閑話 「アリア・アルレイン・ノート」

「……嘘……嘘よね……カリエ?」

 ――ぱちり、ぱちりと。

 爆ぜる炎音と夥しい煙に支配される空間の中で、私は呆然と立ち尽くしていた。

 さっきまで、『カリエ』が居た方向を見つめながら。

 だが、立ち込める煙はそんな私の視界を遮って余りあるモノだった。

 ――自然と。

 私が思い出すのは煙が出来る前の風景になる。

 私が最後にハッキリと見た風景に。

 ――『カリエ』が轟音と共に吹き飛ばされる風景に。

「……カリエ……返事を……返事をしなさい」

 思わず、私の口からそう言葉が漏れる。

 意識せずに胸の前で組まれた両腕は、その要求が淡い願望であると無意識のうちで感じているからか。

 この目は確かに『弾き飛ばされる』カリエの姿を見ているのだから。

 ――それでも。

 それでも願わずにはいられない。

 祈らずにはいられない。

 『第二王女』などという中途半端な立場の自分に対して、あの日、騎士の誓いを捧げてくれた少女の無事を。


『お嬢。これだけは覚えていてください。――何が有っても私はお嬢をお守りします』

『言うようになったわね? カリエ。まだまだエル姉様から一本も取れないのに』

『……それを言われると弱いですが』

『ふふふ。……でも、その言葉は有難く頂戴するわね、護衛騎士 カリエ・エテーシュさん』

『……はいっ!! アリア・アルレイン・ノート様!!』


 ――そうやって。

 過去の残滓に縋り、祈りを零す少女の姿。

 ――それを誰が責められよう。

 ――それを誰が咎められよう。

 哀愁を誘いこそすれ、憐憫を誘いこそすれ。

 ……この状況下で逃げるでも無く、隠れるでも無く、貴重な時間を神への『嘆願』へと消費した少女の行動は、『仕方がない』――と、そう言えるモノだっただろう。

 ……ああ、いかんとも責めがたい。

 事実、結果から言うのならその行動は、酷く同情を誘うモノになるのだから――


 ――不意に。


 私の視界に変化が起きた。

 ――フワリと。

 優しい風が吹いた、と思ったその瞬間―― 

「……くはは。待たせたな。いや? 待ち焦がれたのは俺の方か。『第二王女』さんよォ」

 ――不自然に一本の道のように煙が別たれた先で、狂ったように泣き嗤う少年の姿があった。

 彼はニタリと口元を歪に吊り上げ、まるで楽団の指揮者が如く両腕を高く掲げた姿勢のまま、自身の背後から『尻尾』のような何かを揺らし、嗤い、言葉を紡ぐ。

「俺がもう一度、『爺ちゃん』に会うために……アンタにはここで消えて貰うぜ」

 そして、彼は隠すことなく厳然たる殺気を飛ばしながら、右の手の平を私へ向けた。

 その右手へ魔力が集まる。

 『王族』として、勇者の血族として、『勇国』で英才教育を叩きこまれた私は、そこに人の命を奪うに十分な威力が籠められていることが理解できた。

「――っ!? 『土壁アース・シールド』」

 ――気付けば。

 私は魔力を練り上げ、術式を組み立て、魔法を完成させていた。

 初の実戦でありながら、咄嗟にそう動けたのはこれまでの教育の賜物か。

 そんな私の努力は――

「はっ!! これは確かに便利だぜ。ナンバやナイアが拘る理由も分かるな」

 ――口笛を吹くような少年の軽口と共に打ち崩された。

 彼は魔力を込めていた手の平を硬く握りしめると、一足飛びにこちらへの間合いを詰めてきたのだ。

 私が張った土壁は、そんな彼の拳を数回受け止めた所で瓦解し、自身の本来の姿を思い出したかのように只の土くれへとその身を変えた。

「そんなっ!? ――っ!! 『土壁アース・シールド』!!」

「? 見てなかったのか? ホラよ!!」

 今度は一撃。

 彼の腕の一振りで、魔力を込めた土の壁は形を失う。

「術式の弱い所……ナイアがやってたのはこういう事か」

 彼は一切、歩みを乱すことなくそう言葉を紡ぐ。

 その眼をピタリとこちらに見据えながら。

 ――死ぬ。

 私はそう確信できた。

 このままいけば、数秒後。

 私はあの拳によって、この世を去ることになるだろう。

 『土壁アース・シールド』をあっさりと打ち砕く拳であれば、私の体を貫くなんて造作もない事だろうから。

(……殺される? 私が? ……怖い……嫌……嫌よっ!!)

 極限状態の中、まるで世界の時間が幻想のように引き伸ばされる中で、私の心は必死に思考を加速させていた。

 私は必死に術式を練り上げていく。

「『土壁アース・シールド』!! 『土壁アース・シールド』!! ……『土壁アース・シールド』!!!!」

「邪魔だ」

 ――けれども。

 彼の足が止まることは一瞬として無かった。

 その動きは、まるで機械のように、躊躇いなく、容赦なく、澱みなく。

 私への距離を確かに詰めてくる。

 やがて、互いの僅かな息遣いほど把握出来そうな距離にまで近づいた時。

「……死ね」

 彼が言葉と共に拳を振り絞った、その一瞬。

「喰らいなさいっ!! 『地盤返しアース・リターン』!!」

 ――私は初級魔法と共に、必死に練り上げていた術式を解放した。

 『地盤返し《アース・リターン》』

 地属性の中型魔法であり、術者の指定した範囲の地盤を捲り上げ、範囲内の相手を膨大な瓦礫と共に吹き飛ばすという大味な魔法。

 シンプルな術式ながらも、膨大な瓦礫という物量に魔力を込めるその攻撃は防御が難しい。

 唯一欠点があるとすれば、必要とされるMPが他属性の中級と比べても非常に高いということだろうか。

 しかし、そんな欠点も発動さえしてしまえば関係は無い。

 そう関係はないのだ。

 ――魔法が発動さえしたのなら。

「――っ!? そんな何で!!」

「……術式が荒すぎる。無詠唱で中級を練り上げた代償だろうけどな」

 地面に打ち付けた拳を引き抜きながら、少年は誰にでもなくそう言った。

 そうして、ゆっくりとこちらへと視線を戻す。

「いや……来ないで……」

「……なんだ。思ったより、味気なかったな、『第二王女』」

 言葉と共に私の前に立ち、彼はそう言った。

 私の嘆願なんて全く聞こえていないかの如く。

「あまり動くなよ。ズレたら無駄に苦しむだけだぜ?」

「っ!? お願い、止めて!!」

 こちらへと投げる言葉は穏やかでありながら、その表情は相変わらず狂気を湛えたモノだった。

(殺されるっ!! 何で……私が……)

「まぁ、この距離なら外しようもないけどな」

「――っ!? 許してくださいっ!! ごめんなさいっ!!」

 拳を構える彼に対して、私が出来ることは許しを乞うことだけだった。

 彼はそんな私をしっかりと見据えると。

 ――ニタリ。

 右の目から涙を零しながら、彼はそう嗤った。

 ――そうして。

 私の目の前で、限界まで引き絞られた拳は発射された。

 引き伸ばされた思考はさながら残酷な死刑宣告のように、私にそれを認識させる。

(逃げられない……)

 そう理解できた瞬間、私の脳内に走馬燈が走り抜けていく。

 閃光のような速度で持って、今までの人生が場面、場面、思い出されて、消えていった。

 エル姉様との出会い、カリエとの騎士の誓い、そして『王女』としての日々。

 重要なエピソードもあれば、他愛ない日常のモノもある。

 ただただ脳がメモリを吐き出すようなその作業の中。

 ――最後に思い出されたのは。

(……ナリカネ ノゾム)

 私がずっと追いかけてきた少年の顔だった。

 真剣に、真っ直ぐに、命を賭けるような真摯さで持って、こちらを見つめてくる少年の瞳。

(ごめんなさい……)

 彼の事を思い出した時、私は思わずそう思っていた。

 『命を賭ける』――言葉にすればそれだけだが、その裏にこれ程の恐怖があったのなら。

 今、私が感じている程の恐怖があったのなら。

 私が言った言葉がそれだけ彼を責めていたのなら。

 ――それは、どれほどの罪だろうか。

「……ごめんなさい、ナリカネ ノゾム」


 最期の最後。

 アリア・アルレイン・ノートが絶対的な死に瀕しながら、世界に遺そうとしたその言葉は――


「ライダァァァァァァァッ!!!! キィィィィィィィィィィィックッ!!!」

「なにッ!? ――ぐはぁっ!!!!」


 ――黒煙を切り裂き現れた少年の叫びによって、力強く搔き消された。

 その少年は現れた勢いそのままに、拳を振り抜こうとしていたナギ・フィーロを蹴り飛ばすと不格好ながらもなんとかその場に着地した。

「うぉっ……っとっとっと!! ――ふぅ。……すげぇな。良く着地出来たな、俺。褒めてやりたいわ、本当に。今、俺は俺を褒めてやりたい」

 ブツブツとそう呟きながら、彼は体勢を整え、自身が蹴り飛ばした少年へと視線を向ける。

 そこには依然として煙が立ち込め何も見えないが、彼はそんなことは関係ないかのように言葉を紡いだ。

「……しっかし、流石ナイアだぜ。予想以上に綺麗に入ったなぁ、蹴り。……後でしっかり謝るから許してくれ、ナギ君」

 彼はそう言いながら、一度だけ目を閉じ、柏手を打ち鳴らすと、こちらへと振り返った。

「ああ、良かった!! なんとか間に合ったみたいですね――アリア様」


 ――本来の彼ナリカネ ノゾムらしい、柔らかな笑みを湛えながら。

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