第84話 「さぁ、お前の罪を数えろ」

 ――カツン、カツン。

 薄暗い空間の中で、二人分の足音が反響していた。

 何故かその音が冷たく感じられるのは、全てが石造りで作られたこの空間が酷く無機質なモノだからだろうか。

 ……それとも。

 今、妾の胸中が酷く不安定なモノだからだろうか。

「……ナイア。大丈夫ですか?」

「……」

 抱きかかえられながらも、妾の腕に尻尾を絡め、案じるように話しかけてくれた黒猫に対して、妾は抱きしめる力を少しだけ強くすることで返事とする。

 ノワールはそんな妾に対して、何も言わずにその身を預けてくれた。

 彼女のその気遣いと温もりを有難く思いながら、妾は歩く。


 ――ノゾムが収容されているという『牢屋』に向けて。



「こちらになります。面会時間は三十分となりますので、その頃にまたお伺い致します」

 そう言うと、妾の前を先導していた職員は踵を返し、来た道を戻っていった。

 この場での待機を選ばなかったのは、彼なりの気遣いだろう。

 去り行く彼の背から視線を動かし、妾はその『牢屋』へと目を向けた。 

 むき出しの岩肌によって三方を囲まれ、残る一方も等間隔で並ぶ鉄棒によって仕切られているそこは、一目見て分かる程に内部に居る者への配慮に欠けていた。

 そんな場所に、『彼』は居た。

 彼はこちらに気付いた様子も無く、俯き、じっと自身の手を見つめていた。

 そこに普段の明るい雰囲気は皆無であり、妾は何とも不安な気持ちになる。

「……ノゾム?」

 ――気づけば。

 妾はそう話しかけていた。

 俯いている彼の表情はこちらからは分からなかったが、彼が『あの時』の残滓に憑りつかれているのならばそれを取り除きたくて。

「……ナイ……ア?」

 そんな思いを乗せた妾の声掛けに対して、ノゾムはそう呟き、顔を上げて、こちらを見た。

 ――そんな彼の目はまるで色が落ちたかのように、真っ黒で、虚ろな視線であった。

 感情を何処かに置いてきたかのような、全てを諦めたかのような――そんな視線だった。

「……っ」

 そんなノゾムの視線に、妾は思わず息を飲み、言葉を失う。

 まるで別人のように変わり果てた彼の様子は、妾の予想を遥かに超えていたのだから。

 妾が知っているノゾムは、常に明るく、何処か呑気でありながら、良く笑う少年だった。

 どんなに困難な状況であろうとも、決して諦めることなく。

 どれほど理不尽な状況であろうとも、決して屈することなく。

 自身の信念を貫く、真っ直ぐな少年であった。

 ……ああ、でも。

 そんな彼であるからこそ、妾は失念していたのだ。

 初めてゴブリンに襲われた時も、ギルドマスターに殺意を飛ばされた時も、勇者に遭遇した時も、賢者と邂逅した時も。

 只の人間と言う酷く弱い身でありながら、復活直後の弱体化している『魔王』という立場の妾を。

 見捨てるでもなく、見限るでもなく、見放すでもなく。

 今日、この時まで守り抜いてくれた彼が。

 ――齢にして十五に過ぎない、只の少年であることを。

 そんな彼が今、こんな場所で『あの時』に囚われていることが妾には耐えられなかった。

 変わり果てた彼を前に、妾はただ言葉を失っていた。

 そんな妾をどう思ったのか。

 彼は低く、小さい声で声をかけてきた。

「……駄目じゃないか、ナイア。こんなゴミ溜めに来たら」

 その音色は昏く濁っているようであり、妾が聞いたことが無いものだった。

 自嘲の色を強く含んだその声は、聴くだけで彼が持つ絶望の深さを感じさせるに十分なモノなのだから。

「……ノゾムゥ……ノゾ……っ……ムゥ……うぁ」

 妾の紡ごうとした言葉は、こみ上げてくる嗚咽によって阻まれ、形に成らなかった。

 そんな妾に対して、ノゾムは困ったように笑うだけだった。

 いつもであれば、優しく頭を撫でてくれる彼の手は固く握りしめられ、妾に対して伸ばされることはなかった。

「……随分と変わりましたね、ご主人」

 そこで初めて、ノワールが口を開いた。

 彼女は妾の腕の中から抜けだし、ふわりと地面に着地を決めると、そのまま牢屋に近づく。

 ノゾムはそんな彼女の姿に、僅かな怯えを見せ、少し身を退くと身構えた。

「……ノワール。そりゃあ、『あんな結果』になったんだ。……以前のままじゃあ、いられないさ」

「……ご主人」

「……お前だって、幻滅しただろう? 自分のご主人が『あんな事』をしでかすなんて」

 その顔に明確な恐怖を張り付けながら、彼はそう問いかける。

 そして、その質問への回答を恐れるように、彼は早口で言葉を続ける。

「良いんだ、ノワール。もう良いんだよ。……主人だからって、こんな屑に付き合う必要はない」

「……ご主人」

 そんな少年に対して、黒猫はそれでも静かに言葉をかける。

 けれども、彼はそんな言葉には気づかないように自らの口を動かしていく。

 それはもはや、妄念に憑りつかれているようだった。

「実際、愛想をつかされても仕方がない事を俺はしたんだ。……既に俺は日陰者だ。白昼堂々と表を歩く資格はもう無い。俺の事は忘れて――」

「ご主人ッ!!!!」

 ――そんな妄念を遮ったのは、今まで聞いたことがない程の声量を孕んだ黒猫の叫びであった。

 先程までとは口調を変え、彼女は明らかに怒りを乗せて、言葉を紡ぐ。

「それ以上は許しません。貴方が何を思おうと、何を考えようと、それは貴方の勝手です。――けれども。それで、私の行動まで決めないで下さい」

「……ノワール」

 少年の表情に変化が生まれた。

 彼は悲哀に顔を歪ませ、黒猫の名を呼ぶ。

 そんな彼を見つめながら、黒猫は決意を込めて言葉を続ける。

「私は貴方のスキルです。貴方がどうなろうとも。貴方が何を選ぼうとも。私は貴方と共にあります」

「……ノワール……俺はもう、どうしようもない程に汚れてしまったんだぞ」

「知っています」

「……一緒にいたらお前だって、そんな俺のスキルだと言うことで揶揄されるかもしれないんだぞ」

「構いません」

「……俺は……俺は」

「ご主人」

 まるで、反論の材料を探すようにポツリポツリと話す彼を遮って、ノワールは主人を呼んだ。

 彼を『主人』と――そう呼んだ。

「もう大丈夫です。私が来ました」

「……ははっ……有難うな、ノワール」

 そう言うと、彼は力を抜いたように、ふっと笑った。

「本当に……有難う」

 そうして、頭を下げるノゾム。

 その声音は柔らかく、暖かで――妾も良く知っているモノだった。

「ノゾムゥゥゥゥッ!!!!」

 ――気づけば。

 妾は思わず、飛び出しており、相手は牢屋の中に居るにも関わらず、両手を突き出し彼を抱きしめようとしていた。

 結果として、檻に額を強打することになったが――

「ナイアッ!? 大丈夫か!!」

 ――そんな妾に対して、彼は檻越しに手を伸ばし心配してくれた。

 彼はその顔に焦りを浮かべ、労わるように妾の額を撫でてくれた。

 ――それは間違いなく、いつものノゾムであった。

「ノゾムゥ……ノゾムゥッ!!」

 ぐりぐりと。

 撫でてくれる彼の手にこすりつける様に、妾は頭を押し当てていく。

 彼の感触を逃がしたくなくて。

 彼はそんな妾の姿を見て、大事が無いことを確認したようにほっとすると、慌てて何かを思い出したかのように、自身の手を引っ込めた。

「――っ!! ……すまん、ナイア」

「……ノゾム」

「……悪い、思わず触っちまった。ごめんな」

 そう言いながら、彼は自身を戒めるように、先ほどまで伸ばしてくれていたその手を固く握りしめる。

「……俺にはもう、そんな資格は無いのにな。……ごめんな、ナイア」

 唇を強く噛みしめる彼は、間違いなく『あの時』に囚われていた。

 それが分かった瞬間。

「うぁ……うあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

「なっ!? ナイア!?!?」

「ノゾムのばかぁぁぁぁああああああ!!!!」

 妾は泣きながらそう叫んでいた。

 そう叫ばずにはいられなかった。

 この彼がいつまでも『あの時』に囚われているのが。

 ――悔しくて。

 ――悲しくて。

 ――情けなくて。

「なんでじゃっ!! なんで、そんなに簡単に変わってしまうんじゃ!! 妾とお主の関係はそんなに薄情なモノじゃったのかっ!!」

「……ナイア」

 泣きながら紡がれる言葉は、檻の中に居る彼を糾弾するモノになる。

 それは八つ当たりでしかなかったが、同時に、妾の本音でもあった。


「結局、大きい方が好きなんじゃろうっ!! ノゾム男子のあほぉぉぉぉぉぉぉうっ!!!!」


 ――そう、それは。

 『あの時』、ナギが『第二王女』へと飛びかかった刹那。

 突き飛ばすという形で『第二王女』を助けようとして、結果的に足を滑らせ、彼女を押し倒し、気付けば胸を揉んでいた少年に対する、一切、飾りようのない妾の本音であった。

 そんな妾の叫びを聞いて、ノゾムは動揺を顔に浮かべ、否定の言葉を投げてくる。

「ナイアっ!? それは違うぞっ!?」

「嘘じゃっ!! じゃから、妾にはもう興味が無くなったんじゃろう!! 隙あらばその手の感触を思い出すように遠くを見おってからにっ!!」

「酷い誤解だっ!? 俺の後悔を何だと思っていたんだ、ナイアは!!」

「感触を忘れないように、いつまでも固く握りしめておるんじゃろう!!」

「ナイアさぁぁんっ!? ちょっとは俺の話を聞いてくれませんかねぇぇっ!! 俺は別に胸の大小にそんなに拘りはねぇよっ!!」

「ええっ!? それは本当ですか、ノゾムさん!? 女性の胸は大きい方が魅力的なのは、男児に生まれた者に取っては常識なのでは!?」

「まぁぁぁぁりぃぃぃぃくぅぅぅぅんっ!?!? いきなり出てきて、無駄に場をかき乱すのは辞めてもらえますかねぇっ!?!?」

「やっぱり、そうなんじゃな!! ノゾム!! 妾とて……妾とてっ!! 回復さえすれば、胸くらいあるんじゃぞーっ!!!!」

「ナイアっ!! 少し落ち着けっ、拳に魔力を籠めるんじゃないっ!! 話せばっ!! 話せば、分かり合えるから!!」

「ふふふっ、盛り上がってきましたね。これだからご主人からは離れられないんですよねぇ」

「ノワールっ!? 感動的な事を言ってくれると思ったら、高みの見物コレが目的か!?」

「ええ。これからも飽きさせないで下さいね。ご主人」

「言ってる場合か!! ナイアを止めろ、ノワール!! このままだと主人がシャイニングなフィンガーの餌食になるぞ!!」

「あ、ナイア。檻の中に拳は届かないでしょう。そこの壁に、取り上げられたご主人の剣がありますよ」

「メンっ!? メンっ!? メェェェェェンっ!?」

「うるせぇな。こちとら頭痛が酷いんだからあんまり大声を出すんじゃねぇよ、ノゾム」

「ナギぃぃぃ!! てめぇ、このやろぉっ!! 元凶が落ち着いてんじゃねえぇぇぇぇっ!!」



 ――数十分後。

 戻ってきた牢屋の職員が見た光景は、檻の前で泣きながら剣を構える少女に対して、執拗に土下座を繰り返す哀れな罪人の姿であった。

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