閑話「カリエ・エテーシュ」

 ――それは数瞬の出来事だった。

 一瞬にして膨れ上がった殺気を感じた私は、無我夢中でお嬢を抱きかかえ、魔力によるブーストを持って車内から外へとこの身を投げた。

 そうして、宙へと身を躍らせた次の瞬間、襲ってきたのは大きな衝撃と強い熱、そして――

「ぐっ!!」

「痛いっ!!」

 ――爆風に吹き飛ばされた私たちを硬く受け止めた地面の感触だった。

 爆風で煽られながら、私はお嬢と数度転がる。

 やがて、勢いが落ち着いた所で、私はお嬢を放し、自身の身を跳ね起こす。

 お嬢に対して雑な扱いをすることを申し訳ないとは思ったが、今は他に優先すべきことがあるのだから。

「何者ですか!!」

 そして空間に走らせるのは、誰何すいかの声。

 現状は明らかに異常であり、直前に感じた殺気はそれが『誰か』の意思によってもたらされたことを教えていたのだ。

 であるのならば、その原因たる『誰か』を糾弾するのは当然の事だった。

 ――だが。

 眼前に広がる光景はそんな私から、次の言葉を奪うのに十分なモノだった。

「なんてこと……」

 そこには大きな火柱が上がっていた。

 先ほどまで私たちが乗っていた車は、大きな力によって無理やりその身を二つに分かたれたように、半ばから別れ、一つは無造作に投げ捨てられたかのように遠くへとその身を飛ばしており、一つは業火によって責められるようにその身を火中へと置いていた。

 その火中に残された一つこそ、私とお嬢が乗っていた後部座席側に違いなく、その姿は見るも無残な残骸へと変わり果てる最中だった。

 だが、その火柱はそんな事など意にも介さないとでもいうように、嬲るように、舐るように炎上を続け、黒煙という配下を持って、ますます自身の支配領域を広げていく。

「一体……何が起きたの?」

 私が状況を確認してから、数秒後。

 言葉と共に、お嬢が動き出す気配が後方から伝わってきた。

「……カリエ。一体、何が――っ!!」

「……お嬢。落ち着いて下さい」

 私はそう言いながら、手で彼女の動きを制す。

 ふらつきながらも、その足はしっかりと前方へと飛ばされた車の元へと向かおうとしていたのだから。

「何が起きたのかは分かりません……分かりませんが、お嬢。絶対に私から離れないで下さい」

「……でも、カリエ。運転手を助けないと」

 予想通りのお嬢の返答。

 こんな状況だが、私の胸に僅かに喜びが生まれる。

 こんな状況でも一使用人を憂慮する彼女だからこそ、騎士としてこの身を捧げると誓ったのだから。

「……お気持ちは分かります、お嬢。ですが危機は去った訳ではないのです。恐らく、コレは事故ではありませんから」

 だが、今はそんな彼女の行動を許すわけにはいかなかった。

 お嬢にそう言葉を返し、彼女の優しさを許してやれない自分を苦々しく思ったその時――

「……仕損じたか。やっぱり優秀だったな、アンタ」

 ――そんな声が揺らめく陽炎の向こうから投げられた。

 その声自体は年若い少年の物だった。だがその中には、確かに異質と表現すべき濁りがあった。

 その声からは感情が感じられなかった、想いが感じられなかった、覇気が感じられなかった、力が感じられなかった。

 ただただ『疲れ』だけを乗せたような、枯れ木の様な、老人のようなそんな声だった。

 声質自体は若々しいため、酷くアンバランスなそれは聞く者の不安を煽るようなそんな響きを孕んでいた。

「貴方は何者ですか!! 名を名乗りなさい!!」

 言葉と共に、私は風の魔力を乗せ、強く腕を振るう。

 ――瞬間。

 強く吹き荒れる風が一瞬、確かに爆炎を散らし、炎の向こうに佇む少年の姿を明らかにした。

 そこには――

「七Gナギだ。それがあの人から賜った俺の名だ」

 ――片手に握った剣に炎による赤々しい光を反射させながら、薄く、昏く、笑みを浮かべる少年の姿があった。

「なっ!? 貴方は!?」

「貴方でしたか!! こんな事をして、只で済むと思っているのですか!!」

 同じく犯人を視界に認めたお嬢を、庇うように立ち、私はそう声を飛ばす。

 ――だが。

「悪いがお喋りに付き合うつもりは無い。――こちらにはそもそも時間が無いからな」

 そんな言葉でこちらの糾弾を受け流すと、少年は短く言葉を呟き、その身を再び闇の中へと潜らせた。

「暗雲・幻影ダーククラウド・ミラージュ」

 彼の言葉と共に、辺りには暗雲とでも形容すべき、闇が広がる。

 その勢いは全てを飲み込むように急速なモノだった。

 更にその闇は、近くにいる筈のお嬢すら視界に捉えることが難しくなる程に重く、暗かった。

「っ!! 面倒なことを!!」

 私は舌打ちと共に腕を払う。

 するとその一瞬だけ、確かに風が闇を払ったが、辺り一面へと支配域を広げた闇は、その生まれた空白へと直ぐにその身を滑り込ませてくる。

「っ!! なんて厄介な!!」

「カリエッ!!」

「大丈夫です!! お嬢!! お静かに、身を隠して居てください!!」

 安否を確かめる主の声に、そう返しながら、私は魔力感知へと全神経を注ぐ。

 瞼の開閉すらもあやふやなモノへ変えてしまう闇の中では、それこそが信じられるモノだった。

 ――そうして、数秒の沈黙を挟み。

「やらせませんっ!!」

「っ!! ちっ!!」

 ――お嬢へと迫った白銀を私は渾身の力を持って受け止めた。

 同時に辺りへと立ち込めていた闇は、まるで集中を欠いたかのように霧散する。

「よく止めたな!! それでこそ、王族の護衛ってか!!」

「如何に魔力を隠そうとも、これほど近づけば見逃しはしない!!」

 ――叫び返し、見れば。

 言葉と共に、私の眼前で剣を交える少年の姿があった。

 その顔は酷く複雑であり、長い大望を前にした達成の喜びに震えているようにも見えたし、甚大な痛みを前に救済を求めているような儚い笑みにも見えた。

 『狂人』と、そう形容するしかないような少年の顔を視界に入れながら、私は剣を走らせていく。

 それは少年も同じで、道を変え、筋を変え、彼は私へと刃を向けた

 滑らせるように直線的に、弧を描くように曲線的に。

 私たちは剣を打ち合わせていく。

 軌道を変え、軌跡を変え、足を捌き。

 軌道を読み、軌跡を読み、体を捌いていった。

 その度に生まれる火花を交えた激突は、辺りへ残響の音を持ってその勢いの激しさを主張していた。

「只の学生にしては……やりますね!!」

「はっ!! 王族の護衛に褒められるとは、光栄だ!!」

 響き渡るその音は断続的ながらも、次第にその間隔を詰めていた。

 常に速度を上げながら、奏でられるその音色は、互いに相手を否定するように、音を強め反発しあい、音色を上げて反響していく。

 ――そうやって、幾度打ち合わせた頃だろうか。

 終わりは唐突に現れた。

「ですがそれも学生にしては……ですっ!!」

「っ!!」

 私は叫びと同時に一閃を見舞う。

 握りが僅かに甘くなる一瞬を見逃さず、一際強く振るわれた私の刃が、少年の持っていた剣を強く弾き飛ばした。

 剣は少年の手から離れ、放物線を描き、彼方へとその身を飛ばす。

 視線でそれを追った少年の隙を見逃さずに、私は刃を少年の首筋に突き付け、自身の勝利を宣言した。

「終わりですね……神妙になさい、ナギとやら」

「……」

 少年は俯くようにして、自身の喉に突き付けられた刃へと視線を落とした。

 刃は少年の喉の薄皮一枚程度の距離で静止しており、闇が晴れたことへの証明として街灯から零れた光を薄く反射していた。

 それを視界に入れたのか、少年は俯きながら嗚咽を零す。

「……くっ……くっ」

「……泣きを入れるには遅すぎました。貴方はこれから裁かれます」

 私はそんな少年を見て、僅かに眉を動かしながら、そう言葉を投げた。

 この少年に同情の余地はない。

 教室でも見逃してやったのだ。王族へと殺気を向けて許されるなど、本来であれば一度だって有り得てはならない状況だった。

 そう思い、言葉を投げた私だったが、それを受けた少年は――

「……やっぱり優秀だったな、アンタ」

 最初とまるで変わらない口調で、そう返すのだった。

「……反省の色が見られませんね」

「反省するくらいなら、初めからこんな事はしていないさ……くっ……くっ……くくくっ……くははははははっ!!!」

 ――いきなり。

 彼はそう嗤いだすと、自身の頭を搔き毟り始めた。

「なっ!? 何をしているんですか!! 動かないで下さい!!」

「くはははっ!! そりゃあ無理だ!! こんなにも……っ!! こんなにもこんなにもこんなにも!! 頭が痛むんだからなぁ!!」

 がりがりと、こちらにまでそんな音が聞こえてきそうな程に、明らかに強すぎる力を持って自身の頭皮に爪を深く立てる少年。

 その表情は昏く笑っている筈なのに……酷く泣いているように見えるのは気のせいか。

「分かってたぜ? 分かってたさ!! 教室で担任と打ち合ったアンタの剣筋を見た時から、アンタが俺より上だってことはなぁ!!」

「貴方っ!! 本当に異常者でしたか!! 良いから、その動きを止めなさい!! さもないと――」

「――さもないと、どーする?」

 ――ピタリと。

 動きを止めながら、少年が意地悪く口を大きく広げ、そう言った。

 ニタリ、ニタリと狂ったような笑みを湛えながら、彼は言葉を投げていく。

「同時に気づいたぜ? アンタがかなりの甘ちゃんだってことにもなぁ? アンタの剣には殺気が無かった……凄みが無かった……覇気が無かった」

「言わせておけば――」

「だからなぁ……」

 くはは――と漏らすように笑いながら、少年は手を大きく左右へと広げていく。

 相変わらず、狂ったような表情を浮かべながら。

「こうやって、付け込まれるんだぜ?」

 ――ニタリ。

 そう少年の口元が上がった瞬間だった。

 彼の背中……いや、正確にはそれよりも下方からいきなり現れたナニカが、私に向けてソレを投げつけた。

「なっ!?!?」

 投げつけられた物体はこの世界に住むものなら誰でも知っている物だった。

 手の平程の大きさの球体であり、向こう側を移さない程に黒ずんだ『魔法石』と呼ばれるソレは、その身に刻まれた魔法を一度だけ再現するという特性を秘めた魔道具であった。

 ソレを理解した瞬間――

「カリエェェェェェ!!!!」

 ――横からそんな絶叫が聞こえた。

 そうして、そのまま私は横から『誰か』に突き飛ばされた。

 次の瞬間――


 ドォォォォォッン!!


 ――そんな爆音と共に、私の体は膨大な熱量に弾き飛ばされ、十数メートル程熱風に炙られた後で、強かにその背を建物へと打ち付けた。

「がはっ……!!」

 強い衝撃が体を叩く。

 それを持って、肺の中の空気が無理やり外へと追いやられる。

 しかし、それで終わりではない。

 壁への激突を終え、バウンドを受けたこの体は、碌な受け身も取れずに顔から地面へと崩れ落ちる。

「がっ!!」

 べしゃり――と。

 私は地面に倒れ伏した。

「な……なにが……」

 そう呟きながら、私が痛む体を無理やり起こし――

「……」

 ――眼前の光景に息を飲んだ。

 龍が走ったのだ。

 そう言われれば信じる程に、地面には大きな亀裂が生まれていた。

 恐らく私が吹き飛ばされたであろう爆心地では先程の車の炎上など、幼児の火遊びであったと嗤うような煙幕が立ち込めていた。

 その規模はもはや表現するのが滑稽な程だ。

 私がそれを視界に入れた瞬間。

 ――ドサリと私の横に、何かが落ちる音がした。

 その瞬間、私は思い出す。

 少年から投げつけられた魔法石が発動するその一瞬前、自分が『誰か』に突き飛ばされたことを。

 これほど大規模な魔法を受けたにも関わらず、私がすぐに起き上がれる程の軽症で済んでいる理由は直撃を避けれたからに他ならない。

 ――であるのなら。

 私を弾き飛ばしたその『誰か』は、どうなったのか?

 私の代わりに、その場所へ割り込んだその『誰か』はどうなったのか?

 ぎぎぎ……と震える胸を前に拳を握りながら、私はそこへと視線を向ける。

 突き飛ばされる前に聞こえた声は確かに私の主の――。

 ――いや。

 ただただ私が守りたいと思った強がりだけれど、誰よりも優しい女の子のモノだった。

(……嫌だ……嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!!)

 そう思うけれど、首の動きは止まらない。そう念じるけれど、視ずにはいられない。

(ああ!!……違いますように……!! どうか……どうか……!!)

 『ナニカ』が確かに横に落ちたとはいえ、瓦礫の可能性だってある。

 それに弾き飛ばした人物だって、直撃を受けたとは限らない……!!

 そう祈りながら、視線を滑らせた私だが。

 ――現実は非情だった。

 涙で滲む視界ながらも、私はそれが人影であることを理解してしまった。

 体から一気に力が抜ける感覚を得ながら、ただただ呆然と涙を拭い、私はソレを直視した。


「悔いはない……俺は自分が信じる道を生きた……」


 ――そう呟きながら、何故か女性物の下着を被ったその顔に、やたらと満足げな笑顔を浮かべて、倒れている男変態の姿を。


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