閑話「カリエ・エテーシュ」

「……大事が無くて良かったですね、お嬢」

「ええ、本当に」

 病院から外に出た瞬間、木漏れ日による暖かさと心地よい風の動きを感じながら、投げ掛けた私の言葉に対して、お嬢は振り向きもせずにそう返してくれた。

 短いやり取りではあるが、彼女からまともに言葉が返ってきたという事実。

 それだけでも私は、ほっとする思いだった。

 二日前のあの『暗殺未遂事件』の後、憲兵による事情聴取を終えたお嬢は屋敷の自室に引きこもり、それから一日、部屋から出てくることは無かったのだから。

 一応、部屋には普通に入れてくれたし、食事なども摂ってはいたが。

 その様子は心ここにあらずという状態であり、聞き取れない程の小声でぶつぶつと何かを呟き、自身の思考に深く沈み込んでいく姿は、ハッキリ言って見るに堪えないモノだった。

(……アレには驚いたけれど)

 ――だが。

 そんな様子から、一転。

『おはよう、カリエ。早速だけれど、病院へ行くわよ』

 今日の朝には、何か覚悟を決めたような顔でそう言い切った彼女にも、私は動揺を禁じえなかった。

 そうして近い過去を振り返りながら、私は前を歩くお嬢を見やる。

 こちらには背中を向けているので表情などは見えないが……長い付き合いの私には、さっきのやりとりだけで一応、彼女が今この結果に対して、深い安堵を抱いていることが伝わってくる。

 そんな雰囲気を確認出来た時点で、私は改めて一つ息を零した。

 ついでに深呼吸をし、肩の力を抜きながら、私はとりあえず結論付ける。

 恐らく昨日の彼女の落ち着かない様子は、運転手の女性が心配だったのだろうと。

 王族としては異常とも言えるほどに部下に『優しすぎる』のが、彼女こと『アリア・アルレイン・ノート』なのだから。

 ……きっと『何か覚悟を決めた』ような表情は、運転手の容態を聞くことについてだろう。

 感覚的に何故か少し違うような気もするが、他に彼女が『覚悟を決める』ような事態も思いつかない。

 ――なんて、私が考えていると、前を歩く彼女の方から質問が飛んできた。

「けれど、彼女もあんなに強引に分断された車中で良く無事で居られたものよね」

「そうですね。……まぁ、あれだけの結界に守られていたのなら納得は出来ますが」

 急な質問に対して、私は深みに嵌りそうな思考を振り払うように、助け出された時の運転手の姿を思い出しつつ答えていく。

 ――そう。

 大破した車の中にて、幾重もの防御結界に包まれながら、気絶していた運転手の姿を。

「大事が無い――どころか怪我の一つも有りませんでしたからね。奇襲として一番効果が高い最初の攻撃を受けた彼女が無傷、と言うのは少し皮肉なモノかもしれませんが」

「……そうね。加えて、そんな彼女を守った結界を張った人物が暗殺者本人・・・・・だという事も考えれば、本当に皮肉が効いているわ」

 私の回答に対して思う所があったのか、彼女は小さく笑った。

 そんな主の様子に対して、私は少し言葉を失う。

 一応、事件の後で知ったことだが、その暗殺者は深い催眠状態にありながらも『殺人』に対して強い拒否感を持っていたようで、それが理由で、自身の攻撃の被害者を自身で守るという今回の結果を生んだらしかった。

 それ自体は確かに皮肉が効いていると言えなくもないだろう。

 ――けれども。

 自身を殺そうとした暗殺者の行動に対して、『皮肉』の言葉一つで笑い飛ばすのは……どうなのだろうか。

 ……やっぱり、まだいつものお嬢とは違う気がする。

 部下の身で言いづらいことであるが、王族であるお嬢は筋金入りの『箱入り』だ。

 そんな彼女が皮肉めいた笑いを浮かべている現状は、私にとって少し違和感を覚えるモノだった。

 お嬢にしては、少し思考が荒いような、『浮ついている』ような。

 ――そう思いながら。

 私は今一度、彼女の様子を窺うことにする。

 相も変わらず振り向くことは無いけれど、小さく首を動かし苦笑を漏らす彼女。

 そんな彼女をしばらく眺めていると、視線に気が付いたのか彼女は不意に振り返ってきた。

「どうしたのかしら、カリエ? 何か付いているかしら?」

 不思議そうにこちらを見た後に軽く体を捻り、自身の背中を確認しようとする彼女。

 その表情には虚飾や虚勢の類は伺えず、先の事件に対しての陰りなど欠片も見えない。

「……いえ。なんでもありません」

「そう? それなら減給よ、カリエ? 主との会話で急に黙り込むなんて」

「ええ、申し訳ありません」

「まぁ、寛大な私は出世払いで許してあげるけれども……何か不満があるなら言いなさいよ?」

 それどころか。

 彼女らしく不器用な言葉ではあるにしろ、『悩みがあるなら聞く』という気遣いすら見せてくる。

 そんな彼女に対して――

「お嬢は……強くなられましたね」

 ――気付けば私はそう言葉を返していた。

 暗殺されかけたにも関わらず、前と変わらず笑える彼女を見て、私は自身が主を低く見ていたという事実を知る。

 既にこの身を一生捧げると決めた我が主は、どうやら私が思う以上に強靭な精神の持ち主であったようだ。

「……全く持って発言の意味が分からないのだけれども。話の前後が繋がって無いわよ? カリエ? 本当に大丈夫なのかしら」

 私の発言に対して、彼女は半分以上本気で心配そうに言いながら、私の額に手を当ててきた。

 そんな彼女に言葉にならない黙礼を返しながらも、私の胸には感謝の念が沸いてきていた。

 命の危機という状況に直面した後で、それでもこうして笑えるということは、それはもう幸福なことだという事を私は知っていたのだから。

 その危険な体験が心に深く刻み込まれ、日常生活に支障が出る場合だって珍しくは無い。

 特にその原因がモンスターなどではなく、悪意を持った人間の場合は更にその傾向は顕著である。

(……ああ、お嬢が笑えている。本当に良かった。――だけど)

 何故だろうか。

 やっぱり、どう考えても手放しで喜ぶべきだろう状況なのに。

 現状の彼女を見て、何故か――

 心から喜べない・・・・・・・・自分が居るのは。

 ――なんて考えていた時だった。

 彼女が言葉を投げてきたのは。

「……特に言う事は無いのね? まぁ、それならそれで今は良いわ。行くわよ、カリエ」

 あまりにも自然に投げられたその言葉に対して、私の返事は少し遅れてしまった。

「……ええ。失礼ですが、どちらへ向かわれる予定ですか? お嬢」

「決まっているでしょう、カリエ。……貴方は王族に手を出した庶民を、そのまま放っておいても良いと考えているのかしら?」

「っ!? いえ、そのような事は決して――」

「そうよね? どんな事情があっても犯した罪に変わりは無いわ。『彼』には責任を取るべき義務があるわ。そうでしょう? カリエ」

 問いかけのような口調であったが、彼女はこちらの台詞を遮るように自身の言葉を続けていく。

「そうよね? 私は間違ったことは言ってないわよね? 大丈夫よね? 大丈夫。……どんな事情だったにしても『彼』が私に手を出した事実は揺るがないわよね? それなら私が『彼』に対して『責任』を求めるのは至極当然な流れよね?」

 そうして畳み掛けるような疑問符を持って、言葉を締めると彼女は何故か睨むように鋭い眼光で私を見つめてきた。

 『同意以外は認めない』というような必至な思いが伝わってくる。

 そんな彼女の勢いに押された私は――

「……え、ええ」

 ――そう返すのがやっとだった。

「やっぱり、そうよね!! うん!! 当たり前の事よね!! やっぱり、私は間違って無かったわ!! そうと分かれば早く行きましょう、カリエ!! 私としてはこの状況は嫌々で、やむを得ず、仕方なしではあるけれど、『彼』には『責任』があるんだから!!」

 そんな私の言葉を確認すると、彼女は言質を取ったとでも言うように明るい表情を見せ、機嫌よく振り返り、鼻歌交じりにスタスタと歩みを再開した。

 そんな彼女の様子に私は……言葉を発せなかった。

(……嘘。明らかに『強すぎる』。いつの間にそんなに成長なされたのですか、お嬢?)

 私が知っている限り、私の主である『アリア・アルレイン・ノート』とは、言葉を選ばすに言うのなら『優しすぎる』人物だ。

 そんな彼女が『洗脳されていた』という暗殺者に対して、こうまでハッキリと嬉々として『責任を取らせる』というのは、彼女に長く付きしたがってきた私からすれば酷く理解しがたい状況だった。

(……今のお嬢が正しいのは間違いない。『王族』の命を狙ったということは決して浅い罪では無い)

 今回の件をうやむやにしてしまえば、それは私たちの母国である『勇国』にも影を投げる可能性があるのだから。

 親しい隣国とは言え、『他国』に舐められては国としての外交に大きく支障が出ることは間違いない。

 それを思えば、『王族』として、殺人の罪をハッキリと言及すると言い切った彼女は間違くなく正しい。

(……ですが)

 ――同時にそれは、『アリア・アルレイン・ノート』らしからぬ行動だ。

 先に挙げた『優しすぎる』という表現は誇張ではない。

 例え、どうしようもない程の罪を犯したとしても、そこに同情に足るだけの背景があれば処罰を与えるのを躊躇うような――そんな『甘さ』を持っているのが、私が知っている『アリア・アルレイン・ノート』であった。

(……お嬢)

 急に人が変わってしまったように、囚人が待つ留置所に向けて迷いなく歩く王女に対して。

 従者に出来ることは黙って後ろを付いていくことだけだった。

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