第83話 「受け身の『対応者』はここでは必要なし」

「――ナリカネ……ノゾム?」

「ええ、そうですよ。お怪我はありませんか? アリア様」

 俺は安堵の息を零しながら、そう声をかける。

 涙目ながらも驚き呆然とこちらを見つめる彼女は、一見すると怪我などは無いように見えたが、その見るからに上質なドレスは彼女の全身を隠しているので、本当の所は分からないからだ。

 ――ついでに。

 彼女に向けて俺は手を差し出した。

 高そうなドレスのまま地べたに座り込んでいる彼女の現状が、どうにも気になったからである。

 クリーニングなんて無いこの世界において、汚れと言うのは酷く気にすべきものなのだから。

「いえ……怪我は別に無いわ。それよりも、貴方どうしてここに?」

「ああ、それはですね――うおっ!?」

「きゃぁっ!?!?」

 未だにどこか呆然としながらも、俺の手を取り、立ち上がった彼女に対して、俺が答えようとしたその瞬間――

「『暴風ハリケーン』――ふむ。邪魔な煙であったのぅ」

「さすがです、ナイア。とりあえず、これで視界は確保できましたね」

「かかかっ。まぁ、妾にかかれば当然じゃのぅ。さて、ノゾムは何処にいったかのぅ?」

「ごしゅじーん? 生きてますかー?」

 ――暴風が横殴りに吹き荒れ、辺りを支配していた黒煙を薙ぎ払った一瞬の後、俺の耳には良く知った声が聞こえてきたが、それに返す余裕が俺には無かった。

「なにかと思ったら……ナイアか。相変わらず、力技だな」

 先程の暴風によって、俺はなすすべも無く地面へと倒されていたのだから。

 ……まぁ。

 いつまでもそうしてはいられないと、体を起こそうとした時に、俺は違和感に気が付いた。

 体がやけに重いのだ。

 俺は首を動かして自分の体を確認する。

「……あ、あの――ナリカネ ノゾム?」

 ――そこには、継続して戸惑ったような状態の『第二王女』が居た。

 ああ、そうか。

 手を引いてた時に倒れたから、『第二王女』も巻き込んでしまったのか。

 俺がそこまで考えた時に――

「ほぅ? ……リッジが人柄に問題が無いと言うたし、ノゾムの意思があればこそ、妾としても救助にも同意を示したのじゃが……よもや、助けに入ったノゾムを押し倒すとはのぅ。ここまで尻の軽い女だとは見下げ果てたぞ」

「……メグリさんに引き続き、『第二王女様』にまでセクハラを敢行するとは、ご主人にはがっかりですよ」

 ――今までにないくらいに低い、仲間たちの声が聞こえてきた。

 見ればそこには、般若が如く表情を怒りに染め上げる魔王と、養豚場の豚でも見るかの如く冷たい視線を向けてくる黒猫の姿があった。

「立つのじゃ、アリア・アルレイン・ノート。『ナギ』を待つまでも無い。妾がその性根を叩き直してやるわ」

「ご主人。年頃なのは分かりますが、『王族』に手を出すのはどうかと思いますよ?」

 明らかに誤解が進んでいらっしゃる。

 特にナイアがヤバい。

 もう既に拳を構えているし、その拳を覆う光の強さから、ナンバとの腕相撲の時なんて目じゃない程の魔力が籠められていることが分かる。

 下手したら『ナギ君』との試合の時くらい、光っているんじゃないだろうか。

 ……当たれば、痛いじゃ済まないだろう。

 それを確認した俺は、誤解を解こうと口を開く。

「あのなぁ、ナイア、ノワール。俺がこうなったのは――」

「ひっ!!!!」

 ――だが。

 『ナイアが起こした風の所為』――だと、言葉を続けようとした瞬間、『第二王女』が俺にしがみ付いてきた。

 どうやら、ナイアの魔力を籠めた拳を見て恐怖したようだが、何かトラウマでもあるのだろうか。

「――ほぅ? 更に煽りよるか。……妾をしても初めてじゃぞ? これ程までの屈辱は」

「……ご主人ェ」

 けれども。

 『第二王女』がどんな理由でそんな行為に及んだにしても、現状だとそれは悪手でしかなかった。

 ナイアはもはや、光って唸る程に拳に魔力を籠めているし、ノワールに至っては『可哀想だけど、明日の朝にはお肉屋さんの店先にならぶ運命なのね』って感じの視線になっている。

 やべぇよ……やべぇよ……。

 只の事故だと説明しようとした矢先にこれである。

 予期せぬ事態の悪化に俺が硬直していると――

「――む? 甘いわっ!!」

 バキィィンッ!!

 ――言葉と共にナイアが振り向き、拳を振り切った。

 甲高い反響と共に、紫電が虚空へと消えていく。

 思わず、視線を向けた先では一人の少年が頭を押さえながら、剣を拾い、立ち上がる所だった。

「……予想はしてたけどよぉ。邪魔が入るのがこんなに早いとは思わなかったぜ?」

「……『ナギ君』なのか?」

「あ? 当たり前だろうが。他の誰かに見えんのか?」

「……」

 そんな返事にも俺は絶句する。

 俺の疑問も仕方がない事だろう。

 強い眼光を飛ばしながら涙を零す彼の表情は、普段の落ち着き払ったものとはかけ離れていたのだから。

 そして、何より――

「……おい、ノワール。アレって」

「……ええ、尻尾ですね、ご主人」

 ――その彼の後方には、明らかに尻尾らしきものが見えているのだから。

 俺が知っている限り、ナギ君にそんなものはついていなかったはずである。

「まさかっ!? ナギ君は伝説のっ!?」

 現状、エターナルフォースブリザード級に冷え込んだ視線で、俺を見つめる黒猫をチラチラ見ながら、俺はそう叫んだ。

 その視線に長く耐えられるほど、俺は強くは無いからだ。

「ご主人……話を逸らそうとしてませんか?」

「……そんなことは無いぞ? ノワール? ほら、ナギ君って普段は割と優しいじゃんか? 穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めたとしても……何も不思議は無いだろう?」

「仮にそうだったとしても、1,2,3を飛ばしていきなり4には成らないでしょう」

 弱気な俺の姿勢が通じたのか、呆れたように息を吐くと、ノワールは少し視線を緩めてくれた。

 こちらの心情を汲んでくれたそんな気遣いを有難いとは思うが……どうして俺は自分の<スキル>の顔色を窺ってるんだろうな。

 ――などと言う疑問を持ちつつ、俺が黒猫と話していると、ナイアがナギ君に言葉を投げた。

「……少し引っ込んどれ、ナギよ。この『第二王女』は今、妾との話の真っ最中じゃからして」

 ナギ君の変化はナイアから見てもハッキリと分かるモノであるらしかったが、彼女はそれについては片方の眉を上げたのみで済ませ、追い払うように手を振った。

 どうやら現在、彼女の中では本来の目的であった『ナギ君を止める』ことよりも、『第二王女へ話を聞く』ことの方が優先順位が高いらしい。

「そいつは出来ねぇな。『第二王女』への用件は俺の方が先約だし、それに――」

「――ぬぅ!!」

「時間をかければ、他にも邪魔が来るかもしれねぇからな!!」

 言葉の途中で、彼は強く大地を踏み込むと一足跳びにナイアへ躍りかかった。

 次いで振るわれる斬撃を、ナイアは拳で払っていく。

「……ん? ははっ!! どうした? 随分と不調じゃねぇか、ナイアよぉ!!」

「ぬかせっ!! お主こそ剣筋がブレておるではないか、ナギよ!!」

 そうやって拳と剣を交えながら、数合打ち合い、二人は互いへと言葉を飛ばす。

 相変わらず、俺には高レベルのやり合いだとしか認識できないが、当事者である二人からすれば、明らかに前回とは質が違うらしい。

 とりあえず、ナイアがナギ君を相手にしてくれている内に、俺は『第二王女』に退いてもらって体を起こした。

 俺じゃあ戦力にはならないかもしれないが、今は戦闘中だし動けるようにしておくに越したことはないだろう。

 一応、ナギ君から見て『第二王女』は俺の後ろになるように隠す。

「ノワール」

「ええ。言及は後にしてあげます」

 腕を伸ばした俺の呼びかけを受けて、器用に地面を蹴り、腕を伝い、俺の頭まで駆け上がったノワール。

 そんなノワールの態勢が落ち着いたのを確認して、俺は腰から自分の剣を抜いた。

 ……『ナギ君人』にコレを向けることは考えたくないが、彼が持っているのが真剣である以上、受け止めるにも、はじき返すにもコレは必要になるだろうから。

「ホラよっ!! 『雷弾サンダーバレット!!』」

「無駄じゃ!! ――ぬぅっ!?」

「ナイアっ!?!?」

 俺がそうやって準備を整え見ている先で、戦況に変化が起きた。

 一瞬、バックステップを決めながら、ナギ君が撃ち出した雷弾に対して、ナイアがいつも通り拳を叩きつけた。

 ――のだが。

 いつもであれば、音のみを残し掻き消える筈のその魔法はなんと、その場で爆発したのだ。

 当然、ナイアは被弾という形を持って、その結果を受け入れることになる。

「ぬかったわ……よもや、術式の弱点に起爆キーを仕込んでおったとはのぅ」

「はははっ!! やっぱ、引っ掛かったか。俺もさっきやってみたから分かるけどよ。案外、難しいよなソレ。実際の所、自分に当るまでに相手の術式を『完全に』理解するって言うのは、無理だろう? 精々出来るのは術式の一番弱い部分を壊して、崩壊させるくらいじゃないか?」

「……まぁ、及第点じゃのぅ。全盛期の妾であれば、瞬き程度の時間もあれば『術式の完全理解』は可能じゃが、現状では苦し紛れの言い訳に過ぎんしの」

 被弾こそしたものの、それほど大きな怪我は無いらしい。

 埃でも払うように、自身の体を軽く叩く彼女を見て、俺はホッと息を零す。

 だが、その一連の流れを見て、俺は自分が持っていた剣への握りを強くした。

 現状は普段通りふざけていられるような状況ではないと悟ったのだから。

 そうやって俺が緊張を高める中、二人の会話は進んでいく。

「随分と済ましてるじゃねぇか、ナイア。もう拳を使った打ち消しは使えねぇっていうのに」

「はっ。妾を拳を振り回すだけの女と侮るで無いわ、ナギよ。――とは言え、正直この短期間にそこまで看破されるのは予想外じゃったがのぅ」

「くははっ。それじゃあ、諦めてそこを退いてくれねぇか? 俺としては『第二王女』さえ殺せれば、それで良いからよ?」

「それは出来ぬ相談じゃのぅ。あ奴には妾からも話しがあるのじゃから。しかし、本当に妾としたことが見誤ったのじゃ。ナギよ、謝罪も込めて妾が認めてやろうぞ。お主は天才じゃ」

 ――ピタリと。

 ナイアがそう言った瞬間のことだった。

 常時、ナギ君の口元は狂ったように吊り上げられていたのだが、それがスゥっと下げられたかと思うと、それを皮切りに、彼は表情を消し、トーンを感じさせない声で静かにナイアに問いかけた。

「……今、なんて言った?」

「? 主は天才じゃ――と、そう言うたが、どうかしたかの?」

 ナイアが不思議そうに尋ね返した瞬間――

「ああああああああぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁああああああぁあぁぁあああああっ!?!?!?!?」

 ――静から動へ。

 先程までの静止が嘘のように、いきなり彼はおおよそ常人が発することが出来る限界を超えた声量で持って叫びを上げると、自身の頭を搔き毟り始めた。

「がぁぁぁぁぁあああああっ!?!? 痛いっ!!! 痛い、痛い、痛い、イタい……ぐぅぅぅぁぁぁああああああああああああああああ!!!!!」

「なっ!?」

 がりがりと。

 彼は自身の頭へ爪を立てていく。

 がりがりと。

 その勢いはどんどんと増していく。

 傍目にもその異常性は明らかで俺たちは思わず、絶句していた。

 そんな俺たちを置き去りに、彼は自傷を続けていく。

「うぐぁぁぁぁぁああああああああああっ!! 知らないっ!! 知らないっ!! 知らないっ!! 知らないっ!! ――こんな記憶、『僕』は知らないっ!!!!」

 そう叫ぶと、彼はいきなり顔を上げ、手の平をナイアに向けて翳した。

「――お主っ!?!? まさかっ!!」

「消えろ……消えろ、消えろ、消えろ――消えろォッ!! 『雷弾サンダーバレット』!!!!」

 ナギ君はそう叫ぶと、形容するのなら『弾幕』とでも言えるような雷弾を飛ばしてきた。

 ――それは現状の俺たちにとっては、絶望的な光景だった。

 何故なら、ナイアは俺たちを背中で庇うようにして、ナギ君と対峙していたのだから。

 ナイアの目的が俺たちの護衛である以上、彼女は回避行動を取ることが出来ない。

「くっ!!」

 それでも。

 圧倒的な数を前にしても、諦めることなく気丈に拳を握ったナイアに迫る雷弾は――

「させませんっ!! ――『風矢ウィンド・アロー』!!」

 ――横から現れた風の矢とぶつかり、ナイアへ届く前に全て撃ち落された。

「貴方も食らいなさい!! ――『飛斬刃』!!」

「こんなものに当たるかっ!!」

 そうして。

 そのまま戦場へと踊るように飛び込んできたその第三者は鋭い声音でもって叫びながら、絶対にナギ君には届かない距離であるにも関わらず、剣を横薙ぎに振るった。

 その瞬間。

 少女の剣から弓のように半円な斬撃が飛び出し、ナギ君へ向けて牙を剥いた。

 だが、彼は機敏に跳躍を決め、余裕を持って回避とする。

 後には、横一文字に地面に刻まれた亀裂が残るのみだ。

「……もう、さっきの技は食らいませんよ」

 そう言って、右手だけで剣を構える彼女は間違いなく『第二王女』の『護衛少女』だった。

「カリエっ!!!! 良かった!!」

「お嬢こそ、ご無事で何より。……怖い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。この件が落ち着いた後は如何なる処罰でも受けますので」

 そんな彼女の参戦を認めた瞬間、声に安堵と喜びを乗せて、『第二王女』は叫んでいた。

 カリエと呼ばれた少女はそんな主の声掛けに対して、一切の視線を向けることもなくそう返す。

 お陰で表情などは見えなかったが、その声には『第二王女』と同じように安堵と喜びが伺えた。

「……良かった。これは嬉しい展開だな、ノワール」

「ええ、ご主人。今の状況ならカリエさんも仲間だと捉えていいでしょうし、とりあえず、ナギ君にとっては厳しい展開の筈です」

 そんな少女たちと同じように、俺も頭の上の黒猫とそう言葉を交わす。

 新月が近い今のナイアではナギ君の相手は少し厳しそうだったけれど、そこにカリエさんの助力が加われば話は別だろう。

 最悪、俺たちとしては『リッジ理事長』か『トリスさん担任』が来るまで時間を稼げば良いのだから。

 ――と。

 そこまで俺が考えた所で、ナイアがカリエさんに声を投げた。

「護衛の割には随分と悠長じゃったのぅ」

「助けられたというのに、開幕に嫌味ですか。……まぁ、それでも良いです。お嬢を守って頂き、有難う御座います」

「はっ。アレくらいどうにでもなったわ。加えて、その礼は止めい。何が悲しゅうてあんな尻軽を守らねばならんのじゃ。覚えのない謝辞は受け取れんわい」

「――今すぐ訂正しなさい。その首を撥ねますよ」

「片腕しか使えんくせに、粋がるではないか。――言うておくが、お主が食堂でノゾムに向けた拳も、妾は忘れてはおらんぞ」

 ……うぉい。

 何をしよるん、ナイアさん。

 何故、わざわざ敵を増やしにいくのか。

 くそぅ、こんな事ならナイアに、『和を以て貴しとなす』――という言葉を教えとくべきだった。

 実際、遊戯の神様が作った世界でも最終的には『みんな仲良くプレイしましょう』とかいうルールを推しているしな。

 そんな、半ば混乱したような俺の想いが届いたのか、どうなのか。

 しばらく剣呑に互いに殺気を飛ばしていた彼女たちだが、――良く見ると、二人の視線がナギ君から外れることは無かった。

 そんな様子に俺は少しほっとする。

 言葉ではどうあれ、彼女たちも現状で一番すべきことは分かっているようだ。

「……うぅ……うぁぁぁあああああああああああ!!」

 そんな二人の視線の前では、さっきまでとは違い、笑みを消し、苦痛に顔を歪めながら叫ぶ少年の姿があった。

 彼は自身の口から零れる涎にも気が付かないように、頭を搔き毟り、言葉を紡いでいく。

「知らない……僕……は……こんな……『あの人』……の為に!!」

 その眼は涙ながらも酷く血走っていて、正気では無いながらも鋭く、ナイアとカリエさんの隙を伺っているようだった。

「……のぅ」

「……なんでしょうか」

 そんなナギ君を見ながら、ナイアがカリエさんに話かける。

 そのトーンは先ほどまでのやり取りとは違い、哀れみを込めたように低く落ち着いたものだった。

「片腕を痛めておるお主には厳しいかもしれんが……、一瞬で良いから、完全にあ奴の気を惹くことは出来るかの?」

「……理由はなんですか?」

「妾には傀儡を潰す趣味は無い。故に糸を切ろうと思っての」

「……」

「気が進まんかの。……まぁ、無理強いはせん。今のお主では荷が重かろうしの」

 そう言って、諦めたようにナイアは息を吐き、ナギ君に向けて歩みを進めた。

 そんな彼女に対して、護衛の少女は剣を構え直し、後ろから――

「侮らないで下さい。『王族』の騎士なら、それくらい朝飯前です」

 ――そう言葉を投げ、ナイアに並ぶように足を進めた。

 ナイアはそんな彼女に対して、面白そうに一つ笑うと、駆けだした。

「かかかっ!! 言うではないか……ならば、見せてみよ!! カリエとやら!!」

「言われなくても!!」

 ――それは初めて。

 この襲撃が起きてから、初めてこちら側が攻勢に回った瞬間だった。

「ぐぅぅぅぅっ!!」

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 互いに己が意思を吐き出すように叫びを上げながら、少年と少女は刃を交えていく。

 そして、その横ではナイアが隙を伺うように態勢を作っていた。

 ナギ君は時折、そんなナイアにも殺気を飛ばしていたが、目の前で振るわれる剣戟を無視することは出来ない。

 彼は最早、意味を持たない声を上げながら、狂ったように剣を振るっていた。

「がぁ……ああああああああっ!!!!」

「くっ!? 先程までより、重いっ!! ……ですが、剣筋に乱れが見えますよ!!」

 自らの激情をぶつける様に、強く、ただただ強く剣を振るう少年の刃。

 それは負傷した少女が片手で受け止めるには重い斬撃であったが、彼女はその攻撃に対して軌道を逸らすように剣を滑らせる。

 ――決して真っ向からは打ち合わず、基本的に斜めからの斬撃で合わせ、受け流す。

 故に。

 辺りへ響く剣戟の音は、今までのモノに比べると圧倒的に小さいモノだった。

 シャラン、シャラン――と。

 澄み渡るような響きを伴いながら、相手に合わせ、力に逆らわず、寧ろ流れるように捌くそれは剣戟というより、寧ろ舞踊のような美しさを湛えていた。

 だが、どれだけ美しく見えようとも、それは確かに剣戟であり、まごうこと無き――殺し合いであった。

「ぐぁ……ああああああああ!!!! ――『雷弾サンダーバレット」!!」

「くぅっ!? 『風ウィンド』――っ!!」

 ――遂に、戦況は動いた。

 互いに剣術のみで戦っていた二人だが、ナギ君のとっさに放たれた魔法によって、その均衡はあっけなく瓦解した。

 普段であれば余裕を持って対応出来た筈のその攻撃だが、負傷によって左手を使えず、痛む体を無理やり動かして、右手の剣で剣戟を受け止めることに、全神経を使っていたカリエには、その突然の魔法に対して抵抗の手段が無かった。

 彼女はその雷弾をまともに受け、その身を後方へと弾き飛ばされる。

 そして、如何に狂気に身を置いているとは言え、冒険者として鍛えぬいてきた少年が、ようやく訪れたこの決定的なチャンスを見逃す筈も無かった。

 彼は一瞬にして自らの思考を隙を見せた獲物への殺意に染め上げると、素早く追撃の魔法を放ち、標的の足を雷光を持って貫き、跳躍を決め、弱り果てた標的へその凶刃を伸ばした。

「獲ったっ!! 『雷弾サンダーバレット』!!」

「ぐぁっ!! ――なっ!!」

 弾き飛ばされ地面を滑った次の瞬間、流れるように飛んできた雷弾に足を撃たれたカリエが見たものは、大きく跳躍しながら、こちらに向けて剣を振り下ろしてくる少年の姿だった。

 ニタリ――と確かにそう口元を吊り上げた少年の笑みを前に、カリエは自身の死を覚悟した。

 もっとも――

「でかしたぞ、カリエよ!! 貰ったのじゃ!!」

「ぁあっ!?」

 ――結論から言うのなら、その覚悟は無駄になってしまったが。

 何故なら。

 言葉と共に横から飛び出した少女が、少年に飛びかかりその軌道を逸らしたからだ。

 自身の奇襲の成功に、ナイアは意地が悪そうな笑みを浮かべるとその少年の頭を鷲掴み、自身の魔力を流し込んだ。

 次の瞬間――

「がっ!?!? がああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 ――少年は白目を剥き、その身を震わせ、喉が裂けんばかりの絶叫を上げた。

「貴方、何をっ!?」

「黙っとれっ!! ええいっ!! 思った以上に面倒な術式じゃのぅ!!!!」

 そのナギ君の余りの変わりように、思わず詰問する様に言葉を飛ばした少女に向かって、怒鳴り返すように声を投げるナイア。

 一体何があったというのか。

 その顔には先程までの笑顔は無く、いつものどこか楽しむような様子も一切無い。

「ぁぁぁぁあああああああああああああ!?!?」

「くっ!! 暴れるでないわ、戯け!!」

 彼は我武者羅に全身を動かし、ナイアを引き剥がそうともがくが、ナイアは執念でしがみ付き、ナギ君の頭を離さない。

 頭などと言う弱点を二度も掴ませてくれる程、この少年は甘くないという事を、彼女は知っているのだから。

 そんな彼の頭――要はナイアが掴んでいる部分からは、紫色の魔力が不気味に揺らめくように溢れ出ていた。

 それに対するように、ナイアは自身の赤い魔力を流し込んでいく。

 紫と赤のせめぎ合いの中で、ナイアは口を開く。

「くぅ!! なんとも執拗な術式防御プロテクトじゃ!? これを作った奴は絶対に性根が腐っとる!!」

「あっぐぁっああああああああああああ!?!?」

 苛立ちを乗せたナイアの言葉に共鳴するように、ナギ君の叫びはますます大きくなっていく。

 そして――

「よしっ!! 解け――ぬわっ!?!?」

「放せえええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」

 ――解除を確信したナイアが思わず力を緩めた一瞬の隙に、彼は自分が持っていた剣を手離し、拳によって彼女を殴りつけた。

 腕で受けることで大事は避けたナイアだが――結果として、その身は遠くへ飛ばされることになる。

 ナギ君はそうやって殴り飛ばしたナイアを気にも留めずに、足元をふらつかせながら叫んだ。

「俺は――役に立てるんだぁぁぁぁっ!!!!!」

 そして、彼は真っ直ぐに突っ込んできた。

 少し離れた――とは言っても、彼の足裁きを持ってすれば、数瞬で詰められる程の距離を置いて、攻防を見守っていた俺たちに向けて。

 その顔に狂気を張り付けながら、彼は真っ直ぐに突っ込んできた。

「しまったっ!! ノゾー」

「お嬢っ!? 逃げ――」 



 ――それからのことは何故かゆっくりと感じられた。

 彼の後方で叫ぶナイアとカリエさんの声が歪に引き伸ばされ、意味が捉えられない程に緩慢になっていく。

 更に。

 俺の視線の中で、彼の拳に魔力が集まるのが見える。

 急な事態の変化に対して、何故か妙に引き伸ばされた俺の思考はそれを確かに捉えていた。

(……なんだ? ……これ?)

 薄く延ばされた思考の中で、俺は確かにナギ君の動きを知覚していた。

 普段であれば、絶対に目で追えない動きなのに、今の俺には全てが認識出来ていた。

 そのまま、ナギ君は大きく跳躍をした。

 既に腕は引き絞られ、俺には、彼が着地を待たずに『第二王女』へと、その拳を振り抜くつもりだと言う事が伝わってくる。

(……いける)

 だが、彼が中空へと身を飛ばした時に、俺には分かってしまった。

 少ないながらも、ダンジョンでゴブリンやスケルトンといったモンスターと戦闘を重ねた俺には理解出来てしまった。

 今から行動したのなら――

(……でも、どうしろってんだよっ!!)

 ――彼の『拳』よりも、俺の『剣』の方が先に、彼に届くだろうという事も。

 ――『第二王女』に全ての神経を向けている今の彼になら、俺の攻撃は通るだろうという事も。

(……くそっ!!)

 奇妙に引き伸ばされた意識だが、時間がない事も伝わってくる。

 彼が拳を振り抜くより先に、俺が行動を起こすのなら。

 ――もう、この瞬間には動かなくてはならないだろう、と。

(ちくしょう……ちくしょぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!)

 俺は目を瞑り、体を動かした。

 それが最善だと信じて。

 ……それが決して、最善では無いと理解しながら。

 ――俺が自分の動きを決めた瞬間。

 それを待っていたかのように、時間は流れだした。



 ……いつも通り動き出した時間の中では。

 一瞬。

 そう、全てが一瞬の出来事だった。

 俺が、自身の手に伝わってくる感触に、恐る恐る目を開けた時には。

 ――もう、全ては終わっていた。

 取り返しがつかないことは、誰の目から見ても明らかだった。


 ――結果として、俺は。


 どれほどの後悔をもってしても――償いきれない程に。

 どれだけの懺悔をもってしても――贖いきれない程に。


 『罪深く』この手を汚してしまった。


 ――けれども。

 俺自身は決して、許されない『罪』を犯してしまったけれども。

 ……確かに、守れた命はあった。 


 ――動き出した時間の中では、生き残った少女の悲鳴だけが響いていた。

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