は天寿を全うできるようにのぅ」

 あ、ヤバい。

 ナイアが拳を作りだした。

 これはホントに止めないとマズイ。

「ちょっと、待ったーっ!?!? ナイアさん!! ストップだ、ストッォォップッ!!!」

「ぬぅっ!? 離せっ!! 離さぬか、ノゾムゥゥゥ!!」

「気持ちは分かるっ!! でも、今は落ち着けって――いでででっ!?!? なんだ、コレ!?!? バチバチきてる!? めっちゃ強い静電気っぽいのがバチバチきてるぅぅっ!!!」

「あ、ご主人。多分ですけど、そのバチバチきてる雷はナイアの魔法でしょうから、ご主人が触ってたらダメージ凄いんじゃないですかね?」

「へっ? うっそ、マジで? <ステータス>ッ!! うおいぃっ!?!? マジだっ!! HPがめっちゃ減ってくっ!?!? ちょっと、代われノワール!! 死んじゃう!! このままだと俺、死んじゃうから!!」

「私のHPは二十しか無いんですよ? ここはHP三桁のご主人が頑張るべき、そうすべき」

「三桁つっても魔法防御が0の所為でガンガン減ってくんですけどっ!?!? マジでこのままだとヤバいってっ!! なんか作戦は無いのか、ノワール!?!?」

「ご主人。――ガンガン行こうぜ」

「ふっざけんなっ!! お前ぇぇぇっ!!!」


 ――結局。

 俺のHPが残り二桁になった時点で、現状に気づいたナイアが魔力を抑えて、俺はなんとかことなきを得た。

 HP:275 → HP:78

 この推移を見ただけで、どれだけ危ない状況だったかは分かると思う。

「……良かったぁ、俺、生きてるぅ……」

「いや、最初はふざけてましたけど、流石に後半は焦りましたね。後、三十秒も食らってたら死んでましたよ、ご主人」

「うむぅ。すまんのじゃ、ノゾムゥ。妾の所為で……」

「ははっ……大丈夫だ、ナイア。気付いてくれてありがとな」

 俺は力なく笑いながら、ナイアの頭を撫でる。

 確かに、予想より痛かったけど、これで場が落ち着いたのなら何よりだ。

 ……ノワールは後でしばく。

 そう思いながら、俺は頭を上げて前を向く。

 そこには少し引いた様な第二王女と来訪して以来、どこか心ここにあらずな護衛少女の姿があった。

 こちらの視線に気付いたのか、第二王女の方が口を開いた。

「……貴方には被虐趣味でもあるのかしら?」

「……」

 そのあんまりなコメントに思わず俺はずっこける。

 誰のために体張ってナイアを止めたと思っているのか。

 ナイアとの会話でも思ったけれど、この王女様は自分への敵意や害意、皮肉に対して随分と疎いのかもしれない。

「大丈夫かの? ノゾム?」

「ああ、大丈夫だよ。ナイア」

 そうして、力が抜けて倒れた俺を気遣うナイア。

 どうやら俺のHPを半分以上減らしたことに罪悪感を持っているらしい。

 さっきまでの戦闘意欲はどこへやら、王女を視界にも入れず、こちらを心配してくれる姿は本当にどこにでもいる少女のモノだ。

 そんな彼女の姿を確認してから、俺はもう一度顔を上げて王女へと視線を戻す。

 いつまたナイアがヒートアップするか分からないし、今のうちに話を進めた方が良いと思ったからだ。 

「……アリア様。ウチのパーティーメンバーが大変失礼を致しました」

「なっ!! ノゾ――」

 言葉と共に頭を下げると、ナイアが何かを言おうとした。

 これ以上、話しがこじれては堪らないので、俺は右手で彼女の口を塞いでおく。

 檻の隙間から外にいる少女に向けて腕を回し、抱きしめるように口を塞ぐ男子高校生。

 絵面的には事案ものであるが、話しを進める為には仕方がない。

 ナイアから抵抗があるかと思ったが、彼女は素直に腕の中に納まった。

 彼女の力なら脱出は簡単だろうが、もしかしたら俺のHPを気にしたのかもしれない。

「……」

 俺はそのまま頭を下げた状態で、第二王女からの言葉を待つ。

 それは一種のポーズであるが、謝罪と言うのはそういう所が意外と大事だったりするのだ。

 特に、相手が気位の高い人物であればあるほど、何が気を損ねるのか分からないのだから。

「……構わないわ。頭を上げなさい、ナリカネ ノゾム」

 ――なんて考えていた俺に取って、そんな王女の言葉は意外なモノだった。

 初対面時の印象や先ほどのナイアとの会話などからして、それこそ、この少女は気位の塊であるように思えたし、例え許すにしても小言の一つも無しというのは予想外だったからだ。

 割と早く頭を上げることが出来た俺は、更に驚くことになる。

「寧ろ、許しを乞うのは私の方だわ。――ごめんなさい、ナリカネ ノゾム。ノワール、そしてナイア」

 頭を上げた俺の視界に入ったのは、こちらに対して深々と頭を下げる第2王女の姿だったのだから。

「――なっ!?」

「――へっ!?」

「……」

 ノワールも同じタイミングでそれを見たのか、俺と同じく、変な奇声を上げていた。

 口を塞いだままだから、ナイアが何かを喋ることは無かったが。

「ちょっ!? 何をなさっているんですか!? 頭を……頭を上げて下さい、お嬢!!」

 その行動は同伴してきた護衛をしても予想外のモノだったらしい。

 護衛の少女は悲鳴のような声を上げながら、自身の主の行動を止めさせようとするが、そこに彼女の主はそんな従者の言葉を無視して、こちらへ話を続けてきた。

「……今回、そこの男に殺されかけて、初めて自分がどれほどまでに愚かしい行動をしていたのかが分かったわ」

 そこで一度、言葉を区切り、僅かな間を置いて、彼女は言葉を続ける。

「『殺す』なんて言葉は軽々しく使うモノでは無かったんだって」

 そこで俺は気づいてしまった。

 彼女の手が僅かに震えていることに。

 ……あの時、自身に迫った命の危機を思い出しているのだろうか。

「ごめんなさい。……許される事では無いでしょうけど、貴方たちには本当に酷いことを言ってしまったわ」

 震える両手で自らのスカートを握りしめ、過去を悔いながら頭を下げる少女。

 そこには俺たちが脅威と見ていた『第二王女』としての姿は欠片も見当たらなかった。

 今、俺たちの目の前にいるのは、自身の過ちに気づき、頭を下げることが出来た素直な女の子であった。

「……ノワール。ナイア」

 それを認めた時、俺はナイアを腕から解放し、そう口を開いた。

 我ながら言葉足らずだとは思ったが、ノワールとナイアにはそれだけで言いたいことが分かったらしい。

「ええ。私は大丈夫です」

「……不服ではあるがの」

 そう言いながらもナイアは拳を解いた。

 どうやら心情的にしこりはあるようだが、素直に非を認めた相手に対して制裁を行うほどではないらしい。

 そんな仲間たちの意見を確認してから、改めて俺は王女へと視線を向けた。

 いつの間にか彼女は頭を上げて、こちらを見ていた。

 俺は不安に表情を曇らせる少女に向けて、安心させるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……お言葉。有難く頂戴致します。アリア様。貴方の優しさに甘えるようではありますが、我々としてもこのやり取りを持ちまして、全て水に流して頂ければと思います」

 そう言い切り、俺は軽く頭を下げる。

 俺としては、第二王女が敵では無いと分れば、さっさと和解して、関係性を良好なものへしておきたかった。

 『王族』を敵に回したいなんていう願望は俺には無いのだから。

 それに――

「……なぁなぁで終わらせた方が、痴漢の件も誤魔化せそうですしね、ご主人」

「……やめろ、ノワール。それ以上いけない」

 ――今、負い目があるのはこちらも同じなのだから。

「……本当に? 私としてもこんな謝罪だけで許しを貰えるとは思っていなかったのだけれど……貴方たちは本当にそれで良いのかしら? ……もし足りなければ」

「そこまでじゃ」

 なんてことを考えている間に投げ掛けられた声を止めたのは、低く唸るようなナイアの声であった。

 先ほどまでの軽口での怒りとは質の違う怒気を向けられ、さすがに第二王女も言葉を止める。

 そうして生まれた沈黙に滑らせるように、ナイアは自身の言葉を続けていく。

「妾としては業腹じゃが、主の態度から許すと決めたのじゃ。形を示すことは重要じゃが、親の金をチラつかせることを謝意とは言わぬ。――謝罪に対して、お主がまだ足りぬと思うのであれば、今後の自身が行動で返すのじゃな」

 でなければ許しは無しじゃ――、と言葉を区切り鼻を鳴らしてそっぽを向くナイアさん。

 やはりというか、なんというか、偶に見せる漢気が半端ない魔王様である。

「……そう。分かったわ。不愉快な思いをさせたようね。ごめんなさい」

 そんなナイアの言葉を受けて、両肩を落とす王女様。そこに前に見たの高飛車な様子は無い。

 軽く頭を俯かせる彼女を見ていると、俺の脳内に食堂での光景が蘇ってきた。

 ――静かに涙を流す、彼女の姿が。

「大丈夫ですよ。アリア様。確かに色々ありましたけれど――本当に水に流しましょう。なぁ、ノワール、ナイア?」

「ええ、その節はこちらも失礼をしましたしね」

「……ふん。そもそも、今の妾としては別の件が許せんのじゃがのぅ」

 思わず、フォローに回ってしまう俺だったが、仲間たちも今の雰囲気を変えたかったのか乗っかってくれた。

 まぁ、各自複雑な思いはあるだろうけど、今のうちに有耶無耶で済ませてしまうべく、俺は会話を進めることにした。

「今は級友でもありますしね。私としては、普通にこれから仲良くしていければ、と思っています」

 そんな気持ちで発した俺の言葉に対して彼女は――

「……今、なんて?」

 ――予想外のリアクションを返してくれた。

 そうして流れる沈黙。

 間に数秒間の間が出来たことで、場には気まずい雰囲気が満ちていく。

 こ、これはもしかして勘違いだったのだろうか?

 仲良くしていきたいというのは、こちらだけだというオチか?

 こう、一応悪いと思ったから謝りはしたけれど、仲良くはなりたくない的な?

 そんな空気に、俺は軽く混乱していた。

 なので、ノワールに訊いてみることにする。

「あれ? もしかして俺、盛大に間違えたか? ノワール?」

「……うーん。少し言いにくいんですけど……ご主人。普通に考えて、自分に痴漢してきた相手から『仲良くしようぜ』って言われたら――どう思います?」

 えっ、なにそれ怖い。

「……うわぁ。そう考えると図々しいってレベルじゃないな。俺ってほんとバカ」

「凄いですよねぇ。なんて穢れたソウルジェム。汚いな、ご主人。さすがご主人、汚い」

「……畳み掛けるな、ノワール。今、マジで、過去最高に自己嫌悪に陥ってるから、俺」

「ふふふ。なんとも切ない顔をしてますねぇ、ご主人。――泣くぞ? すぐ泣くぞ? 絶対泣くぞ、ほーら泣くぞ」

「鬼か、貴様」

「猫です、ご主人」

 小声で闇堕ちしていく俺を、同じく小声で揶揄うノワール。

 相も変わらず、鬼畜な相棒である。

 まぁ、そのノワールとの会話のお陰で良く分かった。

 普通に考えれば、王女様の反応も納得である。

 誰だっていきなり胸を触ってきた人間から歩み寄られたくは無いよね。

「大変、失礼を言いました。アリア様」

 そう思った俺が、改めて謝罪をしようと思い、声を掛けた瞬間、彼女の両肩がびくっと跳ね上がった。

 ……おおぅ。

 どうやら、俺は相当に彼女の心に傷を与えてしまったらしい。

 まぁ、そうだよな。

 年頃の女子が好きでもない男子に胸を揉まれるなんて、かなりのトラウマだろうし。

 目の前でビクつく彼女を見ながら、俺の中の罪悪感が膨れ上がっていく。

 なんて俺が考えていると、そこに彼女から声がかけられた。

「……ねぇ、『仲良くしていきたい』ってそう言ったのかしら?」

「……はい。分相応な願い、大変申し訳ありません」

 よりにもよって、そこをピンポイントで拾ってくる第二王女様。

 彼女がどういう思いで拾ったのかが分からない以上、答えづらい内容では有るけれど、言ってしまったことは事実だし、とりあえず肯定を返す俺。

 悪いのは33-4でこちらだし、謝罪を入れておくことも忘れない。

「……べっ、別に良いわ。私としても、その提案は……やぶさかではないから」

 だが、そんな俺の想いは、またしても予想外の台詞によって打ち返された。

「……へっ?」

 今度は俺の口からそんな言葉が漏れる。

 いや、それも仕方が無いだろう。

 何故なら――

「……なぁ、ノワール。やぶさかではない、の意味って何だった?」

「……私の記憶が正しければ、その為には努力を惜しまない、とかだったと思いますけど」

 ――なのだから。

 そんな俺の動揺も置き去りに、彼女は言葉を続けていく。

「……うん。どう言おうか考えていたのだけれど、貴方もそういう気持ちでいたのなら話は速いわね。ねぇ、ナリカネ ノゾム」

 なんだか本当に愉しげに、どこかイタズラを仕掛けるように嬉しそうに話す彼女。

「は、はい。なんでしょうか? アリア様」

「貴方。私の胸を触ったわよね?」

「――っ!?!?」

「ふふふっ。その表情は覚えているってことよね」

 そう言葉を紡ぐ彼女の顔には、今まで見た中で、一番魅力的な笑顔が浮かんでいた。

 突然に投げつけられたその笑顔と言葉に俺は二の句を返せなかった。

 先ほどからずっと、狼狽える俺には構わずに。

 ――彼女は高らかに宣言した。

「自覚があるならそれで良いわよね、ナリカネ ノゾム!! 貴方には責任を取って貰うわっ!!」

 堂々と胸を張り、声高に自身の想いを主張する彼女は間違いなく、俺たちが知る『アリア・アルレイン・ノート』その人であった。


「私と結婚しなさい!!」


 ――そんな流れで。

 此処に今世紀最大の爆弾が投げ込まれたのだった。

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